妹みたいな幼馴染は恋愛対象になる?
「お兄ちゃん、起きてる?」
部屋の外から女の子の声が聞こえてきた。
だが、俺はひとりっ子だから妹なんていない。
べつにこれはホラーなエピソードじゃない。
妹みたいな幼馴染って言えば伝わるだろうか。
物心がついたころからいつも一緒だった、家族のような存在。
「10歳までひとりで寝れなかった寂しがり屋のお兄ちゃん? おねしょしたのを、何回かわたしになすりつけようとしてけどばれて、余計に怒られたお兄ちゃん?」
「わぁぁあああ! やめろよ、その起こし方!!!」
いきなり俺の黒歴史をとなえだしたのであわてて飛び起き、部屋のドアを開けて抗議する。
いいところも悪いところも全部知られているので、いまさらカッコつけようがない相手。
俺ことと栗花落比奈理がそれだ。
「ふふふ、いやならひとりで起きてくださいね、お兄ちゃん?」
その比奈理はまったく悪びれず、それどころか小悪魔みたいな表情で見上げてくる。
悪魔のような美貌とたとえても、たぶん否定はされないだろう。
それくらい顔がいい。
「くっ……」
顔にだまされないぞと思っていても、正論を言われると弱い。
朝弱い俺を毎日起こしに来てくれるのはこいつの善意だ。
「ほら、着替え着替えて。遅刻しちゃいますよ?」
と催促しながらドアを閉じる。
俺はため息をつきながら急いで制服を着こんだ。
そのあと、一階に降りていっしょにご飯を食べることになるんだが、
「ひなちゃんが来てくれるのに、何が不満なんだか」
と母さんにいつもの小言を言われる。
「起こし方以外に不満はないよ」
俺は無駄だと思いつつもひかえめに抗議した。
一応感謝の気持ちはある、素直になれないだけで。
「こんな可愛い幼馴染がいるだけでも感謝しなさいよ。幼馴染じゃなかったら接点なんてないでしょう?」
「失礼な」
実の母親の無慈悲な発言に反発してみたものの、間違ってるとは思わない。
こうして座ってご飯を食べてるだけで絵になる美少女なんて、そうそう見当たらないはずだ。
猫みたいな瞳にさらさらしたボブヘア、日焼けしていない美肌、野暮ったい制服もおしゃれファッションにしてしまう美貌。
顔もだけどスタイルだってすごくいいので、知らない人に人気モデルだと紹介してもみんな信じるだろう。
……物心ついたときからほぼ毎日見てるのに、全然見飽きないのはやばい。
中身を知ってるのでいろいろとアレだが。
「女の子の顔をちらちら見るのやめたほうがいいですよ」
彼女はお茶を飲んでそんなことを言い、さらににやりと笑う。
「お兄ちゃん、許されるイケメンじゃないんですから、ね?」
「無慈悲!!」
案の定追い討ちだった。
俺がイケメンじゃないのは自分でもよく知っているが、だからと言ってはっきりと言うか、ふつー?
母さんは笑ってるだけでフォローなんてしてこない。
そもそもこの人は基本的に比奈理の味方をする。
女の子がほしかったと俺に聞こえるように言うのはやめてください。
家を出ると正面委はうちの家(庭つき)が何軒も入りそうなお屋敷がある。
これは栗花落家の豪邸で、比奈理はそこのお嬢さん。
つまり大富豪の令嬢なのだった。
幼馴染じゃなかったら接点がなかったと母さんが言うのは、実のところこっが一番の理由だろう。
我が家はありふれた庶民で、栗花落家のお嬢様と俺が幼馴染なのは立地の問題が大きい。
あとは近所で年が近い子どもはすくなかったのも影響したのかな。
大きくなって行動範囲が広がったあとも交流が途絶えなかった理由は、正直俺にはわからない。
「どうかしましたか、お兄ちゃん?」
と比奈理は首をかしげる。
「いや、何でお前うちで飯を食って行くんだよ?」
ごまかすために過去に聞いた問いをくり返す。
「またそれですか?」
比奈理は不思議そうに言ったが、
「健忘症でもはじまっちゃいましたか? ますます手がかかりそうですね、お兄ちゃん」
すぐにニヤリとする。
「何でそんなうれしそうなんだよ」
たぶん俺をからかえるのが楽しいからだと思うんだが。
「そんなことないですけどー? どうせわたしくらいしかお兄ちゃんの面倒を見る物好きはいないと思いますけど?」
グサッと刺さることを笑顔で言ってきやがる。
「どうせおまえと違って交友関係せまいよ、俺は」
栗花落ファミリーのみなさんを除いた場合、五人もいるか怪しいからな。
「ふふーん、何ならお友達を紹介してあげましょうか? いまなら女子がよりどりみどりですよ?」
比奈理は何が楽しいのかくすくす笑いながら、俺の前に回り込んで上目づかいで見上げる。
「聞こえの悪いすすめ方はやめろ!」
目をそらしながら俺は断った。
「だいたいその子たちに失礼じゃないか?」
と苦言を言ってみる。
「んんー、お兄ちゃんに紹介するのは理沙さんとかだからだいじょぶですよ?」
「そういう意味かよ」
理沙さんというのは栗花落家に代々仕えているという家政婦の人だ。
つまり学校の友達を紹介するなんてつもりはまったくなかったということだ。
どうせそんなことだろうと思っていたけどな。
「あ、期待してました? 可愛い女子が来るかもって、ほんのちょっとでも期待してましたか?」
ニヤニヤ笑いながら比奈理はたたみかけてくる。
「朝からウザいぞおまえ」
さすがにムッとして意見するが、彼女は悪びれない。
「わたしに向かってウザいって言えるのは、世界は広くてもお兄ちゃんだけかもしれませんねー」
それどころかますます上機嫌になっていて、余計に意味がわからなかった。
「まあおまえ見た目はいいし、実家はすごいからな」
「ふふふ、ほかに褒めるところないって解釈が成り立つ言い方ー!」
彼女はけらけら笑っている。
栗花落比奈理のスペックはガチで高い。
まず芸能人として食っていけても不思議じゃない容姿。
生まれは地方で圧倒的な存在感と影響力を持つことから「栗花落王国」なんて言う人もいる栗花落家、それも本家のご令嬢。
おまけに学業も優秀で国立大は余裕らしい。
天の不公平さや理不尽さを体現化した存在だと言えるし、そりゃ誰も面と向かってディスったりできないよな。
家族は例外のはずだけど、基本みんな比奈理には甘いんだよな……。
「あ、学校についちゃった。登校デートは終わりですね」
と校門が見えてきたところで比奈理が言う。
これってデートなのか???
と思うが、まともに答えが返ってきたことがないので聞くのはやめた。
「じゃあまた放課後ー」
なんて言い残して去っていき、前方を歩いていた女子の集団に合流する。
俺は彼女たちと会うまでの間に合わせかな? なんて思ったりした。
いや、あいつのことだからそこまで考えてないか……。
下駄箱のところで前の席の左右大夫とばったり遭遇する。
珍しい苗字だが、それ言ったら比奈理もそうなるか。
「おはよー。見てたぜ、今日もひな姫と仲良く登校してたの」
「ん? ああ。おはよう」
とりあえずあいさつだけ返す。
比奈理は家柄のせいか、名前をもじってひな姫と呼ばれることが多い。
まあたしかに黙ってりゃお姫さまでも通じそうだ。
「仲良くって言うか、腐れ縁だからな。幼稚園にあがる前くらいからの付き合いだぞ。よく覚えてないけど」
と説明する。
「あんな幼馴染がいるなんてうらやましい」
なんて左右大夫は言う。
こういう反応には正直すっかり慣れっこだ。
比奈理のほうも「何で小鳥遊みたいなさえない奴と仲いいの?」的な質問を、たっぷりとされていることだろう。
見た目もそうだし、家もそうだし、何ならほかのことでも俺たちは釣り合っているとは言えない。
「そんなこと俺に言われても、生まれた家の立地の問題だからな」
栗花落家の豪邸の近所に家を買おうという猛者は、うちの両親くらいしかいなかったようだ。
父さんがビールを飲みながら冗談っぽく言ってただけだから、信じていいのか怪しい。
事実にせよそうじゃないにせよ、俺がどうこうできる理由じゃないのは同じだ。
「そうなんだよなー。可愛い幼馴染ほしかったなぁ」
「悪かったな、可愛くなくて」
天井をあおぎながら嘆いた左右大夫に、通りすがりの女子がぼそっと言う。
「げっ」
明らかに気まずそうな声を出す。
さっきの女子はじろりと彼をにらんでいて、何となく察した。
「あの女子、おまえの幼馴染? 可愛い子じゃないか」
と俺は言う。
あの子可愛いなと男同士で話題に出したとして、大半が支持すると思う。
「ひな姫がいるおまえに言われるとなぐさめに聞こえるんだよなー」
「面倒くさい奴め」
とりあえず話につき合う気はなくす。
教室に行こうと歩き出したら、ひょっこり比奈理が顔を出した。
「お兄ちゃん、女子がいるところで誰が可愛いとかデリカシー氷点下だから、気をつけたほうがいいですよ?」
聞こえてたのか。
言い出したのは左右大夫だが、それは言い訳っぽいよな。
だいたいこいつは俺の言い訳にはさらなる屁理屈で返してくるし。
「お、おう」
俺が悔しそうにうなずくと、満足したのかニコッと笑って友達のところに戻っていった。
あいつめ、俺を言い負かしたくて聞き耳を立てたんじゃないだろうな。
「おまえのせいで比奈理にやり込められただろ」
元凶の左右大夫に軽く抗議をする。
「小鳥遊はいいよなぁ」
返ってきた言葉に俺は「は?}と声が出た。
「ひな姫めっちゃ可愛いじゃん。あんな可愛い子にお兄ちゃんって呼ばれてみたいよ」
左右大夫はどうやら心底うらやましがっているようだ。
この様子だと何を言っても無駄だろう。
「そうか」
とだけ言って俺は先に行く。
「待てよ、勝者の余裕か?」
左右大夫は追いかけてくる。
「朝からウザがらみはやめてくれ」
そんなのは比奈理の奴ひとりだけで充分間に合ってるんだから。
これ以上増えるのは勘弁してほしい。
「お兄ちゃん、ご飯食べましょうよ!」
ひな姫こと比奈理は上級生の教室でも物おじせず突撃してきて、大きな声で叫ぶように言った。
教室内の注目は一気に俺に集中する。
「お、おう」
いつものことながら何の罰ゲームだ。
舌打ちをしてあわててドアへと寄っていく。
「ひな姫、毎日来てるな」
「通い妻状態だな」
「けなげだよね」
「爆発しろ」
俺の背中に刺すような視線が投げつけられているのは、きっと気のせいじゃないだろう。
確認なんてしたくないが。
「えー? じゃあお兄ちゃんがわたしのクラスまで迎えに来てくださいよ。白馬の王子様みたいに♡」
比奈理は語尾にハートがついてそうな甘ったるい声でおねだりしてくる。
前かがみプラス上目づかいという男殺しコンボまで使ってきた。
若干目がうるんでいるのも、立派に育った果実を強調するようなポーズ。
あざといという単語が一瞬で蒸発してしまう反則的可愛さだ。
「あざといのやめろ。俺には効かないぞ」
俺は目をそらしながら言った。
毅然とした態度をとろうとしたけど、声が震えないだけで精いっぱいだった。
こいつの魅力に慣れてない男子なら、0.1秒で理性が溶かされて言いなりになっていたかもしれない。
だが、俺は幼少のころからつき合っているので耐性があるんだ。
……ほんのちょっとやばかったけど。
「ちぇー」
比奈理はあっという間にいつもの態度に戻る。
「さすがお兄ちゃんですね。さ、ご飯」
それどころかちょっと機嫌がよくなっていた。
まったくもって意味がわからないが、飯を握られているという理由で俺は従う。
今日比奈理に連れられてきたのは中庭のベンチで、ちょうどあいていた。
ほかのベンチにはカップルが座っていたり、レジャーシートを敷いている強者も中にはいるようだ。
「意外と人気スポットなんだな」
椅子に座れるし、自販機もある食堂のほうが人気かと思ったんだが。
「そりゃ静かにおしゃべりを楽しみたいか、恋人ときゃっきゃうふふしたい人はこっちのほうがいいと思いますよー」
と比奈理が言う。
そして俺を見上げてにやりと笑った。
「邪魔者なしにお兄ちゃんをいじれそうだから、ここにしました♡」
「悪魔か、おまえは」
どうせそんなことだろうと思っていたが、げんなりすることに変わりない。
「えー? 今日はひなりちゃん弁当なんですけど?」
比奈理はそう言って赤い包みをこれ見よがしに提示する。
「お兄ちゃんはきっとお腹すいてるだろうなぁと思って、わたしはりきったんですけど?」
「くっ……」
比奈理はその気になったときしか料理はしないが、普通に上手い。
実はメシマズでみんなの共感を誘う──なんて可愛げなど持ち合わせていない、ハイスペックお嬢様だ。
「どうしよっかなー?」
なんて言ってにやにやしている。
「はいはい、比奈理は好物作ってくれたんだろうと楽しみだよ」
と下手に出てみた。
「心が全然こもってない……棒読みにもほどがありますよ、お兄ちゃん!!」
何やら比奈理はぷんすかしはじめる。
本当にこいつ、俺限定で面倒なところあるよな。
そろそろひどくなってきたので、両頬をつかんでみる。
「いい加減にしないとコミュニケーションの範疇を超えるからな?」
「ふぁあい」
比奈理はあっさりと降参し、俺に弁当箱を渡してきた。
頬をつかまれると弱いのは相変わらずだなー。
まあお互い弱点を知り尽くした関係であるわけだが……。
「もう、女の子の頬を気軽にさわるなんてダメですよ、お兄ちゃん! わたしだから問題にならないだけなんですからね!」
比奈理は懲りていないのか、お説教をしてくる。
「そりゃおまえにしかしないよ」
俺にウザいからみ方をしてくる女子なんて、この世で比奈理しかいない。
単にほかの女子は接点がないとも言う。
「!?!?!? な、ならいいんです! 許してあげます」
「なぜ上から目線なんだおまえ」
何やら驚き、動揺したあと、つーんとすましたあげくの物言いにツッコミを入れる。
だが、比奈理は答えずそっぽを向いて弁当を食べはじめた。
こいつもなんだかんだで腹へってただけかもしれない。
俺も食べようと弁当を開けてみる。
大きなおにぎりが四個、大ぶりのから揚げが三つ、さらにハンバーグが入っていた。
「おお、豪勢だな」
俺の好みをばっちり抑えた理想的なおかずに感動する。
「ふふん、お兄ちゃんの好みなんてお見通しですからね!」
と比奈理は得意げに胸を張った。
「ちゃんと成瀬に取り寄せさせた高級地鶏に、高級牛肉を使った高品質おかずです!」
なんて説明する。
成瀬っていうのは執事のひとりだったはずだ。
「もしかして、おまえんちの食卓に出る食材なんじゃ?」
ぎょっとして俺は聞く。
「当然ですよ? わたしの分もいっしょ作ったんだから、食材がそうなるに決まってるじゃないですか?」
きょとんとして比奈理が答える。
うわあああ! そう言えばそうだ!?
こいつの家はおじいさんがうるさい人ということもあって、高くて品質がいいものを取り寄せている。
生産者だって「本当にいいものならどれだけ高くてもいい」というスタンスで頼む分には、好意的らしい。
「つまりこの弁当だけで、俺の食費数か月分なんじゃ? 万札が何枚吹き飛ぶんだこれ!?」
ぎょっとした俺を見て比奈理が笑う。
「おバカですねー、お兄ちゃん。一食分の単価だし、材料費だけならそんな高くならないですよ」
「そ、そういうものなのか?」
たしかに一食分ならそこまでにならないのか?
ま、まあ、いくら栗花落家が金持ちでこいつに甘いと言っても、そこまでの高級食材は使わせないか。
「せいぜい一枚くらいですよ? 100グラム3000円程度のはずですし」
「ぶーっ!?」
思わず吹き出す。
安心させてから爆弾を投下するという高等的だこれ!?
「????」
こいつめと見たら、不思議そうな顔をしてこっちを見ている。
そ、そうか、こいつの金銭感覚はこうだったよな。
「いや、何でもない」
「??? 何だか心なしか、距離をとられた気がするんですけど?」
俺が引き下がったことを敏感に察したらしく、不満をあらわにする。
何でこいつはこういう勘は鋭いんだろう?
「現物見てると忘れそうになるけど、おまえってお嬢様だったな」
ほんと気をつけないと忘れるんだよ。
「えー? どこからどう見ても可愛いお嬢様でしょう?」
と比奈理は首をかしげるが、これは本気で言ってるわけじゃない。
ペットがじゃれついてきてるような感じだ。
「可愛いのは否定しないが、お嬢様には見えない」
と答える。
可愛くないと言うのは簡単だけど、それは俺の中のナニカが邪魔するのだ。
お嬢様らしくないというほうは、たいていの人間が同意するだろうから口に出しやすい。
「えー!?」
と比奈理は驚いてみせたものの、すぐにけらけら笑い出す。
「まあわたし親しみやすい系女子って評判ですからね!」
なんて自分で言っている。
親しみやすいのか、こいつ?
何か遠巻きに見られていることのほうが多い気がするんだが。
いや、同級生たちには慕われているって可能性はあるか。
一年、それも女子たちの関係なんて俺にはわからん。
「何ですか、お兄ちゃん。そんな疑わしそうな目をして」
比奈理に不本意そうな顔をされた。
「おまえの自称はあてにならないことがあるって、俺だけは知ってるからな」
と言うと、
「むー」
比奈理は悔しそうにうなる。
いろいろと知り尽くしてるので言い訳が通用しないってのはお互い様だもんな。
「ふーんだ。お兄ちゃんの黒髪ロング巨乳好き!」
小声で言われて
「ブフォォオオオオ!?」
思わず飲みものを吹き出す。
「な、何の話だ!?」
「おばさまからは隠し通せても、わたしからは逃げられないんですよねー」
激しく動揺する俺に向かって、比奈理はにやりと笑う。
獲物をとらえた猫のような表情だった。
「うぐぐぐ」
心当たりのある俺は敗北するしかない。
こいつのソッチ方面の好みを知っていれば反撃できるんだが、アニメにもアイドルにも興味ないはずだ。
つまりソッチ方面で突ける弱点がない。
「いえーい、わたしの勝ちー」
「くっ、負けた」
ここはおとなしくしよう。
両親にバラされるのはともかく、年下の女の子に他人に好みをばらされるのはメチャクチャつらい。
「まあまあ。わたしは理解あるほうですから」
優しくなぐさめるように肩をたたかれるが、敗北感は消えない。
むしろ傷に塩でもぬられているようだ。
がっくりしていると、比奈理がそっと耳元に口を寄せてくる。
「ちなみにあの娘なら、わたしのほうが大きいかもですよ」
「!?!?!?!?!?」
そしてとんでもない爆弾をささやき声で放つ。
甘い声に首すじがぞくっとするコンボ攻撃だ。
「なーんてね♡」
比奈理はころっと表情を変え、見慣れた小悪魔フェイスになっている。
「どうでした? ドキドキしちゃいました?」
「こ、こいつめ」
かなりヤバい一撃をもらったので、ごまかすためにも声をあげた。
「そういうことするなよな。おまえのために」
ちょっと強い口調で言うが、
「いいこと言ってる風だけど、ドキドキした逆ギレ的なやつですよね?」
こっちの心情を完ぺきに見抜かれているので効果がない。
「ご心配なく。お兄ちゃんにしかしません」
なんて比奈理は言い、
「あ、うちのお兄ちゃんたちにもやらないって意味ですよ? まもるお兄ちゃんだけが特別です」
と説明を補足する。
こいつ上に兄が三人いるから、文脈的にはややこしくなるときがあるんだよな。
しおらしいことを言ってるが、俺はだまされない。
「うれしいですか? と続くんだろう」
冷静になればこいつのパターンは読める。
「正解です。ちょっとミエミエすぎましたかねー」
比奈理はてへっと舌を出す。
相変わらずだ。
「じゃあ放課後迎えに行きますからね。先に帰っちゃだめですよ、お兄ちゃん!」
去り際にくぎを刺されてしまったので、俺は今日も待つしかないようだ。
教室に戻ったら左右大夫がにらむような形相で話しかけてくる。
「くっ……この勝ち組めぇぇ!」
「何だよ、急に」
困惑する俺だったが、
「とぼけやがって。ひな姫と昼飯いっしょに食べただろう!?」
と言われてなるほどと納得した。
「まあな」
「くうっ」
怨念がたっぷりこもった迫力ある声に、正直ドン引きなんだが。
「あんな可愛い子と一緒なんてぇえ」
左右大夫の恨みはどうやらかなり深そうだ。
あいつの手料理だったというのは黙ってたほうがいいな。
「あいつは妹みたいなもんなんだが」
何しろ両親の次くらいに出会ってからの時間が長い相手だ。
「一緒に過ごした時間」にすれば、もしかしたら両親を超えているか?
「みたいだろ! 妹じゃないんだろ!」
クールダウンさせようと思って言った言葉は、どうやら左右大夫にとって逆効果だったようだ。
「それはそうだな。あいつ、実兄が三人ほどいるし」
「ひな姫をあいつ呼ばわりできる状況もうらやましいが……そもそも何で兄がいるのに、おまえのことをお兄ちゃんって呼ぶんだよ?」
左右大夫は俺への怨念を緩和させ、素朴な疑問をぶつけてくる。
「さあ? 俺に聞くなよ」
これは本心だった。
あいつが俺をあんな呼び方する理由なんて知らないのだ。
初めて知り合ったころは普通にまもるくんって呼ばれてた記憶があるんだよな。
いったいいつの間にお兄ちゃんに変化したのやら。
「くっ、いちいち覚えてないくらい濃密な時間を過ごしてるという自慢か」
「俺の返事が自慢に聞こえるなら、とりあえず一年くらい黙っておけ」
うざいのでばっさり切り捨てる。
きつめの言い方をしてもこいつはまったく堪えない。
むしろ突き放すような言い方でちょうどいいかもしれなかった。
だいたい俺は比奈理との関係を誰かに自慢したことは一度もない。
あいつのことを知った(知ってる)人間が、俺に対していろいろと問いかけてくるというパターンばかりだ。
そういう意味じゃあいつこそこの学校の話題の中心にいると言えるのかも。
俺が言ったら調子に乗りそうだから言わないが。
「冷たいなー」
左右大夫はけらけら笑う。
やっぱり全然堪えてないな。
予鈴が鳴ったのでようやく前を向いてくれた。
「放課後ですよ、お兄ちゃん!!」
約束どおりやってきた比奈理が、大きな声で叫ぶ。
「知ってるよ」
俺はため息をつきながら立ち上がる。
比奈理がいる後ろには誰も近づかない。
席が後ろの連中は後ろから出たいだろうに、わざわざ前から出ている。
「おまえそこにいたら、みんな通れないだろ」
と注意した。
「はぁぁい」
比奈理は素直に返事をして横にどく。
もっともすでに手遅れで、教室内にいた全員が前に移動している。
「うちの妹分がマジでごめんって言いたいわ」
「わたしだけのせいなんですかぁ?」
俺のつぶやきを拾った比奈理は、若干不満そうな声を出す。
「おまえ自分の影響力や注目度、自覚してるはずだよな?」
わりと自分の目的のために使うタイプだからな。
じろっとにらむと肩をすくめて舌を出す。
「ごめんなさぁい」
と一応教室内に聞こえるように謝った。
「謝った!?」
「ひな姫が謝った」
「ひな姫に謝罪させる男がいるなんて」
何で教室内でちょっとした騒ぎが起こるんですかねえ。
もう一度じろっと見ると、彼女は心当たりがなかったらしく、不思議そうに首をひねっていた。
身に覚えのないことで叱るのは理不尽すぎるか……。
「まあいい。帰ろう」
「はい!!」
俺が言うと彼女は俺の右ひじを軽くつかむ。
「エスコートお願いしますね、お兄ちゃん」
「今日は何かテンション高いな」
いつもは学校でこんな絡み方をしてくることはあんまりない。
「ふふふー、内緒ですー」
と比奈理は笑う。
……今日は何の日だったっけ?
首をひねっていくつか候補を頭の中で挙げる。
こいつのおじさん、三人のお兄さんは却下だな。
本気できらってるわけじゃないが、そこまで好きでもないはずだ。
となると残りは。
「ああ、おばさんが今日は帰ってくる日か」
「お兄ちゃん、わたしのことわかりすぎでは!?」
比奈理はうれしそうに俺の腕にしがみついてくる。
当たりだった。
おばさんも忙しい人でめったに家に帰れない。
なんだかんだで母親が恋しいのだろう。
まだ親離れできてないのか、と高校生にもなれば言えるかもしれない。
だけどそれは比奈理の家庭環境を知らなかったらだ。
親離れや反抗期になるほど、親と過ごした時間がないと俺は知っている。
「よかったな」
だから俺は比奈理の頭を優しくなでた。
「もうお兄ちゃん、女の子の頭を気安くなでたらだめなんですよ?」
上目づかいで言ってくるが、頬がうれしそうにゆるんでるから説得力はない。
「おまえにしかやらないし、セットを崩さないように気をつけてるぞ?」
そうとは言わず別のことを言う。
女子が髪を触られても平気なのは家族と恋人くらいらしいということは、俺だって知ってる。
「それに俺はお兄ちゃん呼びされてるくらいだし、ほぼ家族みたいなもんだろ?」
と言った。
いやならそもそもお兄ちゃん呼びをするなよって話である。
我ながらしっかりとした理論武装だと思ったんだが。
「……そういうところですよ、お兄ちゃん。わたしがクレームを入れたいのは」
何やら比奈理は急激に悪化する。
怒ったというよりはすねたようで、ジト目になってこっちを見上げてきた。
「どういうことだ??」
何でこうなるのか俺には理解できず首をひねる。
こいつの地雷はほぼ把握しているはずだし、こいつだって俺の地雷は踏まない。
だからもう何年も喧嘩なんてしていないのだ。
「お兄ちゃんの馬鹿。優しい鈍感男。いざってときしか頼りにならないヘタレ」
と比奈理の口からいろいろと飛び出てくる。
「褒めてんのか、けなしてんのか、どっちだよ?」
俺が困惑した。
こういう言い方だと喜ぶべきなのか、怒るべきなのか悩む。
「けなしながら褒めてるんですよ?」
比奈理は真顔で言い切りやがった。
この女……と思うが、機嫌は相変わらずよくなさそうだ。
女心と秋の空なんて言葉はあるけど、いまのはたぶん俺が原因なんだよなー。
いったい何が悪かったんだろう??
こいつの地雷は「ほぼ」把握というのは、まれにだが急に機嫌が悪化するときがあるからだった。
「何か知らんけど、俺が悪かった」
「ほんとですよ、もう!!」
謝ると比奈理はあいてる手をカバンごとふり回す。
「今日はいっしょに遊んでくれないと許しません!! 母様とのディナーにも参加してもらいますからね!!」
そしてにこやかに要求する。
「お、おう?」
思わずうなずきかけたけど、引っ掛かりを覚えて止まった。
「いいのか、おばさんと水入らずなのは久しぶりだろ?」
親しき仲にも礼儀ありというか。
家族同然だからこそ、遠慮したほうがいい局面はあると思うんだよな。
「母様のことです、どうせお兄ちゃんの近況を教えろって言うに決まってます。だったら本人を連れて行くほうが早いじゃないですか?」
比奈理は自信満々に言い切る。
たしかにおばさんはそういう人だったな。
「おまえとおばさんがいいなら、それでいいのかもしれないけど」
本当にいいのかと最終確認をする。
「いいので決まりです。迎えをやるのでちゃんと来てくださいね? 来ないとお兄ちゃんに捨てられたって、号泣しちゃいますよ?」
比奈理はにこやかに脅してきた。
「それだけはやめてくれ」
本気で懇願する。
そんなことをされた日には、俺はこの地域で生きていけなくなってしまう。
栗花落家の影響力を考えればもっとひどいことになりえるが、そこまでのことは脳がイメージを拒否する。
捨てるも何もつき合ったことないと主張しても、誰も信じてくれないだろうな。
「わかればいいんです。お兄ちゃんってほんとたまに物わかりが悪くなりますよね」
比奈理がお説教じみた言い方をする。
「俺が悪いのか……?」
どうにも釈然としない。
「ふーんだ」
比奈理が教えてくれる気のないことだけはわかった。
下校中、周囲の視線が痛い。
理由は俺の腕をしっかりつかんで離さない比奈理に決まっている。
「比奈理、そろそろ」
「だーめです」
離れるよう頼もうとしても、食い気味に却下されてしまう。
いつもはもうちょっと聞き分けがいいんだが。
何かこいつ意地になってないか?
こうなったら聞き分け悪くなるから好きにさせるか。
「お兄ちゃん」
「何だよ?」
不意に呼ばれたので返事をする。
「うふふー、何でもありませーん」
比奈理は楽しそうに答えた。
機嫌がいいのは喜ばしいことだが、俺にとっては迷惑だ。
「お兄ちゃーん?」
「はいはい」
また呼ばれたのでもう一度返事をする。
「えへへ」
さっきよりもさらに機嫌がいい。
まったく意味不明にもほどがあるだろ。
「用もないのに呼ぶのはやめてくれ」
無駄かもと思いながらも一応頼んでみる。
「ええー? お兄ちゃんはお兄ちゃんなので、わたしといるときは常に用事があるのと同じなんですよー?」
理解不能の回答が返ってきた。
俺はいるだけで用事が発生するって何なんだよ?
とりあえずやめてくれそうにないことだけは察した。
何か反撃してみようか。
「それじゃ俺もおまえが近くにいるときは、ずっと用があるっていうのはどうだ?」
自分がやる分にはいいけど人にやられるのは困る。
そんなパターンを想定したのだ。
「もちろん大歓迎ですよー?」
ところが比奈理はにこにこして快諾する。
完全にあてが外れてしまってがっくりと肩を落とす。
「どうしましたか?」
比奈理自身は俺を返り討ちにしたという認識はないらしく、不思議そうに首をかしげる。
18時ごろ、インターホンが鳴ったのでドアを開けたら、ニコニコした比奈理が立っている。
花柄のワンピースは似合っていて可愛い。
珍しく着けている白色のネックレスもよくマッチしている。
「わたしを見て何か言うことはないですか、お兄ちゃん」
彼女は見上げながら催促してきた。
「……おまえが可愛いのはいつものことだろ。いつも以上に可愛いって言わなきゃだめなのか?」
と俺は聞く。
「!? だめなんですよ、お兄ちゃん」
比奈理は一瞬だけ動揺したが、すぐにいつも表情に戻る。
いまの表情は何だろう?
義務感を出したのがまずかったか?
いや、怒ってるわけじゃなさそうだし、べつの理由かな。
「あ、俺、普段着のままなんだけどいいのか? 上等な服を持ってないのはとっくに承知されてるはずだが」
と確認する。
いまの俺はトレーナーにジーンズという恰好だ。
よく知らないけど、高いレストランとかであるという「ドレスコード」だとだめな恰好じゃないかな。
何しろ長いつき合いなんだから、うちが栗花落家とは経済力が違いすぎることくらいわかっているだろう。
「ああ、お兄ちゃんは自由ですよ。招待されるゲストですし」
と比奈理は気にするなと笑う。
招待されるゲストこそ服はちゃんとしなきゃいけないんじゃ……と思ったものの、招待してる側がいいって言うならいいのだろう。
「わたしはホストとしてお兄ちゃんをおもてなしする側なんです。どうですか?」
と比奈理は言って、スカートの裾をつまんで白い腿をあらわにしながら、上目づかいで見てくる。
制服のときはせいぜい膝上5センチだけに、この美脚を目にする機会はない。
服の違いか普段はわかりづらくなっている胸の戦闘力の高さも、この服装だとよくわかってしまう。
化粧っ気はなくても普通にきれいだ。
素材だけでも充分に戦える希少な逸材なのだと改めて認識する。
普段は抑えられている異性としての魅力に直撃された。
いったいどういう風の吹きまわしなんだろう?
「いつもとは空気が違うよな」
俺は必死に自分の理性をフル稼働させながら言った。
あまりべた褒めするのは恥ずかしいので、そんな風にごまかす。
「どう違うのか、が気になるところですね」
比奈理は食い下がってくる。
けっこう気合が入った服装だから、ちゃんと言ってほしいのか?
「いつもは元気な感じだけど、いまは大人っぽいよな」
色っぽさすら感じると言うのは照れくさいから、表現を変える。
この格好なら大学生でも通用するんじゃないだろうか。
地元で顔バレしてるから無理にせよ、顔が知られてない相手になら。
「そうでしょう? お兄ちゃん、さてはわたしの底力をなめてましたね?」
と比奈理はにやりと笑う。
「う、うん」
俺は素直に認める。
こいつが美形なのはよく承知しているんだが、それは明るさや元気さといった属性だと思っていた。
色気や大人っぽさ、魔性属性を持ち合わせていたなんて。
露出が多めの服をめったに着ないので、気づいていなかった。
生唾を飲み込めば比奈理はすぐに気づくだろう。
そして勝ち誇ってくることが目に見えているので、必死に噴火しそうなナニカを抑え込む。
「ふふん、お兄ちゃんが喜んでくれてるのはよくわかりました」
ところが比奈理はそう言って勝ち誇ってきた。
「見抜かれた!?」
何とかごまかそうとしていたのに、と愕然する。
「十年かそれ以上のつき合いですよ? お兄ちゃんが我慢してるなんて、すぐにわかりますってば」
比奈理はあきれたあと、憐憫のこもった目で俺を見つめてきた。
「本当にわたし相手にごまかしが通用すると思ってたんですか?」
「ぐうっ……」
改めて言われると、苦しい。
こいつはときどき母さん以上に鋭かったりするからな。
「はいー、わたしの勝ちですね♡」
「負けた……」
俺はがくっと肩を落とす。
正直、いまこいつに反撃する気力は残っていない。
不意打ちで見せられた魅力に耐えるだけで精いっぱいだった。
「ふふふ、母様の助言的中ですね」
比奈理の笑い声は聞こえたが、後半は急に声量が小さくなったので聞き取りづらかった。
何かおばさんがどうって言ってたみたいだが。
おばさんに言われてこの服を着たんだろうか?
「そういう服、おまえはあまり好きじゃないと思っていたよ」
俺は横を見ながら言う。
比奈理から目をそらすと精神力が回復できると気づいたのだ。
「たしかにあまり好きじゃないですね。ヒラヒラして動きづらいですし、視線を無駄に集めちゃいますし」
と彼女は言う。
やっぱりあえて避けてたんだな。
「今回はほしい成果をゲットできたので満足ですけど」
と比奈理は満足そうに言った。
俺をからかえたことか?
と思ったが黙っていた。
そう言えばさらに追い討ちが飛んできそうなんだよ。
こいつの性格なら大いにあり得る。
たしかに破壊力は抜群だった。
思わずほかの男には見せたくないと思ってしまうくらいに。
「お兄ちゃん」だからな、うん。
……俺はいま誰に言い訳したんだろう?
「じゃあお兄ちゃん、どうぞ。最近見捨て気味の我が家へ」
と比奈理はいきなり爆弾を投下してくる。
「いや、おまえなあ」
言いたいことは山ほどあった。
大きくなったら昔のようにはいかないだろう。
「なーんてね。ウソですよー。ビビりました?」
見上げてくる比奈理の表情は、いつもの小悪魔フェイスだった。
イラっとしたので意趣返しに鼻をつまんでやる。
「ふえぇぇ」
珍妙な声を出してながら、比奈理は両腕をあげて降参を示す。
放すとこいつはぷはーと大げさに息を吐き出す音を出した。
「ひどいですよ、お兄ちゃん。女の子の可憐な鼻をつまむだなんて」
涙目で抗議してくるが、俺には通じない。
「おまえのウソ泣きが俺に通じると思うなよ」
「ちぇー」
言った瞬間けろっとした顔になる。
女は生まれながらの役者ってフレーズを思い知る瞬間だ。
「あ、到着です」
露骨にごまかしやがったが、出迎えのためか見覚えのある執事さんたちがいるので黙る。
さすがに家の人たちの前で雑に扱うのは、ためらいがあるんだよな。
「連れてきたわ」
俺に対するあどけない口調とは打って変わって、お嬢様らしい言葉づかいになる。
家の人たちはみんな黙って一礼で俺を通してくれた。
「相変わらず威圧感あるな」
あんなの子ども心に見せられたら、どうなってたんだろう? と思う。
そういう意味じゃ俺は配慮されたんだろうか。
「お兄ちゃんが来るのは久しぶりですよね。わたしの高校入学祝い以来じゃないですか?」
「かもしれないな」
とうなずく。
祝いごとに呼ばれて無視するわけにはいかなかったので来たんだが。
案内されたのは正面の建物で、一階の相変わらずうちの家が入りそうなくらい食堂にはおばさんと給仕役のスタッフだけがいた。
おばさんはと言うと普通にスーツ姿である。
もちろん高級ブランドなんだろうけど、娘みたいにドレス姿じゃなかったことは拍子抜けしつつ、ちょっと安心した。
忙しそうな人、待機してる人はみな若い女性で、男は俺しかいない。
おばさんのことだから絶対わざとだな。
「いらっしゃい、まもるくん。久しぶりね」
比奈理が成長してオトナの魅力を備えたらこうなるだろうな、という魅力的な笑みでおばさんは微笑む。
「お久しぶりです。招待していただいてありがとうございます。どういった理由で呼ばれたのか、結局よくわかっていないのですが」
と言うがまともな返事は期待していない。
何しろこの人は外見からも想像できるように比奈理の母親なのだ。
「ふふふ、久しぶりにあなたの顔を見たかったのはたしかだけど、それだけじゃないわよ。相変わらずニブいのね、まもるくん」
ものすごーく心外なことを言われたけど、礼儀を守るために黙って礼を返す。
そしておばさんは比奈理を見る。
「肝心なところでだめなのは似た者同士ということかしらね」
「ちょ、ちょっとは効き目あったし!」
わけがわからないことを言ったおばさんに対し、比奈理も意味がわからないことを返す。
招待しておいて、置いてきぼりにするのはやめてほしい。
「やれやれ。これじゃ先は長いわね」
とおばさんはため息をつく。
どういうことだと目で比奈理に問いかけると、そっと目をそらされた。
こいつから目をそらすのは珍しい。
俺が何が言いたいのか確実に理解しているからこそだろう。
「そう言えばまだお兄ちゃん呼びなの?」
とおばさんはいきなり言う。
「……そうですね」
今さら何だろうと俺は不思議に思いながら答える。
実の兄が三人もいるのに幼馴染をお兄ちゃん呼びしはじめた比奈理を、面白がって放置していたのはこの人たちだ。
「もう高校生なんだし、学校では別の呼び方してもいいんじゃないの?」
「え、えーとそれはね」
何やら比奈理は頬を赤らめてうつむき、しどろもどろになっている。
言い訳したいけど上手くいってない感じだ。
話がさっぱり見えないので加勢しようがない。
「まあいいわ。とりあえずふたりとも座って。三人でディナーにしましょう」
とおばさんは言う。
「おじさんや他の人たちはどうしたんですか?」
と俺はなかば予想できていることを聞く。
「呼んでないわよ。邪魔だから」
おばさんの答えは予想どおりだった。
俺も邪魔者になるはずなんだけど、違いはいったい何なんだろうな?
広くて豪華な食堂で、美女と美少女に囲まれながら豪華な料理を食う。
経験するのは初めてじゃないけど、そうでなかったら味なんてわからないだろうな。
いまだって美味しいってことしかわからないが。
話をするのは基本比奈理だけで、おばさんはうなずくか質問するだけ。
俺は食べるだけなんだが、それはべつにかまわない。
「それでお兄ちゃんはね」
比奈理が出す話題は俺のことだけってのがつらい。
メイドさんたちの視線はよく俺に向けられるし、おばさんも同様だ。
新種のいやがらせか何か? と言いたくなるが、比奈理は純粋に楽しそうにしているので違うだろう。
「とりあえずまだまだ頑張ったほうがいいことは理解したわ」
と食後の紅茶を飲みながらおばさんは言った。
何のこっちゃと思ったが、比奈理は何やらうめいている。
──あとになってふり返ったとき、この日のおばさんの突然の呼び出しが、転機になったのだろうと気づいた。