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2作品目です。
週1ペースぐらいで更新したいとは思いますが、リアルの仕事も忙しいので、もしかしたら遅れることがあるかもしれませんが、気長にお付き合い下さい。
「ほらほら、みんな落ち着いて、今日はプレオープンだ。明後日のグランドオープンに向けて今日ミスが起こったことは明後日からの教訓にすればいいんだから、半年間研修してきたことを落ち着いて行えばいいから。」
「「「はい。」」」
ここは、明後日グランドオープンする
”キッチンスズキ〟そう、俺、鈴木一とした2人の兄弟と開店する多国籍レストランだ。
今日は、プレオープンとして関係者を招待して料理を味わってもらっている。
この本店を含め同時に3店舗オープンするのだ。
関係者だけだと、開店後の雰囲気がつかめないため、飛び込みで入ってくる人も対応していたのだが、思いのほか盛況で、息つく暇もないほどだ。
この店舗の調理場は、調理師専門学校を卒業したばかりの調理師が7名入っており、半年間の研修で覚えてもらった料理を作ってもらっている。
それ以外にも、洗い場やホールスタッフ合わせて総勢35名の大所帯だ。
このレストランが、俺が夢に見た店なのだ。
俺は、中学校卒業後、進学せず、すぐにバイトとして飲食店で働き始めた。
俺の特技は、味わえば、その味を再現でき、料理の技法も見れば吸収できていたのだ。
最初に入った、割烹料亭は、勉強になることばかりだった。
さすがに包丁の研ぎ方などはわからなかったので、教えてもらおうとお願いしたところ、料理長が親切な人で、丁寧に教えてくれた。
しかもその料亭の関係で、日本酒や味噌、醤油の製造している業者にも勉強に行かしてもらえた。
その料亭も、3年ほどで次の店に移ったのだが、次の修行先もその料理長の知り合いに話を付けてもらって、イタリア料理の日本で三ツ星がついているシェフに教えてもらえることになった。
そこでも、皿洗いを中心にバイトとしておいてもらったのだが、このシェフもいい人で、作ったソースを味見させてくれたのだ。
前の料理長から、レシピは教えなくていいからおいてくれないかとの条件だったので、直接レシピを教えてもらうことはなかったが、シェフが作る味はすべて味見させてくれた。
こちらでの修行は、2年で終了した。
世界的に有名なシェフだったため、ブルゴーニュ地方のワイン蔵も紹介してもらい、ワインの勉強も行えた。
ブルゴーニュ地方のワイン蔵の関係で、フランス料理やスイス料理などいろいろな店で修業を行えた。
ロシア料理と、西洋料理と言われるものも概ね修行も12年で終わらせ、そのままエジプトからアフリカへ、こちらでは、転々としながらそれぞれの味を覚えていった。
アフリカは、主食となるものが異なる地方が多く、材料的にどこでも再現するということは難しいとも思ったが、それでも出来る限りの味は、覚えていった。
アフリカは、3年ほどで、その後、東南アジアから中国の方へ、料理としての技法は、少ないけれども、ナンを焼く壺やナンプラーの作り方など、唐辛子の使い方や、発酵食品の作り方、漢方を使用した、料理など覚えることは多かった。
東南アジアから中国で、9年。
次に、アメリカに渡り、独特の進化を遂げた和食や、様々な国籍の人が合わさったことにより出来た、独創的な料理の味を覚えて回った。
その後、メキシコなど南アメリカに渡り、料理を覚えて回った。
北・南アメリカ大陸で5年修行して、日本に帰った。
そして、弟達に連絡を取り、店を開くために動き出した。
俺は、様々な国の料理を掛け合わせ、自分が人に食べさせたいと思える料理を、誰でも作れるように、レシピ・マニュアルに仕上げていった。
料理人は、最初の料理長の伝で、調理師専門学校から20名の新人の調理師を雇いいれ、半年かけてノウハウを教えていった。
そしてようやく今日のプレオープンまでこぎつけたわけだ。
「兄さん。」
「兄貴。」
後ろから声がかかった。
そこには、2人の男性が立っていた。
「おお、次郎、三治ようやくだな。」
「何言ってるんだい、兄さんがほとんど動いていただけじゃないか。」
「いやいや、次郎、お前達が、金融機関から融資を受けたり、工事業者との打ち合わせ、経費のやりくりがあってこそだぞ、なあ三治。」
「兄貴、元々の元手だって、兄貴が溜め込んだ金じゃないか、しかもこのところ、兄貴ほとんど寝てねえだろ。」
「なに、開店すれば休む暇は出来るさ。」
「いや、兄さん。今の状況みてよくそんな発言出きるよね。今の客の口コミだけで、忙しくなる未来しか想像出来ないじゃないか。」
「いやいや、厨房のみんなを見たか、みんな笑顔で調理していたぞ。交代出来るように人員もいるからな、みんなも期待しているぞ。頼んだぞ次郎代表取締役。三治副社長。」
「なあ、兄貴、今からでも役員に就任しないか?」
「なに言ってるんだ、役員になったらあんまり店舗みて回れないじゃないか。俺は、今まで学んできたことを伝えるためにも誰でも作ることが出来るようにレシピにまとめたんだ。今調理しているスタッフは、すでに聞いてくることもほとんどないが、これからもスタッフは増やしていくだろ、そしたら俺が教えていくのが1番だろ。」
「いや、それは、役員になったとしても」
「い~や、役員になったら接待やなんやかんやで出来ない。だから俺は絶対にならない。」
「兄貴。」
「兄さん。」
2人が諦め顔で俺を見ていた。
「まあ、もうすぐ閉店だ。この後ミーティングしたら、帰ってから寝るよ。みんなやる気に満ち溢れているから、楽しいな。」
俺は、2人に背を向けたまま手を振って厨房に入っていった。
これが最後の会話になるとも知らないで。
閉店後、スタッフとミーティングしたのだが、やる気に満ち溢れているので、意見が色々と出てきたため、予想よりも遅くなってしまった。
すでに深夜3時をまわっている。
自宅に帰り着いた俺は、そのままベッドに倒れこんだまま眠ってしまった。
翌朝、店に顔を出さない俺を心配して、弟2人が自宅に訪ねてきたときには、すでに冷たくなっていた。
死因は、心筋梗塞だったのだ。
これが俺、鈴木一の最後だった。
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