〈7〉
春休みが明けた本日は始業式。拓海は二年生となり、エリアルは留学生として、木城高校に初登校する日だ。
拓海は、いつも通りの時間に目を覚まし、いつも通りに朝食を取り、いつも通りに身支度を整えた。春休み中も生活リズムを変えずに、早寝早起きを欠かさなかったおかげだろう。
そうして時計を見れば七時四十分を回ったところ。川城家から学校まではバスを使って三十分程度なので、余裕を持って登校するのであれば、そろそろ家を出なければならない。
だというのにエリアルは未だに起きてこなかった。
「拓海、エリちゃん起こしてくれる?」
咲子がそう頼んできた。
この時間帯、すでに佑介は仕事に出ているし、早朝ともなれば咲子は家事で忙しい。拓海に白羽の矢が立つのは当然の流れだった。
ちなみに佑介の通勤に瞬間移動を使う案は、エリアルが起きてこないために廃止となった。拓海はひそかに胸をなでおろしたものである。
母からの要請を受けた拓海は、階段を上って二階へ。自分の部屋のすぐ隣――『エリの部屋』とポップな字体で書かれたプレートの釣り下がっているドアをノックする。
「おい、セラフィム。もうそろそろ危ない時間帯だぞ。早く起きろ」
呼びかけた声は廊下に反響。しかし返ってきたのは沈黙だ。それを確認した拓海は、もう一度ドアをノックして呼びかける。
「セラフィム朝だ。学校に遅れるぞ。それも留学初日から」
またしても返ってきたのは沈黙。絶賛爆睡中であるらしい。
「ふむ……」
これ以上部屋の外から呼びかけて、効果が得られるだろうか。否、と拓海は断じた。
ドアノブに手をかけひねる。すると、何の抵抗もなくドアが開いた。
「ふむ……」
低い防犯意識に、拓海は先ほどとは違う意味で息を漏らす。単に平和ボケしているのか、それとも、
「瞬間移動し放題の世界で生まれれば、物理的な障壁に注意を払うこともなくなるか」
いずれにしても、年頃の女子が部屋に鍵をかけないのはどうだろうか。あとで忠告することを決め、拓海は小さく「おじゃまします」とつぶやいてから部屋に踏み入った。
エリアルな部屋に入るのはこれが二度目で、一度目から一週間も経っていない。拓海も、まさかここまで短いインターバルで女子の部屋に入ることになるとは思っていなかった。
エリアルの部屋には一度目と同じアロマの香りがしていた。宣言通り使っているらしい。
拓海は特に周囲に目を配らず、ベッドに直行。布団をかぶるエリアルの姿を視界に納めた。
静かに寝息をたてる彼女の寝顔は、起きているときの美しさを隠し、代わりに年相応のあどけなさが表に出ていた。それをどこかで新鮮に感じるも、だからと言って見とれているわけにもいかない。
「セラフィム、朝だ。そろそろ起きないと遅れるぞ」
布団越しにでも変なところを触らないように気をつけながら、エリアルをゆする拓海。
結構強めにしたが、しかしエリアルは目を覚まさない。相変わらず気持ちよさそうに寝息をたてるだけである。
「セラフィム、起きろ。というかお前、留学生なんだから一般の生徒よりも少し早めに登校するんじゃなかったのか」
今度は手加減抜き。かなり強くゆする。
普通なら、睡眠を続行できるような刺激ではないが、そこは普通でない天使。今度は無反応とはいかないものの、「んっ……」とわずかにくぐもった声を上げるのみだ。
「眠りが深すぎだろう……」
さすがに拓海も困り果てた。時間は刻一刻と過ぎていっている。バスの時間もあるし、拓海自身もあまりのんびりしているわけにはいかない。
「セラフィム、留学初日から遅刻でいいのか!」
最後の手段と、エリアルの耳元で大声を出してみた。すると効果は劇的で、押しても引いても微動だにしなかったエリアルが、音から逃れるようにわずかに身をねじった。
「ん……。ここは……私に任せ、て……先、に行ってください……」
「分かった」
本当なら、馬鹿なことを言うなとツッコみそうなものだが、拓海の悪癖はよりにもよってこんな時に発動する。エリアルの言葉を額縁通りに受け取って、彼女の部屋を後にした。
拓海は手早く準備を済ませ、普段よりも少し遅めに家を出た。




