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〈5〉

 エリアルがアニメのことを思い出してからの行動は早かった。机の上にあったパソコンを開き起動。ケースからDVDを取り出してセットし、カチカチとなにやら操作をすればあっという間に準備完了。読み込みが始まる。


「ではタクミさん、こちらへ!」


 すべての準備を整えたエリアルはベッドに腰かけると、自分の隣をポンポンたたく。なるほど、ベッドと机はちょうど向かい合っているので、座って観るにはいい位置関係だ。しかしそれも、座るのが女子のすぐ隣ということを除けばだ。


 拓海は別に女嫌いというわけではない。苦手というわけでもない。だが、ベッドに至近距離で腰掛けるとなると、少し事情が変わってくる。気恥ずかしくなるのだ。


 しばしの葛藤。だが一度一緒に観るといった手前、撤回するわけにもいかない。観念して、拳二つ半分の距離を開けて座った。


「ちょっと遠くないですか?」


「いや、そんなことはないだろう。……というか、リビングで観るわけにはいかないのか?」


「うーん、小父様と小母様に興味のないものを観せるのは気が引けますし……」


「僕も別にアニメに興味はない」


「やった、ツッコミ四つ目!」


「今のはツッコみではないだろう……」


 それ以前に、すでにエリアルは四回以上拓海にツッコませている。先刻の、拓海の部屋無許可瞬間移動侵入事件が良い例だ。彼女がカウントしていないのは、ひとえに、それがリアルボケだからだろう。天然と言い換えてもいい。ボケたことに、気がついていないのだ。


 そうして二人が下らない話をしている間にDVDの読み込みが終わった。

 画面が切り替わり、勢いのある曲と共にオープニング映像が流れる。


「これ! これが主人公です。あっちがヒロインで、これがサブヒロイン!」


「はあ、ヒロインが二人いるのか?」


「二人じゃないですよ。数え方を工夫すれば五人くらいいます」


「それはおかしいのではないか? それとも一夫多妻を求めてイスラーム圏にでも引っ越すのか?」


「いや、そういう話じゃないですし……」


 予想外の質問だったのか、エリアルは困り顔。ヒロイン=主人公と結ばれる者、という偏見が導き出した相違であった。

 それから場面は変わり、日常生活のシーンを挟んで赤い双剣使いと、青い槍使いが戦う展開に。どちらもDVDケースに描かれていたキャラクターだ。


 迫力のあるバトルシーン。金属のぶつかり合う音が臨場感を高め、緊迫した空気を作り出す。

 始まってから、エリアルもその瞳を輝かせて見入っている。拓海も、かっこいいという感想は抱いた。抱いたが、


「こいつらはあそこまで動き回っておいて、なぜ息一つ切らさないんだ?」


「鍛錬の成果かと」


「なぜ、奴らは剣戟で、剣が当たってもいない地面を割れるんだ?」


「鍛錬の成果かと」


「それ以前にどうして奴らは学校の屋上から飛び降りて、受け身も取らなかったのに無傷なんだ?」


「鍛錬の成果かと」


「奴らは一体どんな鍛錬をしているんだ……」


 おそらくは気にしなくてもいいのであろうことを気にしてしまって、純粋に楽しめない。今まで、こうしたものをほとんど全く観てこなかった弊害が、拓海をむしばんでいた。

 しばらく続いたバトル。青い方も赤い方も消耗し、互いにボロボロの状態。


「きますよタクミさん。槍使いの必殺技が!」


「必殺技?」


 今までにない構えをとる槍使い。槍の切っ先から赤いオーラのようなものがあふれ出し、刃の部分を余さず覆っていく。やがてそのエネルギーは空間をきしませ、地面に亀裂を走らせた。


 拓海の目にも、すさまじい技が来ることが容易に想像できる。

 次の瞬間、槍使いは大きく一歩を踏みこみ、技名とともに槍を解き放った。


 衝撃波。


 赤いオーラの奔流が、鋭利な棘となり、赤い双剣使いへと向かう――


「おい、この槍使い、あろうことか槍からビームを発射したぞ」


「いえ、ビームじゃありません。槍です」


「いやビームだろう。槍はあんなにギザギザと曲がらないはずだ。というか、百歩譲って槍でも、明らかに射程? が飛躍的に伸びている」


「ええ。そういう技ですから」


「質量保存の法則が乱れる……」


 結局、この戦いは決着がつかずに終わり、エンディングを迎える。最後まで、拓海は細かいところを気にしてばかりだった。それでも、


「いやぁ、かっこよかったですね。そしてヒロインも凛々しかったです」


「ああ、そうだな」


 エリアルの感想に、一部同意する程度には楽しめたと、考えられないこともない。


「さて、見終わったことだし、僕は部屋に戻って勉強をする」


 エリアルの部屋に移動してから三十分と少し。勉強の休憩時間としては少し長いが、天使の留学生と親交を深められたと考えればまだ安い。そう勝手に判断して、部屋に戻ろうと腰を上げる拓海の服の袖を、天使はつかんでとどまらせた。


「なに言ってるんですか。私達のアニメ鑑賞はまだまだこれからですよ!」


「え」


 どういうことなのかと視線だけで問いかける拓海に、エリアルはパソコンを指さした。

 そこには、エンディングを迎えて暗転した画面ではなく、そのまま先ほどの続きを流し始める文明の利器の姿が。


「つまり、続きも見ろと?」


「はい、このアニメの良さは、最後まで観ないと分かりませんから!」


「……参考までに聞くが、全部で何話ある?」


「二十四話ですね! OADまで含めれば二十五話あります!」


 OADが何かは置いておいて、アニメ一本当たりを三十分とすると約十二時間……。

 即座にこの計算を済ませた拓海は「いやいやいや」と首を横に振る。


「一回も休憩を入れなかったとしても、丸一日かかるじゃないか! 無茶を言うな!」


「別にまだ学校ありませんし、いいじゃないですか」


「予習は一日しないだけでもそれなりに致命的だぞ!」


 このままでは自分の建てた、春休み専用のスケジュールが崩壊してしまう。それだけは避けるべく応戦するが、エリアルは納得しない。


「いいじゃないですか。アニメは楽しいですよ。特にバトルするところは心が躍るじゃないですか!」


「それは……否定はしないが、わざわざ休日返上してまで見るものではあるまい!」


「それだったら勉強だってそうじゃないですか!」


「勉強は違う。なにせ学生の義務であるとともに将来必要なものだ」


 前時代の異常に厳しい親のようなことを言い出す拓海に、エリアルはあからさまにうんざりとした表情で返す。それにムッとしつつも、拓海はあくまで勉強しに戻ることが目的である。


「大体においてだな、僕はこういうモノを観たことがほとんどない。だから、設定や世界観がどうしても理解しきれない。一緒に観ても、面白さとやらは半減するだろう」


 純文学ならいざ知らず。アニメの設定は拓海には馴染みがなさ過ぎて、映像やセリフだけで把握するにはどうしても厳しいものがある。それを根拠とした、隙のない意見だと思えたが、エリアルはなおも食い下がる。


「でしたら! このテレビアニメシリーズの原作漫画をお貸ししますよ! こっちの方が設定が分かりやすく書かれてますしおススメです!」


「…………全部で何巻だ?」


「二十八巻です!」


「長い!」


 喜々として勧めるエリアルを、拓海は一喝。なぜこれならいけると思ったのか。


「とにかく、僕は勉強をする。今度時間ができたら付き合ってやってもいいから、今回はこれで勘弁してくれ」


「では指切りげんまんを」


「子供かお前は」


 約束事をするのに指切りげんまんというのは、拓海もずっと小さいころにやったことはある。ただあいにく、高校生になってまでやろうと言い出す輩は見たことがなかった。


「えっと、もしかして、これも私の勘違い日本文化なんでしょうか? だったら私、もう生きていけません!」


 大げさに嘆くエリアルは、子供が駄々をこねているよう。


「安心しろ。それは勘違いではない」


「あ、そうですか。よかったです」


 言うとエリアルは小指を差し出す。

 少しの気恥ずかしさはどうしてもぬぐえないものの、これを断っては拓海は勉強に戻れないだろう。

 だから拓海も、一瞬だけためらってから小指を絡めた。


「ゆーびきーりげーんまーん――」


 エリアルの、少し発音がずれていて、間延びした指切りげんまん。それを聞き届けると、拓海は「それじゃあ」とエリアルの部屋を後にした。


「観たくなったらいつでも来てくださいねー」


「行かん」


 そんな言葉を背中に受けながら廊下を数歩だけ歩けば、そこはもう拓海の部屋だ。いつも通りにドアノブをひねり、


「む?」


 開かなかった。


 もう一度試してみるも、手のひらに伝わる感覚はさっきと同じ。不思議に思い、自分が部屋から出た時のことを思い出す。するとすぐに思い当たる節が。


「鍵をかけたまま瞬間移動で部屋を出たんだった……」


 なんと間抜けなことか。拓海は開かない自分の部屋の前で赤面し、それから、もう一度瞬間移動をしてもらいに、エリアルの部屋を訪ねた。



 戻った時の天使の期待した瞳は、かなりの吸引力を持っていたという。


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