〈3〉
エリアル・セラフィムは天使。それについては、一応の納得はしたが、その上でさらに疑問が残る。
「国家機密と言ってましたが、天界は国なんですよね? わざわざ機密なんかにしなくても、こんな国があって、こんな人間がいるって公にした方が何かと都合がいいのでは?」
資本主義国が新興社会主義国を国として認めないのならともかく、天界については状況が違う。こうして留学制度を扱うあたり、天界が国家的に、一つの国として認められているのは想像に難くなかった。
確かに宙に浮いたり炎を出したりと、明らかに人間ではない芸当は出来ようが、だからと言って何ができるわけでもあるまい。せいぜい、喧嘩が強い程度だろうか。言わば人種ごとの体格の違いと同じようなものであり、わざわざ一般市民に秘密にする意味が分からなかった。それに何より――
「天界はどこにあるんですか?」
河城拓海の得意科目は世界史。その勉強に、世界地図を見る機会には恵まれている。その拓海をしても、『天界』などという国家の存在は、欠片も認知していなかった。
その最もな疑問には、出されていたお茶菓子を食べつくしたエリアルが答えた。彼女は人差し指を天井に向かって突きつけ、
「漂ってます」
と、うそぶいた。
「漂ってる? どういうことだ?」
「そうですね。分かりやすく言うと空飛ぶ島……。いえ、天空の城……」
「聞いたことのあるフレーズを使うな」
「やった、ツッコみ二回目! 二回目……? タクミさん、今のってツッコみですか?」
「どうでもいいだろう。続きを言え」
先を促す拓海に、エリアルは達成感を含んだ面持ちで首肯。
「つまり天空の城みたいに浮いています。しかも! 天界は光学迷彩も常時装備してますから、そうそう見つかることはありません。地図に載ってないのはそういうことだと思います!」
「光学迷彩って……。なんでもありか、天使……」
要は空を当てもなく彷徨う見えない島、ということらしい。
「それで、どうして国家機密なのか、でしたね」
脱線しそうな話の軌道を、校長が先んじて戻した。さっき散々脱線したのが教訓になっていたのだろう。
「そもそもね、天界があると分かったのは随分最近なんですよ。何しろ人間は、つい最近になるまで空も飛べなかったわけですから。今からざっと八十年前ですね」
「八十年……第二次世界大戦頃ですか」
「ええ、そうです。最初に発見したのはアメリカでして、この未知の科学力を持った国家を是非とも味方につけようと、秘密裏に動いたそうです」
「ああ、なるほど」
第二次世界大戦後は冷戦だってあった。空中に漂い続ける国家など、味方としては喉から手が出るほど欲しかったに違いない。
「ですが、何年も調査を進めているうちに分かったんです。この国家は、地上の国家総てを束ねても敵う相手ではない、と」
「は……?」
思わずエリアルに目をやる拓海。天界には、地上の原子爆弾や水素爆弾を上回るほどの兵器が存在するというのだろうか。
「単純に、種としての差ですよ。天使は、兵器など使わなくとも圧倒的に強かった」
「兵器を使わずって、つまり生身で?」
「はい。普通に日常生活を見ているだけで、これは敵わないというのが分かったらしいです」
「そうなのか?」
エリアルに問うと、彼女はカクッと首をかしげた。
「さあ、当時のアメリカの心境までは習ってませんけど、戦争はしてませんし。平和的ですよ。人類みな兄弟です!」
「お前は天使だろう」
「ツッコミ三つめ!」
ブイッと無邪気に笑うエリアル。その笑顔は非常に魅力的なのだが、空気を読まないせいでうっとうしい。
それにしても、どうやら喧嘩が少し強い程度、という拓海の見立ては間違っていたようだ。
そんな馬鹿げた軍事力を誇る国家の話を聞いて、中二病ウイルスに感染したこのおっさんが反応しないわけがない。
「つまり、戦わずして勝ったってことだな! すごいな拓海。まるで中国のあれみたいだ! あれ! なんだっけ、孫……孫……孫文?」
「孫子だ。孫文は辛亥革命の人だ」
ひどい間違えようだが、孫悟空と言わなかったところは一応評価。
「それで、そんなとんでもない軍事力を誇る国のことは、市民の混乱を招くから秘密にしよう、ということになったんですか?」
「いいえ、あまり関わりたくないから秘密にしてくれと、天界の方から言ってきたそうです」
「アメリカ、というか人間嫌われてないか?」
「そんな、嫌ってはいませんよ! いいですかタクミさん。天界は人間を嫌ってません。 ただ、変に関係を持つと戦争になってしまうかもという意見が、評議会で出たらしいんですよ! 地上人は野蛮だから、無視はできないけど程よく構ってあげないとって」
対処の仕方が完全に不良に対してのそれだった。
「だが、それなら留学生を送ってくるなんてひどい矛盾ではないか」
「それはそれ、これはこれです。だってこんなに素晴らしい文化があるんですもん! 日本のわびさび、美味しいお茶菓子。そしてなによりサブカルチャー!」
「ブレないな……」
というか、エリアルの論法だと天使は皆んなオタクということになってしまうのだが。
「ああ、あとまだ疑問がある。国家機密ということなら、最初から事情をすべて知っている偉い人の家にホームステイさせればよかったのでは……?」
「なるべく普通の家庭に、という要望でしてね。逆らって怒りを買うほど困難な要求というわけでもありませんでしたし……」
「なるほど……」
一応納得したと頷く拓海。いつの間にか主導権を佑介から奪ってしまっていたが、父親に気にするそぶりはない。咲子に至っては、虚空を見つめていた。間違いない。あれは何も聞いていないときの顔だ。
「他には、もう何もありませんか」
校長も、拓海の両親に目をやる。
「ないですな。天使だろうが、エリちゃんみたいな可愛い子をホームステイさせるなんて、かなーり、いいことですから」
「手を出すなよ、父さん」
「大丈夫大丈夫、俺、母さん一筋だから。なー、母さん」
「……」
「無視しないでっ!?」
なにやら佑介が騒いでいるが、異存はないらしい。咲子は……ボーッとしてるし大丈夫だろう。
校長は満足げに頷き、「それでは」と話を変える。
「ホームステイを受け入れていただく上で、気をつけてほしいことがありまして。エリアル・セラフィムさんが天使だということが、絶対にバレないようにしていただきたい」
「ああ、国家機密でしたね」
言いつつ拓海の目はエリアルにスライド。頭上の光輪と三対六枚の翼に焦点を定めた。
「……いや、無理でしょう。不可能でしょう。かぐや姫だってこんな無茶な要求しませんよ」
なるほど、エリアルの外見は、どんなに控えめに見ても奇異だ。秋葉原でも早々見かけないだろう。
というか、正常な思考さえ働かせればすぐに天使と気がつきそうである。
光輪は帽子で隠せたとしても、翼は誤魔化しようがない。シャツの中には入りきらないだろうし、入ったとしてもびっくりするくらいもっこりする。
そう懸念する拓海に、エリアルは悪戯っぽく笑って、
「あ、ご心配なく。これ消せますから」
「消せるのか!?」
それは天使としての存在意義がまるでなくなるのでは。という拓海の心配はよそに、エリアルは「ほっ」と気合一発。すると光輪と翼は綺麗な光の粒子になって、空中に掻き消えた。
「ほら、消えました! これなら大丈夫でしょう?」
自慢げに微笑むエリアルからは、先刻まで持っていた神々しさが消え、代わりに女性としての美しさが前面に押し出された。なるほど、これなら、凄まじく美人の少女にしか見えないが、
「それを最初からしていれば、僕たちにもバレなかったのではないか?」
「忘れてたんですよー」
なんと詰めが甘い。断じて、テヘッではない。
「あーあー。イカした格好だったのになぁ」
「あ、すみません。もう一回出しましょうか」
「いや出すな!」
とりあえず、正体隠匿の目処は立った。
校長は再度頷くと、もう一つとばかりに指を立てる。
「これは簡単です。彼女のことで何かあったら、私か、もしくはこの長津田先生に言ってください」
「よろしくお願いします」
今の今まで沈黙を守っていた長津田が口を開いて、深々と礼をした。
いかにも頼れる教師然としたこの人ならば大丈夫だろう。
「学校、というか国家レベルの問題ではありますが、こちらとして気をつけていただきたいのはこれだけです。お父さんとお母さんも、よろしいでしょうか」
「はいはいはい、大丈夫ですよ。オールオーケーですとも。なあ、母さん」
「……」
「あれ、母さーん。母さんってば。大丈夫か、母さん。意識をしっかり持つんだ! 寝たら死ぬぞ!」
「はっ……ごめんなさい。ボーッとしてた……。ていうか触らないで」
「もうー、母さんはツンデレだなー」
「いえ、ツンデレとかじゃなくて、不快だから……」
「すごい切れ味! 夫に対して容赦なさすぎじゃない!?」
話を積極的に脱線させていく両親に代わり、拓海が大丈夫ですと答えた。
「では、明日には誓約書にサインを書いていただきに、政府の者と来る思いますが、宜しくお願いします」
こうして、エリアル・セラフィムは河城宅にホームステイすることが決まった。




