〈20〉
同じくらいの時間帯に起き、同じくらいに準備を終わらせれば、家を出るのが同時になるのは当然のこと。前日までの習慣もあって、拓海とエリアルはバス停までの道を二人きりで歩いていた。
「仲のいいご家族ですよね」
先ほどの光景を見ての感想か、エリアルはそんなことを言ってくる。
「お前も何か言われたりしなかったのか?」
「うーん、言われましたけど『拓海を助けてくれてありがとう』みたいな感じでしたよ? あとは怪我の確認ですね」
「そうか……」
話題を別の場所に持っていこうとしたのに、まさか同じところに戻ってくるとは思わなかった拓海は、そう言うことしかできない。
「昨日も、タクミさん怒られてたでしょう? 危ないことするなって」
「まあ、な」
あとから思い返せば、それどころか拓海の身が渦中にあった時から、なんと無茶なことをしたのだろうという思いはあった。エリアルにも言われた通り、下手をしていたら死んでいた。
「あとは長津田先生からも怒られてました」
「それは、まあ確かにそうだが……」
拓海は昨夜の出来事を回想する。
警察から連絡を受けてきた校長と春美はまず拓海とエリアルの安否を確認した。その後、何があったかという説明を受けた後、神聖術の行使があったことを知ったのだ。結果、単純にストーカー被害だけであったなら、もう少し少なく済んだであろう始末書はいくらか増えたらしい。それは、「アンタのせいで仕事が増えた。社会は間違ってる」と愚痴を言ってきた春美から、拓海が聞いたことだ。
エリアルが言っている、春美のお説教とはそのことに他ならない。傍目にはそれなりに麗しい師弟の光景に見えても、実情はストレス発散に付き合わされたようなものである。拓海としては、こっちの方がよほどトラウマになりそうだった。
「ごめんなさい」
突然エリアルがそんなことを言ってきて、拓海は足を止める。見れば、エリアルは他でもない、拓海に頭を下げていた。
「何がだ?」
ここまで真剣に謝ってくるエリアルというのは新鮮だ。それが不思議で聞き返すと彼女は顔を上げて、
「タクミさんを危険にさらしてしまったことです」
「いや、あれはむしろ僕の行動のせいで……」
「いえ、私のせいです。私が不用意に、ヤンデレの人を刺激するようなことを言ってしまったから。もちろん、すぐに取り押さえる準備はしてました。すぐに神聖術を使えるように。だけど、いきなり刃物をもって襲ってくるなんて考えてなくて……」
「……」
確かに、いたずらに刺激するようなことを言っていなければ、翼を出したエリアルにひるんで、ストーカー男は動かなかったかもしれない。そうすれば、誰も危険な目に遭うことなく、ストーカー男は取り押さえられていた。もっと穏便に事態は収束していたかもしれない。
「そもそも、私が調子に乗って、タクミさんを連れまわしたから、あんなことになったんだと思います。タクミさんのいう通り、早く帰っていればよかったんです。タクミさんが言っていた、自由すぎるという言葉の意味がよく分かりました」
エリアルの奔放さは、拓海の常識に照らし合わせると常軌を逸している。その自分の興味の赴くままに行動する行動原理は、今回、冗談ではなく危険なひと幕を引き起こした。
「昨日はいろいろバタバタしてて言えませんでしたから今言います。ごめんなさい」
そうして自らの行動を振り返って、エリアルはもう一度頭を下げた。
だがその様子が、逆に拓海の罪悪感を掻き立てる。
確かに拓海はエリアルに自由すぎると言った。そこに後悔も、間違いもないと思っている。そもそも、『重い愛』などといって、ストーカーを面白がっていたのがおかしいのだ。
けれどこうして謝られると、エリアルが彼女自身を否定しているようで我慢ならない。
「楽しかった」
「はい?」
脈絡もなくそんな言葉を投げかけられて、エリアルは顔を上げた。
「言っていなかっただろう。ゲームセンターに行った感想だ。あそこまでのめりこんでいて嘘はつけまい。大して取れなかったし、決して安くない金額を散財したが、楽しかった」
エリアルはしばらく呆ける。突然、それこそ自分が謝罪していた時に、ほとんど関係のない話をされれば当然だ。それでも彼女は満足そうに笑い、
「それは良かったです」
「ああ。確かにお前は、僕から見たらわけの分からない判断をするし、わけの分からない価値観を持っているが、だが、なんとなく分かったものもある」
意味があるとか、必要だからとか、そんな効率化を求めた末に出てくるようなものではないく、ただ単に楽しいからやるという考え方。
別にいりもしないぬいぐるみに、都合二千円も使ってしまって、けれど拓海は後悔はしていなかった。
それは、エリアルとストーカー男の間に体を投じた時のこともそうだ。咄嗟で、何かを考えてから動いたわけではない。その事で散々怒られもした。だが、不思議と後悔の念はわいてこなかった。
これがエリアルの言うことそのものだとは思わないが、ほんの十二時間前の自分と比べればかなり近いところに来ているだろう。
「それを教えてくれたことは礼を言おう。ありがとう」
「は、はい。……なんか照れくさいですね」
「それは僕のセリフだ」
正面切って礼を言うのは、いささか以上に恥ずかしい。朝っぱらから何をやっているんだという、妙な自己倒錯に陥るほどだ。
これで話は終わりと、拓海は歩き出す。それに遅れてエリアルが小走りで付いてきた。
「では、私からも。――助けてれてありがとうございました」
近いところから聞こえてきた声に反射的に振り返り、間近にエリアルの顔を視界に納める。
少し悪戯っぽい笑みは、彼女のもとから持っていた美しさが手伝って、これ以上ないほど魅力的に見えた。そんな表情が見れれば、体を張った甲斐があったというものだ。拓海は、どこからか湧いてきた満足感に身をゆだねた。
「あ、ああ。どういたし……」
「まあ、実際は避けられたんですけどね」
「は?」
次に放たれた言葉で、その満足感は掻き消えた。
「……そうなのか?」
「はい! 天使なめないでください!」
衝撃の事実。冗談の類かもしれないと確認すると、やけに力強い声が返ってきて拓海は脱力する。
「つまり、僕の行動は完全に無意味だったということか……?」
「まあ、端的に言えばそうなりますね。……あ、タクミさん落ち込まないでください! 重要なのは意味とか必要かとかじゃないって言ったばっかりじゃないですか!」
「それとこれとは話が別だろう!?」
下手をすれば人生一発退場なんてこともあり得ただけに、その行動に意味がなかったと言われればどうしようもなくなる。
この天使の脇の甘さは、知らぬが仏を実行させることすらしないらしい。
そうして落ち込む拓海を、その元凶たるエリアルは元気づけようと必死になる。
「ほ、ほらタクミさん! この前観せたアニメの原作をお貸ししましょうか!」
「いらん」
「ではでは、タクミさんが、暇なときに一緒に観ると言ったまま放置しているアニメを、帰ったら一緒に観ましょう!」
「観ない」
「でしたらゲームセンターにもう一回……」
「これ以上ぬいぐるみを取って何にするつもりだ」
「ナイフ避けになります!」
勢いあまって、拓海が落ち込んでいるツボを刺激してしまうエリアル。拓海の肩はさらに落ち、ため息をつく姿はいくらか年を取ったようだ。
「ごめんなさい! 余計なこと言いました! だから元気出してください!」
まだ起き切っていない朝の住宅街に天使の声が響く。
二人はそうして、通学路を歩いて行った。




