〈1〉
可愛いというよりは、美しい少女だった。
光を反射して神秘的に輝く金髪、白くきめ細かな肌は透き通るよう。紺碧の瞳が、全体的に西洋風な顔立ちに素晴らしく調和している。
身にまとう純白のワンピースはゆったりとしていて、彼女の優美さをより一層引き立たせている。両手で体の前に持った旅行用鞄はワンピースと同じ色。その鞄を持つ腕は、体のラインが分かりにくい服装に隠れた、豊満な女性的なふくらみを強調するのに一役買っていた
ただ異様なのは、頭の上には淡く輝く光輪を、そして背中には妙にリアルな三対六枚の翼をつけていることである。現代日本においてまずありえない格好ながら、川城拓海が抱いた印象はなぜか『神々しい』というものだった。
そう、神々しい。
うまく説明することはできないが、光輪と翼に違和感はなく、逆にそれらを含めることで、初めてその少女が完成しているという感じがするのである。
だから、拓海が玄関のドアを開けた状態のまま硬直しているのは、驚きよりも畏怖に近いものだった。
「初めまして。私はエリアル・セラフィムと言います。本日からお宅でホームステイをさせていただくことになります。どうぞ、よろしくお願いします」
四十五度の綺麗なお辞儀。そんな仕草も洗練されていて、拓海は思わずドキッとする。
「ああ、えっと、どうも。ホームステイのことは聞いています。イギリスからでしたよね。僕は川城拓海です。よろしくお願いします、セラフィムさん」
「いえいえ、違います。私のことはお気軽にエリとお呼びください。あと、敬語も結構ですよ」
拓海が思考の停滞した頭を何とか回転させて自己紹介すると、美しい笑顔でエリアルは訂正。
なるほど。確かに西欧圏の文化では、人の名前を呼ぶときはファーストネームを呼び捨てだ。世界にはまだまだ、日本の想像できないような文化が山ほど存在している。案外、光輪と翼も、名前呼びと同じように、どこかしらの地域の風習なのかもしれない。例えば、初めて訪れる地では光輪と翼をつけるべし、というような。
なればと、拓海は光輪と翼にあえて触れないことにした。
「だが、そっちは敬語なのに僕だけタメ口というのも……」
「けど同い年じゃないですか。それに、私は普段からこの喋り方なんです。お気になさらず」
「あ、ああ。なら、そうすることにしよう」
普段から、というところに違和感を感じるが、文化の違いを突っついて失礼になる可能性を考慮して、拓海はあえて無視した。
「えっと、とりあえず中に入れ。その格好では少し寒いだろう」
「そうですか? そこまででもありませんけど、お言葉に甘えて」
エリアルの言う通り、彼女の切るワンピースは長袖で生地も厚めのようだ。
だが現時刻は午後三時時前後。三月もあと少しとはいえ、まだ春の兆しが見え始めたばかりだ。日向でも、風が吹けば少し寒い。
それに、触れないとは決めたものの、光輪と翼はやはり目立つ。住宅街の通りは少ないが、立ち話をしてご近所さんから奇異の目で見られる覚悟は、拓海にはなかった。
エリアルは、敷居をまたぐと軽やかな足取りで玄関まで来ると、
「それでは、お邪魔しま……おおっ! お家の中はこんな風になっているんですか。興味深いです!」
「なにがだ?」
「なにが、ですか。強いて言うなら全部ですね!」
「全部? 物珍しいモノなんてないはずだが……。ああ、待て。家には靴を脱いで上がるんだ」
土足のまま段差を越えようとするエリアルを寸前で制止する。ギリギリで止まったエリアルは、照れたように頭をかいた。
「あっ、そうでした! すみません、うっかりしてました!」
「まあ、わざわざ靴を脱いで家に上がる文化はイギリスにないと思うが。次からは気を付け……靴はそろえて、つま先をドアに向けるように並べるんだ」
「は、はい。細かいですね」
「細かくはない。ルールのようなものだ。ルールは守るべきものだろう」
「いえ、ルールは破るためにあるんです」
「確かに治安維持法のような例もあるから、一概に守らなければいけないとも言えないが……それでも守るものだろう」
「タクミさん、ライトな冗談ですよ! そんな真面目な顔して答えないでください! 言った方が恥ずかしくなります!」
「む、そうだったか」
拓海の悪癖、冗談を解さないが発動した。
「だが、出会って数分の人物に冗談を言われても、分かるはずもないだろう」
そもそも、落ち着いた外見のエリアルから、突然冗談が飛び出すと思ってなかったのもある。意外とフランクな性格をしているらしい。
「分かると思いますけど……。あ、じゃあ、これからタクミさんのことは『堅物さん』って呼びますね!」
「それは困るな」
「タクミさん、今のも冗談です」
あまりに真面目に答える拓海に、エリアルは呆れ顔。だが拓海とてわざとやっているわけではないのでどうしようもない。拓海にツッコませるには、天然ボケか、高度に計算されたボケが必要である。
「まあ、冗談に反応できなかったのは悪かった。とりあえず座ってくれ」
「はい、失礼します」
少し釈然としない空気を醸し出しながら、エリアルは器用に翼を折りたたんで座った。
「今からお茶を淹れるから、少し待っていてくれ。あいにく、父さんと母さんは一緒に買い物に行っていて、今はいなくてな。味は保証しかねる」
「いえいえお構いなく。ところで買い物って……?」
「普通に食料品だろう。留学生を盛大に迎えるんだとテンションを上げていてな。今夜はご馳走らしい」
「え、それは光栄です! 私はやっぱり日本食が食べたいですね。お刺身とか! 私の国には海がないですから、生のお魚とか食べられないんですよねー」
「イギリスはむしろ海に囲まれてるのでは?」
「え?」
文化面でもなんでもない、ただ単に事実を述べただけだったが、エリアルの反応は拓海の予想の斜め上だった。
その意味が解せず、拓海は頭にハテナを浮かべるだけで反応できない。
「……あ! い、いえ、今のもちょっとした冗談ですよ! ジョーク! イギリシアンジョークです!」
「それを言うならイングリッシュジョークだろう」
しばしの沈黙の後、何かに気がついたエリアルは、あたふたと言いつくろう。だが、残念なことに母国語を間違えていた。留学してくるくらいだから、成績は相当良いはずなのだが。
「まあまあまあ、そんな細かいところはいいじゃないですか。ところで、勉強をしてたんですか? これは……世界史?」
「ああそうだ。新学年の予習。さっきまでやっていたんだ。ああ、テーブルの上に置いていたのでは邪魔だったな。今片付ける」
「いえいえお気になさらず。今から二年生の範囲をやるなんてタクミさんは勉強熱心なんですね」
「そうだろうか。勉強は学生の本分だから、やるのは当然だと思うが」
エリアルの褒め言葉に、拓海は首をかしげる。実際、拓海にとって、これは普通の事だ。義務で、必要だからやっているに過ぎない。
「えー、でも私は今から予習はしませんよー? 学期が始まってからです」
「……そんなので、どうしたら留学できるほどの成績を残せるんだ……」
「いえ、普通にやってただけですけど?」
さも当然という風に言うエリアル。下手をすれば嫌味に聞こえるかもしれない発言でありながら、不思議と嫌な感じはしない。
「天才の類か……」
「まさか、天才だなんて。確かにクラスでも学年でも大体トップでしたけど」
エリアル自身には自覚はなかった。拓海とて、大体は学年トップを取っているが、それもこうした予習復習があってのことだ。エリアルはその部分が拓海と違うので、やはり天才と言って差し支えないだろう。
「それにしても、聞いていたより早く着いたから驚いた。あと三十分は勉強していられると思っていたのだが」
「? あれ、そうでしたか?」
「そうだが?」
「……そうですか」
どうにも歯切れの悪いエリアル。拓海に、その理由を推し量ることなどできない。
そうしてとりとめのない会話をしながら、拓海はおっかなびっくりもてなそうとする。とはいえその手際は決していいものではない。特に必要ないと、生まれてこの方勉強ばかりで、誰かをもてなしたことなどないから当然だ。
それでも何とかお茶菓子の場所を探り当て、お湯を沸かしてお茶を入れることに成功する。出来は良いとは言えないが悪くはないだろう。
「粗茶だが」
「いえいえ! ありがとうございます」
エリアルは拓海の差し出した粗茶を受け取り、フーフーと念入りに冷ますと、そっと湯飲みに口をつける。その一連の動作が堂に入っているというか、洗練された美しさを醸し出していて、拓海は思わず見入ってしまう。
あらかじめ写真でも見たときも、そしてつい先ほども思ったことだが、やはりエリアルは美人だ。……光輪と翼はついているが。
「お茶菓子もいただきますね」
一言断りを入れてから、エリアルは皿から小包装された菓子を手に取ると口に含む。その動作もどこか優雅だった。
「ああ、それもそんなに高いものではないと思うから、口に合わなかったら言ってくれ。まあ、今はそれしかないと思うが……」
そもそも高級なお菓子はどこに言ったら買えるかもわからない。少なくとも拓海が今出しているのはコンビニでも売っているチョコ菓子だ。どうしても不安になるが、エリアルはハッと驚いた顔を作る。
「お、美味しいです! シェフを呼んでください!」
「市販のお菓子だからシェフは呼べない。口に合ったならよかった」
「そんな馬鹿なっ!? 美味しすぎますよ! 日本の技術力すごいです! こんなにおいしいお菓子を大量生産できるなんて!」
「ベタ褒めだな……」
瞳をキラキラさせて喜ぶ様子は子供らしく、落ち着いた外見とのギャップで非常に可愛らしく見える。しかしいかんせん、褒めているのは技術力である。
「もっと食べるか?」
「はい、是非!」
嬉しそうに両手を差し出すエリアル。悪い気はしないが、どうにも餌付けしている感がある。
「とりあえず、父さんも母さんも、もう少ししたら帰ってくると思う。それまでどうする? くつろいでるか? それとも、セラフィムが使う部屋を案内するんでもいい」
「いえいえ違いますよタクミさん。セラフィムではなく、気軽に愛称でエリと呼んでください」
「あ、ああ。で、どうする?」
愛称でも、女子の名前を呼ぶことは拓海にとっては案外高いハードルだ。気恥ずかしすぎて耐えられない。とはいえ、話すこと自体に抵抗はないのだが。
拓海の、少々強引な話題変更にもエリアルは特に反応を示さず、あごに人差し指を当ててしばし思案。光輪と翼はいまだ健在だがそれはそれ。仕草の愛らしさに再び拓海はドギマギする。
やがてエリアルはもう一度湯呑に口をつけ、
「そうですね。お部屋も見せてもらいたいですけど、せっかく二人きりですからお話ししましょう!」
胸の前に、両手のガッツポーズを作った。
「構わないが……。何を話すんだ? 勉強についてか?」
「いやっ、それはちょっと。初対面でする話じゃないような……。代わりにこんなのはどうでしょう。タクミさんの趣味は?」
「ない」
「ないんですか!?」
質問からノータイムで出された答えに、エリアルが驚愕の表情を浮かべる。その様は、まるで得体のしれないものにでも出会ったかのようだ。
「そんなに驚くことか?」
「驚きますよ。何かないんですか? こう、ドラマとか……」
「観ないな」
「では漫画とか……」
「ここ二、三年は読んでいない」
「アニメは……」
「中学生の時に観たジブリの作品が最後だ」
ガクッと、エリアルの肩が落ちた。どういう仕組みなのか光輪の輝きが薄れ、折りたたまれた翼から元気がなくなった。そしてこの上ないほど深刻そうな声でこぼす。
「そんな……。日本に来たら歩く人みんな漫画やアニメが大好きだと思ってたのに……!」
どうやらいらない偏見を持っていたらしい。しかし、今回に限って言えば拓海が特殊だっただけである。
「日本は、というか世界のどこも、そこまで極端なオタク化は進んでいないぞ」
「そうなんですか!?」
途端に悲しそうな表情になるエリアル。さっきまでハイテンションだったのに、感情の起伏が激しいものだ。
「まあ、オタクがいないというわけではない。うちの学校にも漫画くらい読む奴はいるはずだ」
「本当ですか! よかったです」
「その反応を見るに、お前は……」
「はい! 私、日本のサブカルチャー大好きです! 漫画、アニメにライトノベル! 何を隠そう、日本文化もサブカルチャーで学びましたから!」
胸の前に両手でガッツポーズを作ってエリアルは宣言する。
「ほう。だからそんなに日本語がペラペラなのか。まったく違和感がないな」
「? いえ、日本語も私の母国では普通に公用語として使われていますけど……」
「は?」
拓海の記憶が正しければ、イギリスの公用語は英語だったはずだが……。英国というくらいだ。むしろ他の言語が公用語というほうがおかしい。日本語などもってのほかだ。
「まあ、本来は神聖語だったんですけど、アメリカなどの大国と貿易を始めるにしたがって、私たちも貿易相手の言葉くらいは分からないといけないっていう風潮が出てきまして。日本はまだ外交関係が浅いみたいですけど、私の国では結構人気のある言葉なんですよ? ほとんどの人が喋れますから」
「えーと……」
確かにアメリカと比べれば、日本とイギリスの外交関係は歴史が浅い。だがイギリス人のほとんどが日本語を話せるなど聞いたことがないし、さらにはエリアルは何か聞きなれない言葉を言っていた。曰く――
「シンセイ語とは?」
「……あ」
妙に神々しい響きの言語である。なるほど拓海の目の前の少女が持つ雰囲気によく合う印象はあるが、悲しいかな、中学二年生が作ったような感じは拭えなかった。
エリアルは、拓海にもそれと分かるほどはっきりと動揺を表に出した。何やら自分のミスを嘆いているようだった。
怪しい。
家の中に招き入れてからというものたびたび垣間見せていた違和感。同じものについて話しているはずなのに、どこかが致命的に食い違っている感覚。そして何より、光輪と翼。
世界史を得意科目とする者として、よく知りもしない文化に迂闊に触れることはやめておこうと思っていた拓海だが、これはさすがにおかしいのではないだろうか。いや、おかしいといえば今現在の絵面そのものがハイレベルなギャグにしか見えないのだが。
もしかしたら自分は、入れてはいけないものを家に入れてしまったのでは……。しかし事前にエリアルの顔写真は見せてもらっている。まさか別人ということもないだろう。
「なあ、もしかして何か隠してるか?」
「あ、ははは……」
意を決して投げかけた問いは、乾いた笑いで受け流された。
そのままどちらも動けず、しばしリビングを沈黙が支配する。瞬間、ジリリリリッと電話が鳴った。
あまりエリアルから目を逸らしたくない拓海だが、出ないわけにもいかない。カニ歩きを駆使して電話のそばまで行くと、エリアルを視界に納めたまま受話器を手に取った。
『もしもし、公立木城高等学校の校長の河合と申しますが、川城さんのお宅で間違いないでしょうか?』
「はい……」
木城高校――拓海の通う、そしてエリアルの留学先でもある高校だ。当然拓海は電話先の校長を見たこともある。頭の禿げかかった気の弱そうな人物だ。家では妻と娘に頭が上がらず、ストレス過多で常に胃腸薬が手放せないという噂もある。
そんな校長が一体何の用だというのか。いや、状況を鑑みれば留学生のことで間違いないだろうが、それでもなぜという疑問は残る。
そんな拓海の疑問は、次の瞬間には解消された。
『あの、万が一ということで確認させてもらいたいんですが、そちらに、ホームステイを予定されていたエリアル・セラフィムさんはいますか?』
「はい?」
『いえね、彼女とはいったん駅で待ち合わせをして、それからお伺いするということだったのですが……』
時間になっても現れず、連絡しても繋がらないということでかけてきたらしい。
なるほど、聞いていたよりも早く来たのはそういうことだろう。エリアルは待ち合わせのことを忘れて、直接ここまで来たのだ。
「そういうことならいますよ。変な格好ではありますが」
『ああ、そうですか。無事なようでほっとしました……。では、今すぐそちらに向かいますね。――へ、変な恰好とは……?』
ふう、と一息ついた校長の声が、聞き捨てならない言葉を聞いたようにまたすぐ緊迫したものになる。
年長者の質問を無下にするわけにもいかない。拓海はなるべく何でもない風を装って、現状を報告する。
最後まで言い終わらないうちに、電話の向こうで誰かが卒倒する音が聞こえた。