〈16〉
春美の助言に従い、その日から拓海とエリアルは一緒に登下校することになった。
問題だった時間は、朝が拓海が家を出ていた時間。夕方が、エリアルが帰っていた時間ということになった。これは、エリアルが家を出る時間では遅刻する恐れがあるという、拓海の見立てによるものである。
ストーカーの件は、その日のうちに佑介と咲子にも伝えられ、警察にも相談された。川城家周辺のパトロールを増やしてくれるとのことだ。
そうして対策を講じてから数日が過ぎたが、付いてくる気配は一向にとどまることがない。無言電話も同じく、ベランダに投げ入れられる手紙も継続。それどころか、出しておいたゴミをあさられた形跡も見つかった。
だがエリアル本人の危機感は未だに足りていない。次々見つかる『重い愛』に目を輝かせる始末で、本人よりも周りの方が慌てる有様である。
そんなある日の放課後、拓海が帰る準備をしていたところにエリアルはやって来た。
「タクミさん、アニメショップに行きましょう!」
「……」
誰が、絶句した拓海を責められるだろう。エリアルは、絶賛ストーカーに付きまとわれている最中に、遠回りして帰ろうと言い出したのだ。
「状況を考えろ……」
「今日は私が集めてる漫画の新刊が発売される日です」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
あっけらかんと言い放つエリアルに、拓海が声を上げる。
「ストーカーのことがあるだろうと言っている。危ないのだから早く家に帰ることに越したことはないだろう」
「嫌ですっ! 限界です! だってタクミさんと一緒に帰るようになってから、一回も寄り道してないですか!」
「学校には好きなだけいさせているだろう」
「そういう問題じゃありません!」
実際、拓海がエリアルと一緒に帰ることになってから、エリアルは寄り道をしていない。というよりできていない。拓海が止めてくるのだ。
他人に少し迷惑がかかる程度なら、自分の好きなことをするエリアルも、危ないからと言われれば従わざるを得ない。渋々言われた通りにして、我慢を続けていたのだ。
もちろん拓海が言うように、学校に残ることは許されているが、それだけでは我慢に限界も来るというものだった。
「だが、危ないことは確かだ。下手な事態にするわけにもいかないしな。我慢してくれ」
「嫌です! ちょっとくらいなら大丈夫なはずです!」
「勉強をサボる口実か! 駄目だと言ったら駄目だ!」
「嫌だと言ったら嫌です! 大体、危ないなら瞬間移動で登下校すればいいじゃないですか!」
「神聖術は禁止だと言っただろう!」
「融通が利かなすぎです! 堅いです!」
「おまえが自由すぎるんだ!」
このやり取りは教室で行われており、放課後とはいえ教室にはまだ何人も生徒が残っていた。だから、唐突に言い争いを始め、よく分からない単語まで使っている二人には、奇異の視線が集まる。
そしてこの光景は、物珍しさから野次馬を集め、小さな噂を作る。曰く、『モテない川城』と留学生が痴話喧嘩をしている、と。
「まあまあ二人とも、落ち着いて」
その状況を見ていた大樹は、二人の間に割って入ると何とか諫めようとする。
「拓海も、ちょっとくらいなら寄り道いいんじゃないかな? 気が滅入っても困るし。ほら、ここは俺の格好いい顔に免じてさ」
「免じたくなくなる言い草だな」
「え、だって俺の顔が格好いいのは事実だし……」
「わざわざ言う必要がないということだ!」
事態の収拾に動いたにもかかわらず、大樹の余計な一言で場が余計にカオスになった。
それを受けて、小さな噂がもう一つ出来上がる。曰く、『モテる川城』が入っていって修羅場、と。
「とにかく、私は行きますからね!」
「いや行くな!」
「いえ行きます! 女には、どうしても逃げられないことがあるんです!」
「格好いいことを言って誤魔化そうとしても無駄だ!」
是が非でもアニメショップに行くと主張するエリアル。今にも瞬間移動しそうだ。
「じゃあいいです。タクミさんは来なくても。私一人で行きますから」
「だから状況を考えろと……おい!」
吐き捨てるように言って、エリアルは教室を出ていってしまう。
「あーあ。どうすんの拓海? 何か手伝う?」
気を聞かせて大樹は言うが、それで何ができたものでもない。
「いやいい」
そう断るものの、では拓海が何かできるのかといえば、どうも思い浮かばない。だが拓海の役目は大事にならないようにすることだ。ついて行かないわけにもいかない。
「待て、セラフィム!」
ずんずんと早歩きで遠ざかっていくエリアルを、拓海もまた早歩きで追った。
そうして追いついたのは校門の外。後ろを振り返らず歩いていたエリアルは、隣に並んだ気配を感じてそちらを向いた。
「タクミさん。止めても嫌ですよ。私行きますから。例え往来で瞬間移動を使おうとも!」
「それは冗談にならないからやめてくれ。それに、何度言ったら分かるんだ。今はストーカーがいる。遅くなったらどうなるかも分からないんだぞ」
「大丈夫です。遅くならなければいいんでしょう? なら瞬間移動で……」
「駄目だと言っているだろう。瞬間移動使いたすぎだ。それに人目にについたら終わりなんだぞ」
一切譲らない拓海に、ついにエリアルがため息をついた。
「はあ、分かりましたよ。普通に行きますから」
「だからアニメショップは……」
「堂々巡りです! 私は瞬間移動を我慢しますから、タクミさんは私がアニメショップに行くのを我慢してください! なんなら先に帰っててくれても構いませんから!」
「それは無理だ。防犯上、今のお前から離れることはできない」
「そうですか。もう何でもいいです……」
エリアルは、拓海の融通の利かなさに脱力した。そういうわけで、アニメショップには行くことになった。
拓海たちの通う木城高校の最寄りのバス停は駅ロータリーである。
駅で、それもロータリーがある程度には大きいともなれば、当然その周辺には様々な施設がある。エリアルの言っていたアニメショップも、そこにあった。
ビルに入っているその店は、拓海の想像を超えて広い。一階だけにとどまらず、三階まで入っているらしい。
「こんなに広いスペースを確保して、いったい何を売るんだ……」
呟く拓海。そもそも、本屋で見かける漫画スペースからは規模からして違うのだ。
「普通に漫画とか、ライトノベルとか、DVDとかですね。アニソンのCDもありますよ。あっ、これはあの作品のキーホルダー! タクミさん見てくださいよ! 可愛いでしょう?」
エリアルは、ショップに入ってからというものずっとこんな調子だった。
瞳を輝かせ、子供のようにはしゃぐ様子は、可愛らしくはあるのだが、いかんせん、見ているものはアニメグッズである。普通は可愛い小物を見て喜ぶものだろうが。
「漫画を買うのではなったのか?」
目的を忘れてショップ内を見て回るエリアルに、拓海が水を差すと、エリアルは苦虫を噛み潰したような表情で振り返った。
「タクミさん、ブスですよ」
「はあ!?」
「あっ、間違えました。無粋です。安心してください。タクミさんはブスじゃないです。微妙な顔です」
「ひどい言い間違いだ……」
脈絡なく罵られた拓海が驚くと、エリアルは修正。すぐさまフォローを入れる。が、そのフォローも下手をすると悪口だった。しかも女子に言われてしまうあたり救いがない。
「楽しんでるんですから漫画なんていいじゃないですか。もちろん買いますけど、それだけじゃつまらないです。せっかく来てるんですもん」
「僕としては、さっさと終わらせて帰りたいんだが」
ストーカーのこともある。冬はとっくに終わっていて、日が落ちるのは早くないとはいえ、できるだけ早く帰りたかった。
「それに勉強もしなければ」
学校で、エリアルが帰る気になるまで待つ分には、自分の机で居残り自習ができたが、こう歩いていてはおちおち単語帳も開いていられない。
「そういうわけだ。速やかに目的を果たすぞ」
「いや意味分からないですって。のんびりしてもいいじゃないですか……あっ、これはあのアニメのスマホケース! ほしい! ……でもちょっと高い……。あぁ、どうしてアニメ関連グッズはどれもこれもお値段が張るのか!」
「著作権とかだろう」
「あっ、この作品のBlu-rayアンドDVDってもう出てたんですか!? 嘘っ、天界より二巻も進んでます!」
「流通の問題だろう」
なにせ天界は上空だ。普通に貿易するだけでも一苦労である。
その後もエリアルは、様々な棚を見て歩き、事あるごとに食いついた。アニメや漫画をほぼ読まない拓海としては、退屈なことこの上ない。知らないものばかりに囲まれて、外国に一人放置されたような心持ちである。
「セラフィム、もう十分経ったんだが、漫画はまだ買わないのか? 早く買って、すぐに帰らないと暗くなる」
「それはまだです。それに暗くなるにはまだ時間がありますって。……タクミさん、見てください! このアニソンCD! これすごくいい歌なんですよ。聞きます?」
「聞かん。そもそも僕は音楽の類を聞かない。なくても勉強には集中できる」
「別にみんな、勉強に集中するために聴いてるわけじゃないと思いますけど。私だって夜中に一人で聞いてフィーバーしてますよ」
「フィーバー?」
fever、名詞で、意味は熱、熱病等。拓海が瞬時にアルファベットに変換して英単語を脳内検索にかけると、そんな意味がヒットした。おそらく、というか絶対にこの意味ではない。
「というか、そんなものはどうでもいい。それより早くしろ」
「もう、タクミさん、さっきから早くしろって言ってばかりです。なんでそんなに急ぐんですか?」
「暗くなってからでは遅いからな」
「ですからまだ時間があるって言ってるじゃないですか」
「まだ時間があってもだ」
頑なに、早く帰るということを連呼する拓海。そもそも、アニメショップに行くことすら反対だった彼の立場からしたら当然のことだろう。しかしそれにしても度が過ぎていた。
それでは反感を買うのも当たり前で、エリアルは拓海のセリフを聞くと、またも苦虫を噛み潰したような――というよりも、呆れの色が強い――顔をした。それからくるりと反転。体の向きを拓海の方へ向ける。
「前にも言いましたけど、タクミさんは堅すぎます」
断言。「真面目」ならともかく、「堅い」と言われるのは拓海的にあまり気に食わない。
「それはお前が自由すぎるだけで……」
「いいえ、タクミさんが堅いんです。――どうしてそんなにせかせか動くんですか? それ、楽しいんですか?」
「……」
ズイ、と。エリアルは拓海との間にあった距離を詰め、目をのぞき込む。その行動が以外で、拓海は飛びずさるより先に硬直してしまった。
そうして互いの顔が近いところに来て初めて、拓海はエリアルの表情が呆れとも違うものだと気がついた。エリアルは、怒っていた。激昂ではない。憤怒でもない。もっと小さく静かな、しかし確かな怒りが、拓海へ向けられていた。
「楽しいかどうかは問題ではないだろう」
「問題だとか問題じゃないとかどうでもいいんです。私は楽しいんですか? って聞いてるんですから」
「……」
もう一歩詰め寄られて拓海は閉口する。何が問題か、何が必要か不必要かではなく、楽しいのかどうか。それは――
「……考えたことがないな」
拓海は、今まで楽しいかどうかという判断基準で動いてこなかった。いや、そんな基準で動いていたころは確かにあるのだろう。だが成長し、勉強をするようになって、その効率化を考え実行していくうちに、楽しいかどうかという価値基準は限りなく小さくなった。楽しいかどうかよりも、必要かどうか。
だからわき目は必要なく、ただ目的を早急に果たせばいい。
そういう風になってから、思えば拓海は、それが楽しいのかどうかを考えなくなったように思う。
エリアルは拓海の呟くように言った言葉を聞き届けると、詰めていた距離を再び離し宣言する。
「分かりました。私決めました。タクミさんがそう言うんでしたら考えさせてあげましょう。楽しいのかどうか!」
「はあ?」
意味を理解できずに素っ頓狂な声を上げる拓海に、しかしエリアルは注意を払わず行動を開始する。
「そうと決まれば、もたもたしてられませんね! タクミさん、ゲームセンターに今すぐレッツゴーです!」
「なぜだ!」
今まで見ていたアニソンCDは元あった場所へ。エリアルは拓海の手を引いてアニメショップの出入り口をくぐり外に出た。
思ったよりも手が小さいんだなぁと、捕まれた部分から伝わる柔らかい感触に思いをはせて拓海はドギマギする。だがそんなことよりも、今は言わなければならないことがある。
「セラフィム、漫画はどうした!」
「……あ、忘れてました」
脇が甘い天使ことエリアルは、よりにもよってこんな時にド忘れをやらかす。
結局二人は、またアニメショップに戻ることになったのだった。




