〈14〉
四月も二週目に突入し、新しいクラスにも慣れる兆しが見え始めてきたころ。
このくらいになると肌寒さも消え去り、ちょうどいい、過ごしやすい気温になってくる。
そんなある日、エリアルは、一人で下校をしていた。
本当なら、瞬間移動を使って一瞬で帰ることもできるのだが、始業式の日にして以来、拓海に口を酸っぱくして禁止されている。エリアルとしては、別に瞬間移動くらいいいじゃないかという思いはあるものの、バスを使っての登下校というものに楽しさを見出したので大人しく従っているのだ。
一緒の家に住んでいる手前、拓海と一緒に帰らないのは不自然だが、拓海は勉強するためとホームルームが終わるや否や帰ってしまう。そのため、特に理由もなく残って誰かと話したり、寄り道をしてから帰るエリアルと、帰り道が一緒になることはなかった。
それは登校に関しても同じで、基本的に早めに行動する拓海は結構な余裕をもって学校に行く。対してエリアルは、いざとなれば瞬間移動をすればいいということもあってか、ギリギリの登校を続けている。だから、エリアルが拓海と一緒に登下校したことは今のところない。
そんなわけで、エリアルは日が暮れていく、人通りのあまりない道を一人で歩いていた。
とはいえ、エリアルは一人でいるのが嫌いなわけではない。寂しいことに変わりはないものの、一人なら一人でできることもある。例えば、町の観察。
エリアルは、日本文化を学ぶために日本へと留学してきた。だから、住宅街でも繁華街でも、様々なものを視界に納め記憶するのは、半ば義務のようなものであり、それ以上に見ていて楽しかった。
そうして、何度か歩いている道を見渡しながら歩いていたからだろうか。誰かが自分をつけていることに気がついた。いや、この時点でエリアルにそんな認識はない。誰かが背後にいるなあ、という程度の反応である。
だがそれも、何度も角を曲がり、普段は通らない道を通ってみようと思い立ってからも付いてくるとなれば話は別だ。
「……?」
さすがのエリアルも、おかしいと感じ始めた。
試しに小走りしてみると、背後の気配もそれと同じ程度のスピードで付いてくる。今度は急停止し、靴ひもを結ぶふり――実際はローファーなので結ぶものなどないのだが――をしてみる。すると背後の気配も止まった。
普段何かと抜けていて、拓海に頭のネジが一本外れていると評価されているエリアルも、さすがにこの事態にはピンとくるものがあった。
もしかしてこれが――
「これが『重い愛』というものなんですね!」
事の経緯を説明してから、エリアルはあろうことか瞳を輝かせてそう言った。
その反応が予想外すぎて、拓海も、一緒に話を聞いていた大樹も絶句し、危うく箸を取り落としそうになった。
現在は昼休み。
各々が自由に昼食を取り、他愛もない雑談をしている。当然教室は騒がしく、今の話の内容を聞いているものは、川城二人以外にはいないだろう。
拓海はしばしの思考停止の後、何とか正気を取り戻した。
「『重い愛』とはなんだ」
「『重い愛』は『重い愛』ですよいわゆるヤンデレとか、そういうものです」
「いや意味が分からない。ちゃんと日本語を話せ」
「ヤンデレはあれだよ。病んでてデレるやつのこと」
よく分からない単語の意味を聞いたら知らない単語が出てきて困惑する拓海に、大樹がフォローを入れる。だが悲しいかな、それでも分からない。
「つまり、病気で入院しいるのか?」
「あー、違う違う。病んでるのは体じゃなくて精神の方だよ。誰かのことが好きすぎて、精神を病んだ人のことをヤンデレっていうんだ」
「ああ、なるほど。じゃあ、ヤンデレのデレはなんなんだ?」
「う、うん。質問がおっさんみたいだよ……。デレは普通にデレだよ。デレるのデレ」
「む、確かに」
拓海とて、デレるの意味くらいは知っていた。自分の発想の貧困さに少し赤面。とはいえ、
「で、そのヤンデレがどうした?」
「ですから、最近付け回されてるみたいで、それがヤンデレなのかなってことです!」
ワクワクとした、いっそ子供のような目で見つめられ、拓海は困り顔。それがヤンデレか『重い愛』かなど知らないが、想像できるところはただ一つ。
「それはストーカーだろう」
「それはストーカーだよね」
奇しくも川城二人の声がハモる。
毎日毎日、登下校を付けてくる。同じ時間に同じ方向に行く人物でなければ、それはもう十中八九ストーカーといえるのではないか。
「あっ、でも付けられてるってだけじゃ微妙だよね。エリちゃん、何か他に気になることとか、最近変わったことってない?」
「えー、ないと思いますけど……。いたっていつも通りだと思いますよ」
腕を組んで首をひねるエリアル。真面目に思い出そうとしているのか疑いたくなるポーズだが、エリアルは真剣だ。やがて何か思い出したのか、小さく声を上げる。
「そういえば一週間くらい前から、夜中に携帯電話に無言電話がかかってきますね! あとベランダに変な手紙が置いてあることも何回かありました!」
「それを一週間も放置していたのか!?」
「え? そうですけど。こんないたずらしてくる人がいるんだなあって思ってました」
「百歩譲っていたとして、それは確実にまずいやつだろう!」
疑いようもないほど、どうかしてしまっている天使の危機感に拓海は声を上げる。
「大体、付けられ始めたのはいつからだ?」
「気づいたのは一週間ちょっと前ですよ」
ということは、もっと前から付きまとわれていた可能性もある。下手をすれば、それこそ始業式の日当たりからだ。
「電話番号もバレてるくらいだ。それなりの期間付きまとわれているんだろう。というか、セラフィムは無用心すぎるぞ」
「え? そうですか?」
説教する形で注意する拓海。しかしエリアルに自覚はなかった。
「どう考えてもそうだろう! 確かにストーカーに遭遇するなんてことは、確率は低いだろうが、何かおかしいと思ったらすぐに報告するべきだ」
「そうだね。ところで聞くけど、エリちゃんって誰かに恨みを買われるようなことした?」
突然の質問。エリアルと拓海は首をかしげる。
「前にテレビでやってたことだけど、その人と何の関係もない人がストーカーになることってほとんどないんだってさ。だから、エリちゃんがそう思ってないだけで何かあったのかなって。例えば色恋沙汰とか?」
「ないですね」
「即答しちゃうんだ……」
それは花も恥じらう女子高校生としてどうなのか。
だが、心当たりがなくても無理はなかろう。エリアルは日本に来てまだ一ヶ月。恨みを買うほど深い関わりを持つには、あまりに短い期間だ。どうやら今回のストーカーは、大樹の言うほとんどないケースに該当しそうである。
特にエリアルは、文句の施しようがないほど美しい顔立ちをしている。どこかの誰かが一目惚れして……といった場合は、考えられないことはなかった。
「なんにしても、どうするかだな」
「うーん、俺は対処法まで見ないでチャンネル変えやったからなあ。俺はストーカーされるだけなら大歓迎だし。でもこんな事になるって分かってたら、対処法まで見たんだけどなぁ。とりあえず、周りの大人に報告と相談じゃない?」
「周りの、大人……」
真っ先に自分の両親を思い浮かべた拓海。なんとも、頼りにくいというか、頼り甲斐がない感じがする。
「どうかした?」
「いや、何でもない。警察にはどうする?」
「報告と相談が終わったその後だね」
テキパキと、これから始まるであろう対ストーカー戦について当面の方針を練る川城二人。
「あの、それでさっきの話なんですけど、やっぱりこれは『重い愛』で合ってるんでしょうか?」
「まだそこ気になるのか!?」
この後に及んで、さほど重要でもないことを気にするのはエリアルだ。
「そうだね。好きが高じてってことだと思えば、まあ愛は重いんじゃないかな……?」
大樹も困りながら、なんとか疑問に答える。するとエリアルは瞳を輝かせた。
「本当ですか! これはラッキーな展開ですね!」
「は?」
「いや、何言ってんのエリちゃん……?」
今現在ストーカーに付きまとわれている女子高生のセリフとは思えない。何をどうしたらストーカー被害をラッキーと言うのだろうか。
「だってリアルヤンデレですよ! 滅多にお目にかかれるモノじゃないです! 今、二次元が三次元に!」
状況的に明らかにおかしなテンションで、エリアルは両手を胸の前に。小さくガッツポーズを作って歓喜する。
もはや常人の感覚から乖離しすぎていて、常人代表たる拓海と、イケメンな常人であるところの大樹とは閉口せざるを得ない。
「とりあえず、不謹慎ということは言っておこうか」
「ていうか、下手したら命の危機って理解してる?」
「それはまあ、何とかなります! いざとなればこう……雷をドーンと落として……」
「大惨事になるから絶対に落とすな」
それはもう、天使の存在が露見しないようにとかいう問題ではなくなる。死人が出てしまう。
「大丈夫ですよ。あくまで最後の手段ですから!」
「まるで本当に出せるみたいな口ぶりだね」
本来なら真剣なテンションになる話が、どうにも危機感の薄いエリアルによって緩和されている。真剣になりすぎて暗くなってしまってもいけないとはいえ、何だかなぁというのが拓海の心情だ。
「とにかく、当面は報告と相談。まあ拓海の親だろうね。そこは俺が口出せるとこじゃないし、拓海に任せたよ。……エリちゃんあんなだし」
「善処はする」
最後のはエリアルには聞こえないようにと、ささやくあたり、大樹の配慮が現れている。
その大樹をしてこの言われよう。救いようがない。
ともあれ、一応の方針は固まった。




