〈9〉
「同じクラスですね」
真隣に座ったエリアルは、そう言って笑みを浮かべた。
「……なぜ、同じクラスになったんだ」
「さあ? 校長先生とかが何かしたんじゃないですか?」
確かに、考えてみればエリアルの言う通りで、天使のことを公にできない以上、彼女の近くには彼女の素性を知る者がいた方がいい。エリアルの脇の甘さを考えれば、至極真っ当な判断だった。
「というかお前、よく遅刻しない済んだな。かなり危うかったと思ったが」
「はい、瞬間移動しましたので!」
「お前は……」
瞬間移動禁止令は、やはり意味を成さなかったらしい。
半ば呆れて拓海はため息をつく。そのやり取りに、拓海の前の席の人物はごく自然に入ってきた。
「セラフィムさんって冗談言うんだね。もっとこう、静かな感じだと思ってた」
大樹は、エリアルの瞬間移動発言を聞き、それを冗談だと勘違いして率直な感想を述べた。
「え? 私、冗談なんて……」
言ってませんよ、と続く予定だった言葉を、拓海が小さく小突くことで阻止。校長たちの思惑が見事にはまっている。
「そうだな確かにこいつは冗談をよく言う。そんなことより、自己紹介でもしたらどうだ」
大樹は、普段とは違う友人の様子を不思議に思ったものの、それ以上は取り合わずに拓海の意見に同意した。
「初めまして、セラフィムさん。俺は川城大樹っていうんだ。拓海とは友達」
「はい、よろしくお願いします。私のことは気軽にエリと……。川城?」
「ああ、こいつと苗字が同じなんだ。区別つけるために名前で呼ぶか、もしくはあだ名で呼んで」
「あだ名? へえ、タクミさん、ニックネームがあったんですか! 教えてくださればよかったのに。どんなのですか?」
好奇心そのままに聞くエリアル。大樹は言ってもいいかと拓海に視線だけで確認。拓海はそれに首肯で返した。
「えっとね、俺が『モテる川城』で、拓海が『モテない川城』」
その言葉が放たれた瞬間、エリアルは大爆笑――することはなく、代わりに拓海を憐れむような視線で見つめ、
「タクミさん、いじめられてるんですか? それとも何か悩みがあるんですか?」
「どちらもない!」
事実、拓海はいじめられていない。一年時のクラスで拓海と大樹、二人の川城がいたクラスは、名字で呼んでは紛らわしいということで、二人にあだ名をつけた。それが、大樹がモテることを基準につけられ、面白がって呼ぶうちに定着してしまっただけの事だ。
「でも、確かにちょっと可哀想だよな。拓海何もしてないのに『モテない』って烙印押されてるんだもん。ごめんな、俺がモテすぎたばっかりに」
「お前にそのつもりがないのは分かっているが、皮肉にしか聞こえないぞ」
「皮肉にしか聞こえないってことは、モテないのは事実なんですね……」
揚げ足を取るエリアルの瞳は、まさしく可哀想なものを見る目。その瞳に屈辱を感じて、拓海は断じてモテないことを気にしていないが食い下がった。
「待て、確かに僕は告白したこともされたこともないが、性格も顔も悪くはないはずだぞ」
「顔……」
エリアルが呟き、まじまじと拓海の顔をのぞき込む。顔は近くないが、じっと見つめられるのがこそばゆくて目を逸らした。
「確かに、悪くはないですけど、良くもないというか……。普通……というより、微妙な顔?」
「あ、それ分かる」
エリアルが半ば独り言として漏らした言葉に、大樹が同調した。
「微妙? 微妙とはどういうことだ!? それならいっそ悪いと言ってもらった方が気が楽だぞ!」
普通というよりも微妙、という評価に、さすがの拓海も突っ込まざるを得ない。だが悲しいかな、拓海の顔の感想を述べるのであれば、微妙、が一番しっくりきていた。
「で、でも大丈夫ですよタクミさん! 私はタクミさんのことはタクミさんと呼びますから! 『モテない川城』なんて呼びませんから! ですから安心してください!」
「おーい、『モテない川城』」
エリアルの慰めも空しく、ピンポイントなタイミングで、いじめとしか思えないあだ名を誰かが呼んだ。凍り付くエリアル。あちゃーと、神業的なタイミングを嘆く大樹。
拓海だけが冷静に、自分が呼ばれた方向を見れば、ひとりの男子生徒と長津田春美がいた。春美の前の教卓には、先ほどのホームルームで集められた春休みの宿題やもろもろの提出物が、春美一人では運ぶのが困難な程度に積まれている。
「モテない川城、先生が運ぶの手伝えってさ」
「……ああ、分かった」
その男子生徒が発した光栄なご指名に、拓海は平素よりもなお落ちたテンションで頷いて荷物持ちを任される。
拓海が席を立ち会話が途切れると、周りで様子をうかがっていたクラスメイト達がエリアルを囲む。その賑やかな様子をを尻目に、拓海は教室を後にした。
しばらく廊下を歩いていると、春美が拓海に問いかける。
「なに、アンタいじめられてんの?」
「いや、別にいじめられてはいません」
先ほど教室でエリアルとしたのと同じようなやり取り。どうやら春美は、拓海のことを心配してくれているらしい。
「けど『モテない川城』って、嫌じゃないの? それともアンタ、マゾ?」
「違いますけど」
おかしな性癖を与えようとする春美に端的に抗議する拓海。
確かにあだ名は不名誉なものだが、モテないのは事実なのだ。事実を言われている以上、拓海としては口出しする気はない。モテないことを気にしているわけではないのだ、決して。
春美は肩をすくめると、心底面倒臭そうにため息をついた。
「なんにしても、いじめなんて面倒な問題、あたしのクラスで起こすんじゃないわよ。というか、アタシに迷惑かけたら許さないからね」
「はい?」
しっかりとした春美のイメージとあまりにかい離したセリフを耳にし、拓海は一瞬、何を言われたのか分からなかった。反射的に春美に目を向け、拓海はその雰囲気が春休みに感じたモノと違うことに気がつく。思えば、教室で話している様子にも、若干の違和感はあった。まるで、ぴっしりとした外側がはがれ、代わりに緩い内面が顔をのぞかせたかのような……。
「はい? じゃないわよ。迷惑はかけんなって言ってんの。それさえ大丈夫なら、別に何してたって構わないから」
「は、はあ……」
「はあって、アンタ本当に分かってる?」
「いえ、分かってない……というか、長津田先生が春休みに来た時と違いすぎて……」
「ああ、あれは校長の前だったからね。アタシ、他の教員の前では猫かぶってんのよ」
「最悪だ……」
猫をかぶるだけならともかく、そのことを堂々と宣言してしまうあたり、救いようがなかった。
「このこと、ばらしたらタダじゃ置かないわよ。言っておくけど、成績なんてアタシのさじ加減一つなんだからね」
「職権乱用じゃないですか!」
「ちょっ、大きな声出すんじゃないわよ。バレたらどうすんの。だいたいあるモノ使って何が悪いわけ?」
「暴論だ……」
飛ぶ鳥を落とす勢いで崩れていく、拓海の中にある春美の綺麗なイメージ。『出来る先生』という評価は一気に下がり、『やばい大人』というものにまでなっていた。
「そんで、何の話だったっけ……。ああそうだ。アタシを困らせるなって話だっったわね」
「そ、そうですね」
「簡単なことよ。セラフィムが面倒起こさないようにしなさいってだけ」
「それ、結構な無茶ぶりだと思うんですが」
ここ一週間、同じ家でエリアルと過ごしてきて分かったことだが、エリアルは佑介と咲子とベクトルは違えど、その性質が似ている。早い話、頭のネジが一本外れているのだ。あとは佑介も咲子も、大小さまざまなハプニングを起こしがちということから察してくれというものである。
だから全力で不可能をアピールするも、春美は一切取り合わない。
「ていうか、さっきもひと悶着あったのよ。あの子、登校してきなさいって言われてたギリギリの時間に、校長室に瞬間移動して現れたらしいわ」
「……」
なるほど、確かに校長室なら、よっぽどのことがない限り誰かに見られる心配はないだろう。それに校長はすべての事情を知っている。瞬間移動先としては、まず申し分ない場所だ。
「突然の事だったから、校長が驚いて腰抜かしたわ。間違いなく寿命が縮んだわよアレ」
ただしそれも、校長の精神衛生やストレスを考えなければの話である。
先日、瞬間移動先として名前の挙がっていたトイレの個室も狭くて翼が収まらなく、さらに思ったよりも人の出入りがあるということだったので候補から外されていた。だからといって、毎日のように校長の精神を圧迫するのは良心が痛む。
「とりあえず、セラフィムにはあとで瞬間移動で登校するのは禁止しておきます。すでに一回言った上での事件だったので、意味がないかもしれませんが」
「意味なくてもなんでも、男なら何とかしなさい。事が起こってからの後始末とか、かなりの量になるのよ。大変なんだからホント」
「それは先生の仕事じゃないですか」
「分かんない奴ねぇ。そもそも問題が起こんなければ、仕事が発生しないって言ってんのよ」
確かに、そういう側面はあるだろう。当然、問題は起こるよりも起こらないほうがいい。そう納得する拓海に、春美は「大体――」と続ける。
「社会は間違ってんのよ」
「は?」
明らかに飛躍した話に、拓海は一瞬ついていけない。問題を起こすな、という話から、何をどうすれば社会は間違っているという結論が出てくるのか。
ポカンとしてしまった拓海に春美はなおも、それも熱を上げて続ける。
「そもそも何が『若手は色々な経験を積むべきだ』よ。ジジイが古臭い年功序列持ち出して、面倒臭い仕事を若手に押し付けてるだけでしょ! あのジジイたち、ついこの間はまったく同じ口で『少子高齢化が本当に深刻ですなあ。長津田先生はご結婚はされないんで?』って言ってたのよ。馬鹿じゃないの? リソースとか考えないでバンバン仕事押し付けられてたら、そりゃ時間なんてあっという間に過ぎるわよ。結婚相手に出会いたくても、そのための時間がないのよ時間が」
「……」
「仕事の多さに文句言ったら言ったで、大して中身がなくて、びっくりするくらいつまらない説教を延々するし! なにが『若手は根性がないですなあ』よ。いっぺん自分の顔を鏡に映して半日くらい見つめてたらどうなの!? 本当にあのジジイども、さっさとくたばんないかしら。こっちは根性なくてもいいから、さっさと結婚がしたいのよ!」
「……」
堰を切ったように持論を述べる春美を、拓海はただただ見ていることしかできなかった。言ってること自体は――少なくとも春美の経験した部分においては――間違っていない、ごく正しいものである。
それなのに最後は完全に私怨になっていて、説得力がいまいちないから不思議だ。
長い長い独白、というか愚痴だったが、言いたいのは「天使の担当を押し付けたジジイども許さない」らしい。断じて生徒に聞かせるような内容ではなかった。
「ええと、先生年齢は……?」
「あぁん?」
「いえ、何でもないです」
何度か出てきた『結婚』というワードが気になり質問すると、春美は金剛力士像のごとき修羅の表情をしてメンチを切ってきた。断じて生徒に見せるような顔ではなかった。
見た目はそこまで年を取っているようには見えないし、若手という単語から、二十代後半から三十代前半くらいだと目算をたてる拓海。すると春美は、拓海の値踏みするような視線を目ざとく見つけた。
「アンタ、今失礼なこと考えてんじゃないでしょうね」
「か、考えてないです!」
殺気すらはらんでいそうな視線に射抜かれ、拓海はとっさに視線を逸らした。
気づけば春休みの宿題を抱えた腕が、ぷるぷると小刻みに震えていた。断じて恐怖のせいではない断じて。疲労のせいだ。
そう自分に言い聞かせて、職員室までの残りの道のりを踏破。春美の机に持っていた物を置き、拓海はいそいそと出口に向かう。
「それじゃあ先生、僕はこれで。……頑張ってください」
「あっ、ちょっと。言ったこと忘れるんじゃないわよ!」
それは「社会は間違っている」というフレーズの前なのか後なのか。もしくは年齢の事なのか。
拓海は聞こうともせず、逃げるようにその場を後にした。
そうして逃げるようにして転がり込んだ教室。
拓海の席の隣には、未だに人だかりができていた。中心にいるのは当然ながらエリアルである。
件の留学生は、好奇心の対象から、その人柄によって人心をつかみ一躍クラスの中心人物になっていた。 ――と、拓海はその人だかりの中に、やたらと疲れた背中をしたイケメンがいることに気がつく。
「おい、大樹、どうした」
問いかけると大樹はゾンビのようにゆっくりと振り返り、
「ああ、拓海。ごめん、努力はしたんだけどさ……」
「は?」
言ってる意味が分からず、拓海は首をかしげるばかり。そんな彼に、エリアルが気づいた。
「あ、タクミさん、おかえりなさい」
瞬間、エリアルの周りに集まっていたクラスメイトが、一斉に振り返った。
向けられる視線の種類は大きく二種類に分けられる。男子は嫉妬、女子は好奇心である。
「は?」
二度目のセリフも、一度目と内封する意味はさして変わらない。拓海は困惑と、ほんの少しの恐怖から一歩後ずさりし、それが合図になった。
「モテない川城っ、一つ屋根の下ってどういうことだ!」
「一緒に暮らしてるって本当なの!?」
「モテないくせにこんな美人と! うらやましいな!」
口々に言いながら、あるいは叫びながら詰め寄るクラスメイトに、拓海はあっさりと壁際に追い詰められ、逃げ場を失った。大樹の助言は、大当たりだったらしい。『モテない川城』は、一躍クラスの話題の中心に放り込まれた。
「僕の安息の地が……」
質問攻めに遭いながら、拓海はそうひとりごちた。
――ちなみに、拓海の家にホームステイをしていることを宣言した、犯人であるところのエリアルは、
「え? だって同い年の男子と女子が一つ屋根の下で生活していたら、たとえやましいことがなくても意味深に、それも公衆の面前でその事を言うのは、日本独自の文化なのでは?」
と、証言している。