前編
三年付き合っていた彼が、浮気をした。
事の詳細を話す前に、彼と私の関係について説明しよう。
私の彼は、女性にとても人気がある。
眩い金髪に、サファイアのような瞳を嵌め込んだ整った顔。
物腰柔らかで、とても話しやすく、優しい。
だから女性たちはみんな、彼を狙っている。
私と彼は幼馴染という関係にあって、そこに恋愛というものは存在してはいなかった。三年前までは。
三年前のある日、彼に突然告白された。
彼は二つ年下で、私は彼のことを弟のようなものだと思っていたので大層戸惑った。
私は一人っ子で、兄弟が欲しかったのでそれはそれは彼を可愛がった。
だけど、それとこれとは話が別である。
どうしたものかと思っていたが、熱心に私への愛を伝えてくる彼に絆され、私は彼と付き合うことにした。
幼馴染という関係が前提にあるので、情熱的な恋人同士ではなかったが、穏やかで心休まる関係を築けていたと思う。
私は彼によく頼られるが、それが嬉しい。一人前のお姉さんになれたみたいで、彼に頼られるのが好きだった。
いつしかそれが、恋人として必要とされていると思えるようになり、少しずつ彼のことを弟としてではなく、異性として見るようになっていった。
愛情とともに恋慕も抱くようになり、確かに彼のことを好きだと言えるようになった。
彼にそう伝えれば大喜びし、私を抱きしめて、キスしてくれた。私もそれに応えて、キスをした。
二年前には彼と同棲するようになり、私はいつの間にか、彼と結婚するんだろうなと考えるくらいには、彼のことをとても好きになっていた。
彼は変わらず愛を伝えてくれて、私もそれに応えて。
このまま、この関係が続いていくのだと思っていた。
そろそろ結婚の話が出るかな。
そんな風に思って、彼に喜んで欲しくて彼の好きそうなワンピースを買いに行ったとき、私は見てしまった。
街中で見知らぬ綺麗な女性とデートをしているところを。
最初は友人の多い彼のことだから、異性の友人と出掛けているだけだと思ったけれど。
よく見てみると、腕を組んで甘い空気を醸し出しているそれは、どう見ても浮気現場にしか見えなかった。
心の中にあった何かが、音も立てずに少しだけなくなった。
しばらく彼と見知らぬ女性を眺めた後、私はワンピースを買わずに、家に戻った。
家に帰ってきた彼に、すぐさま昼のことを問い詰める。
結婚まで考えていたのに、こんな裏切りは許せない。
あなたとは結婚できない、別れましょう。
そう言えば、彼は地に頭をつけて謝った。
彼女とは友人だったけれど、彼女に迫られ絆されかけて一度だけなら、とデートをしたという。
「もう二度と、浮気はしない」
あんまり本気で謝るものだから、結局絆されて許してしまった。
だけど表面上はその言葉を受け入れても、信用が失われた彼の言葉を完全には信用できない。
許しはしたが、以前のように無条件に信用はできなくなってしまった。
彼を笑顔で許したけれど、私たち幼馴染の関係には、小さなヒビが入っていた。
その後、例の彼女とはきちんと縁を切ったようで、本当に少しだけ、信用が回復したように思う。
それからしばらくして、彼に結婚しようと言われた。
以前の私なら、手放して喜んだだろう。
だけど今の私には、このまま結婚していいのかという疑念が頭を過ぎる。
彼には浮気をした事実があったので、あと一年浮気をせずにいたら結婚してもいいよ。
そう、彼に伝えた。
彼は真剣な顔で頷き、信用回復に努めると宣言し、また愛を囁いた。
子供の頃に私に怒られて、神妙な顔をして私の説教を聞いていた彼を思い出す。
今と重なる昔の面影がおかしくて、笑ってしまった。
私が突然笑い出すから意味がわからないだろうに、彼はへにゃりと不甲斐ない笑みを浮かべた。
こういうところが、昔からとても愛おしい。
まだ私の彼への愛は、どうやら失われていないらしい。
この一年間でどれだけ愛していたことを思い出させてくれるのか、お手並み拝見である。
だけど彼はその一年後、また浮気をした。
結婚の許しを出そうと思っていた、その前日である。
その日、私は友人に誘われ今流行りのカフェへ来ていた。
彼が一年前に浮気をしたことの仔細を知っている私の親友と、明日には結婚を受け入れようと思っているという話をする為だ。
こういう話をするときは、美味しい紅茶とケーキは必須である。
人気のケーキとダージリンを頼み、私と彼との関係が気になってウズウズしている友人の為に口を開く。
「…明日、結婚の話を受けようと思ってるんだ」
「じゃあ、明日が例の浮気後の和解から一年?」
「そう」
「一年経ったけど、彼のこと許せたの?」
「心の底から許せた訳じゃないけど、誠意は見せてくれてるし、もういいかなって」
「キャロはいつも絆されてるわね。私だったら絶対許せない!」
「いや、私も幼馴染じゃなかったら絶対別れてるわ。…恋人になる前からの付き合いだし、ある程度はなんでも許しちゃうのかも。可愛い弟みたいなものだしね」
「そっか、幼馴染っていう関係が元々あったから許せているのね」
「うん。最近新居に引っ越そうかって話が出てるから、少しずつ物を減らしてるの。新しい家にはいらない古いものを持ち込みたくないから」
「あー分かる!新生活を始めるなら色々新しくしたいわよね」
「そうそう!古いものとはおさらば!ってね」
そんな風に、新しい生活と関係に前向きになっていることを伝えて、存分にお喋りをする。気がすむまで喋り倒し、二人で満足したところでカフェを後にした。
これが私と親友のいつもの遊び方、もといストレス発散方法。
友人と会うと心も体も軽くなったようで、とても楽しく心地良い。
今後結婚したらこういう時間が減ってしまうのかと思うと寂しいけれど、一生会えなくなる訳ではない。
彼との未来を思えば、我慢できるかな。そんな風に思える。
その後予定があるという友人と別れ、帰路の途中で可愛い雑貨の売られているお店に誘われるように入った。
店内をゆっくりと見ていると、白い花の形をした可愛い髪飾りが目に入る。
そういえば、彼はこういう雰囲気の髪飾りをつけると喜んでいた。
明日は結婚の話を受けることを伝えるし、記念に買っていこう。
これをつけたら、彼は喜んでくれるかな。
そんな風に思って、花の髪飾りを手に取った。
いつの間にか混んでいた店内は、お会計も混んでいるらしくお客さんが列を作っている。
私も他に習って列の最後尾に並び、なんとなく店内の窓の外を見た。
向かいのお店は最近見かけることが多くなったオープンカフェで、お店の外にも席がいくつかある。
待っている間暇だったので、なんとなく右から左へと視線を流しながらオープンカフェを見ていた。
私の目に留まったのは店外にある席ではなく店内にある、ある一席。
見慣れた顔と、どこか見たことのある顔が目に入った。
よく見れば見慣れた顔は恋人で、どこか見たことのある顔は、一年前に見た浮気相手の女性だった。
なんの話をしているのか、楽しそうに笑う二人。
しまいには手を握り、キスまでしていた。
きっぱり縁を切ったんじゃなかったの?
戻りかけていた彼への信用が、ガラガラと音を立てて失われていく。
私はそっと列から外れ、手にしていた髪飾りを元の場所に戻し、店を出た。
雨なんて降っていない、雲一つない晴天なのに、私の頬は濡れている。
おかしいなぁ。こんなに晴れているのに。
…こんなはずじゃなかったのになぁ。
涙を服の袖で拭って、覚束ない足取りで家へと向かった。
しっかりと地を踏んでいるはずなのに、踏み外してしまいそうになる。
今は、いつもみたいに歩けない。
真っ直ぐ歩いているはずなのにふらつく体が、体勢を崩してよろけたとき、誰かが腕を支えてくれた。
「大丈夫か!?」
助けられた方を見れば、見知らぬ男性が支えてくれていた。
「ありがとうございます…」
「顔が真っ青だ。すぐそこに俺の家がある。寄っていくといい」
「いえ、そんな訳には…!」
「俺一人で住んでいる訳ではない。父と母もいるから安心してくれ。このままじゃ心配だ」
ご丁寧にそういう目的で連れ込もうとしている訳ではないと、本気で心配した様子で言う男性。
普段なら彼がいるし、迷惑だし絶対にお世話にならないところだけれど。
今日は、苦しい。
いつも頼られてばかりだけど今日くらい、誰かに頼ってもいいかな。
弱っている心は、その申し出を受け入れた。
小さく頷くと、目の前の男性はニカッと太陽みたいな眩しい笑みを浮かべて家まで案内してくれた。