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四時間目の体育が終わった更衣室で、一人の女生徒が自分の財布がないことを訴えた。
その財布は、松矢のロッカーから出てきた。
松矢は体育を遅れてやってきて、それで疑われ、開けてみたらそこにあったらしい。
簡単な経緯はこんな所らしい。
翌日の昼休み。僕の隣であれだけ騒がしかった人の輪は、もうない。
一人、松矢が弁当を食べている。
「ねえ、聞いた? 松矢の家」
「聞いたw聞いたwすっげえ貧乏な家みたいwあのお母さん、何なの? 聞いてた話と違うじゃん」
僕の地獄耳が、ひそひそと囁く女生徒の声を拾う。
昨日、松矢の親が先生から呼ばれたらしい。
松矢の家は母子家庭であり、そのせいもあってか、慎ましい生活をしていたようだった。だというのに、松矢は自分の家が裕福であることを吹聴していた。
松矢は流行の衣服を買いあさっていて、友達と遊んでばかりいた。
じゃあ、そのお金はどこから出ているのか――彼女がお金を盗む動機が、裏付けされてしまったのだ。
たった一日で、彼女の周りには誰もいなくなってしまった。
芦田が、お弁当をにこにこ笑いながら食べてる。
「この卵焼き、私が作ったんだよ。食べる? 狭山君」
ボロボロになっている卵焼きに箸を向けながら、僕に尋ねてくる。
僕はサンドイッチを摘まみつつ、何で僕は芦田と一緒にご飯を食べているのかを考えていた。
昼休みの、旧校舎の非常階段で、隣合って座っている。
ぼっちの設定の僕は、一人でご飯を食べなければならない……ということは、教室ではどことなく居づらい。どことなく、人目の付かない場所でこっそり食べなければならない。また、この場所は、突風がよく吹くため、絶好のパンチラスポットだった。
その場所に、彼女はいそいそと連いてきたのだ。
「何で僕に付きまとうんだ。もうあのOLさんとは謝罪が出来たし、もう用がないとは伝えたはずだが」
松矢はもうスクールカーストのトップから転がり落ちてしまって、弱みを握ってスカートを履かせてもみんなは従わないだろう。
そのため、彼女に僕は暗に用済みだと伝えていたはずなのだった。
あのOLさんのことも、あれから運よく見つかって、謝罪を受け入れてくれた。
だから、芦田と僕の接点は完全に切れている。
だというのに、彼女は僕に積極的に関わろうとしているのだ。
「だって、狭山君、強いじゃない。その狭山君と付き合うってことはぁ、上位のグループに属するってことだよねえ」
理由を尋ねると、そんなことを言ってきやがった。
要するに、彼女は虎の威を求めているわけだ。あほか。
「ふざけるなよ、芦田」
僕が睨むと、彼女は「そんなことよりー」と悪びれもせずに言った。
「何か気付かない?」
ちょっと背中を反らして、彼女は上機嫌で僕に尋ねた。
「何を?」
「ほら~、昨日のわたしとー変わってるところがあるでしょ~?」
何だ……? 髪型……は昨日と同じ。化粧……はまあうっすらとしてる。昨日と同じだ。アクセサリーなんかもしていない。
記憶能力に絶大な自信がある僕が、分からないとは。
「分からん。なんだ?」
「え~、分からない~?」
よいしょ、と膝の上にのっけたお弁当を横にどけて、彼女は立ちあがる。
僕の目の前に、彼女の股間部分が現れる。
青色のTバックショーツ。これが、スカートの隙間から見えればなあという妄想が一瞬浮かび、悲しくなって辞めた。
「これで分かったでしょー」
「……パンツが変わってるのか?」
「そーだよ。よくわかったね」
というより、常識すぎて分からなかった。
さすがにパンツを毎日変えていないのはドン引きする。
「そうか。よかったな」
ふう、と僕はブラックコーヒーに口を付ける。
どうすれば女生徒にスカートを履かせられるのか……計画は一からやり直しだ。
「ちょっとそれだけー?」
しかし、芦田の声で思考が中断される。
「何なんだ?」
うんざりとした顔で返答すると、彼女はふふん、と得意満面で僕に言い放った。
「これ、四万九千八百円で買ったものなんだよー。見たことあるでしょ、モリモトブランドのTバックショーツ! 大人っぽいエレガントな一品なんだよ」
「……そうなのか。良かったな」
僕はカツサンドを頬張りながら、再び思考を再開する。
いっそのこと、生徒会長にでもなって、校則を変えるように訴えるか……しかし、それは弱虫を演じている仮面を脱ぎ捨てなければならない諸刃の剣だし、女生徒が素直に従ってくれるとは思えんな。
「ちょっと、狭山君! 無視しないでよ!」
「何なんだ、さっきから」
「狭山君がパンツ嫌いって言うから頑張ったのに」
「どういうことだ」
「超一流のパンツを着ていけばパンツ嫌いもなくなるかなって。食わず嫌いかもと思って」
「……それは悪かったな」
正直、そんなことよりスカートをはいてもらいたい。彼女に一人だけ目立つのは嫌だ拒否されていた。
「というより、皆から注目浴びるかと思ったのに! 全然皆気がつかないし!」
お前に興味がないからな。
そういうのは可哀想だから、無難に僕は答えた。
「まあ、松矢の件があるからな。仕方ない」
「松矢さん、かあ」
ふと、芦田が真顔になって、ぽつりと呟いた。
「本当に、松矢さん、お金盗んだのかなあ」
なんだかんだ言って、彼女は善良な心があるのだろうか。
あれだけ苛められた松矢を、心配しているようである。
おめでたい頭をしている――まあ、そこは少し、好感がもてるけど。
松矢は財布を盗んでいない。
浅井まどか。クラス内では地味で大人しめの女子であり、眼鏡をかけている。いかにも文系と言った感じだった。今日のパンツは、無地の真ん中にピンクのリボンが付いているというものだったと記憶している。
彼女が、財布がないと騒いだと聞いている。
体育の時、貴重品は貴重品袋に入れて先生に預けられることになっている。なのに、何故か彼女は二万円の現金が入っている財布をロッカーに入れたのだというのだ。
しかも、うっかりロッカーの施錠を忘れていたと。
おかしな話だ。
なのに、ろくに検証もされないのは、偏に松矢の日頃の行いが悪かったからだ。彼女なら、そんなことをしても同然だと思われていたのである。
もしこれが吉野ならば、「そんなことあるわけがない」と言ってくれる人間が絶対に出てくる。
ある意味自業自得だ。
浅井も恐らく、松矢に何か恨みがあったのだろう。
僕が関わることではない――そう、思っていたのだけど。
しかし――僕は翌日より、松矢の無罪を証明するために奔走することになった。