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 日直の仕事を終えてから、僕は帰路についた。


「何かしら、いいアイデアがないものか……」


 僕はまだ、この世界にスカートが流行らす方法を模索していた。

 がたんごとん……電車に揺られながら、頭を巡らせる。きっと、何か、良い方法があるはず……朝から考えてみても、一行に思いつきはしなかったけれども。

 ふと――思考が中断された。

 丁度、帰宅ラッシュで会社員が増えていく時間帯だ。すし詰め状態である。

 僕から、数十センチほどの距離でつり革に掴まっているOLが、もぞもぞと動いている。顔を赤らめていて、涙目になっている。

 涼しげな網タイツのストッキングに、黒のショーツを履いている。そのお尻から太ももまでも、まさぐっている手があった。


 痴漢だ。

 実にくだらないことをしていると僕は心の中で嘆息した。 


 僕は変態だ。

 だが、変態にも格というものがある。

 露出魔や、下着泥棒など、人に迷惑をかけるのは二流以下だ。

 一流は対象物に神秘や芸術性を見出すものである。


 僕だって、パンツとスカートの隙間の匂いを嗅いだり、指で触れてみたりしたいという欲望がある。

 しかし、やらない。何故か? 犯罪になるからじゃない。その女性の心に、邪悪な影を落としてしまうからだ。そうなるとどうなるか? 男性不信になったり、心を閉ざしてしまうかもしれない。その人の未来を、奪いかねないからやらないのだ。


 YESロリータNOタッチは、なにもロリコンに限った話じゃないのだ。

 現代社会で変態は、どうあっても生まれてしまう。性癖は治らない。だから、この社会で生活したいというならば、それこそ頭の中で処理しなければいけないことだった。

 欲望を他人の迷惑を顧みず発散するなんて下衆だ。

 そもそも、女性のお尻を合意なしに触るなんて犯罪行為だった。

 こう言う奴が僕たち変態の肩身を狭くするのだ。


 さて、この痴漢野郎をどうしてくれようか――と僕は思ったわけだが。

 世の中には、色々な人がいる。

 一見、痴漢行為をしていても、合意があれば別の話になる。

 これもプレイの一環かもしれない――そう僕が思い至る理由があった。


「やめてください!」


 突然、OLの人が大声を上げた。後ろにいる、会社員のおじさんに向かって。おじさんはきょとんとして、「何か?」と面食らって尋ねる。


「お、お尻、あたしのお尻を、触っていたでしょう!」


 よっぽどの勇気を振り絞ったのだろう。女性の声が震えている。


「な、い、いや! そ、そんなことしていない! 濡れ衣だ!」


 どうやら僕の推理は違ったようだ。プレイではなく、痴漢行為。それならば、取るべき行動は決まりきっていた。


「違います」


 彼らの側に居た僕は、すぐさま否定して、手を挙げた。先ほどまでOLのお尻を撫でまわしていた人の手を掴んで。


「彼女のお尻を触っていたのは、この子です」


 ざわり。

 周りの視線が、否が応でもその子に注がれる。女子高生だったからだ。

 信じられない、といった表情で僕を見る女子高生。おっとりした顔をした、大人しそうな女子だった。

 あ、と僕はその顔を見て思い出した。


 クラスメートの芦田未来だ。たしか、松矢里奈の友人の一人だったと記憶している。彼女らのグループの中で、一人だけあまりしゃべらず、うんうんと頷いている女生徒だった。パンツも派手な物ではなく、若干大人しめの、フリルの付いた薄いベージュ色のものであった。


「狭山君……っ」


 思い切りキョどる芦田。

 たとえ女子同士であっても、痴漢は痴漢だ。罪は償わなければならない。


「彼女が、このおじさんの後ろから、OLさんのお尻を触っていたのを僕は見ました」

「ち、ちが――」


 彼女が定型通りの反論をしようとするのを、即座に封じ込める。


「動画も撮っておきました。ご希望ならば、裁判で証拠として提供できます」


 スマホをOLに見せる。その画面には、芦田がOLのお尻を揉みしだいている映像が流れる。彼女はおじさんの横から、するりとOLのお尻に手を伸ばしていた。念のために、撮っておいたのだ。


「え、ええと……?」


 あまりの事態に、OLはちょっとパニックになってるようだ。まあ、無理もない。自分のお尻に興味がある人が、まさか女子高生だなんて、だ。更に芦田は見かけは真面目そうな感じなので、猶更だろう。

 やっぱり、世の中には色々な性癖があるのだなあ、と思ってると――


 電車が滑らかに停止した。駅に着いたのだ。「ご乗車ありがとうございます」から始まる駅員のアナウンスが聞こえたその瞬間、彼女は僕の手を振り払った。


「しまった」


 彼女は小柄な体形を活かして、満員電車の中をするするとかいくぐっていく。

 僕も急いで電車から降りたが、もう彼女は階段を下りていっている。

 僕も追いかける。彼女を逃すわけにはいかない。


 彼女は再び、痴漢行為を行うはずだった。間違いない。一度過ちを犯した人間は、何度でもやるのが通例だった。ここで逃してしまえば、更なる犠牲者が出る恐れがある。 

 階段を上がっていくと、改札口を出る芦田を発見する。


「くっ――」


 大人しそうな顔なのに、案外足が速い。

 しかし、僕だって負けてない。

 いつか下手をこいて、警察に追いかけられる時の為に、足は鍛えてるのだ。

 そもそも体力的に、男性と女性の差がある。


「はあ、はあ、はあ……」


 路地から路地へ、狭い道から狭い道へ……ようやく、芦田の足が止まったのは、雑居ビルの駐車場だった。

 全く、手間をかけさせてくれるな……僕は息を整えて、彼女に尋ねた。


「芦田、何で逃げるんだ?」

「だ、だって、痴漢って、現行犯じゃないと逮捕されないんでしょ?」


 もう安心だと思っているのか、彼女はべらべらと喋った。

 そんなわけがない。

 僕は呆れた。逃げるからには、何かしらの考えがあってのことだと思っていた。こんなことなら、あのOLに被害届を出してもらえばよかった。


「……芦田。痴漢は、犯罪だ。犯罪が、現行犯でないと逮捕できない決まりはない」


 痴漢は、逃げ切った場合は起訴されないことが多い。証拠がない事が殆どだからだ。

 だが、今回は、明確にその証拠がある。

 このスマホの中に。


 あの女性が被害届を出し、僕がこのスマホのデータを提出さえすれば、彼女に逮捕状が発行される。

 だからこそ、僕は動画で撮影したのだった。彼女を、とことん追い込むために。

 息を呑む芦田。


「馬鹿な事をしたな」


 これで芦田の人生はほぼ完全に終了だ。未成年だから前科はつかないが、親にも、学校にもそれが知れ渡ることになるだろう。


「黙ってて!」


 彼女が僕の手を掴んだ。


「お願い! 狭山君! 何でもするから!」

「断る」


 女性は僕にとって天使ではあるが、性犯罪者は別だった。


「お願い!」

 彼女は、僕の手を、そのこぶりな胸に押し当てた。

 ……何をやってるんだ。

 僕は盛大にため息を吐いた。僕がそんな男に見えるのだろうか? 

 僕はその手を振り払って告げた。


「君が取るべき道は、鉄道警察に行って、自白するのみだ」


 そうすれば、いくらかは罪が軽くなるだろう。


「このまま逃げ出して、後日に逮捕となれば最悪だぞ? 逮捕後、検察官に送致される。ここで、検察官が証拠を隠すような人間と思われてしまったら、勾留される恐れがある。勾留というのは、警察署内での留置施設に閉じ込められることだ。最大で20日間。それから、迷惑防止条例違反か強制わいせつ罪違反かで変わってくるが、もし強制わいせつ罪違反をうけた場合は、未成年でも裁判を受けることになる」


 この世界、下が下着だけなのだから、むしろ強制わいせつ罪違反しかない恐れもある。

 それ故に、自白を促したのだ。

 彼女の目から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。

 今更泣いても遅いのに。


「だって、わたし……こんな大事になるなんて……」

「変態は誰でもそういうものだ」

「わた、わたしは変態なんかじゃ……! 痴漢なんて、するつもりなんてなかった……」


 何を言ってるんだ、お前は。


「ばっちり証拠が残っているのに、まだ言い逃れをするつもりなのか?」

「だって、松矢さんが……」

「未来!」


 後ろから、声が聞こえてきた。

 振り返ると、鬼の形相で僕を睨んでる松矢が居た。

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