来た
(はやく行かねば)
(急がねば)
それは長い旅をしていた。
昼夜問わず歩き続け、
くたくただった。
(腹が減った)
「……!」
「どうした、比呂。」
神主にかけられた声に、比呂は何かを言おうとしてやめた。
比呂と神主は、村の畑で芋の収穫を手伝っていた。
比呂は、掘り出された芋を集めて籠にいれる作業をしている。
なんだか頭山の方向が気になった。
たしか、青柳の家は頭山の近くだ。
あの灰色の小鬼は今そこに住んでいるという。
(きっとアイツがあっちにいるから…。)
比呂にはおかしな能力がある。
物心つく頃から、他人の身体を覆う色が見えた。
それは、緑や、黄色や、赤、白とたくさんあった。
人の心の色だというのは、いろんな人を見ているうちにわかった。
色によって、危険なものもあるとわかった。
暗い色合いは良くない。
黒は、一番嫌な色だった。
死の色だ。
それを纏う者たちは、人を傷つけた。
比呂の両親も殺された。
だから比呂は、黒を纏う者には近づかない。
恐ろしいし、憎んでいる。
黒朗は、今まで見た者の中で一番黒い者だった。
あれは実は昔話の魔王というものかもしれない。
「具合悪かったら休んでいいんだぞ。」
「うん。」
神主は手ぬぐいで汗を拭いながら比呂に言った。
数日前、比呂が気を失い目を覚まさなかったのを、神主は心配している。
神主の纏う、あったかい橙色に青色が混ざっていて、比呂は申し訳なく思うけれど、その心配の青の色を嬉しくも思った。
(なんだこれ?)
草むらでキラリと輝くものに近づくと、それは小さな赤い石だった。
そろそろと拾い上げてみる。
(丸いな…卵…じゃないよなぁ。…とりあえず持っておくか。キラキラして綺麗だし、村の誰かに売れるかもしれねぇ。)
青柳は懷から、小袋を取りだし、それに放り込んだ。
よく見ると、点々とその小石は落ちている。
ちょっと気味悪く思いながらも拾い、顔を上げた。
「あ」
(やばい、アイツどこ行った?)
周りに編み笠かぶった灰色の小鬼の姿が見当たらない。
今日は、黒朗が薬を持って村に行く日だった。
どうせ売れないだろ、と青柳が言ったが(村長命令の付き添いが面倒くさかった)、黒朗はスタスタと小屋を出てしまったのだ。
(寝てたかった…。)
「わはッ!」
ため息をついていると、甲高い笑い声を上げながら、3人の男たちが青柳の左手にある藪から現れた。
「おい、寝グソ野郎がいるぜ!」
「今日は珍しく寝てね。」
村の青年たちだった。
太めの中背の男とほっそりした男と赤く日に焼けた大男だ。
ゲラゲラと笑っている。
青柳は顔をしかめた。
青柳が気に食わないらしく、会うたびにぐだぐだ文句を言うのだ。
青柳は基本的に引きこもりの怠け者だ、そして余所者だった。
そんな風に邪見に思う人間がいるのはおかしくない。
(余計なお世話だ。どうやって生きるか死ぬかもオレの勝手だ。…まぁ、コイツらの場合、ただの憂さ晴らしだろうけどなぁ。)
他の村人にも絡んでいるところを見かけた。
年下だったり、大人しかったりと自分より弱い立場の者をだ。
強い人間には、驚くほど爽やかだった。
気持ち悪い。
「…だから、月ちゃんに相手にされねーんだ。」
「ア?!なんつった?テメー!!」
青柳の胸ぐらを掴んだ中背男は、顔を真っ赤にして怒った。
「月ちゃん」は、男が気になっている少女である。
艶やかな黒髪で鹿のようなつぶらな目をした美少女だ。
その彼女の前では、爽やかぶって、気を引こうとあの手この手でしかけているのである。
そんな猪のような突進を、月ちゃんはサラリとかわしていた。
青柳は月ちゃんを尊敬している。
「しかも、月ちゃんだと?!馴れ馴れしく呼んでんじゃねーぞ!?貧弱野郎が!!」
「てめえは、豚だ。食いすぎなんだよ。…よっ!」
「!!」
青柳はあっという間に男の腕を外し、その身体をトトッと駆け上がり、近くの木に飛び移った。
「降りてこい!!寝グソ野郎!!」
「うっ、るせー!ケンカしたら村長に怒られんだよ!」
「ハッ?!ほんとテメー、村長の犬だな!」
中背の男は、顔をゆがめて笑った。
「行き倒れてたの村長に助けられたからだろ。…もう行こぜ。」
ほっそりした男が言う。
もう一人の大男もうなずく。
激しく何度も舌打ちしながら、中背の男は捨て台詞を吐いた。
「ハッ!どうせあの女とヤッてるからだろ?」
「?」
「あんな年増の何がいいんだろうな!」
「!!」
「アソコの具合がいいのかねぇ~!?」
「…何?」
地面に降り立った青柳の顔は怒りで歪んでいた。
「余所者なんかより、オレたちの相手してほしいもんだぜ。村長なんだかガッ!」
「…黙れ。」
青柳は男を蹴り倒して馬乗りになり、男の両腕を足で踏みつけ、その口に手に持っていた袋を突っ込んだ。
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ!!」
赤い小石が入ったそれを飲み込めとばかりに喉奥にぐいぐい押し込む。周りの石も土も草も手当たり次第に押し込んだ。
「村長に何だって?あ?身のほどを知れよ豚野郎死ね!!」
「グ、…ガッ!…ンガッ!……!!」
男は呼吸が出来ずのたうち回るが、青柳の押さえつける力が強くて逃れられない。
周りにいた二人の男が慌てて引き離そうとしたが、男以上に青柳は暴れる。
絶対に男の口に押し込むのをやめない。
このままでは男が死ぬと焦っていた時、編み笠が目の前に現れた。
『…いけない。』
灰色の小鬼が、青柳の腕を掴んでいた。
青柳はその手を振り払おうとしたが、ピクリとも動かない。
イラついた青柳は、黒朗を睨み付ける。
その顔を鬼のようだな、と黒朗は思った。
目が怒りでギラギラとしていた。
「うるさい黙れ離せコイツもお望みなんだよ、身体中全部つぶす特に股間はひき肉ひき肉…!!」
『……。』
もがく男を黒朗は見た。
男は涙目で必死に首を振っている。
『………。』
「ひき肉ひき肉ひき肉ひき肉ひき肉ひき肉ひき肉
ひき肉ひき肉ひき肉ひき肉…!何しやがる!」
黒朗は青柳を男からべりっと引き離した。
そしてその腰を両手でつかむと、空高く放り投げた。
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ?!!!」
「「エッ?!」」
豆つぶのように空に吸い込まれる青柳。
…戻ってこない。
「「エエッ?!」」
青柳は気がつけば、雲の上にいた。
(すげ…)
紺碧の空にうかぶ太陽、
雲海の下に見える山々、
果てしない大地、
その大きさに圧倒された。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ?!!」
「「アア!!」」
空から降ってきた青柳を、黒朗はひょいと跳んで両手で受け止めた。
青柳は汗だくでガクガク震えている。
「…何で投げた?」
ほっそりした男が顔をひきつらせながら黒朗に尋ねた。大男もうんうんとうなずく。
『……たかい、たか~い。』
小さな鬼が無表情に言いながら、青柳を上へ下へと振る
『…人間が泣いた子供にやってた。笑ってた。』
「そっ、そか。」
(誰がッ、喜ぶか、ふざ! 死ぬ、オレ死んだぞ、クソ鬼!!)
声が出せず心で罵倒する青柳。
空からの眺めは素晴らしかったが、落下の恐怖は最低だ。
「とっ、とりあえず、帰ろかな?…行くぞ!!」
ほっそりした男は大男に中背男を抱えさせ大慌てで去っていった。
『…オレたちも行こう。…?アオヤギ、どうした?』
(オマエのせいで、身体、動かねーんだよ!ほんとふざけんなよ、くそがッ)
『…仕方がないな。』
黒朗は背中に背負っていた薬箱を下ろし、青柳をおんぶすると、薬箱を前に抱えて歩きだした。
(ありえねー、何だよ、これ、あー、何で鬼に背負われてんの、あー、つーか、あの豚、今度あったら…殺す。)
(……。)
(……。)
「…オマエの身体あったかいな。」
青柳が黒朗の身体に直にさわったのは初めてだった。
水竜は冷たかったし、森の精霊は何も感じなかった。
黒朗は石っぽい肌なので、温かいものとは思っていなかった。
『…オレは、火山で生まれたから。』
「…は?…火山からって…あんなところから生まれるヤツもいるのか…」
(いや、不思議じゃないよな。化物は、どっからでも生まれるって聞いた。)
異形のモノは、万物に宿るという。
赤い溶岩からどろりと顔を出す鬼を思い浮かべた。
(怖ッ?!やばい!!)
「…オ、オマエ、身体、溶岩でできてるからあったかいの?溶岩口から出すの?」
『…出す、時々。』
黒朗は、口元からプッと吐き出した。
キラリと輝くそれを手にのせて、黒朗は言った。
『…腹が膨れると、時々こうやって出てくる。』
「……。」
手のひらのそれに、青柳は見覚えがあった。
赤い丸い小石を、いや、吐瀉物を、ぽいと黒朗は放り投げた。
「…それが溶岩?熱くないだろ、それ。」
『…よくわからない。』
「オマエ、そんな訳のわからないものをそこら辺に捨てるなよ。もし他のヤツに害になるモノだったら大問題…」
そういえば、その訳のわからない吐瀉物を、さっき誰かの口に入れたことを思い出す。
…大量に入れた。
「問題ないな。」
『…そうか?』
「ああ、全く問題ない。」
青柳は実に爽やかに笑った。
(あぁ、うまい)
(うまい)
ぐちゅり
ぐちゅり
ぐちゅり
たくさん食べて、
少し眠ろう。
そうしてまた、進むのだ。