契約の結婚
“わたくしと、結婚いたしましょう。”
紅羽は、己の額に手を当てた。
柔らかな何かが触れた場所に、触れた。
美しい女の姿をした魔物は、紅羽を見て笑っている。
先程まで、確かに在った激しい敵意が見当たらない。
そして、代わりに現れたのは---
「「「けっこんンンンン---?!!」」」
「「「女神が、クレハと」」」
「「「けっこんンンンン---?!!」」」
「「「いやぁアアアアア---!!」」」
「「「夢だ、夢だ、夢だアアアアア!!」」」
絶叫、熱狂、阿鼻叫喚---。
額を片手で押さえたまま、ぐらり、紅羽はよろめいた。
紅羽を支えていた、黒い牛頭の男、コレウセが低く鳴いた。
【だ、大丈夫かよ?クレハさん…。】
「…大丈夫だ。」
そう言って、紅羽は己を支えるコレウセの太い腕を軽く叩いた。
【でも、】
赤髪の青年は、灰銀色の髪の女を見た。
躊躇いがちに唇を開く。
「…オレに、何をした?」
「なにも?結婚の申し込みをしただけですわ。」
「ッ…」
紅羽は口をぐぐっと引き結んだ。
汗がダラダラと垂れ落ちる。
【クレハさん?!顔色悪すぎるよ!!帰って寝よう!そうしよう!!】
着物を引っ張る黒牛に構わず、紅羽は女を睨み付け口を開こうとし、
「あと、口付けをいたしましたわね。」
「ぐぬッ!」
【うわアアアア?!赤?!!】
「…あ、」
女の花びらのような唇に、白い指先が触れる。
「やはり、こういう時は、唇と唇のほうが、愛を伝えるに相応しかったでしょうか?」
「-----!!」
【血がアアア---?!!クレハさん---?!】
「「キャアアアアア---!!」」
「「イヤアアアア-----!!」」
「「女神から離れろクレハ---!!」」
膝をついた紅羽は、荒い息を吐きながら、口元の血を拭う。
茶色の目が、悪鬼羅刹の様相な群衆を見て、ガラディーを見た。
「…もう一度聞くぞ。オレに何をした?ここに住む人間やコレウセの言葉が、オマエの言葉が、急に理解出来るようになった…。わかりたくなかったがなッ…!」
ガラディーは、青銅色の目を瞬かせた。
「あら、そんなことが…。わたくし、あらゆる生き物と話せる能力があるのですが…、先程、婚約してしまったからでしょうか?」
「こっ」
「先程の口付けは、そういうものなのです。あなたが、わたくしのモノであるという印なのです。あなたとわたくしを繋げてしまいますから、きっと、あなたにわたくしの能力の影響が出たのでしょう。…お話できるようになったのなら、嬉しいわ。」
ガラディーは笑った。
「…印か…、なるほどな…」
紅羽は、ガラディーを睨み付けた。
化け物が、人間に付ける印、それは、その人間が己の獲物であるという意味。
「オレを喰らうということか…。」
「「「「喰らう---?!!」」」」
「「「イヤアアアアア--!!女神---?!!」」」
群衆が、沸騰した。
「「うらやま…、死ねクレハアアアアア--!!」」
「「クレハ様に手ー出すなんて絶対ダメエエ--!!」」
【喰われるのが、うらやましい?って、意味わかんねェ。】
コレウセは、黒い牛頭を傾げた。
(………面倒なことになった……。)
虚ろな目を群衆に向けていた紅羽は、その合間に白い大虎の姿を見つけた。
その側に、黒い影がひそりと立っている。
一本角の黒鬼だった。
群衆たちは、全く気付いていない。
いつもならば、その姿を見かけただけで恐れおののいているのにだ。
黒鬼は、虎の背にうつ伏せで転がっている黒髪の少女を眺めていた。
青柳の側でとぐろを巻いていた水色の蛇は、いぶかしむような顔をして、黙って突っ立つ黒鬼を眺めている。
白虎も、立ち止まり、首だけ振り返って黒鬼を眺めていた。
(青柳…、無事だったか…)
紅羽は、内心で安堵する。
あの時、紅羽の部屋を訪れた黒鬼がふいに呟いたのだ。
青柳が、ドウテイをもらってほしいと誰かに願っているらしかった。
意味が解らない。
黒鬼が、そこにいない青柳と意志疎通ができるのも不思議だったが、そういう術は、あるからいい。
春風なんか、毎日毎日、家族に送って鬱陶しがられているのを知っている。
だが、青柳の言葉の意味は摩訶不思議なものだ。
青柳は女だったはずだ。
そうだったはずだ。
気のせいだっただろうか。
さらに聞けば、それは、
“あれはだな、紅羽の童貞をもらってほしい!ってヤツだッ!”
(黒朗に連れられた先に行ってみれば、魅了の術にかかった上に、訳の解らんことを…)
“紅羽は明日にも死んじまうかもしれやしない!オレに何が出来るのか?!悩んでいたそんな時、あの美女に出会って、オレは閃いたッ!これだー!って!もう童貞をもらっていただくしかないと!!”
(…………美女?)
紅羽は眉根を寄せ、目の前にいる美しい魔物を見た。
黒鬼は、石のように、ぴくりとも動かない。
眠る人間を、青柳をじっと見ていた。
身体にも、服にも傷ひとつなく、健やかな寝息を立てて眠っている。
大虎の七色に艶めく白毛に、青柳は身体をうずめ、その両手は、白毛をひしと掴んでいる。
よだれをたらした顔で、にへ、と青柳が笑った。
『………………』
鬼の黒い指先が、青柳の背中の着物に、つっと引っ掛かる。
「ドフャ!!」
青柳の身体が、白虎の背中から落っこちた。
「ぐあああアアアアア---?!!」
顔面を押さえながら、青柳は地面を転がる。
「なッ!なんだ?!!あ…」
一本角の黒鬼が、赤い目で青柳を見下ろしていた。
「黒朗?ここは?」
キョロキョロと辺りを見回した青柳は、ハッとした表情を浮かべた。
「そうだッ黒朗!!てめえ!!よくもオレを見捨てやがったなッ!!」
『……なんのことだ。』
「オレがムチムチの絶世美女に誘惑されてた時のこ」
青柳の身体が、宙へとぶっ飛んだ。
「なッ?!」
ぶっ飛んだ先、黒と白が伸びてきて、交わり、青柳の身体を包み込む。
引っ張られ、落ちた先で、青銅色の目が青柳を見下ろした。
(う)
青銅色の目の奥で、金色の獣が舌なめずりをしている。
「ムチムチ鰐美女オオオ-----?!」
ガラディーの、生き物のように伸びた黒と白の衣に包まれ、青柳はガクガクと震えながら叫んだ。
「ガラディー、と呼んでくださいな。」
「ひゃ!」
白い指先が、青柳の頬から喉を撫でていく。
「ああ、元の正常な身体に戻って良かったわ。もったいないことですものね。」
「ううぐ」
微笑みを浮かべる美しい女、いや、恐ろしい鰐に、青柳は、歯をくいしばる。
「ッ!!ふざけるなよ?!あんたには「ガラディーと」、助けられたが、オレを、喰おうって魂胆なんだろう?だから、絶対あんたに「ガラディーと呼んで?」………だから、絶対「呼んでくれませんの?」……」
青柳は叫んだ。
「ガラディー!!………………………………さまッッ!」
(これが、抗えぬ世の真理かッ!!)
悔しげに唇をかむ青柳の顔は、赤い。
周りにいた群衆が、動きを止めた。
そして、バタバタ、バタリと倒れ伏す。
「……救いようのないヤツだな。」
「紅羽!」
声を上げた青柳に、ふらり立つ赤髪の青年は半眼を向けていた。
「青柳が言っていた女がオマエか、ガラディー。帰れ、オレには不要だ。」
紅羽は、倒れ伏した黒い牛頭の男の身体を、剣の鞘で突いた。
【?!……あれ?!オレ…】
「コレウセ、アイツらを介抱してやってくれ。」
紅羽の指差す方には、倒れ伏した人間の山。
【うわああ--?!一体どうしたんだ?!】
「さあな」
紅羽の目が、人間の山の先にいる黒鬼をとらえる。
赤い目が、ガラディーに向けられている。
見つめられたガラディーは、黒鬼を見ていた。
笑っていた。
青銅色の目に、憎悪を滲ませて。
花びらのような唇が、歪んで蠢き、ささやく。
【ジャージィ、カル…】
赤い
『ディポクシャジャラが、何の用だ?』
熱い
【オマエこそ、なぜこんな場所にいるのでしょう?しばらく見かけなかったのに、今度はここを破壊するつもりですか?】
苦しい
死んでいく
みんな死んでいく
生きていたのに
『ここはオレの国だ。破壊なんかしない。』
【オマエの国…?】
『そうだ。オレは、ここで王をやっている。』
ガラディーは、目を見張る。
【偽りをッ…!オマエにそんなことが出来るわけがない!オマエの性は知っている。わたくしは見ていた。わたくしたちは見てきた。オマエが、無数の命を消していく様を---。】
一本角の黒鬼が、立っている
なぜ殺す
なぜみんな灰にする
さっきまで
さっきまで
みんな
みんな
生きていたのに
【オマエは変わらない!永久に!それが…、】
死んでしまう
死んでしまった
ガラディ-の顔の前に、肌色のものがにょきりと現れた。
手だった。
翻った手が、ガラディーの白い手を握った。
黒髪と青い目の人間が、にやり、唇を上げ、ガラディーを見上げていた。
青柳は、握った手を掲げて、一礼をする。
異国の地の礼を---。
「どういう運命か、魔物と人がぶちこまれ、なんて悲劇か、残虐非道な黒鬼が支配する、ダノクトへようこそ、美しい鰐の美女ーー」
黒鬼の眉間にシワが寄った。
「さっ、参りましょう、ガラディー様。あんな鬼なんぞ相手にしてはいけません。」
青柳は、ふふんといった顔で、ガラディーの手を取り、歩き始めた。
【え?】
「アイツがクソ鬼なのは天地神明が知っております。平気な顔をして、友だちを死地に見捨てるクソ薄情な鬼野郎です。」
『……してない。』
「アア?!しただろうが!ちゃんとオレの目ー見て言えクソ鬼!魅了術解けた後、正気になったオレの絶望ときたら!!鰐様とクソ変態ジジイと三つ巴の最悪で死にかけたんだよボケ鬼がアア---!!」
『青柳が弱いせいだ。オレは悪くない。』
「なにいい-?!」
ガラディーの手を引いて歩く青柳の前を、黒鬼はすたすたと歩いていく。
ガラディーは、そんな黒鬼から青柳へと視線を移す。
「…どこへ行くの?」
「えっと、とりあえず……城?嫌みな感じの鬼の城に案内するよ。」
「嫌みな感じって、どういうことかしらそれ。フフフ。」
「待て青柳、そんな危険なヤツを連れて行くんじゃない。その女は、追い出すべきだ。」
白い大虎に、強制的に背中に乗せられて、青柳の後に続いた紅羽は、うつらうつらとしていく意識の中、言葉を発した。
「何言ってんだ、紅羽。…この国、危険なヤツらばっかりだろ?邪神に、巨神に、……王が、その頂点とくらァ。美女が居ても問題ないむしろ必要だね!」
そう言った青柳の目は、少し艶めいていた。
紅羽は、青柳の見覚えのある目にガラディーを睨み付けた。
「ガラディー…!オマエはまた」
「うふふ、わたくしの性ですわ。少しだけですわ、少しだけね。人間だって、姿、言葉を己の立場を有利にするために使うでしょう?知らないこの場所で、優しい友人が欲しいだけです。それに、安心してください。わたくしは、もう、この子と契約をする必要はありませんから。」
そう言って笑ったガラディーに、紅羽はむすりと口を曲げて黙った。
「…ところでさァ」
青柳が、後ろを振り返る。
「アイツら、なんなんだろう?」
「?」
青柳の視線の先には、子供がひとり立っていた。
緑色の髪の子供だ。
浅黒い顔と、黄緑色の目をしている。
肩まである髪の間からは、少し尖った耳がのぞいていた。
茶色い外套は、旅人のよう。
灰色の大蜘蛛が、子供の足元で走り回っていた。
(……オレを見てる?)
子供の視線が、どうも自分にぴったりくっついているようで、落ちつかない。
紅羽は、霞む意識の中、唸る。
(あれは、おそらく)
遭遇したことのある存在に、なぜと思う。
(長は、何を考えている。)
わざわざ無数の魔物のいる地へと足を踏み入れた。
(オマエも、何を考えているんだ。黒朗)
天敵を、なぜこの国に招き入れた?
「ええ?!結婚?!紅羽と?!してくれるのか?!すげえ-!!童貞とかそんなのもう…なんか、なんかッ!…ホントにホントに結婚してくれるのか?!」
(?!)
「ええ、そういうことになってしまって…、なんだか、恥ずかしいですわ。」
(---!!)
「結婚式だアアア---!!」
(?!?!)
言いたいことも、
沈んでいってしまう、
眠りの中へと。
〔おやすみなさァい]
白い虎は、ふわりとあくびをした。




