火の見舞い
氷色の髪の男が、砕けた黒氷と共に落ちていく。
青柳は崩れかけた白氷の上に立っていた。
赤い血にまみれ、息は細く、けれど男から目を離さない。
灰銀の巨鰐と黒い軟体生物の群と対していた、黒い大蛇の目が、ギュルリと男の方へと向く。
大蛇の身体が霧散した。
落下する男の身体を包みこんだ。
「……!!」
青柳は口を引き結んだ。
黒い霧が消え、現れた男の身体には、傷ひとつなかった。
男は、ふらっ、と大地に降り立った。
【…………】
そして、歩き出した。
青柳たちがいる場所とは、別の方角へと。
「…オ、い!てめ…どこに…!?」
【うるせえ~】
青柳のかすれ声に、男は振り返らずに片手を振った。
【弱すぎてつまんね~んだよ、カァーース♪】
「かッ」
青柳の口から、血が吹き出した。
(なに言い出しやがッ!突然現れて、襲って、それでつまんねーって、ふざけんなよ?!!変態ドグソジジイガアアアアアーーー!!)
怒髪天を突く青柳は、男をぶん殴りたい衝動に駆られる。
だが、身体は自由に動かず、震えるばかり。
するすると水色の蛇が、青柳の元へと駆けつけた。
【青柳!落ちついて!血が吹き出しちゃってるよ!アイツの言うことは気にしなくっていいんだ!潮流は昔から気分屋なんだよ!人を切れさせる天才だった!!懐かしいな~、アハハ!アハハ!】
立ち去る男の姿と、水色の蛇の嬉し気な声音に、青柳は歯をギリギリと軋ませた。
(コイツらろくでも、ねえな、こっちはな、笑いごとじゃ、ねーん、だッ、ぞ…、ふざ、んな…)
白氷が砕け、青柳の身体が宙に投げ出された。
その身体を水色の大蛇が包みこむ。
青銀色の燐光が、青柳の身体の傷を癒していく。
「おぼ、えてろ…」
少女の青い目は、閉じていく。
水色の大蛇は、小さく、そっと言う。
【ありがとう…、青柳…】
“水嘉多月は、オレの家族だッ!!”
“オレは許さない…、オレの家族を傷つけたヤツを決して許さないッ!!”
(君の不幸を、君の母の不幸を止めることが出来なかった僕なんかに、ね。君は言ってくれるんだねえ…。)
大蛇の青い目が、森へと向けられる。
もう見つけられない、もうひとりの愛し子へと。
【きっと…】
灰銀色の髪と青銅色の目をした女が、落ちてくる大蛇と少女に向かって、悠然とした姿で歩いていく。
それに、害意は感じない。
それの分身である黒い軟体生物の群れは、姿を消していた。
黒朗は、赤みを帯びた目を瞬かせた。
満月色を取り戻した目が、前方へと向けられる。
乾いた大地に、その歩みを進めた。
(青柳は、生きている…)
砂埃が、風にのってやってくる。
黄土色の大地が広がる。
青と緑の羽のような葉が繁る、曲がりくねった幹の木が、点々と顔を出すだけだ。
そこは、黒い鬼を王とする国、ダノクトの端の端、国の境界線に位置する。
オオオン…
風の吹く音がした。
オオン…
いや、
ブ、オオオーーーン…
薄紫色の長い長い首、木の幹のような首の先、無数の牙がのぞく先から、溢れる粘液と共にその音は出ていた。
大きな身体には、6本の太い足。
十数体ほどいる異形のいくつかは、足に襤褸となった人間の死体を絡ませていた。
[…◆*☆…]
空に首をもたげた一頭の身体から、桃色の翼が生えた。
ふわふわとした鳥のような翼だ。
バサリ、羽ばたき、曇天の空へと駆けていく。
ぶもん、
紫の異形は、宙で弾かれた。
もう一度進んで、また弾かれた。
もう一度勢いよく突っ込んだ。
[#§■※…!!]
そうすると、グシャグシャと異形の身体が小さくなっていき、消えてなくなった。
木々たちが、青い葉と緑の葉をさわさわと揺らす。
羽のような葉の中に、桃色と紫色の混じる葉が生えてくる。
ダノクトへと進んでいた異形たちは、木々たちが繁る場所へ足を踏み入れると、何もないところで身体を弾かれた。
そして、何度目かに、小さく縮んで消えていく。
木々が、風もないのに揺れている。
艶々しくと、揺れている。
木々や異形がいる場所から離れた場所に、
一連の顛末を見ている2つの人影があった。
「なんて素敵なんだ…」
うっとりとした声で呟いたのは、緑色の髪の子供だ。
浅黒い顔は弛み、黄緑色の目は潤んでいる。
肩まである髪の間からは、少し尖った耳がのぞいていた。
灰色の大蜘蛛が、子供の茶色い外套のフードの中から顔を出す。
鋼色の目玉で、辺りを見渡す。
「これは困ったな。」
金茶色の混じる黒い短髪に、黒い目、精悍な顔立ちをした男が、息を吐いた。
「来たはいいが、門番が話しも通じそうにない化け物とはな…」
「?ちゃんと話せますよ。」
「リンちゃんは、そうかもしれませんがね。」
「…潰してやろうか…。あの子たちは、ちゃんと会話できます。私たちに話しかけていますよ。」
「なんと言ってるんです?」
「“通りたいならば、我らの屍を越えていけ”と言っています。」
「…………」
男の右手から、左手へ金色の火波が跳ぶ。
跳ねた火の波が、いくつも、いくつも地に落ちて、
消えていく。
地の底から、音がする。
木々が、ざわめいた。
男と子供から少し離れた場所にいた異形の周りを、金色の炎が囲んだ。
異形の足元に、穴が空く。
赤く、時折黒くも見える炎が燃えている穴だった。
異形は、金色の炎に包まれた。
そして、穴へと落ちていく。
穴は、異形を吸い込むと、何もなかったかのように消え失せた。
地鳴りが、激しくなっていく。
「セキド!やめてくれ、彼らは自分の役割を果たしているだけだ…!それを、」
木々の葉が、はらはらと舞い散った。
「オレの前に立ち塞がるのが、気に食わないんでね。アイツらの理由なんて、知ったことじゃあないな。だいたい…」
男は嗤った。
「化け物に、生きる価値があるか?」
地鳴りが、止まった。
息をひそめたかのように、静寂な木々たちの間を、ひとつの黒い影が通る。
影は、男と子供の前までやって来た。
一本角の鬼だった。
黒い鬼だった。
火のように揺らめく髪も、そこからのぞく一本角も、肌の色も、纏う服も真っ黒の黒い鬼だった。
身に付けた耳飾りと首飾りの黒や赤の輝石より、あざやかなのは満月色の目。
赤い火が、揺れている。
『どうする?』
黒鬼は囁いた。
優し気な美しい少年の姿から、尋常ではない強者の気配がする。
今まで彼らが相対してきた異形とは、桁外れの存在。
『オマエの前に立ち塞がっているモノは、生きる価値のない化け物だ。』
「………」
『殺さないのか?』
「!!」
黒鬼の手が、男の身体を掴んだ。
男は術を使おうとした。
(使えない…?!いや、)
術の残滓が、金色の火の粉が、微かに散っている。
(ちがう!これが、コイツの)
男の足が宙を蹴る。
『オマエの無礼は頭にくるな。だが、遠くからやってきた来訪者を追い返すほど薄情じゃない。歓迎してやる。』
男の身体が、黒鬼の頭の上に浮かんだ。
座っていた赤い狼が腰を上げる。ととと、と部屋の中を歩いて、また座った。
炎のようなしっぽが、ゆらゆらと揺れる。
「!」
寝台の上にいた紅羽が、側にいた春風の着物を掴んだ。
「え?どうかし」
突然、部屋に衝撃があった。
春風の身体があった場所のすぐ前に、砂煙が上がっていた。
「…ハァー、やれやれ」
(え?)
聞き覚えのある声に、春風は目を見張る。
部屋の壊れた天井から、日が射し込む。
晴れた砂塵の奥に見えたのは、見知った人物だった。
「長?!!」
滅魔の五大家、火性の異能を操る比嵩一族の長、比嵩赤土が立っていた。
「ん?おお、春風、紅羽もいるな、それに…」
〈おかえり〉
赤い狼が尾をゆらゆらと振りながら言った言葉に、赤土は苦笑する。
「いい一体どうしたんです?なんでここに?!」
焦る春風に、赤土は片眉を上げた。
「決まっているだろう。」
赤土は、紅羽を見た。
「大事な家来が死にかけてると聞いてな、見舞いにきてやったんだ。ありがたく思えよ、紅羽。」




