起きて
黒い鱗の大蛇が、大口を開けて迫る。
螺鈿色の粘液の滴る牙と、真っ暗な口内が覗き見える。
その頭が、消えた。
【あなた…ほんとうに】
辺りを取り囲む黒大蛇たちの頭が、消えていく。
灰銀色の鱗に覆われた長い尾が、青い空を背にして、くねっていた。
尾が、花房のようにくわりと裂けて、閉じる。
【不味いわ…!】
巨大な鰐の口から、野太い声ががらがらと鳴る。
青柳の周りにある黒くてヌメヌメしたものが、震えている。
小さな音が聞こえる。
(どうなってんだ?)
巨鰐の下で、仰向けに転がっていた青柳は、身体を起こし立ち上がる。
黒大蛇たちの渦の中心から、笑い声が上がった。
氷色の髪をした男がいた。
(アイツは…)
魅了の術に頭をヤられた時に視界に入った、水色の蛇を掴んで笑っていたヤツだと青柳は思い出した。
(アイツは…)
青柳の心臓が早鐘を打ち、米神を汗が伝う。
笑う男は、視線をこちらに向けた。
片足をそれに振り下ろす。
【ひどいこといいやがるッ!オレが不味いのはオレのせいじゃアない…】
男は、大きく口を開けた。
鋭い牙の生えた口、真っ青な喉と長い舌。
【閉じ込められて、ろくなものが喰えなかったせいだ】
がぶり、
牙を立てる、
立てる。
口元を汚す、あふれて出てくるのは、
青く輝く血。
咀嚼する。
ーーー水色の大蛇の肉を
「ーーーーー!!」
(水嘉多月ーー!!)
黒大蛇に巻き付かれた水色の大蛇は、男に噛みつかれるたびに苦悶の表情を浮かべ、身体を波打たせた。
男の青い目が、青柳を見た。
にまりと笑んだ男の周り、宙に、音を立てて現れた黒い氷塊の群れが、青柳と巨鰐に向かって波のように押し寄せる。
【あら、まあ、】
青柳の周りにあった黒いものが、でろんぞろんと巨鰐と青柳たちの前に集まった。
黒いものたちは、青い湖の底から、どんどんやって来た。
それは、固まり、高い高い壁となり、突撃してきた黒い氷の大群を防いだ。
いや、
「呑み込んでる…?」
【のどごし、最低ーー】
氷色の髪の男は、青い目を細めた。
黒い氷波を呑み込んでいた黒い壁が、凍りつき始めた。
【得意だぜ、水気のあるヤツ操るの~♪】
【……わたくしを侵そうだなんて、1000年早い……】
甲高い音がした。
男の片眉が跳ね上がる。
凍りつき固まっていた黒い壁の一部が、元の姿へと戻っていく。
壁を這う、白金の燐光。
その黒い壁に手をつく黒髪の人間がいた。
青い目が、男を見上げる。
【へ~エ】
日の光に輝いて、青い水の玉が、ふわふわ浮かぶ。
その上にのっている水色の蛇が言っていた。
“あぁ!もう、青柳は、雑念が多いよ!だから上手くいかないんだ…、集中するんだ、君なら必ず出来るから”
“わかってる!オレは、天才なんだからな!出来るのはわかってるんだよ!”
“天才って、”
“こんなの、こんなのなァーー!!”
草原の上、青柳の身体から、白金の燐光がゆらりと立ち上り、丸くなり、そして、伸びてゆく、
“わかった!”
“そうかい、そうかい…ッ?!”
水色の蛇が乗っていた、水の玉に白金の線が浮かび、ぼしゃりと崩れた。
“なッ!!なッ?!”
落ちた草の上で、うろたえる水色の蛇に、青柳はにやりと笑い、両拳を握る。
“やったぜッ!!”
“青柳ーー?!!”
いつか、必ず復讐を。
青柳は御堂の術を学ぶ。
力が必要だから。
だから、考える。
考えるのだ。
学び、
そして、
その逆を考える。
御堂の破壊の方法をーーー。
決して、勝てない。
そんなことが、
許されない、許さない戦いに、
敗北しないために、考えるのだ。
黒い壁の氷縛が解ける。
貪欲な捕食者が、黒大蛇と氷色の髪の男の元へと迫っていく。
〔ねー、ねー、あのさ〕
黒い大蛇と男が、黒い捕食者に手間取っていた時、
青柳は、水色の大蛇の元に降り立っていた。
その横で、白い大虎が、ぷかぷかと浮きながら、青柳に声をかける。
「…………」
水色の大蛇の身体を縛める黒い大蛇の身体に、白金の線が走り、バラバラに散った。
〔オレ、どうしよっか?〕
「…………」
傷だらけの大蛇が横たわる。
〔治したげる〕
白い大虎から吹いた風が、通りすぎた時、小さな水色の蛇がいた。
傷は、もうない。
「………ありがとう」
〔そう?〕
白虎は、尾を振る。
〔でも、きみは戻らないね、さっきまでのきみに〕
「…………」
【青柳…、逃げて、早く…】
水色の蛇が、呻く。
【潮流は、きみを殺す気だ…。きみは潮流を殺したヤツとはちがう、別の人間なのに、もう、前とはちがう。ちがう…】
水色の蛇の青い目から、青い涙がボトボトと零れた。
「…………」
【おい、おい、おい~?】
青柳と水色の蛇の前に、氷色の髪をした男が顔を出す。
白い風と、水色の膜が、男と青柳たちの合間を遮る。
【水喜多月~、逃げたらダメじゃあね~かア!オレ、腹減ってしょうがね~んだぜ?かわいい、愛しい、子のために、身を削ってくれるのが、親ってもんだろう?】
「?これ、おまえの子供?」
尋ねた青柳に、水色の蛇は、こくんと頷いた。
【青柳もそうさ!御堂の子供はみーんな僕のいとし】
「あー、そういう、わかったーーー、ぺッ!!」
【ぺッ?!】
青柳は水色の蛇をひっつかみ、白い大虎の背に放り投げた。
氷色の髪の男の、青い目を睨み付ける。
息を吐く。
「アイツは、オレのだ。」
唸るように言った青柳の言葉に、
男の青い目が、螺鈿色に変わる。
【…おまえは、そう思ってたんだろうが…】
笑みを浮かべていた顔から、表情が抜けて落ちて、歪んだ。
【水嘉多月が、選んだのは、おまえじゃない。このオレだ。オレを選んだんだ。
それなのに、
それなのに、
おまえは】
「水嘉多月は、オレの家族だッ!!」
青く燃える目が、螺鈿色の目を睨み付ける。
「オレは許さない…、オレの家族を傷つけたヤツを決して許さないッ!!」
螺鈿色の目が、瞬いた。
ふらりと彷徨い、光を放つ。
【…おまえにッ、おまえに、オレが倒せるわけねーだろオオッ!!】
黒い氷が、男を覆う。
鋭い刃槍のような黒い氷が覆う。
黒氷の塊は、青柳を守る白風と水色の膜に押し寄せる。
「…フゥーーー、ウルだかなんだか知らねーけどよォ」
青柳は、片手を男に向かって上げた。
「黙ってくたばってろ、くそじじいイイイーーー!!」
青柳の身体を、白銀の氷が覆う。
丸みを帯びた氷塊が、黒い氷塊を押し返す。
【は?!じじいだと、てめええエ?!】
「アア?!ぜってえ、じじいだろうが、青い目は、100年に一度くらいしか出てこねえくらい珍しいんだろ?今は、オレしかいねえってさアア!てことはだ!てめえは過去のじじいだ、死に損ないのじじいだ!!じじいは、さっさと若者に全部捧げて、安らかにクタバレヤアアーーー!!」
【あアアアアアア?!なんてクソガキだ!!頭のワリイ、弱いてめえに生きる価値があんのかアアン?てめえが死んどけヤアアーーーーー!!】
「うるせえ、てめえが死ねエエエーーーーー!!!!」
黒氷と白氷は増えて、
半分黒く、半分白い球体のよう。
山のように大きく、そして広がっていく。
湖が、森が、凍りついていく。
(あんなヤツ、どうだってよかったんだ。)
御堂の一族は、母を殺した憎き敵、
(消えてしまっても、よかったんだ。)
その一族を造り上げた神などに、
やる心など、あるものか。
(でも、アイツ、)
水色の蛇は、
眩しいものを見るように、青柳を見る。
その青い目のなかに、在るものを、
青柳は見たことがあった。
“青柳が鬼に成っても、僕は気にしないけどね。側にいるよ。”
“そうなっても、僕は青柳を愛してるよ!”
愛しているよ
「…まえ」
【よ~、顔色悪いぜ、クソガキ?降参しろよ、そして、死んじまえよ。】
「…おまえだって!!きっと、今だって、水嘉多月は、おまえを愛しているのに!!」
【それがどうかしたか?】
螺鈿色の目を細めて、氷色の髪をした男は嗤う。
【オレの欲しいモノじゃあねエ】
「…知ってるよ」
青柳の白氷が、黒氷に蝕まれていく。
嗤う男の顔が、強ばった。
【?!】
青柳の指先が、男の胸に触れていた。
男と青柳の間に在った氷が消えている。
赤い血肉がのぞく、青柳の指先から、
白金の燐光がゆれ広がる。
男の身体に、網目のように広がって、
その身体がひび割れる。
黒い血が吹き出した。
【ア…、なッ…!】
砕けて消えていく黒い氷塊、
赤く染まった黒髪の人間は、こちらを見ていた。
自分と同じ色したその目は、
あの時とは、ちがう色ーーー。
(ああ、)
(見たことある)
(見たこと…)
(あんな…)
男の視界は滲み、闇へと落ちていった。




