鬼の呟き
「…童貞をもらってほしい、が、あなたの願い?」
美しい鰐の女は眉間にシワを寄せ、白い砂地に正座する青柳を見下ろす。
「オレの知り合いの紅羽が、もうすぐ死ぬかもしれないんだ。だから、紅羽と、ですね…。その、いちゃいちゃだけでも、いいかと思うんですが…」
「それが、あなたの願いだと?」
青銅色の目が、じっと青柳の青い目を見つめる。
青柳の奥底を見透かすかのように。
「そうだよ…、それでさ、アイツを、たくさん、たくさん愛して、ほしい。」
青柳は、へらりへらりと笑った。
「そしたら、きっと」
青柳の唇が開いて、
閉じて、
開いて、
閉じた。
「…どうしたのですか?」
鰐の女は、座りこむ青柳の前に膝をつき、青柳の顔を両手で包む。
少女の青い目は、虚ろ。
「あなたの願いを、本当のあなたの願いを言ってください。」
「願い、さっき、言ったよ?」
女は、首を振り、
「いいえ、あなたの心からの願いごとです。あなたが、命をかけるほどの願いを、…わたくしに、教えて。」
美しい花びらのような唇で、囁いた。
(オレの、本当の、願い…?)
【フッ、フへッ…!】
そんな青柳を見ていた氷色の髪の男は、片手に捕えた水色の蛇に顔を寄せて言った。
【あれをさァ?今殺りたい、すぐ殺りたい、なア?水嘉多月。】
【ダメだ!絶対に許さないぞ…、潮流】
水色の蛇の怒気に、男は嫌そうな顔をして、
けれど、笑う。
【ダメって言ってもなァ?アイツ、ソックリじゃねーかよ!むーりむりむりむり!我慢がさ、限界なんだよ!】
【あれは青柳だッ!!君の憎んだ相手じゃない!!】
男は、失笑した。
【理解してるよ?でも、あれ、殺したいんだよな。消したいんだよな。ーー少しなら、いいだろう?】
男の身体から、ずわりと黒い大蛇の頭が飛び出した。
大きな胴を持ち、螺鈿色の目を煌めかせた大蛇は、あたりの巨木よりも高く伸び上がると、鎌首を眼下の黒髪の少女へと一気に落とした。
【青柳!!】
水色の大蛇となった水嘉多月が、黒い大蛇に絡みつき、真珠色の牙でその頭を砕く。
だが…
【オレ、たくさ~~ん♪】
さらなる黒い大蛇たちが青柳を狙う。
その螺鈿色の目に宿るのは、凶悪な破壊衝動。
鰐の女の白と黒の衣が、伸びた。
ぶわりと大きく膨らんだそれは、襲いくる黒い大蛇を包み込んだ。
大蛇の頭が消え失せる。
布の膨らみから、ボギリバキリと音が鳴る。
青柳に寄り添う女は、青銅色の目を氷色の髪の男に向けた。
猛獣の目を。
(オレの、願いは、変わらない)
赤髪の青年がいて、
女がその側にいて、
幸せそうに笑っている。
(それが、いい。)
男と黒髪の女の間に、
子供が生まれる。
手をつないで歩いている。
幸せそうに、あの人は笑っている。
(ふ、)
もう、生まれない。
忌まわしく、
穢らわしい、
青い目をした子供は、
生まれないのだ。
(本当に、それがいい。)
微笑んだ青柳の、
目からひとつ、涙が零れた。
ふっ、と、あたりが薄暗く、
そうして、
青柳は、明るい日差しの下にいた。
雲一つない青空
緑の野原
つんと尖る草
桃色の花
ひょろりとした白穂の頭が、草波からのぞく。
どこからか、水音がした。
きっと、どこかに川がある。
美しい川が、あるのだろう。
そして、
そして、
青柳は、探した。
なぜか思った、きっとある。
懐かしい母と暮らしたあの家を、探す。
その青い目が向けた先、緑の野原と青い空の境目に、
黒いモノが見えた。
「?!」
黒鬼が立っていた。
一本角の黒鬼が、黄色の、満月のような目で、
青柳を眺めていた。
青柳は目をかっぴらいた。
「なんでオマエがここにいる?!」
鬼は、黙って青柳を眺めている。
「…え、と、あ、んー、夢か……オレ…いつ寝た?」
黒朗は、青柳に向かって歩いてきた。
草が、ざざりと身体を動かし、黒鬼に道を譲る。
青柳の顔がひきつった。
青柳の夢の中でまでも、黒鬼は魔王みたいなヤツらしい。
『…青柳。』
黒鬼が話しかけてきた。
「なっ、何だよ!」
『ドウテイをもらってほしいって、どういうことだ?』
青柳は目を瞬かせた。
(ドウテイ…?…どうてい…、童貞…、アッ!)
青い目が飴玉のように艶めいて、青柳は、にかりと笑った。
黒朗の目が、すーっと細くなる。
「あれはだな、紅羽の童貞をもらってほしい!ってヤツだッ!」
『紅羽のドウテイ…?……を?……』
「その通りだッ!」
青柳は得意気に胸を反らした。
「あの無口ヤロウ、絶対に女と付き合ったことないに決まってらッ!世の中の男共にとってそれは悲劇ッ!しかも、紅羽は明日にも死んじまうかもしれやしない!オレに何が出来るのか?!悩んでいたそんな時、あの美女に出会って、オレは閃いたッ!これだー!って!もう童貞をもらっていただくしかないと!!できなくても、美女といちゃいちゃすることができるんだ!!男として本望!そうに決まっているッッ!!」
『…何を言っているのか、意味がわからないな。』
「オマエッ!!男のくせにわからないのかッ?!」
黒鬼は、ふぅと息をついた。
開いた唇の奥は赤熱色、その息には、火の気配。
『オレにわかるものか…。それに、ドウテイの意味がわからない…、…ん?…そうか…』
そう呟いた黒朗の姿が、周りの景色がふいに朧気になる。
青柳は気付かずに、高らかに叫んだ。
「童貞は、女と交尾したことがないヤツのことを言う!紅羽なんか、絶対ないに決まってーーーーー」
そう言う青柳の顔が、
むぎりと大きな白い手に掴まれた。
「……それのどこが悪い?」
「?!!」
赤い髪をした青年が、青柳を見下ろす。
「青柳の気持ちは、ありがたい。」
紅羽の目が、火のように燃えていた
赤い髪も、燃えていた。
「だがな、青柳…」
青柳の顔にかかる手の力が、どんどん、どんどん強くなっていく。
「余計な世話だ。」
「グッ(イ)!!」
(ッツテエエエーーー?!夢なのに!!紅羽がいらあ?!魔神がッ!!ゲ!つぶれッ!)
「しかも、その無様な姿はなんだ?魅了にやられたな?未熟者。だいたい…」
(?!)
紅羽の身体から、赤い炎が吹き出した。
「どっ、同衾など」
(?!!)
火の魔神の顔が真っ赤になり、
「夫婦となる女としか…、惚れた女としかするつもりはない…!」
青柳の身体は炎に包まれた。
(ギャアアアアアアアアアーーーーーー?!!)
赤い炎の中、苦しむ青柳の身体の中から、
黒い滴のようなモノが浮かび上がり、消えていく。
虚ろだった青柳の目が、瞬き、炎を纏う紅羽を見上げた。
(夢じゃねぇ、祓われたッ…!!)
今いる場所は、現実ではない。
けれど、赤髪の青年の力は本物だ。
青柳の目に、遠くにいる黒鬼の姿が映った。
(……このや)
「てめェの仕業かアアアーー??!黒朗ーーーーー!!」
黒朗の黄色い目に赤い火色が揺らめく。
一本角の鬼は、優美な笑みを浮かべた。
『青柳が、悪い。』
あたりが、薄暗くなっていく。
紅羽の姿が、青柳の身体で燃えていた炎が消えていた。
黒鬼の姿が、薄闇の向こうへと消えていく。
顔も見えなくなって、遠くに、赤い稲妻が落ちるのが見えた。
『そういえば、青柳は、生まれてきたくなかったんだな。』
「……!!」
顔を歪めた青柳に、黒鬼はいつも通りの声音で言葉を並べる。
『だが、青柳が死ぬことはもう出来ないぞ。』
「…あ?」
『オマエが死ぬと、世界が終わる…』
「あ???!」
『かもしれない。』
「オ」
『だから、身体には、くれぐれも気をつけてくれ。』
あたりが、薄闇に包まれた。
(ちょっと待てエエエエエーーーーー!!)
魔王な黒鬼の気になりすぎる台詞。
「説明をーー!!」
口に上りかけた言葉を、青柳は呑み込んだ。
青柳は、黒くヌメヌメとした液体の上に仰向けになっていた。青柳の上には、灰銀色の巨大な鰐が居て、そのまた上、暗雲立ち込める空には、黒い大蛇たちがうねうねとひしめいている。
煌めく液体を噴出させた黒いものから、蛇の頭がボコリと生える。
大蛇が咆哮する。
巨鰐も咆哮する。
…戦闘中のようだ。
「し、死なないように、すんのかよ?」
青柳は、半泣きで呟いた。




