麦色
老人は、日に焼けた顔を引きつらせた。
その丸眼鏡に映るのは、後ろ足で立ち上がっている茶色の大きな鼠だ。
ただし、人間の赤ん坊くらいの大きさで、
その大鼠が老人の前に立って動かないのだ。
突然、街の隣人となった、魔物の類いだろう。
大鼠の背にある、クセのある黒い鬣は広がったり、縮まったり、忙しない。
黒くて丸い大きな目は、老人の持つ物をじっと見ていた。
老人の店に置いてある籠や、小物入れなどには目もくれない。
ただただ、老人が造っている麦藁帽子を凝視していた。
吐く息が非常に荒い。
黒い鼻先から伸びる長いひげが、ピクピク動く。
老人は、手に持っていた麦藁帽子を左に動かし、
そして右に動かした。
茶色い大鼠の視線は外れない。
老人は目を細めながら、恐る恐る大鼠に麦藁帽子を差し出してみた。
すると、大鼠は荒い息で帽子を受け取り、頭にずぼりとかぶった。
すると、ひげの伸びた鼻先がちょっと見える、麦藁帽子頭の生物の出来上がりである。
大鼠には大きすぎた。
老人は、口の端を引きつかせる。
すぽんと帽子を脱いだ大鼠は、長くて鋭い爪を振り下ろした。
帽子が木っ端微塵と果てた。
老人は震えた。
魔物というのはなんて力を持っているのだろう、人間なんか簡単に殺してしまえると。
気に食わない、それだけで。
なんて恐ろしい隣人だと、老人は大鼠を見た。
茶色の大鼠は目と口をぱかりと開けて震えていた。
口の中には、ナイフのように鋭い牙が輝いている。
黒い大きな目から、悲しみが吹き出している。
大鼠の目が、老人を見た。
老人の顔が歪曲した。
そのまま、傍らにあった売り物の麦藁帽子に手を伸ばして掴む。
鋼色のハサミが涼しげな音を立てる。
白い糸がくるくると回る。
少し頭部分が細長い麦藁帽子に2つの耳が飛び出ている。
ぴったりの大きさの帽子をかぶった大鼠はバタバタと足踏みをすると、つむじ風を起こして消えていった。
短い白髪頭をかきながら、老人はため息を吐き、また麦藁を編む作業を始めた。
鬼の国王の灰色の城、
上階の部屋の大きな窓から、紅羽はそれを眠たげな半目で眺めていた。
ちょっと気分が良くなったので、寝床から身を起こし、春風が置いていった粥を口に入れようとしていた時だった。
彼の仕事は化け物殺し。
化け物を見つけるのは得意である。
「…と、いうわけだ。」
……なにがだ?
サーチャーは、目の前で長々と語った赤髪の人間の男に、黒い水底のような目を瞬かせた。
白服に黒い帯を巻き、黒の上衣を羽織った男は、木の棒で大きな袋を担ぎながら立っている。
腰に下げた刀の近くにある、もう片方の手には、麦藁帽子をかぶった茶色い大鼠の魔物、トプピシャが首根っこを掴まれ引きずられていた。
ガタガタと震えている。
サーチャーは、目を細めた。
この人間は、魔物たちを殺した人間だ。
魔物を殺す、その術を持つ人間は、300年前にもいた。
脆弱な人間の分際で、地底から出てきた魔物の長老どもを屠ったヤツだ。
気に食わない。
サーチャーの内が、荒れ狂う。
だが、もうすぐ死ぬ。
男の命は、あと、10日ほどだ。
報いを受けるのだ。
「ちゃんと金を払わせろ。」
赤髪の男は、サーチャーに眠そうな目を向けて言った。
金?
男は、トプピシャをサーチャーの前に放り投げた。
トプピシャは、起き上がり、サーチャーの足に抱きついた。
サーチャーは、畑からこちらを見て殺気立つ、魔物たちのいる方へトプピシャを蹴り飛ばした。
「あの大鼠は、金をじいさんに払わなくちゃいけないのに払わず、藁笠を持ち去った。…それに、オマエの藁笠と、服も、人間の物だな。金を払っているのか?」
サーチャーは、頭の麦藁帽子に青黒く長い指を伸ばした。
これらはたしか、街を歩いている時に、見かけたのを取って身に付けた。
人間に金を渡す、だと?
茶色い鼠の魔物が、麦藁帽子を頭に得意気に、畑をうろつき始めた。
その姿を凝視していた他の魔物たちが、次々と発狂したように叫び出した。
そして、街に向かって走り出した。
が、薄暗い螺旋状のモノに簀巻きにされて、地面に転がった。
刀に手をかけていた赤髪の男は、また、口を開いた。
「…………人間は、物を金と交換するのだ。物々交換、という手もあるが。」
そんなもの持っていない。
「物だけ奪われ、金が得られなければ、人間は暮らしていけない。魔物たちへの敵意が増すだけだ。…魔物と人間で争うのは避けたいだろう?」
たしかに、黒の半灰刑は避けたい。
しかし、金など持っていない。
「後で、黒朗に言えばいい。」
赤髪の人間は、肩に担いでいた木の棒の先にぶら下がった袋をサーチャーの目の前に放り出した。
袋の中には、たくさんの麦藁帽子が入っていた。
「金は払っておいた。…異国の通貨を持っていなかったから、オレの国の金を使ったが、払いすぎたようだ。後から追加で店主が持ってくるかもしれない…。」
「わアアアアアーー!!」
サーチャーと赤髪の男のやり取りを二人の間で見上げていた人間の子供が袋に飛び付いた。
麦藁帽子を取って、頭にずぼりとかぶった。
ニッカニッカと笑顔でサーチャーと赤髪の男を見上げる。
赤茶けた黒髪の子供は赤髪の男に礼を言うと、大きな袋を頭の上に担ぎ上げ、魔物たちのところへ走っていく。
魔物たちの雄叫びが上がる。
「……………。」
赤髪の男は、それを眠そうな目でしばらく眺めていた。
サーチャーは、目を細めた。
気に食わない。
なんだそれは。
オマエは、魔物たちを殺したくせに。
「……人を守るためだ。オマエたちのためじゃない。争いの種は消しておきたいだけだ。」
赤髪の男が、呟いた。
男は懐から何かを取り出した。
灰色の四角い塊と深緑色の棒が黒い紐でくくってある。
それを開いた男は、深緑色の棒から細い木炭を取り出した。
白いものに、擦り付けていく。
サーチャーは、男の手元を覗いた。
魔物たちの姿が、そこに現れた。
本物とそっくりである。
この男は何をしているのだろうか?
サーチャーは、目を瞬かせた。
小さすぎた生き物たちの営みは、不可思議だ。
サーチャーの隣に影が立つ。
くっちゃ、くっちゃ、と咀嚼音。
【むしゃ、なんじゃそりゃ、もしゃ、下手くそじゃのう~】
2本の触角が、跳ね動く。
むっちゃ、くっちゃ、と茶色く汚れた口を動かしながら、青と金色の昆虫頭の魔物が、覗きこんでいた。
その腕の中にある灰色の丸長い鉄の入れ物の中には、なんだかへんてこな匂いのする茶色い塊が山盛りである。
タ・カランは、白いものを持つ指を立てた。
骨か…?
それに、アホウは何を抱えている?
サーチャーは眉間にシワを寄せた。
タ・カランは腰を落とし、地面に身体を傾けた。
【どうじゃあアアアアアーーーーー!!】
土の上で、高速で跳ね踊る骨。
骨が塵となって風に消えた後、
魔物たちの姿が現れた。
実物かと見紛うほど、
勇ましい、戦いに向かわんとする姿。
見る者にまで、熱気が闘気が伝わってくる。
【ふふん!食い物のことはよく見とるからのう。】
『………………………。』
食い物って言ったか?
コイツ、食い物って言ったな?
というか、オマエが持っているものが気になって仕方がない。
肉だよな。
肉の山盛りだ。
植物の香りを纏うあれは、人間仕様に決まっている。
魔物たちは、あんなことをしない。
肉は、生にかぶりつくだけだ。
「…………。」
赤髪の男は、ふらりと眠そうな目で立ち上がった。
タ・カランの持つ肉の塊を一つ奪い、がぶがぶと食べる。
骨となったそれを地面に立てる。
「ーーー!!」
ひと風ふくほどの合間に絵を描きあげた。
麦藁帽子をかぶり跳び跳ねる、
人間の子供と茶色い大鼠の絵。
太陽の光のように、輝いている。
清らかすぎるそれに、サーチャーは目を眇めた。
【フッ…、しゃらくさいのう…】
口の端を上げて、タ・カランは、肉を口に頬り投げた。吹き出した白い骨を掴み、地面に張り付いた。
赤髪の男も、同じく。
【ぬアアアアアアアアーーー!!】
「ーーーーーーーーーーーー!!」
灰色の城のてっぺんに空いた穴、
麦藁帽子をかぶった青黒い邪神が飛び込んだ。
邪神の背後には、2つの塊が浮かんでいた。
赤髪の男と昆虫頭の魔物が、薄暗色の螺旋に巻かれていた。
サーチャーは、黒鬼と赤い狼の前に、赤髪の男を投げつけた。
腹の膨れたその男は、眠っている。
『ⅨⅧΘδЮΗ…、ⅨⅧΘδЮ、δΗЮⅨⅧΗⅨ、δⅨЮΘⅧⅨⅨЮ…、ЮⅨⅨЮΗΘⅧΘⅧⅨⅧ』
黄色い目が、サーチャーを見て頷く。
黒鬼の手の上に、銀色の石や透明な石の入った黒い袋が現れた。
投げ渡されたそれを、サーチャーは受けとる。
火花がふわりと舞い消えた。
〈世話をかけた…〉
赤い狼は、サーチャーに頭を下げた。
簀巻きの格好でふわりと宙に浮かびながら、サーチャーに連れられたタ・カランは、ぶつぶつと呟いた。
【あの人間、死んでしまうというのが、実に惜しい。あんな素晴らしい敵は、なかなかいない。どうにかならんかのう。はぁ、魔物であったらよかったのにのう。人間は弱い上に短命だ。あれは死んだら食ってもいいのかのう。どう思う、サーチャー。】
『δЮⅨ…』
そんなことをすれば、火に消されるぞ。
肉体はいうまでもない。
魂さえも地獄の業火に焼かれるのだ。
その罪が消えるまで。
サーチャーは、黒から受け取った黒い袋から、1粒透明な石を取り出した。
ガクガク震える、焦げ茶色の髪の人間の女の前に置く。
あの肉山の匂いが染み付いた建物の前に、サーチャーはやってきていた。
「へえ?!これ?!あ、その人の持っていった分ですか?!でも、こんなにもらえないですよ。」
なぜもらえない。
これは金というモノのはずだ。
黒が、先程金について知識を叩きこんできた。
合っている…
ん?そういうことか…
「えっと、どうしよう、って、キャアア?!」
人間の女の叫びに、視線を向けると、タ・カランが、店の中に置かれていた肉をむしゃむしゃと食べていた。
サーチャーの縛りはそのままに、タ・カランの頭から異様に長く伸びた触角が、肉に突き刺さり、それを口元まで持ってきて食べていたのだ。
どうしてこのアホウはこんなに食い意地が張っているんだ?!
他の魔物たちは、サーチャーの造った果実で満足するというのに!
いや、待て。
サーチャーは嫌なことに気がついた。
このアホウ、持っていた肉を他の魔物たちに投げていなかったか?
「……もらっときます、きっとまたくるでしょ。」
人間の女は、強張った笑顔でそう言った。
『……………』
サーチャーは、もう一粒透明な石を追加で置いた。
可太邏…
可太邏…
可太邏…
茶色い目が、
赤い狼を見つめていた。
「やっと起きたな。」
冷たい白い手が、火色の毛並みに潜り込む。
寝床の中、紅羽は側に寝る赤い狼に笑みを向ける。
「はしゃいでしまった。」
〈楽しそうだった。〉
「ああ。」
紅羽は、おとなしい子供だった。
絵が好きで、
変わらない。
人と話すことが苦手、
変わらない。
動物が好き、
変わらない。
変わってしまったのは、運命。
両親が死んだ。
子供は優しい世界に背を向けて、
血の滴る戦いの道を選んでしまった。
違う。
オレが、愛した。
オレが、この子を愛してしまった。
その時から、
こうなる運命だったのだ。
こんな結果をもたらすのが、人間たちの焦がれ求める神の愛か?
死へと連れ出す、この愛は、
これは、
呪いではないだろうか?
「オレは幸せだった。」
わかっている、おまえはそうだ。
「おまえに会えて、幸せだった。」
おまえたちは、そういうヤツだ。
「オレに、力を貸してくれてありがとう、可太邏。大事なものが守れたよ。」
オレが愛したおまえたちは、
いつもそう言って死んでいく。
ブク…
ブクブク…
ブク…
美しい青と緑の水が重なる。
頭の上には、太陽の光を反射する水の色。
足の下には、白い岩と砂。
のんびりと泳いでいた魚の群れが、青柳を置いて走り去っていく。
「?!」
青柳は、青い目を見開く。
魚の群れがやって来た方向の水が、暗い色に染まる。
何かが動いた。
大きな影に2つ輝くのは、
縦に伸びる金色の瞳孔、青銅色の目。
頭はトカゲのようだが、先が長い。
口が開いた。
青い口の中には、長い青舌に、びっしりと生えた鋭い灰銀色の牙。
巨体に生えた太い手足には、鋭い灰銀色の爪。
(でかすぎだろ)
灰銀色の鱗が身体を覆う。
青柳の3倍の背丈はある巨体だ。
長い尾が、ゆうらゆうらと揺れる。
青柳は、掴んでいた水色の蛇の尾を引っ張った。
前を泳いでいた水色の蛇は、後ろを振り返る。
つぶらな青い目を瞬いて、
「!!」
弾丸のように水の中を飛び出した。
青柳も掴んだ蛇の尾に釣られて、
水面に叩きつけられて、
水面をくねくねと走る蛇に引っ張られた。
「ちょっおおぶぶははッ!水嘉多月いいイイイーーー?!」
【ごめん、どうしよ、あれきっとここの主だねエエエーー!!】
「なんで逃げんだよッ?!話つけろよッ!!」
【え、こわい、なんかこわい…】
「こわいだと?!水の神とかいっておいて、オマ…」
怪物が水の中から踊り出て、青柳の真横に飛び込み沈んでいく。
怪物の青銅色の目が、青柳と水嘉多月を見て、ニヤリと弧を描いた。
「ギャアアアアーーーー!!」
【イヤアアアアーーーー!!】
深い森の中にある、
青く緑に染まる美しい湖の上、
蛇と人間は逃げ回る。




