赤の訪れ
青空に映える細く白い足が、青柳の鼻すれすれを掠めて、地面にめり込んだ。
絶世の美女にしか見えない、元ずんぐり男の仁矢が笑いながら、踵落としを軸に、後ろに仰け反った青柳の頭を蹴り飛ばす。
森の中へと飛んでいく。
「ふ、あーっはっはっはー!!弱ーい!!よ・わ・す・ぎ~!!」
頬の辺りまである癖のついた艶々の黒髪をかき上げ、赤い目を細めて嗤う。
「調子のんなーー!!豚野郎ーー!!」
仁矢の高笑いに、森の奥から青柳の怒鳴り声が響く。
灰色の小鬼、黒朗の吐瀉物(赤い丸い石)を飲み込んでしまった彼は、ずんぐり、むっくりな中背の男から、絶世美女姿の男になった。
が、それだけではなかった。
風のような走り、岩をも砕く蹴り、大木を引き倒す腕力を持つ怪人へ変化していったのだ。
「あははは、楽しー!」
茂みから飛びかかってきた青柳の蹴りを避け、突きを避ける。
青柳は、軽くあしらわれるばかり。
(くそッ、コイツ武術の達人みたいじゃねーかッ、この前までただの村人だったのにッ)
「はい、ダメー!」
「グ!!」
仁矢の踵落としで、青柳は地面に沈む。
地に伏し、呻く青柳の後頭部を、仁矢は足でグリグリと踏みつけた。
「全然ダメね、青柳ちゃん?」
「ーーーーーーーー!!!!」
怒りで、青柳の身体から、白銀の欠片が舞った。
「負けだぞ、小童。」
銀髪と褐色肌の老人、ラユシュが青柳の顔を覗き込んでいた。
「何でだよッ!これから」
「君の動きは、無駄が多い。仁矢君を見習うんだな。彼の動きは、無駄もなく、芸術的に美しい!」
「ふざ」
「その通り。」
さらりと髪をかきあげ、意地悪く浮かべる微笑み。
「アタシ、美しいわ。」
「「「仁様ー!!」」」「「イヤアアアアア、最高ですーう!!」」
「ぶをっ!ほっ!ぶをっ!ふぉ「「「ジーンーヤー!!」」」
森の中から覗いていた村の男、女、動物たちが、そんな仁矢に喝采を送る。
「…う、うるせー」
(つーか、コイツ、あの陰険、嫌味の豚クソ野郎だぜ?何で村のヤツらは、こんなに盛り上がってんだよ?!散々、迷惑こうむってたのにッ!)
仁矢の異常な変化に、戸惑い、遠巻きにする者は多いのだが、その美貌に熱烈に惹かれてしまう者もいた。
そして、日がたつにつれ、彼の信者が増えていく。
げに恐ろしき、魔性の美。
「こらー!遊んでないの!祭りの準備終わんないでしょ!」
緑の髪をお団子にまとめ、作業着である白い前掛けを着けた美女、杜若が、背丈ほどある羽箒を片手に声を上げた。
ここ最近、村で毎年行っている秋祭りが迫り、村中が準備に追われていた。
今日、青柳とラユシュは、そのお手伝いのため三泉神社に来たのだが、青柳と勝手に着いてきた仁矢が(仁矢は、その美貌で面倒が起きるので、青柳の家で留守番のはずだった。)喧嘩を始めてしまったのだ。
「女組は、神社の飾り作りをお願いしまーす。男組は、道の提灯付けをお願いしまーす。子供たちは、御神楽の練習よー!」
村長の言葉に、仁矢の周りで騒いでいた村人たちは、しぶしぶ持ち場に向かう。動物たちも、森の中に帰って行く。
ラユシュ老人と青柳と仁矢が残った。
「?オレたちは何やんの?村長。」
「そーね、何か楽しいこと?ないかしら?」
「へ?」
「ちょっと~、ちゃんと考えときなさいよ、年増「殺す」」
「ふーむ」
村長への暴言を吐いたその首を潰そうとする青柳と仁矢の掴み合いを見ながら、村長杜若は口を開く。
「さっきの青柳と仁矢の喧嘩、何だかわくわくしたわね。すごかった。」
「観客も楽しそうだったなぁ。仁矢君は美しいから。」
「あらぁ~、まあ、下僕どもに楽しんでもらえて良かったわ。」
ラユシュ老人の言葉に、青柳の首を締め上げていた仁矢は頬を染める。青柳は、仁矢の腕を外し飛び退く。
「オレは、全く楽しくなかったッ!殴られてただけじゃねーかッ!」
「アンタが弱いだけでしょ。」
「~!!…だいたい、神聖な祭りで喧嘩なんか」
ラユシュ老人は、ふむ、と口を開く。
「私の故郷では、武術大会をやっていたよ。毎年、敗者を穴に放り込んで、優勝者が酒をその上からぶっかけるという風習があった。」
「敗けたほうがいいじゃねーか。」
「ううん、農業の神アラキムを誘い出す囮だからなぁ。好物の酒で誘い出すわけだよ…」
「生け贄??!」
「いや、アラキムは巨大な…ミミズだよ、草食だから喰われることはない。身体中なめ回されるだけだ。」
「ぐはあッ!!」
青柳は膝から崩れ落ちた。
「ふーむ、だが、この地の偉大なる竜神が、お気に召すものが良いだろうし…そうだな。」
ラユシュ老人は、青柳と仁矢を見てニヤリと笑った。
三泉神社の鳥居に続く石段の下に、人が立っていた。
頭に編み笠をかぶり、茶色の外套を羽織っている。
じっと、神社のある方角を見ている。
変な人だなと比呂は思った。
昨日も、同じ場所にいたのだ。
「青柳、大丈夫?」
ガラリと家の戸を開けたら、見知った黒髪と青い着物が床に突っ伏していて、比呂は一応声をかけた。
すると、青柳からうめき声が聞こえた。
連日続く秋祭りの準備で、参っているようだ。
比呂は、大きなお椀を戸棚から出し、大瓶から水をくむ。
青柳のそばに置くと、起き上がり、それを掴み貪るように飲み干した。
「…もう、無理だ。…オレ無理ッ!」
「ふーん」
「軽ッ!」
比呂は、天井に吊るした籠に入った赤柿がほしいらしく、近くの椅子を引き寄せ、その上に乗ろうとした。
危ういそれを見て、青柳は立ち上がる。
「とってやるよ、何個?」
「ありがとう、えっと…3人分だから、3個とって。」
「3人?」
「そう、お客さんと僕と、青柳も食べるでしょ?」
「お客さん…?」
開いた戸の前に、頭に編み笠をかぶり、茶色の外套を着た人間が立っていた。
(…!?…気配に気づかなかった!)
「…誰だ、アンタ。」
険しい顔をする青柳に、比呂は慌てて言葉をつむぐ。
「昨日からずっと神社を見てたから、用があるのかと思って連れてきたんだ。」
「そんな怪しいヤツに声かけんなよ?!」
「でも、怪しいけど、大丈夫なんだよ。ホントッ!すごいいい人なんだッ!青柳よりもッ!」
「オレぇえ?!どうしていい人ってわかるんだよッ?!」
「それは…その…色が…悪くないっていうか…」
比呂は、うろうろと視線をさ迷わせた。
心の色が見える、とは死んだ両親以外に言ったことがなかった。
青柳には意味がわからないだろう。
(この人、すごい、白く輝いてるんだよ。)
その当人は、身動ぎもしない。
「オイ!あんた、誰だよ?」
「……。」
「何の用で、来たんだ?」
「……。」
全く反応しない旅人に、青柳はイラつき、旅人につかつかと近寄ると、その編笠を上にぐいと引き上げた。
あらわになった旅人は、サラサラの赤髪と茶色の目の優し気な美青年だった。
が、その顔は赤く、汗が滝のようだった。
目線がうろうろさ迷っている。
(何だコイツ?!)
その時、戸口で、外から人がやってくる気配がした。
「あ、あれです!若!!やっと見つけた!!」
声がした方を向くと、こちらを指差す中年の男がいた。
肩まで、海藻のようにうねる黒髪と無精髭、茶色の外套を身に付けている。
そばには、熊のような男、神主の白泉もいた。
「神主様ありがとうございました!若!何やってんですかッ?急にいなくならないでください!」
「……。」
話しかけられた赤髪の旅人は、驚いた様子で目を見開いた。
「何故って、そりゃアンタを1人にしたらめんどくさいからですよ。1人旅って、馬鹿じゃねーの?」
「……。」
「初対面の人間としゃべれない、極度の人見知り野郎がッ、どうやったら、1人旅とか出来るんだよ?問題しか起きねぇだろ?」
「……。」
「そんなことあるんです~ぅ!」
そんな旅人たちの様子に、ひそひそと…
「ねぇ、青柳、あの人どうやって旅人さんと話してるの?旅人さんは、何も言ってないのに。」
「話してねーだろ、おっさんの独り言だよ。頭おかしいんだよ、気の毒によ。辛いことがあったんだ、察してやんな。」
「ちがうわッ!!」
赤髪の旅人は、紅羽というらしい。後から来た中年男は、春風、紅羽の家来だそうだ。
逃げた犯罪者を探して旅をしているらしい。
しばらくは、村の宿に泊まるという話だった。
「何かあったら、すぐ教えてくれな。危ないヤツだから。」
春風は、比呂の頭をぐりぐり撫でた。
紅羽も無言で頷いていた。
「紅羽さんも、刀で人を切るのかな…それなのに、どうしてあんなにキレイなんだろう…」
比呂は、帰る2人の後ろ姿を見送りながら呟いた。
青柳は、そんな比呂を不思議そうに見下ろす。
「そういや、おまえが人を誉めるの初めて聞いたな。でも、仁矢のほうがキレイだろ。」
「仁矢は汚いから、ヤダ。」
「…え~?…あれか?わかった、心だな!心がキレイかだな!比呂は、それが分かるんだな。」
「!」
「そっか、そっか、そりゃそうだ。仁矢はダメだし、オレもダメだな!フハッ!」
「な、何言ってるの、青柳。」
青柳の言葉に比呂は、血の気が引いた。
(どうして、バレた? どうしよう、オレ、気味悪い?嫌われる?嫌だ、嫌だ、嫌だ!!)
「比呂は、いい目してるなあ。すごいな。ハハッ!」
青柳は、笑って比呂を見ている。
夕陽に照らされた青柳は、金色に輝いていた。
「……。」
だから、比呂も笑った。
「そうなんだ。だから、青柳が悪い人に騙されそうになったら、僕が助けてあげるよ。」
ラユシュ老人が手を振っている。
そばには、ぶすくれた仁矢が立っている。
もう、帰る時間だ。
「また、明日ね、青柳。」
「おー!また明日な!」
横を歩く主に、春風は問いかける。
「いましたか?」
「……。」
無表情の顔と、鋭い光を浮かべる赤目に、春風は、無精髭を弄りながら、ため息をつく。
「年寄りには、キツイ仕事だよ、ホント。」