最後の目覚め
ひんやりとしながらも、それでいてどこか暖かい内部。氷の精霊様が住まう祠は、寒冷地とは思えない快適な空間だった。不謹慎な考えだけど、ここに家を建てたら心地良いんだろうな。…と、そんなあたしの思考を見透かしていたのか、オージェはあたしの頭部を小突く。
「何すんだ、ハゲ」
「お前今、絶対不謹慎な事考えてただろ」
「そ、そんなことないぞ…?」
「嘘が下手過ぎますね、リノは」
どうやらエルにも筒抜けだったらしい。顔に出るタイプなのかな。心の中で反省を済ませ、観察に戻る。従来の祠と同じように、明かりがなくともある程度は周囲を見渡せる。けれど、所々地面が凍り付いており、油断するとまた転んでしまいそうだ。ここでふと、意味深長にしゃがみ込んだエルは、その凍った地面を指でなぞり、その後口元に手を当てる。
「おかしいですね」
「何がさ、エル?」
「氷と言うのは、液体である水が冷え固まって出来た固体なんです。つまり―――」
「気温が高くなったら、水に戻るってことだよね?」
「ふふ、正解ですクーちゃん。ですので、これほどの気温ならば水に還元されるはずなんですが…どう言う訳か、氷のまま」
「氷の精霊ってぐらいなんだ。この程度の現象は普通じゃないのか?」
珍しくオージェと同意見。グリュネもうんうんと首を縦に振って賛同しているけれど、エルだけは深刻そうな表情を崩さない。エルの勘は良く当たる。もしかすると本当に、何かしらの問題が発生しているのかも知れない。
「急ごっか。クーちゃん、明かりをお願いできる?」
「うん。任せて」
クーの生み出した照明を頼りに、あたし達は奥へと急ぐ。道中にも氷の結晶が散在しており、進めば進むほどその数を増していく。それと同時に、入口付近で感じていた暖かな感覚が段々と薄くなっていき、深部手前でプッツリと途切れてしまった。エルの悪い予感は的中していたようだ。事態の詳細を明確にすべく、全員は大きく歩幅を広げた。…そして数分後。辿り着いた祭壇には、意外な人物が立っていた。
「お、ようやく来たんか。正直待ちくたびれたわ」
年齢は20~25歳前後。後頭部がハリネズミのようにトゲトゲした紫髪に、オージェほどではないけれど、十分につり上がった漆黒の瞳。白色無地のシャツの上に、体格に合わないやや大きめの深緑色のコートを身に纏い、だらしのない上半身とは反対に、下半身は身体にフィットした灰色のデニムを決めている男。
「骸!?」
「久しぶりやな、リノ。それにエルノア、クーストラちゃん」
「おい、何だ誰だこいつは?」
オージェは不機嫌な表情を隠すことなく、骸を指差す。
「新顔もおるようやし、まずは自己紹介しとこか。俺の名前は骸。鬼血衆に所属しとる…世間一般で言うところの悪者やな」
「こいつも鬼血衆だってのかい…?それにしては、随分と雰囲気の柔らかい男じゃないか」
「褒め言葉として受け取っとくで、弓使いのねーちゃん」
骸は袖の埃を払った後、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。警戒してそれぞれが武器に手を添えるも、骸はそれを目で制した。
「待ちや。俺は争いに来た訳じゃない」
「ハッ、信用出来ると思ってるのか?特にお前みたいなタイプは闇討ちが得意そうだしな」
「まあ確かに。けど、本当に事を構える気はないんよ。何なら、手持ちの武器を今ここで全部捨てたろか?」
「んじゃあ、一体何が目的なんだ?」
「リノ達の妨害…が、主な目的だった。けどな、もうそれは必要ない」
勝ち誇った様子で口元を弓なりに曲げた骸は、コートのポケットから白い巾着袋を取り出した。名前はツールバッグ。魔法の力が付与された特別な袋で、ありとあらゆる物の大きさを変えて収納出来る偉人の遺産だ。骸はそのツールバッグから長方形状の箱のような物を取り出すと、力を与えて大きさを元に戻して見せた。
「今からこいつを鑑賞してもらう。シャンタに行ったことがあるなら、これが何か分かるやろ?」
「魔法テレビか!」
「その通り。こいつは魔法カメラとは違い、『映像』を提供出来る代物。理解してもらうんには、一番手っ取り早い方法や」
「…精霊様が現れない理由も、内容に入ってますか?」
エルの一言に、骸は鋭く目を光らせる。
「流石はエルノア、よう分かっとるな」
「皆さん、ここは大人しく映像を見てあげましょう」
「エルがそう言うなら仕方ないな。ただし!」
「おかしな真似はせぇへんよ。俺のプライドに誓ってな」
いつも飄々とした態度で流す骸が、やけに真剣な顔つきで答える。信用してもらう為にはどうすればいいのかを、ちゃんと理解しているな。僅かな殺気も感じられない以上、攻撃の意志はないとみて問題ないだろう。あたし達は無言のまま疎通を図り、目の前に置かれた魔法テレビの画面に集中した。
「それじゃ、動かすで」
骸が右端のスイッチを押すと、画面には広大なマナ海が映し出された。今にも波の音が聞こえてきそうな、美しい情景。時折割って入る鳥の群れも、その美しさをより鮮明にしている。…と、ここで急に画面が揺らぐ。次第に揺れは大きくなり、やがてマナ海の至る箇所に渦が発生した。そして次の瞬間―――
「あっ!」
思わず声が出る。驚いたことに、発生した渦は周囲の海を吸い込み始めた。にわかには信じ難い光景だけど、水量はみるみる減っていく。ついには干上がり底が見えると、突如人の形をした『何か』が画面を覆い尽くした。この一連の映像で察したのか、エルは苦虫を噛み潰したような顔で骸に詰め寄った。
「いつからですか…!?」
「エルノア達が、弧月のおっちゃんと戯れとったあたりや。戦いに夢中で気付かんかったか?」
「おいエルノア…まさか」
「ええ、そのまさかです…!相手の方が少しだけ早かったようですね…!」
珍しく感情を露わにするエルを見て理解した。どうやら鬼血衆の連中は、鬼を目覚めさせる事に成功してしまったようだ。おそらく、この画面に映る人の形をした『何か』は、手下の類だろう。
「そんな…間に合わなかったってのか」
「事実や。まあでも、よう頑張ったで。足止めがなければ、正直危なかった。弧月のおっちゃんは裏切りよるしな。尤も、最初から期待はしてへんけど。…さあ、いよいよ待ちに待った大量殺戮ショーの始まりや」
「骸、このッ…!」
激情に駆られてあたしが斬りかかろうとした瞬間、骸の姿は霞となって霧散した。以前にも見たことのあるこの光景。弧月が所持していた魔法、幻惑だ。
「残念やったな。こいつは弧月のおっちゃんが持ってた、幻惑の魔法書。いくら虚像を斬ったところで無意味や」
「逃げるのか!?」
「今はな。…正義の味方ゴッコしたいんなら、マナ海の中心地に来ればええ。俺はそこで待っとるで」
「あたしに喧嘩を売るとはいい度胸だ!絶対そこまで行ってぶん殴ってやるからな!!覚悟しとけよ!!」
「はははっ、OKOK。いい返事や。それじゃあな、リノ・レインバー。地獄の淵で待っとるで…」
祠の中を反響していた骸の声は不自然に途切れた。魔法の効果が終了したようだ。完全に気配が去ったのを今一度確認してから、あたしはエルに聞く。
「やばいぞエル。早くマナ海に行って、止めないと…!」
「分かっています。ですが、それよりも各国の住民達の避難が最優先です。あの人の形をしたモノが鬼の使いならば、相当に危険な存在のはず。骸の言葉通り、世界中で殺戮が繰り広げられてしまいます…!」
「今は議論してる場合じゃねぇだろ!!とっととここから出るぞ!!」
「精霊様…」
クーの儚い呟きは、祠に空しく響いた。




