価値観
弧月は外套についた雪の粉を払うと、くるりとあたし達に背を向けて歩き出した。気分の悪くなる殺気は嘘のように消え、どことなく晴れやかな雰囲気になった。
「どこに行かれるんですか?」
クーが優しく問うと、弧月は足を止めて菅笠をいじる。
「ようやく目が覚めたのだ。まずは…過去を精算する為、シャンタへ帰国する」
「おい待て。行くのは勝手だが、その前に話してもらうことがあるんだが」
「鬼血衆のことか。それならば無意味だ。もはや我は任を解かれた身。お前達が有している以上の情報は、持ち合わせておらぬ」
「そーかい。んじゃあね、弧月のおっちゃ。もう悪い事するんじゃないぞ」
「…それはこちらの台詞だ。リノ・レインバー」
武器の一つも回収せず、弧月は何処かに消え去った。本当に逃がしても良かったのかは分からないけど、もう人に迷惑は掛けないだろう。ひとまずの危機は去ったことで、肩の荷が降りる。
「ふぃー。クーちゃんのおかげで一件落着かな?…って!おっちゃ、ドラゴンさんに謝ってないじゃん!!」
『構わぬ。混濁とした奴の器を、再び澄んだ色に回帰させたのだ。これ以上の成果はあるまい』
「大人だねえ」
「ガキが」
「何ぃ!?このハゲがよー!」
「お喋りは道中で。今は精霊様の祠へ急ぎましょう」
「っと、そうだった。ここから先は歩いて行こっか」
『…礼を言うぞ』
ドラゴンはあたしが気を遣ったことを察したのか、目を伏せて表現でも礼を行った。治療が済んでいるとはいえ、万全の状態でないドラゴンに飛んでもらうのは気が引ける。
「何のことやら。さー、遅い奴は置いて行くぞ-!」
「ま、待ってよー。リノお姉ちゃーん」
やれやれと首を捻るオージェを無視して、ドラゴンによる道案内の元、あたし達は氷の祠を目指した。落下した地点が森林地帯だったのもあってか、自然の動物や果実などが顔を出し、周辺の環境を教えてくれていた。凶暴な魔獣の気配はない。ここは安全地帯だ。連なる樹木に進行を遮られ、悪戦苦闘するドラゴンを見兼ねたオージェは、環境破壊をしない程度に障害物を薙ぎ払う。動物を傷つけないよう、倒す方向まで考えての丁寧な伐採。
「ハゲ、木こり職人になったら?」
「馬鹿言え。俺には似合わん」
「あら、そうですか?様になってる気がしますよ、オーさん」
「エルノア…お前…」
「リノ、ちょっといいかい?」
がっくりとうなだれて歩幅を落としたオージェと入れ違いに、グリュネが割って入る。やけに真剣な目つきであたしを見据えては、聞きづらそうに口を動かしていた。こういう時には、無駄に野生の勘が働くな。グリュネが何を知りたいのかを汲み取ったあたしは、先に口を開く。
「分かった。おっちゃとの戦いの事でしょ?」
「あんな奥の手があったのに、どうして出し渋ってたのか…って思ってさ」
「えっと…何て言えばいいのかな。グリュネさんもそうだと思うんだけど、無駄な殺生は出来ることならしたくたいよね?」
「それはそうさ。狩りを生業にこそしてるけど、その辺は心得ているつもりだよ」
「だよね。あたしも同じ気持ちなんだ。動物だろうが、人間だろうが、必要以上の命を奪うことは許されない。だからこそ、あたしは「殺さない」戦い方を徹底してきた。…自分がどんなに不利な状況になろうともね」
グリュネはあたしの考え方に感心したのか、うんうんと大きく頷いた。
「つまり、生きているモノを「殺す」気持ちで獲物を握れば、容赦なく相手を死に追いやれる…って訳かい?悪い言い方をすれば、手加減していたとも受け取れるよ」
「そうなんだよね。でも、手加減とはまたちょっと違うんだ。何て言えば良いのかな…」
「精神的負荷に耐えられない。ですよね」
グリュネの隣から、ひょこりとエルが顔を覗かせる。さすがはエル。どちらかと言うと門外の話なのに、あたしの欲しい言葉を持ってきた。
「エル、それだ。死なせてしまった!って罪悪感で、あたしの心が潰れちゃうからだよ。いい奴だろうと悪い奴だろうと、命は一つしかないから。…あんまり良い解答じゃないんだけど、少なくともあたしはそんな感じかな」
グリュネは口元に手を当てて、あたしの言葉の深意を読み取ろうと熟考する。生き物を殺すという事が、どんなに重大な行為なのか。その意味を十分に理解している人にも、今一度感じてもらいたい。しばらく沈黙が続いた後、不意に足を止めたグリュネは、矢籠から一本だけ矢を取り出すと、雪の中を走り回る野兎に向けて弓を引き絞った。ひゅっと風を切る音と共に放たれた力強い一射は、野兎の頭部を貫いたかのように見えたけど、実際は僅かに逸れており、背後の大木に突き刺さっていた。自分が狙われていると理解した野兎は、凄まじい速度で逃げ去る。その様子を姿が見えなくなるまで眺め、グリュネは静かに獲物を背負い直した。
「リノの言いたいこと、何となくだけど分かった気がしたよ。さっきの野兎、本当は殺すつもりで弓を絞ったってのに、いざ矢を放つとどうだ?…無意識の内に、僅かに狙いをずらしてたんだよ」
「それだよ。グリュネさんは狩人だから、獲物を仕留めるのは日常茶飯事のはず。…なのに、今はそれが出来なかった。分かりにくいけど、きっとこれが答えなんだ」
「アハハ、まるで武芸の達人みたいじゃないか。でも…まだ足りないね。卓上じゃない勉強が、あたしにはまだまだ必要そうだ。狩人としても、人間としてもね」
曇りのない、澄んだ瞳。はっきりとした解答をあげられなかったけど、グリュネは満足してくれたようだ。あたしの背中を思い切り叩くと、にっこりと笑顔を見せた。
「ありがとうよ、リノ!」
「グリュネさーん…めっちゃ痛い…」
「アッハッハッ!!」
一層賑やかになったあたし達は、移動を再開する。世間話等々で場の空気を良好に保ちながら、急ぎ足で祠へ。途中ドラゴンの勧めで食した自然の果物も、あたし達の活力を潤してくれた。それから数十分。傾斜のきつい坂を滑り降りた所に、それは存在した。これまで色んな国で体験してきた、不思議と心暖まる感覚。微かな気配から察するに、精霊様はもう目覚めているのかもしれない。毎回行き当たりばったりの原因探しだけど、運が良いのか大当たりばっかりだな。
『ふむ…。以前我が訪れた時とは違う、この不可思議な感覚。精霊は既に覚醒している可能性が高いな』
「あら、鋭いですね。私も同じ考えでした」
エルとドラゴンは互いに見合って、それぞれが得意気に鼻を鳴らす。意外と馬が合うのかもと思った矢先、ドラゴンは軽く肩を落とした。
「うん?どったのドラゴンさん」
「あ、もしかして。入口が狭くて入れない…?」
遠慮気味にクーが問うと、ドラゴンは短く「うむ」と返事する。それぞれを比較して見ると、確かにドラゴンの方が一回り大きく、身体をよじって無理矢理入ろうにも、途中でつっかえてしまいそうだ。
「仕方ないけど、こればっかりはどうしようもないねえ。ドラゴンさん、悪いけどここで待っててくれる?」
『致し方あるまい』
「あの、なるべく早く戻って来ますから」
「何だいそりゃ。クーストラちゃん、お母さんみたいだね。アッハッハッ」
「お前はネジが外れてるぞ、グリュネ…」
オージェの突っ込みを無視しながら盛大に笑うグリュネを尻目に、あたし達はドラゴンに一時の別れを告げて、精霊様の待つ祠の最深部へと向かった。




