帰還
再びマーテリーの宿で一泊したあたし達は、早朝より支度を済ませ、エルの所用で国の中心地へと向かっていた。見渡せば、相変わらず森林のように生い茂る建物と、地面を隠す程に歩く人の姿。入口付近の街並みでも圧倒されたのに、中心ともなればさぞ壮観だろう。空を覆うほどの連なるビル群を眺めつつ、大通りの端を歩く。
「ねえ、エル」
「何ですか?」
「国の中心地に野暮用って、一体どんな用なのさ」
「里帰り、とでも言いましょうか。実家に戻ろうと思いまして」
「実家ねぇ。…って!?エルって確か、親父のやり口に嫌気がさして家出したんじゃ―――」
「ですから。今からその決着をつけに行こうかと。いい加減、どうにかしなければと考えていたところです。…裏の世界の件もありますしね」
「エルお姉ちゃん、大丈夫なの?」
心配そうにエルの顔を覗き込むクーの頭を、エルは優しく撫でた。
「無論です。ただ…」
「ただ?」
「私の父は、一筋縄ではいかない男です。万が一にでも、私が敗れるようなことがあれば…その時は2人とも逃げて下さい」
戦う前から弱気になっているエルを見るのは、初めてかもしれない。普段は自信満々のエルを、ここまで後ろ向きにさせる相手。確かに一筋縄ではいかなそうだ。
「弱気なんてらしくないじゃん」
「人間、誰しも喜怒哀楽がありますから。私も例外ではありません」
「逃げるって…。もしもエルお姉ちゃんが負けた場合はどうなるの?」
「あまり考えたくはないですが、最悪見世物にされる可能性も」
「見世物って?」
「…クーちゃんは、知らない方が良さそうです」
頭の上に疑問符を浮かべるクーに和まされるのも束の間、再びエルの心に暗い影が落ちる。どうやらあたしが思っていた以上に、根が深い問題らしい。ここは1つ、相棒のあたしが何とかしてやらないと。
「大丈夫だって。今までも何とかやってきたわけだしさ」
「根拠も無いのに、ですか?」
「うっ…ま、まあそれはその…。ああもう、まだるっこい!エルが元気じゃないと、あたしもやる気が出ないんだよ!」
口下手のあたしが、気の利いた事なんて言えるはずもない。つい本音がだだ漏れてしまったけれど、今の気持ちは伝えられたはずだ。実際、エルは目を伏せて帽子の鍔をいじり、何やらぶつぶつと独り言を呟いている。あたしはそんなエルの肩を軽く叩いて、笑って見せた。
「ほら、スマイルスマイル」
「…まったく、貴方という人は。毎回の事ながら、その思考回路には呆れます。ですが、それでこそリノなのかもしれませんね。ありがとうございます」
「褒められてるのか、貶されてるのか微妙なラインだけど…。まあ、元気になってくれたんならいいよ」
「ふふ、私も少し見習うべきでしょうか」
エルはあたしに向けて微笑み返すと、帽子の位置を修正して背筋を伸ばした。隣を歩いていても違和感はなく、いつものエルに戻ったと確信した。クーも様子の変化に気が付いたのか、頬を緩ませて喜んだ。
それから程無くして、中心地らしき場所に到達する。圧倒的なビル群が出迎えてくれるかと思いきや、それらしき建物はほとんど存在せず、豪華絢爛な富豪邸があちこちに立ち並んでいた。どこの家も、高級なテラスレストランを連想させるかのような美しい庭に、生身では飛び越えられないほどの高い柵に囲われている。加えて、入口には複数の屈強なガードマンが控えており、物々しい雰囲気を隠そうともしていない。おそらくこの領域一帯は、ミロスリーの中でも特に成功した者達だけが住まう、特別な場所なんだろう。
「ほえー。どこを歩いても豪邸ばっか」
「ミロスリー国内でも、巨万の富を築いた者達だけの居住区ですから」
「トップ層の人達だけの…。な、何だか私…場違いな気が」
「大丈夫ですよ。盗賊の類なら締め出されてしまいますが、クーちゃんはお姫様にしか見えません」
「お姫様…。えへへ、ありがとう」
「一応聞くけど、あたしは?」
「ゴロツキでしょうか」
「ですよね~。って!それじゃあ一緒にいると、騒ぎになるんじゃ―――」
「大丈夫ですよ。ほら」
他の家を通り過ぎる度、ガードマンが雁首揃えて深く頭を下げてくる。相手はエルの事を知っているんだろう。でなければ、今頃あたしは捕まっている。
「問題ないでしょう?」
「うへえ、ある意味壮観だな…。エルの家の関係者か何かなの?」
「違いますよ。リノも知っての通り、アールコート家は事実上ミロスリーのトップ。なので『粗相のないように』と、雇い主の方からきつく言われているようです」
「同じ金持ちの中でも、上下関係は厳しいのね」
「そうですね。私の一言で、路頭に迷う可能性もありますから。…まあ、たとえ暴言を吐かれようと、告げ口をするつもりなど毛頭ありませんが」
「エルお姉ちゃんなら、自分だけで片付けてしまいそうだよね」
「まったくだ」
それからしばらく談笑して、10分後。ついにあたし達は、エルの実家…アールコート家の領域へと足を踏み入れた。トップと言うだけあって、並み居る富豪邸すら比較にならない広範囲。ざっと軽く見積もっても、5倍以上はある。入口にガードマンこそいないものの、壁は高く絶壁の断崖と呼ぶに相応しい造り。門は特注品らしい純金製の格子に、怪しげな機械が取り付けられている。エルは小さく咳払いをしてから、その怪しげな機械のボタンを押した。
「失礼。グリッチャは?」
『そのお声…!もしやエルノアお嬢様で!?』
「はい。ただいま帰りました」
『おお…!よくぞお戻りになられました。このグリッチャ、感涙の至りでございます…!』
機械を通して、グリッチャと呼ばれた老人らしき人物が、喜びの声を上げる。もしかして、エル専属の執事だろうか。これほどまで立派な家柄なら、ありえない話じゃない。
「グリッチャ。早速で申し訳ないのですが、開けてもらえますか?友人も連れて来ているのです」
『かしこまりました。少々お待ちください』
プツッと切れた音がしたかと思ったら、正門が一人でに開き始める。凄い技術の塊に、思わず「おおっ」と声を出してしまった。シャンタ国で見た羅生館と同等の庭園。奥に小さく在る城のような豪邸まで、とても遠い。
「うっはぁ~…。す、凄すぎる」
「ダイダラボッチさんのお家も凄かったけど、あれはダイダラさんの大きさに合わせて造られてたからであって…。こ、これは規格外だよね」
「やっぱり、無駄に広すぎますよね。2人共、歩くのは疲れたでしょう?今迎えが来ますので」
「迎え?」
エルが奥を指差すと、何かがこっちに向かって走ってきた。あたしの目が正しければ、おそらく馬車。私道の移動すら専用とは、本当に恐れ入る。予想以上の速度であたし達の前までやって来た馬車は、華麗に横付けすると停止した。
「さ、行きましょうか」




