イフニド教 前編
重い、身体が重い。まるで鉛でも乗っているかのような重みが、あたしの身体を苦しめる。いよいよ我慢が出来なくなって瞳を開くと、目の前には山と積まれた大量のぬいぐるみが、無造作に乗っていた。
「ぬがっ、何じゃこりゃ!?」
「おや、お目覚めですか。おはようございます」
「エル…これは一体どーなってんの?」
「特に意味はありません」
起きた早々、開いた口が塞がらない。破天荒な悪戯を考えつくものだ。あたしはぬいぐるみを跳ね除けて上体を起こし、周囲を見渡す。民家とは違い、しっかりと取り付けられた窓に、清潔感溢れるしわのないベッド。ここは、あたし達が利用していたホテルだった。
「運んでくれたんだ、ありがと。あれからどうなったの?」
「推して知るべし。まさに大騒ぎですよ。100人掛かりでも仕留めるのが難しいとされている『世界危険珍獣』を、たった4人で沈めたとなればそうもなりましょう」
「そりゃそうだ。で、砂クジラはどうしたの?」
「精霊石を吐き出させようと試みたんですが、どうやら完全に肉体と同化しているようでしたので、やむなく…」
エルは帽子の鍔を下げる。致し方ない事なのかもしれないけれど、思うところがあるんだろう。
「そっか。クーちゃんは?」
「クーちゃんでしたら、オージェさんの部屋に行ってますよ」
「何ぃ!?あのケダモノの部屋にだとっ!?クーちゃんが危ない!」
「…そこまで見境ない性格ではないでしょう。それに、彼もリノと同じく、だいぶ体力を消耗していますから、大人しくしているでしょう。何せ丸2日も寝てましたから」
「丸2日!?うっそぉー…」
「マジです。それよりも、起きて早速ですが、リノには行ってもらいたい場所があります」
「へっ、どこ?」
「ネパルマが総本山の宗教、イフニド教です」
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イフニド教。ネパルマの土地に恵みをもたらす神である『イフニド様』の存在を伝え広め、深く信仰する宗教の総称。
あたしは宗教なんてものには大した興味はないけれど、それが多くの人々の支えになっていることは理解しているつもりだ。…と、そんな宗教には無縁のあたしが、どうして呼ばれたんだろうか。ルエーテン市街地をエルと横並びで歩きながら、色々と考える。
「足、痛むんですか?」
「ん?ああ、違うよ。何であたしがお呼ばれしたのかなーって。それに何故だか、街中の人達が揃ってあたしを見ている気がして」
「さっき言ったじゃないですか、大騒ぎだったと。今、私達はこの国でちょっとしたヒーローのような扱いを受けているんですよ?」
「なるほど、それでか。…うーむ、落ち着かないなあ」
「あら、富や名声にも興味ないんですか?」
「そんなに執着心はないかなー。結局好きでやってるワケだしさ」
尤も、あの憎きハゲを跪かせられるのなら、やぶさかではないけども。
「実にリノらしい答えですね。私はそういうリノも好きですよ」
「あんがと♪おっ、あれかな?」
あたしが指差した先を見て、エルは小さく頷いた。
目的地に向け、のらりくらりと歩いて数10分。山の麓まで辿り着いたあたしとエルは、イフニド教入信者おなじみの、白装束に身を包んだ門番に連れられて、緩い傾斜の坂道を登る。それからさらに10分少々して、ようやっと山頂まで到着する。病み上がりには中々しんどい運動だった。
門番は、荘厳な雰囲気を醸し出している木製の押し戸を静かに開くと、奥へどうぞと手振りで説明する。それに従って中に入ると、宗教と呼ぶに相応しい、独特の空気が出迎えてくれた。建物の外観は、市街地のそれとはかけ離れている。どちらかと言うと、シャンタ国に伝わる『寺』と呼ばれる、清めの儀式を行う建造物に近しい造りだ。
「はぇー…。すっごい」
「厳か。といった言葉が似合う場所ですね。あまりふざけられませんよ、リノ?」
「どうしてふざける前提なんだよっ。そんなうるさくしないやい」
「そうですか」
「何でちょっと残念そうなんだよ」
少し不満が残るけど、まあいいか。綺麗に並んだ木々の間を抜け、本堂と思われる建物を目指す。周辺の至る所には、入信者の姿が見える。お祈り帰りだろうか。手には何かお札のような物を持っている。
「何だろ、アレ」
「魔除け、じゃないですか?目には捉えられない、負の力を打ち消す効果のある」
「おおー、あれがか」
「おや?魔除けをご存じなんですか?」
「師匠が話してたのを聞いたことがあるからね。へー、ただのお札にしか見えないけど、凄いんだなー」
「何を勘違いしてるのか知りませんが、あれには何の効果もありませんよ」
「へっ?」
「単なるお守りですよ。1枚1枚に魔力を注いでたら、生産性が悪いじゃないですか」
「…世知辛い話だ」
師匠も、お守り代わりに持っていただけだったのか。もっと特別な意味があるのかと思ったけど、そうでもなかったらしい。少しがっかり感を覚えるも、気を取り直して先に進む。すると、本堂の門から、女性と思しき人影が出て来た。他の入信者と同じく、白装束に身を包んでいる為か、素顔までは分からなかった。けれど、そのゆったりとした特徴的な動作から、老婆であると予測出来た。老婆は、近くまで来たあたしとエルの顔を交互に見るような仕草をすると、ゆっくりと頭を下げた。
「お待ちしておりました。リノ様、エルノア様。ようこそイフニド教へ。私はイフニド教の現最高指導者、テスラと申します」




