マナの底へ
「やばい…ってレベルじゃないな」
精霊様の祠付近に残存していた古い高台に登ったあたしは、遠くに見える白い世界に戦慄していた。千、万…気分が悪くなるほどの『何か』は、散り散りに広がって各国を一色に染め上げている。
「エル、世界は白い奴らでいっぱいだ。これが赤く染まるのも時間の問題だぞ」
「上手いこと言ってる場合か、デコ」
「本当は各国への救援を最優先としたいところですが…この状況を理解している数少ない人物である私達が、元凶を抑えなければなりません」
「各国の人達が放つ負の感情がサバトのエネルギーになるから、却って長引かせてしまう可能性がある…ってことかな?」
「その通りです。…半永久機関と言っても差し支えないでしょう」
「地上から人間がいなくなるまで動き続けるってか。腹立つ邪神様だことで」
『急を要する事態だ。いささか不安定ではあるが、地上から赴くよりかは幾分早い』
ドラゴンは翼の挙動を一頻りに確認した後、手の平に乗るよう促してくる。あんまり無理をさせたくないのが本音ではあるけれど、世界の一大事に四の五の言っている時間も余裕もない。好意に甘えて、この場は頼らせてもらう。
「リノ、悪いけどここでお別れだよ」
「グリュネさん?」
「ついて行きたい気持ちはあるんだけどさ、あたしにはあたしの役目があると思うのさ」
やる気に満ちた声色でそう言い放つグリュネは、麓に見える故郷を俯瞰する。レムレドの奥地とはいえど、安全だと言う保証はどこにもない。状況を知る人間がこの場に残り、避難や迎撃準備を先導する必要があるだろう。土地勘のあるグリュネこそが最も適任だと満場一致。名残惜しいけど、致し方ない。
「…うん、分かった。さくっと行って終わらせてくるからさ、また会おうね!」
「この地はお任せします、グリュネさん。…どうかご無事で」
「リノ、エルノア、クーストラ…それとオージェ!短い間だったけど、楽しかったよ!今度会う時は、盛大に飲み明かそうじゃないか!!」
ドラゴンが飛翔を開始する。段々と小さくなっていくグリュネに対し、あたしは最大限に手を振って応えた。お互いの役目を完遂させると言う、約束も兼ねて。
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「うっひゃぁー!速いッ!」
風の波に乗ったドラゴンの速度は、留まることを知らない。祠に向かった際の遊覧とは訳が違う、圧倒的な疾駆。ぐんぐんと伸び、一気に国境付近まで到達する。それと同時に、よりはっきりと見えてくる白い大群。関所の壁が奴らの進行を押さえているが、今にも破壊しそうな勢いで、次々と壁に突撃している様が分かる。
「魔法テレビを通して見るのと、直接肉眼で捉えて見るのとでは、随分印象が違いますね。…まさに悪魔と呼ぶに相応しい、得体の知れない恐怖」
「冷静に分析してる場合か、エルノア。敵がどんな姿形をしてようが、全部叩き潰せばいいだけの話だろうが」
「ほんとハゲは脳みそ筋肉だなあ」
「輪切りにすんぞ、デコ」
「もーっ、2人とも!…ん?」
ここで、クーの頬に赤い飛沫が付着する。あたし達はその正体を即座に理解すると、ドラゴンの片翼に視線向けた。相当な無茶をしたのか、完全に傷口が開いてしまったらしい。真っ赤な血潮が、雨のように大地へ降り注ぐ。その量に比例するかのように、徐々に高度も下がり始め、このまま飛び続ければ途中で墜落するのは明白だった。
「ドラゴンさんっ!」
『門までは…!』
「ここでいいから降ろせ!この傷じゃ無理だ!!」
『限界は己が決める。我は…まだ、落ちぬ…!』
口ではそう言うものの、やはり苦しそうな表情は変わらない。けれど、必ずやり遂げるといった強い心の意志を汲んで、最後まで貫いてもらうこととする。
「そこまで言うんなら、あたし達に見せてよ。ドラゴンさんの魂をさ!!」
「リノお姉ちゃん、何を―――」
『…承知!!!』
ドラゴンはさらに加速する。高度が落ちきる前に、門まで辿り着くつもりだ。まだまだ伸びて、伸びて、伸びて…!ついにやり遂げた。雪を緩衝材として、滑り込むようにゴールイン。雪に描かれた真紅の軌跡は、気高き魂の褒賞だ。完全に動きが止まった後、自らの手を開いてあたし達を解放したドラゴンは、深い息を吐きながら目線だけを移動させる。
『怪我は…ないようだな』
「おかげさまで。ドラゴンさん、ありがとね」
『気にするな。それよりも、後の事は任せたぞ。お前達が我らの希望だ…』
「ええ。伝説の存在をここまでこき使ったんです。相応の働きで返礼しなければ、罰が当たると言うものですよ」
「そーだね。いっちょ派手にぶちかましてやるとしますか!」
「あっ…」
気合いを入れて門へ赴くあたし達を尻目に、クーはドラゴンの傷を治療しようと魔法の詠唱を始める。しかし―――
『不要だ』
「そんな訳ありません。意地を張らないで下さい!」
『時間が惜しいのだ。ただの擦り傷ならばいざしらず、この有様ではな。…クーストラよ、その優しさを『忘れろ』とは言わぬ。だが、目の前の惨事に蓋をしてまで、行動を起こす必要はない』
「…っ!でも、でもっ!」
『心を繋ぐ力で世界を照らせ。誇り高き、魔法使いの末裔よ』
真摯に訴えるドラゴンの言葉が胸に届いたのか、クーは詠唱を止める。滝のように流れる涙を乱暴に拭うと、駆け足であたし達に追いついた。
「ごめんね。リノお姉ちゃん、エルお姉ちゃん、オーさん。もう大丈夫」
「謝る必要なんてないって。あたしだって、緊急時じゃなけりゃあドラゴンさんの治療を優先してるさ」
「お前の良いところだ。悲観はするなよ、クーストラ」
「…はいっ!」
度重なる白い悪魔の突撃で、いよいよ門の一部がひび割れてきた。もう10分も経たないうちに、破壊されてしまうだろう。そうなる前に、こちらから打って出る必要がありそうだ。あたしの考えを読んだのか、エルはすぐさま自前のポーチから縄を取り出すと、巧みな技術で門の頭頂部にある突起物へと引っ掛けた。
「サンキュー、エル。ある程度片付けるまで、2人は待機しててよ」
「開門はいつでも受け付けます。ご健闘を」
「おいハゲ」
「んだデコ」
「…背中は任せる」
「いいだろう、安心しろ」
あたしは自分の頬を両手で軽く叩く。気合いも準備も万端だ。無敵の剣士が2人もいれば、どれだけの数を相手しようとも怖くはない。意を決して縄を手に壁をよじ登ると、そのまま反対側へ飛び込んだ。
「リノ・レインバーが通る!!ぶった斬られたい奴からかかってこいやぁ!!!」
足場を確保する為、まずは門に張り付いた悪魔達を月光で撫で斬りにする。体型が人間に近い分、結構な厚みがあるのかと思いきや、意外にも脆く、一度の攻撃だけで数十体を切り裂けた。そしてばらばらになった悪魔は、塵となって跡形もなく消え去る。勝手な推測だけど、元々が目に見えないエネルギーが故に、外部からの過剰な圧力には形成を保っていられなくなるんだろう。
「どけッ!!」
気合いの入った雄叫びと共に、大剣を振り上げたオージェが舞い降りてくる。悪魔の頭部を交代のスイッチにして飛び退ると、そこへオージェの重撃が叩き込まれた。
「ふうっ、やる♪」
「まだ…ここからだ!!」
ネパルマで見せた時以来の、大剣グリムに隠された奥の手…仕掛け展開。真っ二つに割れた大剣の隙間から紅色の宝玉が顔を出し、大地を引き裂くほどの衝撃波が発生する。それにより宙を舞った悪魔を一時的に壁として利用しつつ、オージェは手早く詠唱を済ませた。宝玉から伸びる薄く青白い刀身を際限なく伸ばすと、渾身の力で薙ぎ斬った。
「今日はサービスだ、全部受け取れぇぇぇッ!!!」
一騎当千とはまさにこの事かもしれない。阿修羅の如き一閃は、千近い悪魔の群れを一瞬にして消し飛ばした。いきなり全力疾走とは、やる気が違うな。久々の土の大地を踏みしめたあたしは、壁に張り付いている残党を素早く狩った。もっと抵抗してくるかと思いきや、ほとんどの悪魔はただ突撃するのみで、それほど脅威は感じなかった。余力を持って処理を行った後、刃を鞘に納める。
「数が多い分、賢く作る暇がなかったのか?」
「…どうだろうな。ただ、その数が厄介だ。この程度のレベルなら、戦い慣れしてない人間にも捌けるだろうが、あくまでそれは一対一での話」
「複数になると、危険だってわけね。…それよか、いきなり全力とは驚いたぞハゲ」
「こんな気色の悪い奴と、長々戦う気にはなれん」
むしろ嬉々として獲物を振るいそうなだけに、あっさりとしたオージェの返答に、妙な引っ掛かりを覚える。もしかすると、気を遣わせてしまったのかもしれない。
「…確かにな。理由は結構だけど、余力は残しておけよ」
「言われるまでもない。もういいぞ、開門しろ!!」




