少女、カフェにて
カランカラン―――――
心地良く鳴る小鐘の音色が、あたし達旅人の入場を歓迎してくれる。
「あー疲れたぁー」
「まったく、大袈裟な」
木造建築の小洒落たカフェに入店したあたしと相棒は、カウンターに腰を下ろしてメニューを開く。
あたしの名前はリノ・レインバー。16歳。翡翠色の瞳を持ち、蒼の長髪を後ろで束ね、留め具には目を引く大きめのリボン、僅かに装飾が施されている黒のタンクトップに、ベルトの付いた紺色のホットパンツを身に着けている。
そして、あたしの相棒の名前はエルノア・アールコート。愛称はエル。あたしよりも2つ年上の18歳。真紅の瞳を持ち、魔法使いを彷彿とさせる帽子をなぞらえた大きめの被り物に、オレンジ色のウェーブ掛かった長髪、露出のない白主体のロングワンピースを身に着けている。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「おっちゃ、あたしミルク!」
「では私はアップルティーを。リノ、がっつき過ぎですよ」
「だってさあエル、喉が渇いたら戦は出来ないって言うでしょ?」
「それを言うなら『腹が減っては』です。勉強不足ですね」
外見に似合わず、エルの一言はきつい。初めて会った時はその態度に面喰ったけど、今では随分慣れたものだ。そんなあたし達のやり取りを見ていた、店主である大柄の男は声を上げて笑う。
「ハハハ!面白い嬢ちゃん達だな。どこから来たんだい?」
「生まれも育ちもこのガジュアだよ。ちょっとした田舎から出て来たんだ」
ガジュアと言うのは、この世界に存在する6つの国家のうちの一つだ。世界地図で中央に描いてあるマナ海から見て、南に位置する。複数の代表者によって運営されており、6国家の中で最も人口が多い。彩り豊かな季節感が人気で、交易が盛んなのも特徴の一つだ。
「ほーう。それにしても、何でまた女の子2人で?」
「色々とねー。まあ、あたしは師匠の言いつけ通り、見聞を広める為に世界各地を巡る旅を始めたんだけどね」
「観光とかじゃなくてかい?嬢ちゃんのお師匠さんは変わった人だな。そっちの嬢ちゃんは?」
「私は…私も似た様なものです」
エルはこの手の話はしたくないらしい。素っ気無い態度で店主を軽くいなすと、運ばれてきたアップルティーを優雅に啜る。
「嬢ちゃん達みたいな若いのがねえ。女2人旅は何かと危険じゃないのかい?」
「ぜんっぜん平気だよ。その辺のチンピラぐらいなら何人がかりでも倒せるし」
「ハハハ!凄い自信だな。確かにそれなら安心そうだ」
「でっしょ~?」
「リノ、今の皮肉ですよ」
「ええっ!?」
驚いて思わずミルクをこぼしそうになる。危ない危ない。
「おっちゃ、ひどいよ!マジなのに!」
「ハハハ、すまないな。信じてやりたいんだが、どうにもそうは見えなくてな」
「ぐぬぅ…まあ、確かにそうか」
自分で言うのもなんだけど、華奢な体型だからなあ。そう思われるのも仕方がないけれど、納得いかない。
「まあでも、腕は確かですよ。いざと言う時には頼りになりますから」
「エールー!」
「何ですかリノ?」
「大好きっ!」
「気持ち悪いです」
あたしが抱きつこうとも、エルは涼しげな表情を崩さない。とある名門の令嬢だけに、立ち振る舞いは流石の一言だ。相棒に褒められて気分が良くなったあたしは、一気にミルクを飲み干して渇いた喉を潤す。
「ぷはーっ!やっぱりミルクはおいしいなぁー!」
「良い飲みっぷりだな嬢ちゃん。ほら、もう一杯サービスしとくよ」
「ありがと、おっちゃ♪」
すっかり店主と打ち解けたのも束の間、奥のテーブル付近で大量の皿が割れる音が店内に響き渡った。それまで賑やかだったカフェは一瞬のうちに静まり返り、店内にいた客は皆、奥のテーブルへと視線を向けた。
例外なくあたしとエルも視線を向けると、そこにはいかにもな風貌の長身の男が、武器を片手にひ弱そうな男性に向かって睨みを利かせていた。
「おうおう、兄ちゃんよ。ぶつかっておいて挨拶もなしかよぉ?」
厳つい男は、ひ弱な青年の胸倉を掴む。
「ひぃ、すみません!謝罪は致しますので、どうかお許しを…!」
「いくらだ」
「えっ?」
「いくらだって聞いてんだよ!謝るだけならサルにだって出来るわ!」
「暴れるだけならゴリラにも出来るっての」
あたしは、厳つい男の理不尽な物言いに、思わず悪口を吐き出していた。ほんと、ああいった弱者を貶める人間には心底腹が立つ。
あたしがイライラしているのとは反対に、エルは何事もなかったかのようにアップルティーを啜った後、自前のポーチからお気に入りの本を取り出して読み始めた。マイペースだなあ。
「…止めたいんでしょう?」
「まあね。本当の強さってのを教えてやれそうだし」
「おい、やめとけお嬢ちゃん。この場を収めようとしてくれる、その気持ちだけで十分だ。私がやるから、お嬢ちゃんは―――――」
「おっちゃ、問題ないよ。あたしに任せて」
店主の制止を丁重に断って、あたしは自分の獲物を手に取って席を立つ。実家を出てから初めて人に刃を振るう。うっかり傷つけてしまわないように注意を払わないと。
「リノ」
「なーに?」
「店内、壊さないで下さいね」
「あーいよ」
信じてくれている相棒に軽く手を振って、あたしは臆する事無く、厳つい男とひ弱な青年の間に割って入った。
「やめなって。大の大人がみっともない」
「あぁ!?何だこのガキは?この俺に説教しようってかぁ!?」
取り付く島もない、好戦的な態度。やはり、お灸を据える必要がありそうだ。けれど、とりあえず話し合い。戦わないで済むならそれに越したことはない。
「もうお兄さんも謝ってるんだし、それで良いじゃない。何がそんなに不満なの?」
「俺にぶつかった。それが許されねえんだよ」
「小さいなあ」
「何?今なんつった!!」
「器量が小さいって言ってんの。そんなでかい図体なのに情けない。もう少し心にゆとりを持とうよ。ねっ」
しまった。宥めるつもりが、逆に挑発とも取れる発言をしてしまった。男はこめかみに血管を浮かばせてわなわなと震える。
「テ、テメェ…!その胸同様、俺にでかい態度とりやがって!もう許さねえ!!」
男は青年を投げ飛ばして、自身の獲物である斧を構えるが、師匠との手合いで武術経験を積んでるあたしにとって、武器を向けられることは日常茶飯事。そんな脅しじゃ眉ひとつ動かない。
そんなことより、さっきの発言!決して自慢ではないけれど、同年代の女子と比べて、あたしは割と胸が大きい。でも、人に見られるのは恥ずかしいから、本音をいえば厚着にしたいんだけど、動きやすさを重視した結果、軽装にならざるを得ないのだ。その所為で、角度によっては色々な箇所が見え隠れする時がある。即ち―――――
「身長差があるとは言え、やけに視線が下がってるかと思ったら…!だーれが牛乳じゃあ!絶対許さん!!」
表面上は熱くなるけど、心は冷静。あたしは獲物を左手に持ち、腰を低くして静かに構える。すると、やっぱりと言うべきか、男はコレを知らないらしい。ゲラゲラと下卑た嘲笑で、あたしの獲物を指差す。
「ゲハハ、何だその質の悪そうな歪曲した樫の棒は!?」
「知らないの?白鞘って言うんだけど」
「知らねえなあ、そんな棒切れ俺がぶっこわしてやるぜ!!」
安い挑発と共に、男が斧を振りかぶる。遅い、遅すぎる。師匠の何十倍も劣る男の動きはカメそのもの。あたしには止まって見えた。
一瞬の閃光が走った後、男が持っていた斧は柄の部分がぱっくりと切れて、派手な音と共に床に落ちた。何が起きたのか理解出来なかった男は、大口を開けながら呆然とする。
「な、何が…」
「ん?これだよ」
あたしは入れ物である鞘から、一度納めた獲物を引き抜いて見せつけてやる。
光が反射して煌きを放つ刀身は、己の姿さえも映し出すほどに美しい。日々入念に手入れを施しているのかが良く分かる輝きだ。うむうむ、我ながら実に素晴らしい業物。
「分かった?鞘は入れ物で、本命は刀だったって訳」
「なるほどなあ。一度限りの奇襲武器ってことか」
「いや、そうじゃなくて」
男はまるで理解していなかった。背負っていたもう一丁の斧を右手に持つと、あたしに突きつけて高らかに笑う。
「自ら種明かしをするとは馬鹿な奴だ!次の俺の攻撃で終わりにしてやるよ!」
「あーもー、駄目だこの人。口で言っても聞かないか。…ならっ!」
あたしは刀を鞘に納めて再度構える。男が踏み出すタイミングを見計らって、素早く刀を引き抜いた。
飛び散る火花と衝撃音。戦いに縁のない他の客は、恐怖のあまり身を屈めてうずくまるが、カウンターに座っているエルだけは暢気に読書を続けている。ほんとマイペースだなあ、エルは。思わず笑いそうになるのを堪えて、左手に持っている鞘を利用して、斧の柄を上から押さえる。
「なっ、何で女の癖にここまでの力が…!?」
「そこまで力は入れてないよ。あんたの力の入れ方を見て、受け方を変えてるだけ。…さあて、座興はおしまい。本来のあたしの戦い方、披露しましょうか!」
梃子の原理を利用して、挟み込んでいた斧を上へと高く投げ飛ばす。武器を失って慌てふためく男をさらに混乱させるべく、あたしは刃を宙に放り投げ、先行していた斧と接触させた。
「なっ!?」
「まだまだっ!」
残った鞘一つで男の懐に潜り込み、下から突き上げるようにして顎を打つ。勿論それほど力は込めていないが、痛みを感じさせるには十分な威力。
案の定痛みで大きくよろけた男に、間髪容れずに軽く足蹴りで追撃して転倒させる。さあ、準備は整った。仕上げの演出の出番だ。
先程まで宙に上がっていた斧と刀が回転しながら降ってくる。斧は男の目の前に深々と突き刺さり、そして刀はあたしが事前に掲げていた鞘の中へ『カチン』と音を立てて綺麗に納まる。
演舞式抜刀術。
元来刀は、相手に射程距離を測らせないよう1回1回刀を鞘に納めるのが基本だけれど、演舞式は真反対の戦い方。剣術と体術、そして鞘さえも織り交ぜて戦う攻防一体の体剣術で、お手玉のように敵を翻弄して、舞踊の動きで敵を斬る。
…あたしの恩師である師匠が教えてくれたモノだ。
「はい、あたしの勝ち」
目の前に突き立てられた斧に恐怖したのか、男は震える足に鞭打つと、情けない大声を出して店を飛び出して行った。
「ふう、こんなもんかな?」
悪党が去ったことで、静まりかえっていた店内が一斉に沸き立つ。そして、他の客の皆々が、あたしに向けて拍手喝采の嵐を送ってくれた。ちょっとしたヒーローみたいで、悪くない気分だ。
「凄いぞ、お嬢ちゃん!」
「かっこよかったぞー!!」
あたしは笑顔で歓声に応えて、上機嫌スキップをしながらエルの待つカウンターへと戻った。
「たっだいまー」
「おかえりなさい。随分と時間がかかりましたね」
「まあ、他のお客さんもいるしね。おっちゃ、もう大丈夫だよ」
「驚いたよ。まさか本当に芸達者だったとは…」
「だから言ったでしょー?へへ、皆が無事で何よりってね」
派手に動いたからまた喉が渇いた。あたしは椅子に座ってメニュー表に手を伸ばすも、エルの右手がそれを制した。
「ティータイムは終わりです」
「ええっ、何で!?」
悪者は成敗したはずなのに、どことなくエルの視線が冷たいままだ。理由が分からないあたしが頭を抱えている様子に、エルは軽く溜め息をついて先程まで男がいた場所を指差した。
「私、言いましたよね?店内は壊さないでと」
「あ…」
止めの演出の時に床に突き立てた斧の所為で、床が盛大割れて周囲に破片が飛び散っていた。調子に乗ってやり過ぎた。
「あー、あれはその」
「お店の修理代は、リノお小遣いから差し引いておきますので」
「そ、そんなぁー!」
周囲からどっと笑いが巻き起こる。もうっ、あたしからしたら笑い事じゃないんだけど・・・まあ、皆が楽しそうだしいっか!