第56話(快楽と苦しみ)
「いい子ね、青龍。私の言う事は何でも聞いてくれるの?」
と、青龍の大きな頭の上、両角の狭間に乗っていた『もう一人の勇気』は優しく微笑みかけた。少しの意地悪さを込めて。真意は分からない。
青龍は無反応だった。聞いているのかいないのか……返事は期待できそうにはなかったようだ。
『もう一人の勇気』―― 勇気から生み出され形成されたもの。何もかも全く知らなかった勇気とは違い、最初から世界の事はほとんど見通していたという。
自分は勇気の影の部分だと。光のある所は好まない、裏で生きる。勇気には悟られずに隠れて……。
……本当は気がついてほしかったのかもしれなかった。だからか、徹底して隠れていた訳ではなかった。夢の中を伝って転々と……。
「青龍、あなたを復活させたのが私だったって事、分かってるみたい。利口ね……」
この『勇気』が、害となす青龍の体から放たれる異臭にも毒素にも耐えられて平気でいられるのには、青龍の施しがあったからだった。それはこの『勇気』全体を薄く丈夫に包んでくれている膜の張ったバリアー。何故、青龍が護ってくれていたのかは不明である。
この『勇気』は、広大で黒く混沌とした下界を見下ろしながら、青龍に乗って。もうすぐ訪れるだろう朝日と、勇気達に。大あくびをした。
「倒せるものなら、倒してみせなさいよ……勇気」
勇気達や天神達を乗せた空飛ぶ島は、青龍の居る方向へと狙いを定めてそちらへと雲の中を駆け抜けていた。一度は青龍から逃げてきたもので、逆戻りをする事になる。
これから何が起きる、起ころうとするのか。勇気には皆目見当がつかなかった。
しかし内から湧きおこる不安や恐怖といったものは。セナ達のおかげで今の勇気にはあまりない。セナ達が言ってくれた決意――青龍を倒す。救世主一人に全てを負わせない――それが。
勇気は、嬉しかった。
決意が固まる。
さあ行こう。青龍と、『もう一人の私』の元へ――と。
「レイは何処に行ったんだろうな……」
セナがぼやいた。勇気とセナは座り並び、スカイラールのそばでまだ眠り続けているハルカとともに居た。遠く森の中から肉を焼き焦がしたにおいが、深緑のにおいと混じって風に乗り勇気達の所へと運ばれてくる。
マフィアや蛍達が朝食の用意をしているらしかった。
横になってハルカが寝ている傍らには勇気とセナと。ハルカを挟み対してカイトやゲインが居た。ヒナタはマフィアの手伝いに行っている。
天神達は操縦室へ。下界や青龍達の様子、動向がとても気になってしまうのだろう。腹わたの煮えくり返りそうになる思いを噛み締めながら、偵察していると思われた。
青龍の所に辿り着くまで腹ごしらえをしておこうという提案の後。マフィア達が用意している間、勇気達は手持ちぶさたになり、セナがいきなりにも問いかけてみた。
レイの所在を。
レイは、青龍を復活させるための“四神鏡”の、最後の一つだった卵らしき物の形を割って力を解放させた後。爆発か衝撃に消されて何処へ行ったのか行方知れずになってしまった。
死んでいるのか、生きているのか。
天神にさえ分からないのだろうか。何ともレイの存在は宙に浮いたままの状態になっていた。
「レイが居ないと、封印もできないよね……」
勇気がそうセナに返す。分かりきっていた事ではあったが、つい言ってしまった。封印は、七神が揃って初めて可能となる処置のはず――。一人でも欠けた場合、封印は不完全になってしまうのだろうか……。
ほんの束の間でも、青龍の破壊行為を止める事ができるなら、それでもいいのではないか。
勇気は空を見上げて、そんな事を思う。
『四神獣 万物を惑わし 必ずや破壊を導く 恐るべき獣なり』
ブルブルと、勇気は首を左右に激しく振った。良くない考えを払拭する。
考えすぎるなと……自分を戒めた。
「心配するなって。何とかならあ……倒せばいいんだ、倒せばさ」
と、セナはノンキそうに笑っていた。
勇気も少し笑いながら「そうだよね!」と前を見直した。ハルカが寝ている前を。
島は止まる事はなく、朝日の光で色の染まっていく空を走り続けた。
到着前に朝ご飯が待っている。
「う……」
『もう一人の勇気』は苦しみ、胸のあたりを強く押さえた。押さえて掴んだ制服にできたシワは、無数にも及ぶ。むず痒い苦しさが、『勇気』を襲った。「うう……」
青龍の頭上で暫く身を固めうずくまって過ごした後、少しずつ楽になっていった。時々に、こうなる……『勇気』は、もう何度目になるのかが知れない苦しさの狂想曲にうんざりを覚えていた。そしてつい思うままに言ってしまう。
「ふ……勇気……いいわねあんたはそうやって皆に愛されて。護られて……」
心の中も同様。言葉だけでは足りない“気持ち”は、『勇気』の全体を支配している。
(あんたが笑うたびに、傷が一つずつ増えていくのよ……)
誰も聞いてはくれないけれど、と。『勇気』は言葉を吐き出す。
やり場のない思い。行く所のない苦しさを。……吐く。
「あんたの影なんて……なりたくなかった」
回想をする。勇気の見てきたもの、聞いてきたもの。『勇気』は全てを知っていた。
月夜祭。セナに指輪をもらった時。
摩利支天の塔。蛍が仲間になった時。
“聖なる架け橋”でセナと話した時。
元の世界から戻ってきた時。
魔物と戦った時。街で買い物をした時。
南ラシーヌ国王と話した時。
最後の七神を見つけた時。
セナと再会できた時。
仲間とともに過ごして誓いを立てた時……。
思い出す。勇気の笑顔。
とても嬉しそうに。子供らしく笑って。
辛い事など、その時は忘れて。
幸せそうだった。
なのに何故。
『勇気』には、それを苦痛にしか味わう事ができない。
勇気が笑い喜びで満たされれば満たされるほど、『勇気』には苦痛でしかない。
そんなカラクリが、“勇気”という合わせて一人の身にお互い起こっているのだ……そしてそれを知っているのも『勇気』だけ。勇気は知らない。
負の部分を背負う。
『勇気』は青龍に這いつくばりながら、何もかもが憎らしくて体が沸騰しそうに熱を帯びていた。
(どうして……どうして私ばかりが苦しまなければならないのよ……おかしいわ)
その代わりに。
勇気が苦しめば苦しむほど、『勇気』は悦を得る。それを知っていた。
(もっと……もっと苦しめ。そしたらもっと私は……)
楽になるのよ、と。声に出さずに飲み込んだ。
やがて上半身だけを起こした『勇気』は、青龍に命令する。
「青龍。勇気達を追いかけて」
ウオオオオ……
金物のような響きと合わせた唸りを青龍は上げた。同時に、自由気ままに空を浮遊していた体はそのうちに進行方向を一方に定め、進んでいった。ユラリユラリと長い全長はくねらせ、動くたびに皮膚からこぼれ落ちた毒の粉は地上に降りかかる。
「いい子ね……あなただけよ。私の気持ちを理解してくれるのは……」
青龍とともに進行方向を見つめていた。風切る中を、時々に目を細めながら。
この先に勇気が居る……勇気をもっと苦しめてやればいい。もっと近くに居れば居るほどいいに違いない。きっと楽になれると。
この苦しみから逃れる事ができると。
『勇気』は信じた……
『人間は精霊とともに この世で生きる道を選びたり
しかし 人間と成ることのできなかった者 存在す
これが獣なり――』
第三章、“四神獣”の章の一部が『勇気』の脳裏に蘇った。獣、とは――
『人間と成ることのできなかった者』
「……私も、勇気から生まれた出来損ないなの……」
何と、『勇気』の目から一滴の涙が流れ落ちていった。
そんな、勇気と『勇気』の気持ちが交錯する中。島と青龍はやがて対峙する事になるだろう。距離は確実に縮まっていった。
天神は考える。青龍の封印を。
問題は一つ。レイ……闇神。七神の一人が欠けている事だ。
封印は、不完全でも成るものなのか。
天神には分からなかった。試してみた事は無論ない。
しかし、もしできるなら。やってみる価値はあるのでは、と。
天神は決心し、勇気達が集まるキャンプ地へと赴いた。
「封印を……ですか?」
茶碗を持ちながら、勇気は天神が座する手前をボンヤリと見つめた。
森の入口付近で。マフィアが作った鍋の中の雑炊を茶碗に移して食べている。獅子の子供に似た小動物をヒナタが捕まえてきたので、さばいた肉を焚き火で焼く。後は味を付けて、それぞれは焚き火を囲んでお腹を満たしていた。
持ちかけられた『封印』という法。勇気達は忘れていた訳ではないが、レイが居ない以上、考えには入れていなかった。
「こちらの動きが気がつかれているのかどうだかは不明だが、青龍のあちら側は我々の方へ近づいて来ているらしい。このままだといつか衝突する事にはなるが。青龍を倒すと言った……その熱意は買おう。だが、やはりどう考えても無理だ。無謀すぎるとしか言いようがないのだ……四神獣を倒すなどと」
と、天神は頭を抱えていた。白く長い、艶で光る絹のような髪は、これ以上に白くはならない。しかし顔は青ざめている。
「お主達の力では、奴は倒せん。それが分かりきっているからこそ、代々救世主を呼び、生け贄として捧げてきたというもの。奴を倒すなどと……甘く考えるな!」
最後、語尾を強めて言った。はち切れんばかりといった風に……途端に辺りはシンと静まり、パチパチと火の粉は上がっている。
セナの、怒りを込めた重厚な声が響く。
「……勇気はまだ13歳なんだぞ……まだまだ生きられるじゃねーか。どうして……」
箸を茶碗の上に置き、睨んでいた。
「何が救世主だよ。そんなの、こっちの世界の都合だろう……?」
本当は叫びたいだろう、セナの叫びのような気が全員にしていた。だが黙ったままで、箸を進めている。
勇気も、セナと同様に空となった茶碗を下に置き、箸を上へと置いて揃えた。
勇気は、ありがとう、と心の中で呟き。セナの思いを断ち切った。
「もういいよ、セナ。私、やるだけはやってみるから。封印も、倒すのも」
勇気は、持ち前の元気よさで皆の前にさらす……天神も皆も、それに救われていった。
「方法を教えて下さい、天神様。私……青龍を封印してみますから」
焚き火の火は、赤々と消える事なく燃えている。
食事ももう終わろうとしている。
全員が……固唾を呑んで押し黙っていた。
日は昇った。さあこれからという時が来る。
勇気達を乗せた浮かぶ島の正面から、青龍はその姿を現す。
記憶にも新しい龍の、滑らかな曲線を描くその体躯。蛇のようにぬるりと長く、見るに湿り気を帯び、よじらせて暴れていそうで……日に反射して青くウロコは光る。
先についた頭は大きく、伸びた髭は枝垂れ風にあおられ横へと流され。ギョロリとした眼の奥は、色がついてはいるが遠目にはわからないでいた。
頭にはざくり、ざくりと突き刺さったような角が2本……体毛は荒々しく、もじゃりと白っぽく生えて後ろへと流れている。
頬を切り裂かれたかに見える大口から、牙や白黒のいびつな歯が見え隠れしていた。
呼吸の隙に黄色い息を吐く事があるようだ。浴びると猛毒だろう、臭そうな息……顔の正面から攻める事など、不可能に思えた。
「私が七神、あなた達をサポートしましょう……飛べるようにします。そして、全身に防護の膜を張りましょう……それで精一杯。健闘を祈ります――それぐらいしか、できないが……」
と、天神は申し訳なさそうに言った。
勇気達はとんでもない、充分ですと全員が一致し、大きく頷いている。
「天神様をお護りします。それと、操縦と。こちらにそれらはお任せ下さい――ご無事で」
天神の影でアジャラとパパラは言った。
武器を持つ。
セナ、カイト、紫、ヒナタの腰には短剣を持つ。ゲインは長剣、マフィアはムチを持っていた。そして持つ全ての武器は、最高峰と言われている鉱物“オリハルコン”製だった。竜をも斬れると評判を受けてはいるが……目で確かめた事のある者はココには居ない。
各自、武器を持つが主体はそれではない。魔法、肉弾戦など、それぞれの得意とする分野で活躍するつもりである。セナやカイトは魔法を、マフィアは魔法と武器のムチを。ヒナタやゲインは体を張った格闘戦で、紫は武器の長剣と格闘で。
それらを頭に置いていた。戦い向きではない蛍は天神の元で待機し、いざという時のために備えるという形をとる事にした。
残るは勇気。手には“光頭刃”を構え、青龍ではなく……体毛に隠れ潜んでいる『敵』に向かって目を鋭く光らせていた。
準備はでき上がっている。
戦闘が始まろうとして時が迫ってくる……
勇気達は並んで広がり、しっかりと落ち着いていた。
天神はすでに勇気達の護衛に取りかかっている……防護された服の上から、シュウシュウと煙が細白く立ちのぼり、身を護る。
軽くジャンプすれば飛べるのだろうと予想されるほど、身の体重を軽く感じていた。
(いよいよ始まるのね……緊張しちゃうな……)
勇気は列の真ん中から、一歩出た。島の岬になった崖で、神剣“光頭刃”を突き出す。
ちょうど太陽の光が当たりキラリと輝いた。神の剣。神に選ばれし者が持つにふさわしいであろう、究極の剣。人は斬れないと言うが……?
(青龍もあの『私』も、斬れるような気がする)
妙な確信が勇気にあった。どうせすぐに証明されるべき事だろうと思い意気揚々だった。
不思議と、怖くなくなっていく……緊張は、ほどかれる。
勇気は叫んだ。
「『もう一人の私』……聞こえてる!? 私よ、勇気よ! あなたの片割れ。私達は青龍を倒しに来たの……倒せなくても。封印してみせる……!」
大音量は、めいっぱい空に響いていった。勇気はもう一度繰り返す。
「倒す……封印する!」
それはとても気持ちのよいものだった。思わず、『勇気』が顔をしかめてしまうほどの爽快感。胸のあたりがチクチクと、棘刺す痛みに襲われた。
歯を食いしばり、歯ぎしりもした。
「倒す……封印するですって……?」
嫌な汗がたぎる。激情した感情を抑えていきたかった。
握り締めた手はワナワナと震え、『勇気』は我慢の限界を感じていった。
「許さない……させないわ……倒されるのも封印されるのも。そんな事を……」
できる訳がないと高をくくって。鼻で笑った。
「させるもんですか!」
『勇気』は立ち上がって堂々としてみせた。
さあやってみろと挑戦的に胸を張って正面へ。青龍は吠えた。
「グガアアア……ッ!」
幾人かは、武器のある腰に手を当てた。セナやカイト、マフィアは魔法のために精神を集中の域へと達しさせる。
足を片方、一歩だけ下がりやや後ろに体重をかけた。
来い! ……もしくは、来る!
勇気は。まず、と。我先にと島の土を―― 蹴った。
《第57話へ続く》
【あとがき】
あと5話(ボソ)。
※ブログ第56話(挿絵入り)
http://ayumanjyuu.blog116.fc2.com/blog-entry-128.html
ありがとうございました。