第52話(青龍復活)
私とセナを迎えにチリンくんは、空竜に乗ってやって来た。曇天の空の中で大きな羽を広げてあおぎ、バッサバッサと豪快な音を立てている。薄い水色で触るとぼこぼこしている皮膚をした体は重くはないのかなと思ったりした。空竜、スカイラール。チリンくんが名づけたのかそう呼ばれていた。
胴体から生えた太くたくましい前足でガッチリと肩を掴まれていたセナ。そしてそんなセナに抱きかかえられていた私、という構図。いつまでもそんな態勢のままでいる訳にもいかないので、私とセナは彼の羽の生えた背に引き上げられた。両翼の間でカイト、マフィア、ヒナタ、ゲイン、蛍に紫と。おなじみ懐かしいメンバーが揃って私達を出迎えてくれていた。
「勇気! セナ、無事だったか!」
と、カイトが嬉しそうに身を乗り出しセナの肩をバンバンと叩いた。私を見る目も喜びで溢れて。
マフィアも。他のメンバーも、だった。ホッと安堵感に浸って温かい空気に包まれる。「おかえりい〜」「セナ、おかえりなさい」「ああ。ただいまだ。ありがとう」
しばらくはそんな『ただいま』『おかえり』コールの嵐だったのだけれどね。
「……」
急に嫌な沈黙時間が流れた。
当たり前なんだけれど。
だって今。
「ひえええ……」
なんてノンキな声を上げるしかできない私。だって――だってだって!
「青龍だ!」
セナが叫んでくれた。そうなんです。
あああ、受け入れたくないけれどこれが現実。ついに。
青龍が地上に現れてしまったんだった。
青龍……見たままからそう呼ばれているのだろう。全体的に青い体で熱気なのか、その身からは湯気なのかホコリなのかがわからないが白くボンヤリと立っていた。もしココに造建築物があったりしたら物の見事に破壊されまくってしまっただろう……『青龍』は、ココ、火の島のちょうど中心にある山の頂上の土を溶かし、中から弾かれたように飛び出してきたように見えた。
するすると蛇のように穴から長い体は伸びてきて、先に出てきた体は空を旋回する。
一度伸びてみた体は縮み、やがて時間をかけて全貌を明らかにした。
青く艶光りする体躯。長い体に沿って攻撃から防御する役目のウロコが規則正しく幾何模様に描き並ぶ。
顔がよく見えない。体の方に目が行ってしまうな。
しばらく呆然と皆で見続けるしかなかった。
「青龍……」
風の囁きと混じった声を出す私。ゲインも後ろでぼやいた。
「奴が……」
「レイが……」
セナがレイと名を出した事で、チリンくんが皆にもわかるように説明してくれた。
「レイが、卵みたいな形状のものを取り出したんだろう? ……中身は、ご存知の通り『四神鏡』の一部だ。これが4枚集まると、四神獣は復活する訳で。レイは始めから青龍を呼び出すつもりだったんだね。だからこの地で鏡を解放した……応えて青龍は、無邪気にも復活してしまったみたいだけれど」
「解放……された」
「そう。お姉ちゃん。レイが卵みたいなのを割った事によって、外気に晒された4枚の鏡は己の力が完全体になったんだ。真の力は晒されて初めて効果を発揮する……青龍は蘇った」
チリンくんの真剣な顔が怖かった。子供だからか、余計にだ。悪夢でも見ている恐怖がひしひしと伝わってくる。
我、鏡に呼ばれ。復活なり――
「鏡は何処……」
またまた風に混じる。泣きそうな声音でもあった。
鏡の行方もレイ達の行方もわからない。鏡は、レイが所有しているのか。それとも混乱の中で失せたのか。
鏡をもし見つけられたなら、壊してしまえばとか……色んな考えがグルグルと回る。
「鏡はきっと何処かにはある。だけど復活してしまった後では、見つけた所でどうなんだという疑問がある。闇雲に探している時間も惜しいよ。それよりもだ」
チリンくんの厳しい意見。今、私達にできる事って。
「お姉ちゃん。しっかりと見て」
チリンくんが言った。私に。
「あれが青龍なんだ」
「……」
青龍は動いている。空の中を自由に。泳いで。楽しそう……に。
何百年と過ごしてきた窮屈が時を経て光を浴びて。人ではないけれど本人にとったら悦びこの上ない事なんだろう。それはわかる……わかりたいけれど、でもそれは。
許されない事なんだ。
「復活したって……嘘でしょう……?」
目の端に涙が溜まってきていた。この先どうなっていくのかが見当もつかない不安と恐れと八方塞がり……絶望感。私は段々と頭ではなく身に染みてきていた。おかげで全身は震えてしまう。
「落ち着け勇気。落ち着くんだ……それよりマフィア、皆に。聞きたい事が幾つかあるんだけど、まずアジャラとパパラはどうした? 何処行った? こんな時に」
と、セナは尋ねた。
今のこの現場に、彼女達は居ない。セナは捕まっていた時に私達の様子でも見ていてくれていたんだろうか。だとしたら私だけでなく、セナも知っているの? アジャラとパパラは――。
「それが消えちまったんだよ。勇気とマフィア、お前達を遠くから呼んでも来ないから、おかしいなと思って捜しに行ってみたら。マフィアだけが倒れてて」
とカイトがマフィアの方を横目に見やる。
マフィアは私が穴の中へと引きずられていくのを阻止しようと追いかけた時に。背後からの『攻撃者』の杖によって背中を貫かれた。反動で手を離されてしまった私はそのまま穴の中へと落ちたみたいだったけれど、負傷したマフィアはどうなってしまったのか。
マフィアは今、服の下に包帯を巻いた格好になっている。
「応急的に僕が持ってた聖水を飲んでもらったんだ。少しは回復できたと思う。でも無茶はしないで。完全に治った訳じゃないからさ」
と、チリンくんはウインクした。ううーん、可愛い。
マフィアはどうやら予断は許さず安静にせよという事ね。できるんだろうかこれから。自信はないけれど。
それにしてもだ。マフィアを襲った――2人。
アジャラとパパラ。
信じられない。時間が経った今でさえも。彼女らは、何なのか。
天神様の使いじゃなかったの? それとも偽者?
私は皆に、自分が確かに見たものを伝えた。予想通り、皆は私と同じ反応で信じられないと大騒ぎしている。
「信じすぎたんだ。何もかも」
カイトは言った。続けた。空を仰向いて。
「天神の所へ行こう。奴が全ての鍵を握っていると確信した――やはりな」
天神様の事を呼び捨てて、さらに天神様の事を奴呼ばわりした。それがカイトの確信、というよりは怒り具合を表していた。
やはりな……奴が。
全ての。
「皆、聞いて」
チリンくんが私達の方に向く。とても意味ありげだった。
「今、スカイラールはこの先の“魔窟の海”に向かっていってもらっている。そう、そこの“光の輪”の内側に天神様の居る神殿があるんだ。僕らはそこへ行く。行って、その目で確かめてほしい。だけど――」
いきなり元気を失くすチリンくんだった。どうしたんだろう?
思えば。チリンくんだって。
怪しすぎる存在でもある。まるで何もかもがお見通しのような――。
聞いてみた方がいいのだろうか。それも何だか怖い。
私が戸惑っていると、ゲインが声を上げた。
「危ねえ!」
チリンくんの話は中断される。ゲインの力強い声とともに私達はゲインに押し倒されていった。ドミノ倒しの如く次々と順番になぎ倒されて。
「きゃああ!」
「うわ!」
悲鳴が飛ぶ。間一髪だった。
遠くで旋回してこちらには関心がないと思われていた青龍は、私達を見て追いかけてきたのか、すぐそこまで来ていたではないか。何と後ろから黄色い息を吐いていた。
一発目は届かなかったようで、私達がその臭そうな息を直接浴びる事はなかった。伏せられたおかげで、空気に混じった息からも回避できた。
しかし次発目からはわからない。こうしてもいられない。
「あの息は猛毒だ。息は止めて伏せてて!」
チリンくんだけが立ち上がろうとしていた。一体何を!?
スカイラールの背を後方へと伝っていく。両横から受ける風圧と戦いながら、確実に追いかけてくる青龍へと向かって行った。
「何をするの、チリンくん!」
私が叫んでも風のせいか聞こえていなさそうだった。私達は事の成り行きを見守るだけで身動きが全くできない。
「ハアアアア……」
チリンくんの小さな体に似つかわしくないほど、しわがれて溜まった声を出した。
「食らえっ!」
気合いのようなものを込めていたのだろうか。視界が私からではハッキリしていないのが悔しいけれど、溜めた気合いを青龍に向けてぶっ放したらしい。放った一撃は、閃光と一緒に青龍へ襲いかかった。
ドオオオオンッ……!
光神の光が見られたら、これとソックリなんじゃないだろうかと思った。一点から伸びる無数の光の筋が世界の隅々へと鋭く射抜く強烈さで走り抜けていく。爆音と、爆撃、爆風。目は眩しさと風当たりで痛くてとても開けてはいられない。
少し時が経って辺りは治まったかと思われた頃合に見えた光景は。
思わぬ反撃を食らい数十メートルは後退していった青龍と、手前には力を持って疲れたように片ヒザを立てしゃがんでいるチリンくんの姿があった。
「だ、大丈夫? しっかり……」
私が慌てて駆け寄ろうとジタバタと手足を動かしながら這う。「へへ……ちょっとバテた……」
追いついた時にチリンくんは息を整えながら弱々しく声を漏らした。
チリンくんの体を支えたら、チリンくんは私の手をとる。何かを伝えようとして。
何だろう?
「お姉ちゃん、本当に……倒さな……きゃいけないの……は……」
言葉を待っていた。すると。「うう!」
突然に胸のあたりを押さえて苦しみ出したチリンくんは――体が薄くなり始めた。「!」
そして消える。
私の手元になった。チリンくんはもう居ない。何処にも。
空気を掴み私は叫んだ。
「チリンくーーーん!」
……。
空に大きく響いた後はそれも消える。
残されたのは中途半端な道しるべだった。チリンくんは最後まで、何かを伝えたかったのだ。だけれど。
気持ち悪さしか残らない。
「一体何者なんだ奴も……」
セナが呟く。
私達に示された道は本当に正しいのだろうか。
思えば私達……いや『私』は。私という人間は、見えない何かに――。
導かれてきただけなのかもしれない。
信じたものは何だったのだろう。
チリンくんのおかげで青龍を突き放せた私達一行は、チリンくんが示していた“光の輪”の中へと飛び込む事に。
ずっと、目下に広がる海原の上をスカイラールに乗って方向任せて飛んでいた。何処から何処までが言われている“魔窟の海”という所なんだろう。もうすでに踏み込んでいただろうけれど。
「なるほど、“光の輪”か……」
カイトが感心した声を出した。私達はその情景を見る。
光の輪……輪が、海面から空へと浮かんでいる。とても大きな『輪』。輪と海面の間には、光でできたカーテンだ。包まれてまるで中のものを護っているかのように輝いている。黄色かと思えば緑に。緑かと思えば意外な赤に。定まった色調を持たず、揺れ動いている光の壁。とても美しく、果たしてこれは通り抜ける事が可能なのかを考えていた。
しかし考えていてもスカイラールは気にする事もなく。
一秒と待たずに、未知なる懐へと自身は飛び込んでいった。即ち、背に乗った私達も同じくして。「……!」
全員、カーテンをくぐった瞬間には息を止め身を縮こませ固まっていた。
何も起こらなかった? と目を開けて確認するまで、続く。
「どうやら無事みたいだな……全くよう、心臓が幾つあっても足んねえぞ」
カイトの嘆きには皆も同感しているに違いなかった。
安心する隙や暇がない。
光の輪を通り抜けると、別世界だった。
温度が違う。とても暖かく迎えてくれる。一羽の小さな鳥が横切って。鳥は、休まる憩いの場を探して羽ばたき飛んでいくんだ。
島があった。
孤立しているその島は、地となった上に木を育み緑をのせている。一羽だけではない島達は、島を中心に弧や円を大きく描きながら遊びか餌を求めて飛んでいる。
島は浮かんでいた。
海水に沈んではいない。浮遊しているのだ。だから、『孤立』していると直感で言ってしまった。
「あれが……天神様の居る……」
マフィアだけでなく、全員が心を掴まれていた。一度捕えられたら離れられず、私達はこうしている時にも目前へと近づいてくる島の存在に圧倒されてしまったままだった。
なんて寂しいんだろう。そう感じる。見ているだけなのにと。
誰もがそう思っているんじゃないかという妙な確信が沸いていた。鳥という生物や木という植物が共存しているというのに。何故か島だけが、ただ一つのような気がして。
孤独感……それはただの儚き想像というやつなんだろうか。
「キイィィイ……」
スカイラールは私達を気遣うように島へ降り立ってくれた。
着いた所は、草木のない少し空き地となった場。空からは何処を見渡し探しても開けた場所を見つけられそうになかったけれど、はやる気持ちを抑えながらもスカイラールは我慢強く懸命に探してくれて。おかげで私達は地に足を無事着く事ができた。
ココまで案内してくれたスカイラールと、消えて行方知れずの謎の少年チリンくんに……感謝した。
「さてと……」
一番先に降りたカイトが、腰に手を当てて肩を回し体をほぐしていた。続いてセナ、ゲイン、私やヒナタもと。マフィアは安静にという事で紫くんに補助されながら。蛍は先に降りて様子を見守りながら。
「ありがとう。紫くん、蛍……スカイラールも」
「ピイ」
と、甲高い返事をしたスカイラール。マフィアが体をナデナデと撫でると、とても嬉しそうな表情をマフィアに見せていた。
降り立ってお礼を言ってマフィアは、準備運動や辺りを偵察し始めた私達とは違って。一人鬱蒼と茂った森の方へと歩く。木に触れて、対話を試みようとしていた。しかし上手く会話する事ができなかったのか、諦めてマフィアは私達と合流した。
辺りの様子を観察し終わった後、私達は集まってこれからに悩む。
今に至るまでずっと慎重だったカイトは、真剣に私達に言い聞かせた。
「油断はするな。何が待ち受けているのかさっぱり予想がつかない。誰を信じていいのかも。天神も……仲間さえも」
カイトだけじゃない。私もだった。仲間を疑いたくはないという気持ちと、ひょっとしたら……という気持ちと。いつ何処でどうなってひっくり返るかわからないんだ。カイトみたいに慎重であるべきだ。私はそう思う。だからだ。
私はキッと顔を強張らせ、皆に提案を持ちかけた。
「皆、“七神鏡”は持ってる? ――出して」
セナは指輪を着けた手の甲を。マフィアは、服の奥に垂れ提げていたペンダントを。
カイト、ヒナタ、ゲインは手荷物の中から。それぞれが前に差し出し見せてくれた。私も右手の中指にはめていた、セナからもらった指輪を見せる。
皆、鏡の大きさや形状はまちまちだったけれど、生命のような輝きは甲乙なく純粋に見えた。紫、緑、青、黄、茶。色具合が反射の角度によって変わる。こうやって一ヶ所に集めてみた機会は初めてだったはずなんだけれど妙に懐かしいと思った。
ああそうか……遺跡で見た、鏡張りの部屋。あれのせいね……。
「私は……」
右手を私は突き出した。
「私の力と……皆の力を、信じている」
導かれて皆も。鏡を持つ手を、私の手の上に重ねていってくれた。何を持たない蛍や紫くんの手も。高く積まれていって、私の一番下になった手に重みが増していく。
それが皆の『力』なんだと……思った。「エイエイオオッ!」
私が叫ぶと、皆も叫んだ。上手く重なって一つになって。
「エイエイ……オオ!」
心に刻み込むんだ。これまでの事も。私は私。決して見失わないように。信じるのは。
私と、ココに居る皆だという事を。
私達は私達の『誓い』を終えると、空から目星を予めつけていた白い建物に向かって歩き出していた。白い建物とは――。
頭だけしか見えなかった、装飾のつけられた壁やテラスの……そう、恐らくは『神殿』という名前がふさわしい造形の建築物。
私は見覚えがあった。それはすぐにわかった。私は知っているのだ。ココは。
かつて“時の門番”で見た天神様の神殿。セナも知っているはずだった。
森の中を突き進んで行くと、記憶通りの建物が現れる。
逃げもせずに待っていてくれたのね、私達がココに辿り着くまでと。そんな気持ちだった。
やっと来られた。長い日を過ごして。
さあ来たのよ……。
天神様に会わせて。
私の期待に応えましてだった。
私達が無言に近いだんまりで森の中を歩いていたらだ。
誰かが、正面からこちらへとやって来る。誰かとはすぐにわかった。
そして……それを言うのが自然のように口を開いて出迎える。
「ご苦労様です。救世主、そして七神よ。待っていた……揃う、この日を……」
少し悲しみが浮いていたその人物。悲しみは、当然……だって七神は揃ってはいない。七神のうち、2人は敵なんだ――悲しい事実が、言葉の裏に隠されていて。さらに青龍が蘇ったという事も、私達を気まずくさせるんだ。
「天神の神子様……」
私が呼んで沈黙を破る。言いながら、カイトの言葉が重くのしかかってきた。
油断するな。
何処までを尋ねたらいいのだろう。少し混乱気味な頭では、上手い言葉も発音もできそうにない。
神子様は薄めの衣を纏い、それは地面で引きずりそうなくらいなまでの長さをしていた。
「本当に苦労をかけましたね。よくぞ無事で……私の不甲斐なさを、どうかお許し在らしめん事を」
乞うような目で私を見ていた。労わるようにも……そして憔悴しきったようにもと。
とても嘘をついているとは思えなかった。
神子様は続けて私に告げた。
「救世主、勇気」
「はい」
「青龍が、復活しました。今頃は世界中を飛び回り、食欲を満たすため人などを喰い散らかしに行っている事でしょう。もはや破壊、破滅。種という種は喰い滅ぼされ、吐かれた息の猛毒は植物を枯らし根を絶やし。生を失った大地は赤く色を変え水を毒と変え、空にも影響し青い空も赤く。やがて世界は終わりとともに青龍自らも身を滅ぼす事となるでしょう」
神子様の語りは坦々と私の胸の内をえぐっていく。
事態は連鎖する。皮肉だ。青龍が世界の秩序を乱した代償は、青龍自らが払うに返ってくるだなんてね。
皆が滅ぶ。
とんでもない事だった。
「教えて下さい! 七神は……揃っていなくても。望みはきっとあるんです! どうか……どうか、天神様に会わせて下さい! 私は……私は……
真実が知りたいんです!」
何故、アジャラとパパラが裏切ったのか。疑いたくなかったけれど突然に訪れたどうしようもない現実。ああ私は夢か幻と間違えたんだと何度も思いたかった。
チリンくん。あなたは言い残して消えた。あなたは言った。その目で確かめるんだと。そして――本当に倒さなきゃいけないのは、と。
天神様が全てを知っている。
私の必死の訴えに神子様は難い顔で指示をした。
「わかりました勇気。では……」
チラ、と私の後ろで控えている他の皆を見て、また私へと視線を戻した。
「あなた一人だけ来なさい」
!
私は驚いてゴクリと唾を飲む。すぐにセナが前に出てきて言った。「ダメだ。一人では行かせられない」と。
カイトやマフィアも同じ返事をする。
「俺かセナがつく。勇気一人では行かせられない」
「同感よ。一人にはさせないわ」
私は凄く嬉しくて涙が出てきそうになった。神子様は困った渋い顔をすると、また乞うようにもう一度言う。
「天神様にお会いできるのは選ばれた者のみ。そして一人ずつだ。特例はない。わかってほしい……許せ」
悲痛だった。私はいたたまれなくなって……決心する。
「わかりました」
どよ、と動揺しどよめきだつ皆を尻目に、それでも言った事を変えるつもりはなかった。「何でだ!」 ……セナがグイと私の腕を強引に引っ張る。
セナの顔を見上げた。凄く悲しい目をセナはしていて、私は危うく心が揺らぎそうになった。
でも覆さない。曲げない。
「私一人でも大丈夫だよ。決まりなんだもの……しょーがないじゃん!」
と、私はニコッと笑っていた。
バカだって思われたっていいくらい。笑顔で言った。
「では。ついて来なさい……私の後に」
神子様は歩き出していく。私もすぐに追おうと、歩き出そうとした。
「勇気!」
マフィアが私を呼んで制する。
けれど私は笑ってマフィアに言い訳のように言うんだ。
「ごめんマフィア。行かせて。大丈夫だしさ!」
ついでに腰の剣もアピールしながら。マフィアは腰に提げてある“光頭刃”を見てハッとして黙ってしまった。
もう誰も何も言わなかった。再び私がニッコリと微笑む。
「だあーいじょおぶだってば! 私最強!」
クルッと回転して挙手までしてみせた。「じゃね!」手を振って小走り出す。
振り返らなかったからわからなかったけれど、皆はきっと私が無理しているのなんてバレバレだったと思う。
とても怖い……怖いんだよ。でもね。
私、覚悟はできているつもりだ。
……
勇気が去った後。
ぬるい風が地面をさらい、静けさの中で森林はサワサワと騒ぎ自然音楽を奏で出す。
セナは、「じゃ……俺、行ってくるわ」と背伸びをし出していた。
「ああ」
「よろしくね。セナ。あなたも充分気をつけて」
……。
カイトとマフィアが知っていた事のような返事をしていると、他のメンバーは唖然として3人を見つめた。
「何じゃお主ら。始めからセナ殿はそのつもりだったのか。やけにアッサリと行かせたなと呆れたものだったが」
と、ゲインは呆れたポーズ、と両手を高く上に上げていた。すると後ろから。
「油断するなという誓いは何だったんだと思っちゃったよ。なあんだ」
ヒナタも腰に手を当ててため息をつく。吹き出したのは蛍だった。
「ま、ね。勇気のバカはたぶん知らないだろうけど。セナがコッソリついてくるなんてね」
紫も微かに笑っていた。
「ほらほら。サッサと行きな。俺らはあの空竜とココで待機してる。見失っちまうぞ」
ゲインに言われ、セナは「ああ」と素早く身で空を切り勇気の後を追いかけていった。勇気、今行く、一人にはさせない……セナはそう思っていた。誰よりも強く。
自分の命に代えてでも。
セナも……覚悟ができていた。
……
勇気と神子が神殿内に入って行くのを木の陰で見送るセナ。2人が古びた白い建物の奥へと入って行き姿を消した後。セナは寸分で追いかけたつもりだった。
見失うなど微塵にも思ってはいなかった。しかしだ。「あ、れ……?」
2人は居ない。何処かへと消えてしまっていた。
何処を伝っていっても長く続きそうな廊下が十字方向にある。廊下の壁に沿って備えつけられた燭台があり、灯されたロウソクの明かりで見える範囲の何処を捜しても2人の姿はない。捉えようのない奇妙さがセナを包む。
道があるのに、道を失った感覚に襲われていた。自分はどっちに行けばいいのだと。
「くそっ……」
舌打ちをする。しても何にもならない事にも腹を立てた。
こんな事をしている場合ではないと焦る。ココから、右か左か前なのか。道の一つを選択しなければならなかった。
「こっちか? ……」
仕方がなく、右の道を。廊下を。とにかく時間が惜しかった。
セナは走る。音をできるだけ立てないようにと石造りの壁と壁の間を、そして冷やされた空気を突き抜けて行った。
先は暗くて見えない、果てしなく続く廊下なのではと感じるほど長く。何処までも何処までも。走り続けてやがて飽きが来ようとした矢先に、廊下の突き当たりが出現した。
右にドアがある。草花の装飾が施された茶色い木製のドア。
ドアはノブをゆっくり捻ると簡単に開いた。セナは易々と部屋に入れた事にも違和を感じた。神殿に来てから、奇妙さは依然として消えずむしろ増していく……セナはそれに耐えるのにも神経を使っていた。
開けた部屋の中は暗室だが、ドアから差し込んでいた光のおかげで中の様子が窺えそうである。
「な……」
つい声を小さくも上げてしまった。
セナは立ち竦む。しばらく考えていた。本当は、大声を上げてもよかった。
何故ならば。
部屋の中に居たのは、アジャラとパパラ――2人。
ただし、両手足を頑丈そうな鉄鎖で繋がれ気を失い、全身がダラリと人形のように壁に背をもたれさせていた。
セナの中で奇妙さはピークを迎える。電撃を浴びたような衝撃に痺れ全身が麻痺し動けなくなる。
敵か味方か不明だった2人に答えを求めてもムダな事は承知している。しかし聞かずにはいられなかった。「何故、何故だ? 何故……2人はいつから」
何故を繰り返し、焦りはセナの心臓を早鐘のように打ち出した。
危険だ。結論が出た。セナはバッ! っと勢いよく誰も居ないはずの自分の背後を振り返った。
「勇気ッッ……!」
叫びが、廊下の空中を、矢を真似て突き抜け鋭く放たれる。
一方、勇気は。
神子に連れられて。神子の背中しか見えない事に退屈しながら足音の響きがよい廊下をずっと歩いている。あまり陽気になれる訳はないので、勇気は重いムードが段々と嫌になってきていた。
(……ダメだ……油断しちゃ……)
いつでも腰の剣をとれるよう、心構えは怠らなかった。今自分の前に居る神子にだって、隙を見せないように配慮する。敵とも味方とも、確かめられるまでは信用ならなかった。
(ん……?)
神子の進む先、突き当たって正面に。ドアがあった。
飾り気のない、木でこしらえただけの粗末なドアだった。
神子がドアを開ける。
部屋だとは思われる。明かりが点き出していた。壁面の燭台に立てられていたロウソクに勝手に火が点っていく。ドアの方から奥へとひとりでにポツポツと。部屋は最初は暗かったのだが、少しずつ視界が開けていった。
そうやって足元から天井まで見渡せたのだが、かなり広い部屋だったらしく、奥まった所は闇の吹き溜まりになっていて見えてはいなかった。
神子が入り、後ろから勇気。ドアは自動で閉まってしまい、神子は気にせず奥へと向かった。勇気も無論、神子の後について……顔を上げ真っ直ぐ前を見た。
奥では、何かが輝いていた。青い。
目を凝らしてみても、青いそれ。
近づくと正体は明らかになっていった。クリスタル……氷の結晶。勇気の背丈ほどの大きさが、目の前に現れていった。「な……」
徐々に驚きは増していく。何から言えばいいのかを迷っていた。
勇気はこれと同じ物を思い浮かべていた。ハルカ――レイの闇の魔法で閉じ込められていたクリスタル。その塊自らが発光し青く、中の者は腐る事はなく時は存在するが生身は保存され――中の者は。
人が入っていた。
長く、床に悠々と到達している白い髪。アゴの尖った細い顔。まつ毛の、直線に近くシャープに伸びたそれは閉じられた両の目の代わりに目立って。薄いけれどキリリと引き締まり紫に見えた口唇。
鼻はスッと筋が通って美しく高く、意志の強さをと眉は描いたように形作られ、広く聞き取れやすそうな大きな耳を持つ。軽装に施された戦闘服仕立てともみれる中華式の服装。醸し出す気品とは相性がよいだろう。
勇気は、下手に触ると火傷をしてしまうと思い込んだ。それほど、鬼気迫る圧迫感で支配されていたのだった。
もしやこの方が。
勇気は震える声を出すのが精一杯だった。
「こ、この方……が?」
名前を口にするのに抵抗か恐れがあった。
天神。
しかし勇気は疑問に思う。何故――
「どうしてこんなお姿に……?」
と、言いかけた時だった。
ドンと、背中を押されて前につんのめった。「わっ」
2歩3歩……と、危うく転びそうになってどうにかとどまる。
慌てて振り返ると、居たのは神子だった。いつの間にか勇気の隣から後ろへ。勇気はクリスタルに夢中で気がつかなかった。
「み、神子さま……?」
その時に。
神子の表情は一変した。
口が二マリと歪み吊り上って、声を隙間から漏らして面白く笑い出した。誰もが気持ち悪くなるほどの。「うふふふふ」
ドアが完全に閉まり閉鎖と化した部屋の隅々にまで行き通る音で、神子はずっと笑い続けていた。
「くくく。ははははは。驚いてる驚いてる。いいよお、その顔。待ってましたあ」
何がそんなに楽しいのかが勇気にはわからなかった。理解はできないが、不快にはなる。そもそも勇気には、わかる事の方が少なかったのだが。
神子は全くといっていいほど違うキャラクターを演じ、潤んでいた目尻を手でなぞった。
「まだわかんないのお。ノンキっていうかあ、超鈍感」
勇気の胸中を巡る――
違う。神子じゃない。
威厳さも、真剣さも。これまでに見てきた悲愴も、何もかもが。一瞬で消されてしまっていた。
「あなたは誰なの――」
睨んで、相手を見据えた勇気。腰の剣にも手を近づける。
緊迫し喉を鳴らす余裕を与えない時間は過ぎる。顔と姿形が神子のままで別人だった相手は、観念ではなく仕方がなさそうにため息をついた。
神子はのんびりと変身していった。加工されたスローモーション。脳に穏やかな刺激を与えあくびが出そうなほどゆったりとした時間で。
神子が……空間を捻じ曲げたように姿を変えた後。
勇気は声を失った。
《第53話へ続く》
【あとがき】
字数が多い……ああごめんなさい。
※ブログ第52話(挿絵入り)
http://ayumanjyuu.blog116.fc2.com/blog-entry-123.html
ありがとうございました。