第45話(捕われの風神)
―― セナが好き
だから行かないで――
……その私の願いは、無残にも打ち砕かれてしまった。
別れに よって。
「セナ……?」
呼んだって。返事なんて来ない。
静かな森の闇に、空しく響くだけだ。
だって あなたは行ってしまったのだから。
さっきまで、そこに。鶲と深刻な話をしていたっていうのに……。
ココには気温が ないのかな。
暑くも寒くも ない……自分の体温さえ感じられない。たとえココに あなたの微かな温もりが残っていたと したって、きっと今の私には……感じ取る事は できないんでしょうね だって今の私には感覚というものが存在しないような神経に なって どうするの どうなるの ああ わからない どうしよう 頭の中が混乱するグチャグチャだ誰か助けて助けて助けて たすけ……
「……」
……。
「……本当に行っちゃった……の……?」
やっと、声が出せた。
今の私の精一杯の声。涙声だった。
「う……」
精一杯。
「う……あ、う……」
精、いっぱ、い……だ。
「……うわああああああーん……!」 ……
格好なんて どうでも よかった。子供っぽく、泣く。
五感が ないって? 嘘。
だって今は頭が かち割れそうなほど痛い。
痛いんだってば……。
「勇気! しっかりして! 私よ、わかるわよね!?」
もはや涙でべチョべチョに なった目を開くと、私の肩を掴むマフィアの心配そうな顔が覗いていた。
「セナは!? セナが居ないの!?」
私の肩を揺すってマフィアが血相を変えている。
私は、目も充分に開けていられないほど 涙を後から後から流し、ついにはマフィアの肩を掴んで顔を伏せた。掴んだ手はブルブルと震え、肉を引きちぎりそうなほど握り締めた。最初、顔をしかめたマフィアだったが次に私が力なくヒザをついた時、何かを悟ったように驚きを見せた。
「セナは……」
マフィアは恐る恐る口を開いた。
「ハルカさんの所へ……鶲と一緒に……」
私は うなだれたまま そう言うのが やっとの状態。でもマフィアには それで充分だった。
「何て事なの……! 嘘でしょう……!?」
私を抱き締めた体勢のまま、苦痛の表情で空を仰いだ。
―― さよなら、勇気 ――
セナ、行か、ない、で。
……一方。
ハルカやレイ、四師衆が拠点とする城。鶲に連れられて来たセナは、小さな部屋に隔離されて でも いるかのような勢いで容れられた。コンクリートのような硬い部屋の床は酷く底冷えがして、セナはヒザを立てて光の当たりにくい目立たない角隅に座っている。
コツ、コツ……と遠くから軽く響く足音に、セナは顔を上げた。そして立ち上がって、近づいてくる足音の する方へ。入り口のドアは鉄格子で できていた。
人物が、姿を現す。
格子を挟み2人は しばらく向かいあっていた。しばらく……。
セナでは ない、相手の方から話しかける。
「しばらくぶりだったなセナ。やっと落ち着いて会えた」
品の よい美声。誇り高い眼差し。
優雅さではセナと同等か、いや、それ以上かもしれない。
「ハルカ……」
威嚇と懐かしさをたっぷりと込めた声を出すセナ。それと、ほんの少しばかりの愛おしさも こもっていたように感じられた。
「久しぶりだ」
しかし それら全てを無視するかのように。ピシャリとハルカは はねのけた。
「レイにも会ってほしかったけどな」
付け足して、少し口元で笑う。
「レイは……」
「生きている。私と陰陽師の力で。今は……眠っているだけだ」
「そうなのか……」
聞いたセナは複雑だった。
これは素直に喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか……悩む所だった。
旧友として喜び、敵として、悲しむ……。
「生きて……」
呟いてみるとだ。
「レイは死なない!」
ハルカはセナをキッ、と睨むと。フイと そっぽを向いた。手で、金髪の髪をサラッと かきあげて。
その仕草一つ一つが、セナには たまらなく魅せられてしまう。
(俺は ずっと小さい頃から……)
幼い頃、レイとハルカと自分と。3人は一緒に居た。
懐古の念がセナを取り巻く。
(お前がレイの事しか見ていなかったのは知っている)
それでも よかった。一緒に居られるだけで、それで、と。セナは無理矢理に納得させる。させてきた。
(俺はレイの事も、本当は……)
今は互いに敵同士だけれども、とレイを思う。
(大事……なんだ。2人ともが。2人とも)
2人とも大事……失いたくなんか、ないのだと。
沈む気持ちのセナの頭の中に一人の少女の影が ちらついた。
それは やがて光に なる。優しく笑って無邪気に はしゃぎまわる、初夏に輝く生き生きとした若葉のように元気で子供らしい、確かな存在に なる。それは。
……勇気。
『セナが好き! だから行かないで!』 ……
記憶の中の勇気は必死だった。言葉で自分に すがりついてきた。
吐き捨てたセリフで払いのけてしまった。さよなら勇気、と。本当ならセナは迷ったままで答えを見出だす事が できなかっただろう。一歩も動けなかったはずだった。
しかしセナはココに来た。ココに堂々と居座っている。
セナは勇気を選ばなかった。
もし村の ためだったんだと言い訳しても、それは嘘だった。セナは村も勇気も選ばない。
選んだのは。セナが自ら選んだのは――。
「よく来てくれた」
ハルカは、セナに微笑んでいる。旧友との再会を喜ぶ素の顔だと見てとれた。だからかセナの顔も自然と ほころんでいく。お互いの再会を素直に喜びあっていた。
しかし それは一時の間だけ。ハルカは すぐに後ろを向いてしまった。
「お前には しばらくココに居てもらう……だが、安心しろ。別に拷問に かけるわけでもなく、不自由も させるつもりも ない。ただ、ココに居てもらうだけだ」
ハルカは何故か遠回しな言い方をする。
「人質って事だろ。要するに」
セナの問いかけに微かに反応し頷くハルカ。
「……ま、そういう事だな」
「一つ、聞きたい事が ある」
セナは真剣に問いかけた。
「何だ?」
「鶲は、俺が勇気の……救世主の そばに居るせいで、レイや お前は救世主に手が出せない、と言った。一体、どういう事だ? 何故、俺が邪魔に なる?」
ずっと気に なっていた事だった。セナは しつこくも こだわり、答えを求める。
ひと間をおいて……ハルカは答えてあげた。
「……好きだからさ」
ポツリと仕方なさそうに。
「セナの事が好きなんだ……私も、レイも、な。……だから、お前を巻き込みたくなかった。それだけ、だった……」
今ハルカはセナを見ていない。何処か遠くを見ていた。
恐らくは、3人で過ごした過去だろうか。それはハルカ本人に しか わからない。
「何……」
どう返事をしていいのかが。セナは戸惑った。
そんな事をしている間に、ハルカは話を切り替える。
「これから、鶲と さくらに救世主 殺害を命令する。お前は そこに、居ろ」
聞いた途端に、セナは大きく体を開けた。
「何だと!」
ガンッ!
2人の間の鉄格子を勢いよく掴み、ハルカに食ってかかろうとする。
「やめろ! 勇気に手を出すな!」
思いきり叫んだ。しかしハルカは無言のまま、特に反応は ない。
「……!」
セナはヒザを地面に落とし、歯を食いしばった。
思いが馳せる。来るんじゃなかった、来ては いけなかった……そういう事なのか? と自分を責めずには いられない。
「やめろおお……!」
セナの叫びは、何処にも届きは しなかった。
……セナがハルカさんの所へ行ってしまった。
私の思考回路は鈍く絶望的な働きの状態が続く。食べ物も食べたい気が しないし、眠くも ない……ココが何処だったかさえ、思い出す事が頼りない。
ルマ山脈を歩いて越えようとしていた。私はマフィアに手を引かれ、先を進んでいた。
セナが去って。マフィアに すがった、あの後……どうにか落ち着いた私は、朝を待って。そして……日の出と ともに歩き出した。
次の目的地へと行くために。私達は先を急がなければ いけない。
私は救世主……足を止めては、いけないんだ。いけないよ。
他の皆は、と言うと。
マフィアから事情を聞いて。表情が沈み無言だった。私の泣きはらしてボロボロに なった変な顔を見ても、誰も何も言わない。笑いもせず、怒りもしない……なあんにも。
私はセナが好き。でもセナは……。
ザクザク……ザクザク。
歩を進ませる皆の足音だけが並んで、何だか おかしかった。
誰か、何か話せばいいのに……って。……思う。
バサッ! ……
近くの木の陰で、鳥の飛び立った音が した。
やや緩やかな登り山道を歩く私達一行、皆が いっせいに驚き反応する。それまで あまりに静かだったから、とても敏感だったんだ。何処かの木から、鳥は飛び出して空高く消えて行く。
それを機に、ぼうっとしてマフィアに手を引かれていた私の頭の中は弾かれて働き出したようだった。
でも、思い浮かぶのは、一つだけ。
セナが、ハルカさんの所へ――と。
現実の私の体がグラリと揺れる。大きく傾き、転びそうにも なった。
「勇気!?」
マフィアが私の体を支えた。
「しっかりして! ――勇気!」
何度でも私の名前を呼んでくれる。何度も何度でも。
変だな。
答えられそうに ない。お腹から力が出ないの。
ごめんね、マフィア……。
しかも、意識が薄らいでいく。これは。
これは、気絶ね――。
まぶたが重くて沈みそうだ……った。
(何……この感覚……私が一人、消えていくみたい――)
私は目を閉じ、体は重力の なすがままに預けていった。
「勇気!」
「お姉ちゃん!」
私は倒れた。
意識を少しだけ残しながら。体は、支えてくれるマフィアに任せて。「勇気ぃ!」
カイトもメノウちゃんも蛍達もヒナタも、皆が集まって私を呼んでいる。
きっと私を囲んで皆は心配してくれているんだろうけれど。
起き上がる事は できない。ごめん……。
……。
「別に放っておいて いいんじゃない。すぐに楽に して あげるしさ」
!?
馬鹿みたく明るい声が、遠く高くから聞こえた。
私は倒れたままだったけれど。皆は振り返って頭上を睨む。そこに居たのは。
鶲。
私は事の成り行きを僅かな意識で見守っていた……。
勇気から皆の視線を一点に集めた声の主は、勇気の判断通り鶲だった。
空へと ほぼ真っ直ぐに立ち、周囲より抜きんでて高く目立つ頑丈な一本の木が生えていた。
太く しなやかに伸びた枝の上に偉そうに立っている鶲と、もう一人。
さくら、だった。
予断を許さないような顔つきをしている。
「お前らは……!」
先に口を開いたのはカイトだった。倒れマフィアに抱えられている勇気の そばから立ち上がって前へ。
「色々と想像しちゃってる? セナ君がハルカと今頃 何してるのか」
ふふん と鼻で笑いながら地上を見下した。
「下世話な言い方は止めなさい!」
激怒しマフィアも立ち上がってカイトの隣に並ぶ。
本気で鶲を憎らしく睨んでいた。
(こんな奴らに……勇気を玩具に されてたまるもんですか!)
マフィアは勇気をメノウ達に頼み、自分は戦う姿勢をとった。
「何しに来たの、あんた達」
まずは聞く。武器を手に とるのは それからだと。
鶲は指をポキポキと鳴らしながら余裕だったが、マフィアには答えなかった。
「手加減なしね」
「わかってるわよ」
鶲と さくら。顔も見ず、言葉だけの やりとりをしている。
明らかに戦う気で いると踏んだマフィア達は「ケンカしに来たわけ……ね」とムチを取り出し、カイトと並び改めて戦う体勢を整えた。
カイトも。隙を作らないように相手を見据える。
続く道の先方より風が嵐と なって吹いてくる。枯れた葉やチリ、ホコリ、緊迫感を運んでくる。何処かの鳥達は それに耐え難く飛んで去る。
朝日は少し高く昇ったはずだが乱層雲が覆っている空では姿が見えず。雲は雨か雪かを知らせに広がり次第に辺りを暗さに染める。
「ハルカ様とレイ様の ために……殺す!」
さくらの発した声は低かった。よく響く。
寒さを感じたのは季候の せいでは ない事が よく……皆、わかっていた。
《第46話へ続く》
【あとがき】
実は今回で書きためたノートが終わりです。次回から、今の私が残された設定資料と睨みつつ進行する事になります。うわー。
※ブログ第45話(挿絵入り)
http://ayumanjyuu.blog116.fc2.com/blog-entry-111.html
ありがとうございました。