貴女を感じる
遅くなってすみません。
完結予定話まであと少しです!
これからもどうぞよろしくお願いします。
目が覚めるとすでに昼を過ぎていた。
顔の解放感に不思議に思いゆっくり腕を動かして手を顔にもっていくとチューブに触れた。
眠っている間に酸素マスクから経鼻カニュラに変えられていたらしい。
それでも楽に息ができている事実に、自分の体が軽快に向かっているのだと思えてほっとした。
点滴も一時的にかもしれないけれど二本から一本に減っていた。
私はあたりを見回したけれど誰もいない。
「あれ?」
頭を動かすとカサ、と音がした。
意識が戻って一晩経ったからか、体が意志に追い付いてきたようで昨日よりも随分と動きやすくなった体を確かめるように動かしてベッドの上で寝返りをうってみる。
「んぅ、っ…ってて」
ずっと自分の意志から切り離されていた体は少し遅れてついてきて、骨やら筋肉やらが軽く悲鳴をあげた。
軽くて済んだのはきっとマッサージとかされていたからだろう。
チューブたちが絡まらないように気を付けながら体を捻って体を横にすると私の顔のすぐ横に紙があるのが見えた。
顔の側に寄せてみると何か書いてあった。
「なんだろう…。ん、『泪へ。……土曜だけど仕事があるので夕方に会いに行きます。柚ちゃんは二時頃にお見舞いに来るそうです。ずっと側にいられなくてごめんね。いってきます。………母より』置き手紙していってくれたんだ。ありがとう、お母さん」
もうずいぶんと誰とも手紙のやり取りなんかしていなかったから私は嬉しくてドキドキした。
「二時…ん?あと三十分もないよ」
時計の針はもう一時半を過ぎたところを指していて私は慌てた。
何にも心の準備が出来てないよ!
そんなことを考えて焦っている間にどんどん時間が過ぎていってしまう。
ああ、どうしよう
あと十分しかないよ!
私は唸った。
初めは焦って唸った。
途中から苦しくて唸った。
あれ、何か変だ
苦しいのがいつもと違う
この間とも違う
苦しいのは、……私じゃない?
私は訳がわからなくて頭を抱えて丸くなる。
不安が、自分の不安じゃない
外から流れ込んでくる
「なにっ…?だれの……えっ!?だれの?他人の!?」
くるしい?
へんだ
きもちわるい
いや、いや!
こわい
どうしたの?
どうなってるの?
むずむずする
なんかへんだ!
どうしたらいいの?
だれかいないの?
あしおとがする
だれの?
ついてくる
こわい!
いそがなきゃ
やっぱりきのせいかな
でも、へんだ
いそごう、びょういんに
びょういん?
るいのところにはやくいかなくちゃ!!!!
「え…………ゆず?」
これは、私の気持ちと交ざっているのは、柚の気持ち?
柚の?
「いま、足音って言った。着いてくるって言った。…ストーカー!?」
口にして、私のからだの内にも外にも寒気が走った。
これは妄想なんかじゃない。
私には分かる。
これは夢なんかじゃない。
私には分かる!
「っ、柚!!」
私はベッドから飛び起きた。
体がびっくりして数秒痙攣したがそんなことに構っていられない。
治まる前に経鼻カニュラを外して点滴を乱暴に引き抜いた。
いざ、病室を飛び出そうとした私は固まった。
ナースコールで助けを求めた方がはやいのではないか
でも固まったのはほんの一瞬だけだった。
私はつい先日まで意識がなかった。
そんな人が、声がした、友達が危ない、なんて言っても相手にしてくれるはずがない。
兎に角はやく柚の元へ行きたくて、ベッドから無理矢理体を浮かせて扉へと向かった。
まさか私が病室を飛び出すなんてことを看護師たちが想定しているはずもなくそもそも動けるなんて思ってもいないわけで、その上状態が落ち着いているから見張っている人もいない。
私は簡単に誰にも見つかることなく病室を脱け出すことに成功した。
廊下は静まり返っていて奇妙だったけれど人がいないことにほっとしつつ足を進める。
体から力が抜けて倒れ込みそうになるのを気合いでなんとか奮い立たせて手すりを使いながら兎に角前に進み、エレベーターに乗り込んだ。
その頃には手足の指先の感覚が薄れ始めていた。
「みつか、たら、こまるけど……かい、だ…に、しな、くて…よ、かた……、はあっ」
誰もいないエレベーターの壁にぐったりと凭れ掛かる。
さっき無理矢理点滴の針を引き抜いた左腕がじくじくと痛んで、その痛みが私に、はやくはやくと焦りをよぶ。
早く、見つからないで病院から出るにはどうすれば?
胸を押さえて息を整えながらひたすら考える。
「なか、に、わっ!」
頭のなかに草を踏みしめる自分の姿が浮かんだ。
幼い私。
幼い頃この病院に来たときに見つけた細い抜け道。
私一人がやっと通れるくらいの隙間。
あの場所からならきっと、いや絶対出られる。
それに、あの道の先に進めば直接歩道に出られる!
ゴウッ、と音をたてながら扉が開いた。
二階だ。
無意識のうちに自分で押していたらしかった。
知らず二階のボタンを押した自分に感謝しつつエレベーターから出た。
二階には病衣姿の患者たちが多く出歩いていて、私はそれに交ざって中庭へと急ぐ。
どうしよう!?
やっぱり、つけられてるっ!
「ゆっ、!」
柚の恐怖の混じった声が頭のなかに、身体中に響いてくる。
中庭に出るとベンチに座っていたり、歩いていたり車椅子に乗っていたり、様々な患者たちがいた。
私はなるべく自然に人目を避けながら目的の場所に向かう。
ちらりと中庭の時計に目を向けるとすでに病室を出てから四分も経過していた。
急がないと!
針を乱暴に引き抜いた左腕に触れている病衣に滲んだ赤い染みが視界にちらついたが無視して足を動かす。
もう周りに人はいない。
どんなに可笑しな歩き方をしてもかまわない。
兎に角前へ、前へ!柚の元へ!、と足を動かす。
私の脚は足首まで感覚がなくなっていて、時折がくんと足首が捻れてその度に大きくふらつく。
腕はもう肘の辺りまで痺れて感覚がない。
「うっ、はぁっ……や、たっ…、ひゅ、はぁっ…」
歩道に出た。
息はすっかり乱れているがそんなのは今の私にはどうでもいい。
あとは柚の元へ向かって行くだけ。
柚の場所ならすぐに分かった。
もう、やだっ!
ど、どうしたらいいのよっ!!
「っ!!」
柚が走り出したのが分かった。
柚の中の不安が一気に膨れ上がって私の胸も締め付けてくる。
今だけは、今はまだ待って
体が動かなくては意味がないの
私は柚を助けたいの
柚を助けられるのは、私だけなの!!!!!!
これでもかというほど体に力を入れて私も走り出す。
それでも少し早くなっただけで、やっと早歩き位でしかないけれど。
がむしゃらに腕を振り、足を動かす。
不格好な操り人形のようにカクカクと、足を引きずりながら柚の元へ急ぐ。
「ぜっ…ぜぃっ、はぁっ、…うっ、っはぁっ…ぜぇっ…」
耳障りな息の音がもう駄目だと言ってくるけれど諦めたりなんかしない。
例え脚も腕も感覚を失ったって体があるのだから、何がなんでも動かしてみせる。
もうすこし
おいかけてくるっ!
こわい、こわいよ、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いやっ!!
「っ、きゃあっ!?」
「、ずっ!!!!」
どしゃっ、と近くで柚が転んだ音がした。
柚が、危ない!
もう、体がどこにあって、どうなっていて、どうやって動いているのか分からなくなっていた。
それでも全身で感じた柚の恐怖に体が動いた。
追いかけている男はもう回りが見えていない。
とにかく目的物に向かって進んでいるだけ。
すっかり聞こえにくくなった私の耳でも聞き取れるくらいに大きな私の足音にすら気づかない。
行ける
確信した。
行ってやる
と、
決心した。
していた。
「ぐぅぅっ、ふぅっ!」
かなりのスピードで走る男に勢いよく飛び出す。
よろっとした走りだけれど男がスピードをだしているから上手くいくはず。
拳では感覚のない手首を支えられない。
私は咄嗟に右肘を曲げて左腕でそれを支え男に向かって突き出した。
「はぁっ!?なんだおま、ぐあっうぐぇっ!?」
ぴしっ
「うっ、ぁ……」
私の肘は見事に男の鳩尾に勢いよく突き刺さり、気を失った男は胃液らしきものを吐き出しながら倒れた。
私は右腕に嫌な感覚を覚えながらぶつかった反動で後ろに飛ばされた。
「ごほっ…ぅ……」
痛みは感じられず体に伝わった衝撃に呻いた。
そのまま目を閉じそうになるのを堪えて左腕を動かして柚に向かって這っていこうとして、出来ずに地面に沈みこんでしまった。
「え?な、なんで?るい?…泪なの!?」
やっと我にかえったらしい柚が倒れこむ私のところに慌てて駆けてきた。
私は答えたかったけれどもう息絶え絶えで、多く喋れそうになかったので取り敢えず今この状況から脱け出すための声をかけた。
「けい、さ、…っ……、びょ、ぃん、も…れん、らく……」
終わったけれど、まだ終わってないない。
もう一度男を気絶させる力なんて残っていないから助けを呼ばなくてはいけないのだ。
柚ははっと思い出したようで、スマホを取り出して連絡を始めた。
そんな様子を見ながら自分はどうしようかとぼんやりと考える。
柚を助けることに頭が一杯一杯で自分のことをすっかり失念していた。
「はぁ、はっ、ふぅっ…ひゅっ……ぜっ、ぜぇっ、ぜはっ……」
倒れたまま寝転がっているのになかなか呼吸の乱れが治まらない。
感覚のない体をぐったりさせて四肢を投げ出していると、弱りきった猫みたいな気分になった。
「けほっ」
もちろん、こんなところで死ぬつもりはない。
柚のためにも、私のためにも死ぬつもりはない。
もうわたし、無敵かも
なんて、動けないのに思っていたりする。
「泪!!」
呼ばれて、いつの間にか閉じていた目を開けた。
黒いもやもやしたもので狭まった視界の中にぼんやりと柚の姿が映った。
表情はよく見えない。
「泪、聞こえる?病院にも連絡したわ。先生がすぐ来てくれるって!病院すぐ目の前だから」
ありがとう、きこえてるよ
伝えたいのにもう声を出すことが出来なくなってしまっていたから代わりに頭を動かした。
ほんの少しだったけれど柚は気づいてくれた。
「どうして病院を抜けたしたりしたのよっ!!なんで私がこうなってるって、分かったの?もう、泪は不思議な子!無茶ばっかりして!!」
柚は泣きながら私の手をそっと持ち上げて、持ち上げた手の甲に額をぐりぐり押し付けた。
「怒ってばかりじゃダメよね。ごめんね、泪、こんなに無理させて……。ありがとう。本当にありがとうっ…。もう、ダメかと思ったのよ。一人で凄く怖かったの。泪が来てくれてよかったっ…よ、よかったけど………よ、よくないよ、こんなのじゃあ。泪が無事じゃないじゃないっ!!!!」
泣いたり、怒ったり、喜んだり、沢山忙しいなぁとか、思いながら、私は思っていた。
大丈夫。私は死なないよ
ちょっと休憩して、また少ししたら起きるから
それまでほんの少しだけ、待っていてね
「――……だからね……、ん?泪?えっ、やだっ!待って、目つぶらないで!や、いやっ!おねがいだからっ!!」
そんなこと言ってもね、少し休むだけだから、許してよ
「いやぁっ!っ、いやよ!そんなっ、まっ、待って!るい?泪ってば!!あぁ、あ、いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!!!!!!」
ちょっとだけね、おやすみなさい