レフトバース
忙しいオフィスワーク。その束の間の休息となるのが十二時~一時のランチタイムである。ここの社員たちはランチタイムに外食に行くことが多く、その間オフィスはほとんど人のいない状態となる。
僕はいつも三十分程でコンビニ弁当を食べ終えると、社長や部長のいない緊張感のないオフィスの空気を味わうのである。
その日も僕は一人、オフィスでコンビニ弁当を食べていた。静か、唯一聞こえるのは時計の刻む音くらいであろうか。
暫くそんな時が流れていたが不意にゆっくりと開く扉の音が響いた。僕はそちらに目をやる。すると扉を開けて入ってくる中谷君の姿が目に映った。ランチタイムという時間にオフィスで彼を見かけるのは始めてである。
中谷君は僕に気づくと「お一人ですか?」と、声を掛けてきた。
「うん」と、僕は答える。
「いつもここで?」中谷君は僕の正面に位置する彼の席に座り、風呂敷に包まれた弁当箱をデスクに置いた。
「まあ、そうだね」僕は弁当を食べ終わり、カップに入ったお茶を啜った。
「そういえば先輩のこと、一度もアンで見なかったかも」中谷君は弁当箱の蓋を開けながらいった。
アンというのはここの社員の溜まり場となっている「アン・ドゥ・ノウ」というファミリーレストランのことである。確かに僕は入社一年の間に数回行っただけで、以後行っていない。
「僕はオフィスでコンビニ弁当の方が気楽でいいよ」
「あぁ、分かるかもしれない。こんなに静かなオフィス中々味わえるものじゃないですもんね」
「だろ。部長の怒鳴り声もなけりゃ、パソコンのキーを打つ音だってしない」僕は上機嫌でいった。この感覚を共有できる社員がいると知り、嬉しかったのだ。
僕は空になった弁当の容器をデスクの端に寄せ、鞄の中から携帯ゲーム機を取り出した。ゲームにも熱中したかったが、中谷君との会話が無くなるのも気まずかったので、何か話題になるものはと周りを見渡した。そして、ふと目に入ってきたのは中谷君の弁当箱であった。
僕は彼が既婚であることを知っていた。つまり僕はあれが愛妻弁当であると睨んだのだ。そして、もし本当にそうであるなら、暫くの話題になるだろうと思った。
「今日はアンに行かないのかい?」僕はこっちから愛妻弁当のことを言い出すのもどうかと思い、それとなく弁当の話にもっていくことを考えた。きっと「今日は妻が弁当を作ってくれたんですよ」なんて照れながら言うに違いない。
「えぇ――― 」僕は目を輝かせながら彼の次の言葉に耳を澄ました。
「今日は弁当デーなんです」
「えっ、ベントーデー?」僕は中谷君の意外な返答に目を見張らせた。
「そうです、弁当デー。最近、給料が減ってるじゃないですか―――」うん。と、僕は相槌を打つ。
「それで妻が毎週月、火、木は弁当だ。と…」中谷君は残念そうにいった。
「でも、いいじゃないか。奥さんに作ってもらっているんだろう?僕なんてまだ独身だよ」彼を励ますように僕はいった。
「いや、それが―――」そういって中谷君は彼の弁当を僕に見せた。僕の目がゲーム画面からそれに移る。
立派な二段の弁当箱。その上の段には御世辞にも美味しそうとはいえないおかず(恐らく昨日の夕食の残りだろう)が詰め込まれている。そしてもう一つには振り掛けも、海苔も、梅干しも載ってない、ただ白いだけの米が入っていた。
僕は大体のことを察した。
「一応は愛妻弁当…ですかね」中谷君はそういって彼のデスクに弁当箱を置いた
僕はなんと声を掛けたらいいのか迷い、取り敢えず目をゲーム画面に戻した。
「ま、まぁ頑張って…」僕はゲーム画面端に小さく表示されているデジタル時計を見た。現在十二時三十五分。あと二十分程度…。
明日の火曜から毎週月、火、木。僕はアンに行くことを決意した。