三 薬屋
人間は、人間として産まれ、人として生き、そして、人間として死ぬ。
人間には、見えるものと見えないものがある。
見えるもの。それは、信号機、ビル、スマホ、オムライス、コーヒー、スプーン、蝶、花、猫。
見えないもの。それは、空気、時間、音楽、価値、心、嘘、神様、幽霊。
人には、ミエル者とミエナイ者がいる。
ミエル者。それは、幽霊が見える者。
ミエナイ者。それは、幽霊が見えない者。
西見 友里恵 (にしみ ゆりえ)
案内人
お母さんはいつから、薬を飲んでいたんだろう。
お母さんはいつ、寝てくれるんだろう。
お母さん、ごめんなさい。
全部嘘だから。
もう言わないから。ごめんなさい。
俺がそう言ってから、母さんは少しづつ元気を取り戻した。
ご飯も食べてくれるようになったし、夜になったら眠りについた。
俺は、花の勉強を始めた。
テレビの特集で、花はその多くが何かの薬効を持ってるらしい。薬は花から作られてることを知った。花は、薬にもなるし毒にもなると知った。
違法ドラッグ。
俺は、薬の勉強を始めた。
母さんの通院やら薬やらは、俺のせいだと思ったから。
薬の売買に手を出したのは、大学に入ってからだった。
これまでに積んできた花の知識でどうにかなったし、報酬もよく、なによりバレなかった。
治験の一環と謳った売買。こちらから商談を持ちかけることがほとんどだったが、どこで聞いたか、瞳に涙を浮かべてせがんでくる人もいた。現代世界には未だ治療薬の開発が間に合っていない疾患が山ほどある。国家未承認の名もない薬を、それが犯罪まがいな手段だとしても願う人がいる。
成功確率はそれぞれだった。それも、もちろん俺の気分次第。助けてやりたいやつはそれ相応の薬を選んだ。そうでないやつは、それ相応の薬が選ばれた。選ばれたという言い方をしたのは、俺が選んだわけではないからだ。たとえば、くじとかその日の日付とか、ダーツの得点とかレシートの合計金額とか。必然と呼ぶ偶然によってそれは選ばれた。
死んだやつもいた。慰謝料を請求してきたやつもいたかもしれねえな。あいにく、偽名に偽の連絡先。会社も家も住所は存在しない。でも、ニュースになることはなかった。違法取引を世間に公表するわけにもいかないのは、お互い様のようだな。それでも、花だけでも手向けた人もいたっけ。
組織に入ったり、逃げたりもした。そのせいで、交渉中に何度か殺されかけたけど平気だった。見て学んだし、身体を動かすのは得意だから。あとはナイフが一本あれば、怪我すらしなかった。
だから、一年生夏頃には一人暮らしを始めた。おかげさまで生活も安定していて、栽培もまともにできるほどだった。
それがある夜、怪しい男に声をかけられて、警察にばらされたくなかったら自分の事業に協力するよう言われた。
俺の返答は、ハイ分かりました、だった。
当然、家族にも学校の人間にもバラされちゃおもしろくないから。
事業内容なんてなんだってよかった。理性はあるから、現状の自分の行為が犯罪であることも理解していたし、それが別の犯罪に変わろうが何の躊躇もなかった。
人とぶつかった衝撃で、現実に引き戻された気がした。
ラフマニノフのヴォカリーズは脳内で途切れ、駅のホームの雑踏に切り替わった。
スマホを片手に持ったスーツを着た細身の男は、落とした片耳のイヤホンを拾って西見に差し出した。「すみません」
「すみません」西見が男から片耳のイヤホンを受け取ると、男は振り返って急足で去った。
西見は再び改札口に向かいながら、片耳のイヤホンを付け直す。ノイズキャンセル機能は優秀で、目まぐるしい混雑した音は遮断された。だが、ラフマニノフのヴォカリーズは自動再生されず、声の主はいつもの低音で言った。
「仕事だ」
それだけ聞こえたあと、ようやくラフマニノフのヴォカリーズは自動再生された。
今回は、イヤホンに伝達。手段は様々だが、神出鬼没なのは毎度のことだ。
先ほどぶつかった男が仕掛け人のはずがない。あの短時間でこのイヤホンに仕掛けはできないし、事前に俺と同じイヤホンを丁寧に準備するほどここに時間は割かない。事前に録音した音声でもない。俺が今再生しているのは、俺が作ったプレイリストだから。
ブルートゥースのジャック。可能性としてそれが一番考えられるが、俺のイヤホンだけをリアルタイムでジャックするほど、あいつは機械に明るいのか。そうは見えないが。
「今欲しいもんねえもん、俺」すれ違うサラリーマンの会話は興味深い。貴殿は欲しいものがないのではない。欲しいものを探していないのだ。つまり、欲しいものが見つかっていないのだ。見つけるためには、探さないといけないし、探すという行為をするためには少なくとも興味をもたないといけない。したがって、貴殿は欲しいものがないのではない。物事に興味がないのだ。それはそこまでで、救いようのない事態だ。と、口を出してしまわないようにしていると目的の場所に着いた。
開店前の定食屋はシャッターが降りていた。絶品老舗とテレビ番組で紹介されたのは、数年前の話。「前の店主が亡くなってからは、・・・」と近所の人がこぼしていたこともあったっけ。古びたシャッターに、見るからに新そうな『真心込めて準備中』の木彫りのプレートがかかっていた。
定食屋の二階は別のテナントになっていて、曇りガラスに『方巳実事務所』の真新しい文字が浮かんでいた。カーテンで閉ざされ、中は暗い。
降りたシャッターの横に階段があり、西見はそれに向かった。
鍵はかかっていなかった。靴箱の上には、小さな鉢にツキトジが咲いていた。
「歩きスマホは危ない」
デスクチェアに腰掛けた、先ほどの声の主は言った。
「知ってる」西見はイヤホンを外して、ソファに腰掛けた。テーブルには一輪の造花と、空間を開けて、金袋が置いてあった。「だからと言ってぶつかっていいわけじゃない、そう言いたいのか」
その返答を待つ前に、なぜそれを知っているのかという疑問が浮かんだ。先ほどぶつかった男は、歩きスマホをしていたからだ。リアルタイムでイヤホンだけではなく駅ホームの監視カメラまでジャックしたというのか。もしくは、別の誰かに監視されていたのか。いや、追跡されている気配はしなかった。ここまで考えてから、これもいつも抱く疑問であり解決しない疑問なので瞬く間に自然消滅した。
西見は、向かいから歩いてくるスーツの男がスマホに夢中で前を見ていないことに気づいていた。だけど、ではなく、だから、あえて避けなかった。
「全く、愚かなことだ」男は白いローブを深く被り、表情は見えない。だが今男は、深いため息を吐いた。「俺はまだ、歩きスマホが危ないことしか言っていないじゃないか。お前さんがわざとあの男にぶつかったことに対して躾けをするつもりもないし、そもそもお前さんがそんなことをするようなやつだとは思っていないさ」
「思っていない奴は、玄関の花をわざわざツキトジにしないし、事務所の名前を『方巳実事務所』にしねえよ」さっき起こった出来事のはずなのにどこにそんな時間があったのかと、疑問よりも先に呆れた。
ツキトジ。ベンケイソウ科カランコエ属。葉の形がうさぎの耳に似ているといわれる多肉植物。
男は、満足そうにふんっと鼻で笑った。
西見の端末がポケットで鳴った。通知メッセージには、街の地図が添付されている。
「鶴箸駅西口正面の国道を道なりに進め。万華鏡の信号を左だ」
添付されていた地図で鴨箸駅を見つけて、次に言われた国道を見つけた。「万華鏡の信号?」
まただ。実際に行かなければわからないお得意のルート説明だ。行けばわかると言われることは知っているので、余計な口は挟まなかった。
しかしそれよりも、男に端末やパソコンを触った動きはなかった。予めこの時刻に地図を添付したメッセージが送信される設定をしていたのか。特にもう聞くこともしない謎は増える一方だ。
「十字路を右に曲がったところ。紙屋はそこにある」
男は続けた。
「なかは暗いが、入りなさい。
入ったらすぐ左に机と椅子が二脚あるから、手前の低い丸椅子に座るんだ。
奥の椅子は、空けておくように。
座ったら、こう言いなさい。
名刺を、二十枚お願いしたい。名前は、深留レオ。深い浅いの深いに、ボタンを留めるの留める。レオはそのまま、カタカナ。
二つ数えて、いらないと言え。
時計の針が三周したら、遠くからと言うんだ。
またゆっくり五つ数えたら、言わないように言われているって言っておけ。
そしたらまた二つ数えて、知っているくせにって言えば通じる。
時計の針が四周したら、商品の確認と回収。
確認が済んだら、礼を言って机の上にそいつを置け」
男はテーブルの上の造花と金袋を顎で示した。
「店主は、テーブルの上に置かれた品の中から一つだけ選ぶ。選ばれたものが購入商品に対する代金だ。今回で言うと、名刺を作ってもらった代金だ。
店主が代金を選ぶあいだ、それをみてはいけない。これは、マナーだ。
そのあいだ、店もしくは部屋の中を探索するといい。きっとためになるだろう。
金をテーブルに置いてから時計の針が四周したら、テーブルの上を確認しろ。
造花を回収して帰宅するか、金を回収して次の依頼に従え。もしくは、造花と金の両方を回収して次の依頼に従え。
それだけだ。
うまくやれ」
西見はそこまで聞くと「了解」と言って立ち上がり、造花と金袋をカバンにしまうと、『方巳実事務所』を出て行った。
白いローブの男は、一人事務所に残された。
あいつも使い慣れたもんだな。この仕組みを。
”「暗殺対象は、どうやって知るんだよ」”
”「暗殺対象?そんなのしらん。自分で調べろ」”
”「・・・は?」”
”「だいたい絞れたら、フリーWiFiが繋がるところでこの端末のAIにでも聞け」”
見込み通り、と言えば都合がいいと解釈されるかもな。だが、それに越したことはない。
*
「俺は、世間では案内人と呼称される仕事をしている。そしてお前さんには、購買人と呼称される仕事を頼みたい」
数ヶ月前。案内人は、西見に事業について説明していた。「事業内容としては、簡単に言えば暗殺屋だ」
「分かりやすくて、助かる」
事務所のローテーブルには、造花が一輪と、空間を開けて、金が詰まった金袋が置いてあった。
「購買人は、サービスや商品の提供に応じて代金を支払う必要がある。
テーブルの上に商品の代金を提案する。店主は、商品の代金を選択できる。
購買人によってテーブルに置かれる品は、造花と金袋。
では店主に提案する代金は、花か金か。実は、そうではない。
それは、人間が見える情報であるだけ。店主は、人間ではないかもしれない」
「・・・というと?」
「幽霊・・・とかな」
西見は、鼻で笑った。「馬鹿げてる。真面目に答えろ」
「代金として提案されるのは、みっつ」
「おい。無視するな」
「一つ目は、生者の殺し。
ふたつめは、亡者の殺し。
三つ目は、金。
このみっつの選択から、店主は代金を自由に選択する。
金を選ばなかった店主を、以降、依頼人と呼称する。依頼人は、最も殺したい人間の殺しを依頼する。
それは生者でも、もしくは、亡者でも」
「亡者を・・・殺す・・・?」
「生者の殺しは簡単。暗殺するだけだ。
では、亡者の殺しはどうするか。亡者はその通り、すでに死んでいる。
亡者を殺しは、蘇生だ」
「・・・蘇生?」
「生き返るんだ。人間として。
浴びせられるような悲劇と絶望を繰り返す豊かな人生を、また最初から始めてもらう」
「殺しが・・・蘇生。どうやって?」
案内人は、懐からキャップがついたシリンジを取り出して、そのまま西見に放り投げた。中身は空のようだ。
「備品として必要になれば配給する」案内人は言った。
「中身は?」
「そこにある」
案内人は言ったが、中身はまるで見えない。少なくとも、液体は入っていない。無色透明の気体が入っているのか。
じっくり見たあと、横になっている造花と金袋と一緒にシリンジを置いた。
「仮に、対象が幽霊だったとして、どうやって対象にこれを使うんだよ」
「感覚だ」
無理があるだろう。「存在しない対象に、俺はこれをどうやって使うんだ」
「依頼が完了したら端末に通知がくる」
「おーい。聞けー」
西見の膝の上で、専用端末が起動した。依頼業務に必要な専用端末で、案内人から受け取っていた。
「『依頼達成』。その通知を確認出来次第、依頼は終了。帰宅」
端末に『ようこそ』という文字が浮かんで、『検索欄』の画面に切り替わった。アプリは一つもインストールされていないが、普段使っている普通のスマホと見た目は何ら変わらない。
「わからねえこともあるが、なるほど」操作をしないでいると、自動的に画面は消え、スリープモードになった。「それで?報酬は?」
「金。それと、花だ」
「花?」
案内人は頷いた。
「成功報酬は、花。この世の花と、あの世の花だ」
「・・・あの世の、花?」
「あぁ。文字通り、あの世に咲く花だ」
昔交わした友人との会話が、西見の頭にふとよぎった。
「その花・・・もしかして、人間には見えない花か?」
案内人は、すでに知っていた。
見えない花。
西見がその花に、食らいつくことを。
この事業に必要なのは西見友里恵という男であり、それを惹くためのまじないの言葉。そのまじないこそが、見えない花。お前さんを狂わせたーー元凶だ。
「さあな。だが、お前さんには見えないかもな」
「俺には、見えない?」
「だってお前さん、幽霊とかお化けとか、見えないだろ?」
案内人は訊いた。
西見はまた鼻で笑ったあと、真面目に答えた。
「見えねえ。っていうか、そんなんいねえから。見える見えないの話じゃなくて、いないから」
「そうだな。で、もし依頼日の零時をすぎる前に通知がこなかったら、依頼は未達成。未達成で報告され、ペナルティとして報酬の十倍の金が依頼人へ送られる。謝罪とともに」
「上等だ。で、報酬の・・・その、花は、どうやって手に入るんだ?」
「生者の殺しでも亡者の殺しでも、お前さんのところに現れる。亡者の場合お前さんは見えないだろうから、現場の後始末する時に拾ってお前ん家に届ける仕組みになっている」
「郵送で?」
「しらん。手段までは」
「・・・そうか」
「どうせ見えんじゃないか」
「まぁ、そりゃそうだけど。そのミエルやつにとっちゃ俺のアパートのポストが花で溢れかえってるかもしれねえじゃんか」
「・・・ミエルやつ?」
「いたんだよ。・・・もう忘れたけど・・・」
「・・・」
「もう忘れたけど!!」
「そうか。じゃあもう今日はとっとと帰れ。また仕事は連絡する」
「あぁそうしてくれ」
いつだったか、そんな会話をしたな。
見えない花。
お前さんは、その花をずっと探している。
購買人は、提供された商品やサービスへの代金をテーブルの上に提案する。
店主は、商品の代金を選択できる。
購買人によってテーブルに置かれる品は、造花と金が入った金袋。
では店主に提案する代金は、造花か金か。実はそうではない。
それは、人間が見える情報であるだけ。店主は、人間ではないかもしれない。
代金として提案されるのは、みっつ。
一つ目は、生者の殺し。
ふたつめは、亡者の殺し。
三つ目は、金。
このみっつの選択から、店主は代金を自由に選択する。
金を選ばなかった店主を、以降、依頼人と呼称する。依頼人は、最も恨む人間の殺しを依頼する。
それは生者でも、もしくは亡者でも。
生者の殺しは簡単。暗殺するだけ。
でも亡者の殺しは、どうするか。亡者はその通り、もう死んでいる。
亡者を殺しは、蘇生だ。
生き返るんだ。人間として。
浴びせられるような悲劇と絶望を伴う豊かな人生を、また最初から始めてもらう。
そうだろ?この自殺願望で咲き乱れた世界で、亡者にとってそれが一番の殺しだろ?




