二 学屋ノ表
人間は、人間として産まれ、人として生き、そして、人間として死ぬ。
人間には、見えるものと見えないものがある。
見えるもの。それは、信号機、ビル、スマホ、オムライス、コーヒー、スプーン、蝶、花、猫。
見えないもの。それは、空気、時間、音楽、価値、心、嘘、神様、幽霊。
人には、ミエル者とミエナイ者がいる。
ミエル者。それは、幽霊が見える者。
ミエナイ者。それは、幽霊が見えない者。
西見 友里恵 (にしみ ゆりえ)
案内人
宮国 翔吾 (みやくに しょうご)
柏井 糸 (かしわい いと)
得井 達也 (とくい たつや)
「よろしければ、どうぞ」
「いいの」
「・・・でも」
「いいの。座って」
「・・・はい。・・・すみません」
電車に揺られていた西見は今、隣の若い男が年配の女性に席を譲ろうとしたが、断られたシーンを目撃した。
あからさまにじろじろと彼を見るサラリーマンもいれば、スマホの画面を見ているフリをしながらチラチラと彼を見る女子高生もいた。
次の停車駅で、彼は電車から降りた。
イギリスの作家は、こう言った。『人生では三つのことが大切だ。一つ目は人に親切にすること。二つ目も人に親切にすること。三つ目も人に親切にすること』。
世間は、それを「名言」と評価した。
実に、興味深い。
西見は、ホームを歩く彼の背中にこの言葉を送った。『偉人とは、挑戦を続けた凡人にすぎない』。アメリカの作家の言葉だ。
彼の今日という日がいい日でありますようにと、西見は動き出した電車の中で願った。
”「優しいは、病気だ」”
心の濁った部分に潜む声を思い出した。離婚した父が、母に向けて放った言葉だ。
笑顔とはとても言えない表情を浮かべていた母のことを、開いた扉の隙間から西見は見ていた。
次の到着駅を知らせるアナウンスがスピーカーで流れて、案内表示のディスプレイを見て目を疑った。
『仕事だ』
周りの人は、誰もディスプレイを見ていない。
次に見た時には、停車駅の名前に変わっていた。
気のせいだと思った。
一日に七十万人が利用する電車のディスプレイに干渉できるほどの権力と地位があいつにあるはずがない。見間違いだ。
向かい窓に反射する自分を見ていたら、電車は暗いトンネルに入った。
窓から差し込む光で明るかった電車内は、一瞬で照明の光に強調され、窓には反射する自分の姿が一層写るはずだった。
そこに写っているのは、自分ではない。あいつだった。それと同時にポケットで端末が震えて、電車はトンネルを抜けた。
トンネルを抜けて再び見た明るい窓には、都内の景色を背景に、ぼんやりと反射した自分の姿があった。
軽い頭痛を覚えて、きっと数日の疲れが出ているのだと目の下をほぐした。
メールの差出人は『案内人』、本文メッセージは簡潔だった。
『仕事だ』
2
一階のスーパーマーケットとはうってかわって二階のゲームセンターには、探さないと見つからないくらい客が少なかった。
平日の昼下がり。
隣のフードコートに目をやっても、テレビやスマホをぼうっと眺めている店主と、二、三人の老人がうどんを啜っていたりたこ焼きをつついていたりしているだけだった。
西見は、愉快な音を出すクレーンゲーム機が並ぶ道を通り過ぎていく。
パチンコ台に三人とスロット台に一人、メダルゲーム機に数人座っているのを横目に、奥まで進んだ。
『staff only』の表記があるバックヤード。その手前にあるドアの前で立ち止まると、二回ノックした。
返事が聞こえないのを待ってから、ドアを開ける。
そこは、男女兼用の個室トイレ。窓は少しだけ開いていて換気されている。隅のゴミ箱は空。便器は綺麗に磨かれていて汚れひとつない。棚上には清掃道具と十分な数のトイレットペーパーロールが整頓されてしまってあって、丁寧な清掃が見て取れた。
壁に貼られた『トイレ清掃管理シート』には、赤い押印が列を乱すことなく、この日の昼番まであった。次の当番は、夕方十七時に清掃と押印のためにこのトイレにくる。
平日の夕方の押印は、『阿相』が多い。
腕時計の針は、十四時すぎを示していた。
西見は自動販売機で缶コーヒーを買ってから、適当なメダルゲーム機を選んで座り、借りたメダルを投入した。
しばらくすると、目星をつけていたスロット台にグレーのパーカーを着たハーフパンツの男が近づいた。時刻は、十六時半だった。
キャップ帽の上からフードを深くかぶっていて顔はよく見えない。黒のスポーツサンダルに、伸びっぱなしの長い爪。
男は煙草とライターと缶コーヒーを台の端に置いて座り、スロットを打ち始めた。
そこまで見届けてから、西見は再びトイレに立ち上がった。
先程と同じドアに、先程と同じように二回ノックした。先程と同じように返事はなかった。
ドアを開けると同時に、西見は変化に気づいた。
ーーバニラの香り。
「さっきより少しだけ開いた窓」
ペーパーの使用形跡はない。
ゴミ箱の中は空のままだった。
「さすがに証拠は残さないか」
清掃管理シートにはまだ押印はなかったが、缶コーヒーを置いてきたメダルゲーム機の席に戻る時にひとりのスタッフとすれ違った。
不織布のマスクをした清掃服の八十代男性。左胸に『阿相』の名札をつけていた。
メダルゲーム機の席に戻ると、隣の席に別の客が座っていてメダルを投入している。細身の六十代女性。煙草と並んでアルミの灰皿があったが、なかはまだ空だった。
スロット台の男は、未だにスロットを打っている。
西見が残りのメダルを投入しきるまえに、男は席を立った。向かった先には、トイレがある。それを目で追った時だった。
「宮国翔吾」
隣の女は、メダルの山積みから目を離さずに言った。投入されたメダルは、着々とその山積みのメダルを崩そうとしている。
「最近、巷で売買してんのはあいつさ。うちのもんもやられたよ。うまいことね」
何度か咳が続いた女は、煙草を咥えて火をつけた。吐かれた煙は台のガラスに跳ね返っては、消えた。
西見の席のメダルの山積みが崩れ、大量のメダルが排出された。画面上のスロットは、音を鳴らしながら回った。
「全く見合ってない多額を請求してくる。たまったもんじゃないよ」女は、最後の煙をふかした。「だが、うちのもんがそいつに。まんまと虜みてぇになっちまって」
西見は、少しだけ残っていたコーヒーを飲み干した。
「最後のひとつまで、うちが買い占めるまでだ」女は足元に置いた鯨柄のトートバッグから酒の缶を取り出して開け、ぐいっと飲んだ。「やつの命は」
少し前から貧乏揺すりをしていた宮国は、スロット台を拳で殴って立ち去った。
「どうしてそんなことを、俺に言うの?」
「おまえさんは見たところ、サツじゃない。うちのもんでもない。このへんじゃ見ない顔だ。けれど、ここ何日間か見かける」穏やかではない眼で、女は西見に目線を送った。「どなたかな?」
西見は近くの自動換金機に備え付けのおしぼりを一本取り、ビニールを開けた。蒸気で纏われたおしぼり広げると、手を拭いた。
そして、別のおしぼりを女の席の端に置いた。
「やだな。なんのことだろう。俺はただ、ゲームで遊びにきただけなのに」
出口に向かおうとした西見を、今も尚、メダルの山から目を逸らすことのない女は引き止めた。
「これは、忠告だと思え。ここは、我々の島だ」
使い終わったおしぼりを回収カゴに放り込んで、西見はその場から立ち去った。
エレベーターに西見が乗ったあとに続いて、スーツ姿の男は乗ってきた。
西見が『R』を押すと、扉は自動で閉まった。
男が西見の腕を掴むより先に、西見は男の背後にまわりこみ、すばやく両腕を背中で組むようにして男を壁に抑えつけた。
ゲームセンターを出た時からつけられていることに、西見は気づいていた。
「君はラッキーだね。俺は、痛みを操れる」
服に忍ばせておいたシリンジを指先まで滑らせ、シリンジキャップを咥えて外す。シリンジの中で、液体が揺れた。
「君が苦しんで死ぬことも、苦しまないで死ぬことも、今の俺が決められる。俺の気分でね」
怒りを顔に浮かべた男は足掻いたが、体のどこに力を入れても身動きがとれない。
「冗談言ってないよ。確かめてみる?」
シリンジの針先越しに西見が微笑んでるように見えて、男は絶望した。
「悪かった。宮国から買った薬を横流ししてたのは俺だ。・・・どうしても金が必要なんだ・・・見逃してくれ」
「よかったね。俺が、優しい人で」
針先は、怯えた男の首筋に触れた。
「さあ、生き残された気の毒な人類にお別れをして」
「やめろ!!」
ーーおやすみなさい。
シリンジは打たれた。
叫び声がエレベーターの中で途絶えると、男は崩れるように床に倒れた。
静かになったエレベーターは、屋上に到着したことを知らせた。
「リーダーによろしく。て言っても、もう無理か。なんて」
屋上駐車場に停められた白いバンの運転席には、宮国が電話をしている姿があった。
西見の端末が鳴った。通知画面には、『依頼達成』の文字。同時に足元に、どこからともなく一輪の花が落ちた。
宮国の話し声と笑い声がバンから漏れていた。
「同業者は、利用しなくちゃね」
足元に落ちた一輪の花を、西見は拾いあげた。
翌朝のニュースで、商業施設で遺体が見つかったことが報道されていた。
二人分の遺体が発見された商業施設は一時封鎖され、営業を見直している。
一人は、六十代無職女性。本名、柏井糸。死因は、呼吸困難による酸素欠乏症ののち、心肺停止。監視カメラの映像より、持病の肺疾患の発作が起きた可能性があるとみて捜査されている。
一人は、三十代無職男性。本名、得井達也。死因は、薬物中毒。発見されたエレベーター内の監視カメラは当時故障中で、検死結果から違法薬物による中毒死であるとみて捜査されている。
「揮発性の高い薬はいくらでもある」西見は、その日講義で使う教科書とノートを揃えていた。「未開封のタオルに混入するなんて朝飯前」
課題を終えたノートも忘れることなくカバンに入れた。
「バニラの香り。おそらく、違法薬物の中でも入手しやすいリヌランの茎を使ったグリッナヒコン系薬物の乱用。少量で中枢神経に強い興奮を起こす。幻覚や幻聴を与えることも。アルコールとの反応で効果は増強および持続するが、反応の瞬間にその代謝物がバニラに近い甘い香りを残すことがある。したがって、トイレ清掃が老人である時間帯を狙って摂取。清掃でマスクをするうえに、老人は嗅覚が鈍くなってるひとも多いからね。匂いが残らないように換気するが、薬の知識がある人間には気づかれちゃったねー」
焼いたトーストにかじりつき、カップに残った珈琲で流し込む。
「体内でリヌランと反応して分解物を残さないように工夫すれば、検死で見つかることもない。酒はリヌランの分解を遅らせるが、女がメダルゲームの最中に飲む頻度の高い酒はここ数日間で把握していた。その酒に含まれるアルコールの分解を増強する工夫に加えて、持病の肺疾患へ少し嫌がらせをすれば、検死で持病の悪化が疑われると」
天気予報は午後に雨が降ると予想していたので、西見は最後に折り畳み傘をリュックに入れてチャックをしめた。
「監視カメラが起動していないことは事前に把握済み。男のほうは、逆にリヌランを体内に残す必要があった。だからリヌランを作用を一過性で増幅されるものを入れればよかったから簡単だった。リヌランの分解酵素を限りなく減少させる工夫も添えれば、検死まで残ってくれる。違法薬物だと検死医師が知れば、中毒死と判断されるのも容易と」
必死で絞り出した歯磨き粉を歯ブラシにつけて歯磨きを済ませ、この日の寝癖を生まれ付きの癖っ毛で隠す。
スマホと、もう一つ別の専用端末を充電ケーブルから抜いて、スマホのメモ帳に『歯磨き粉』と打ち込んでポケットにつっこんだ。
最後に向かった別室のドアの先には、プラスチックやガラス、ビニール、木や鉄、レンガで囲まれた植物が無数に栽培されていた。
昨日拾った花は透明の花瓶に生けられて、静かに佇んでいた。花びらに、茎、根、花柱や胚珠をそれぞれ簡易的な分析機にかけたが、すぐには検索にヒットしなかった。西見の新しい研究対象となった。
照明がついたケースもあれば、黒い箱に思えるほど暗いケースもある。常に上から水滴がぽたぽたと降り注ぐケースもあれば、植物とともに虫や爬虫類が暮らしているケースもあった。それぞれのケースにはモニターが設置されていて、温度や湿度、光度、酸素や二酸化炭素濃度など栽培に必要な複数の情報を詳細に映していた。
全ての植物のモニターを一通りさらっと見て、管理に異常がないことを確かめられてから、西見は大学に向かった。
『検索結果』
依頼者 亡者 伊住 美侑
推測暗殺目標 生者 柏井 糸:詳細情報
推奨暗殺場所 REZOPIZU:詳細情報
推奨暗殺時刻 十七時前後:詳細情報
推奨暗殺方法 薬による暗殺:詳細情報
『各詳細情報』
REZOPIZU:商業施設ジュエル二階ゲームセンター
十七時前後:十七時トイレ清掃前に薬物取引の目撃情報あり 目標接近確率十三パーセント
柏井 糸:生者 中規模犯罪グループセルペンテ現リーダー 既往肺疾患 学生の頃から飲酒喫煙万引き等の指導記録多数 きれる頭と恐れを知らない覚悟と判断力を前リーダーに買われ現在に至る 重度の薬物中毒
購買人は、提供された商品やサービスへの代金をテーブルの上に提案する。
店主は、商品の代金を選択できる。
購買人によってテーブルに置かれる品は、造花と金が入った金袋。
では店主に提案する代金は、造花か金か。実はそうではない。
それは、人間が見える情報であるだけ。店主は、人間ではないかもしれない。
代金として提案されるのは、みっつ。
一つ目は、生者の殺し。
ふたつめは、亡者の殺し。
三つ目は、金。
このみっつの選択から、店主は代金を自由に選択する。
金を選ばなかった店主を、以降、依頼人と呼称する。依頼人は、最も恨む人間の殺しを依頼する。
それは生者でも、もしくは亡者でも。
生者の殺しは簡単。暗殺するだけ。
でも亡者の殺しは、どうするか。亡者はその通り、もう死んでいる。
亡者を殺しは、蘇生だ。
生き返るんだ。人間として。
浴びせられるような悲劇と絶望を伴う豊かな人生を、また最初から始めてもらう。
そうだろ?この自殺願望で咲き乱れた世界で、亡者にとってそれが一番の殺しだろ?




