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·····けれど、私は重大なことを忘れていた。
乃地は和食が嫌いだったってこと·····。
お味噌汁は、ほとんど口に入れない。作ってもいらないと言って食べてくれたことはなかった。
だから作るのはいつも洋食系だった。
魚は食べなくて、野菜も肉じゃがのみ食べるくらいなのに、色々ありすぎたのと乃地がご飯を炊こうとしていたり、大根を切ったりしていたから、つい和定食みたいなのを作ってしまってた·····。
テーブルに並べた和食。私と乃地が向かい合っている違和感で、その事を思い出してしまった。
(·····どうしよう。でも乃地嫌って言ってなかった。私にやめられたら困るから?)
それでも昔の乃地なら、何か買ってくると言って出ていったまま、しばらく帰ってこないのが当たり前だった。
だから、必然的に洋食系ばかり用意してた。
用意しても食べてくれない、帰ってこないこともよくあったけれど。
そんな残ってしまったおかずは、朝なら昼や夜、夜なら次の日や大学のお弁当とかで食べていた。
多すぎる時は、大学の友達や涼子に食べてもらっていた。
「いただきます」
「えっ」
「ん?いただきますって言った」
「あっ·····はい·····いただきます」
(乃地がいただきます·····なんて今まで言わなかったのに·····記憶をなくすと言わなかったことも言ったりするようになるものなの?)
不思議に思っていたら、お味噌汁を口にしようとしている乃地が目に入り、思わず緊張して両手を握ってしまった。
お椀に口をつけ、汁を口に含んで飲み込んだ。
「うまい·····美味い!お味噌汁ってこんなにうまいんだな!」
「えっ⁉️本当·····に?」
「本当だよ!うまいよ、なんでこんな美味いのに、あ、いや·····うまいのに、飲んでなかったんだな」
「本当に?美味しい?·····気を使わないでいいのよ?·····これからもご飯作るんだから、苦手なものは苦手って言ってもらった方が楽だし」
あ、つい楽だし、なんて言い方をしてしまった。でもせっかく作ったのにいらないって言われて、どっと疲れが出るようなことにはなりたくない。
「本当だ。本当にそう思ってる。ありがとうな·····悪かった·····今まで」
「乃地·····」
目に涙が浮かんで、映る全てが歪んで見える。
「だし巻きも食べてみて?友達には、割と好評なの」 気付かれたくなくて、ごまかすように勧めた。
「でも正直に言ってね·····直すところはちゃんと言ってもらいたいから」
「わかった。じゃあ、いただきます」
またそう言って、だし巻き一本を六切れにした一つを、お箸で挟み上げ口に持っていく。
それをじっと目で追ってしまう。
何回か咀嚼してから、私の方を見てきて目が合った。·····ドキッとしてしまう。
「うまいっ!何だこれ、うまい!これ何が入ってる?」
すごく喜んでくれてる感じが見て取れる。
こんなに味に反応してくれるなんて·····
「えっと·····卵の他は塩とわずかに薄口醤油とみりんかな、私の場合」
「人によって違う?」
「うん、甘味を入れない人もいるし、どの料理にも同じことが言えるけど、人それぞれよ」
「そうか·····ああ、うまい。何個でもいけるな、味噌汁、ご飯にかけていいか?」
「あっ、それは·····」
マナーが悪いと言いかけたけど、やめてしまった。
言ったら、乃地が怒るかもしれない、出ていくかもしれない·····
以前、貧乏ゆすりをしながらスマホ片手にご飯を食べる姿に注意したら、ものすごく怒って出ていってしまった。バカにされた気持ちだったんだろう。私の言い方も悪かったのかもしれない。
何が乃地の地雷になったのかは分からないだけに、この1年くらいは乃地の顔色を伺ってしまっていた。
そんな歪な関係になってしまっていたんだ·····。
「りん·····りん、いいんだ」
「え?」
「言っていいんだ。思ってること言っていいんだ。今まで怒ったりしてたからだよな、俺が·····ごめん。でももうこれからは、そうならない。ちゃんとりんの話も聞くし、もし納得できないことがあれば、聞きたいし話し合っていきたい。だからもう怖がらないでほしい」
「乃地·····」
「·····って言っても、急には無理だろうけど·····りん、そういう気持ちだって事は覚えておいて?」
そう言って悲しそうに微笑んだ。
乃地の顔は、今までにない表情だと思った。
その優しい表情に安心して、私も自然に顔がほころんだ。
「うん·····わかった」
「それは·····なんて言おうとしたの?」
「それはマナーが悪いの」
「マナー?」
「うん。お行儀悪いことなの。お汁をご飯にかけたりするのは」
「そうなのか?」
あんなに目を輝かせてたのに、急にシュンとなった姿を見せられたら、こっちがすごい悪いみたい·····
「外ではやめた方がいいけど·····家でならいいよ」
変に調味料を入れられるわけではないから、そう言ってみた。
「本当か?じゃあ、家の時だけ·····いや、今日だけ」
そう言って、ご飯にの入っているお茶碗に半分、お味噌汁を流し入れた。ご飯をかき混ぜて、お味噌汁となじませて口に入れる。
「あーうまい!ご飯にも染み込んでるなぁ。大根も染み込んでて、うまい!なぁ、りん!」
「えっ、あっ、うんうん。よかった。全部入れないの?」
「うん。やっぱり全部そうしてしまうより、りんが作ってくれた料理ちゃんと味わいたいしな」
「そう·····ありがとう」
なんだか恥ずかしくなってきた。今まで言われなかった、褒め言葉を並べられた恥ずかしさもあるけれど、その言葉をまっすぐに告げてくれる、とても優しい顔の乃地に見つめられると、ドキドキしてしまうから·····
「ぽちみたいね·····」
恥ずかしさを隠すため、思わずぽちの話をしてしまった。
ぽちもこんなふうに汁物が大好きだった。人間のご飯はダメだとわかっていたけど、乃地がそうして育てていたから、ぽちがせがむのを振り切ることができなくて、薄く味付けしたお汁にご飯を入れた、猫まんまのようにしてあげていた。その時は、本当に嬉しそうにみゃーと言って食べてた。
「え·····」
「あ、ぽちもお汁かけたご飯大好きだったでしょ?」
「ああー、そうだったな」
急にテンションが下がった。
思い出すと辛くなるのだとしたら、言っちゃダメだったのかも。
「あー、えーと、やっぱり汁かけはやめる。普通に食べる」
「えっ?」
急に真顔でそう言い、出し巻きに箸を持っていき、ご飯と食べだした。
(もしかしてバカにされたと思った?どうしよう·····違うって言ってわかってくれる?)
またそう思ってどんどん以前のように、また戻ってしまうかもと怖さが現れてきた。そんな風に思い始めてると
「字をマスターしたら、料理も頑張るよ」
「料理も?なんで?」
「作れる方がいいだろう?今はりんが作ってくれてるけど、りんが働きだしたら作れない時や、作るのしんどい時、俺が作ったらいいだろう。あ、俺も働きだしたら、両方作れないとかもあるか·····」
「·····」
そんなことまで考えて?
ほんと変わってきてる……
脳が受けた大きな衝撃が人格まで変えるのかな。
今までの乃地じゃなくなってしまったの?
そう考えると寂しく感じてしまった·····もう一緒にはいられないと別れを選んだぐらい、彼の関係に疲れ果ててしまっていたのに·····
「りん?」
「あっ、ごめん!」
「大丈夫か?疲れたよな。今日ゆっくりしていよう」
「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。以前の乃地ならそんなことも言わなかったから、そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとう。でも先のことは、今はまだ考えず、とりあえず今は体調と生活に慣れていこう?先生も穏やかに過ごすのが、脳にもいいはずだって言ってたし」
「·····うん、俺はりんがいてくれたら、穏やかに幸せに過ごせる」
乃地の平然と口にする甘い言葉に、一瞬で顔が熱くなったのを感じた。
乃地にもわかってしまう!そう思ったら、両手で頬を押さえてしまった。
「ははっ。りん可愛いなぁ、やっぱり」
「な、なっ!からかったのねっ」
「違うよ、本当にそう思ってる。思ってるから、普通に言ってしまうんだ」
「そ·····」
まっすぐに真顔·····また·····言い返す言葉を失う。
「りん、早く食べよう。冷めるよ。せっかく作ってくれたんだ」
「う、うん。そうよね、食べよ。いただきますっ」
ごまかすように、慌てて食べ始めた。
その姿をじっと優しく、乃地に見つめられているとは気づかないくらい混乱していた。
嬉しい気持ちや温かい気持ちも生まれていた。




