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救急車とパトカーのサイレンが入り混じって鳴っている。

「近くで何かあった?」


出ていったはずの場所に戻るため、急ぎ足で向かう途中、急に周りが騒がしくなっていた。

鍵を持ったままだった──

郵送でもいいかと思ったけど、万が一なくなったり、誰かの手に渡ったりしても怖いから、意を決して戻ることにした。


(やり直したくてわざとらしく、忘れたふりしたと思われるかな)


そんな弱気な気持ちになりながら、マンションのエントランスに着いた。

緊張すると思っていたけれど、人の声や早まる足音が慌ただしく響き、そんな感情になることも忘れさせられた。


「何?·····何が·····?」

急に不安になった。

乃地に何か起こってたら·····


何十人もが住んでいる敷地で、そのうちの一人が当てはまるなんてことないと思い直しながら、慌ただしさから抜けることなく、乃地の部屋のある三階に着く。

そこはもっとたくさんの人と声で溢れていた。


そして───その中心となっているのは·····乃地の·····まさか何?何が·····どうしたの·····


震える足をやっとの思いで動かし、人々の横をすり抜けて乃地の部屋の前に出ると、何人もの声が中から聞こえる。

その中を覗けば、床に横たわっている人に一生懸命声かけをしている人、人工呼吸みたいなことをしている人、その人達とは違う服を着た人達·····警察?が電話をしている·····事件だとか·····


何を見ているのかわからなくて·····現実なのかもわからなくて·····立ちすくんでいた。

怖くて確認することができず、体の部分だけ視界に入っていた。でも、どう考えてもこの部屋は、乃地の部屋で·····そこで倒れているのは·····さっき別れる時に着ていた服が見える·····

色んな恐怖が混ざって·····


「あなたはこの方と知り合いですか?」

その声にはっとする。

「失礼ですが、お名前をお伺いしても?」

スーツ姿の男性二人に聞かれる。睨んでいるような鋭い目。

怖い·····怖い、うそ·····乃地が?さっきまで話してたのに?


現実なのか、夢なのか、生きている心地もしなくて·····どう答えていいのかも分からず、二人を見つめていたら



「おおっ!」

「息を吹き返した!」

「早く酸素を!病院を!」

救命士の人達が騒ぎ出した。


乃地生きてるの?

震えながら期待にすがる思いで、両手をぎゅっと握りしめた。

警察二人の隙間から、救命の人達に囲まれ、横たわっている乃地を見てみると、わずかに体が動いているのが見えた。


生きている!!


良かった!!

全身から血の気が引く意識のないような状態から、抜け出せた感覚だった。

けれど、まだ危うい状態なのだろう。全てのことが大至急行われ、乃地は担架で救急車へと運び込まれた。

近所の人に、私は同棲している恋人だと証言され、私も一緒に乗るように言われた。

·····乃地のそばにいることになった。


腹部が止血されているけれど、服は血で染まっていて本当に助かるのか、このままで大丈夫なのか、パニックになりそうだった。

救命士さんに尋ねようとしたその時、乃地の左手がゆっくり持ち上げられ、私の目のところで止まった。


「だい…ち?」

意識があるのか、確かめるように名前を呼んでみた。


「り·····ん·····」

「だいちっ!」


私の名前を呼んでくれた瞬間、血の気が戻り体が熱を帯び、意識がしっかりと現実に戻った感じがした。

乃地の手を握りしめて。

涙が止まらなくて、乃地が生きているということを手の温もりで実感できた。

救命士の人に話すことを今はやめるように言われ、目を閉じたままの乃地が意識を失わないよう断続的にぎゅっと手を握りしめながら、病院へと向かった。



乃地の運ばれた病院は、国内でも五本の指に入るくらいのとても優秀な外科医が在籍していて、幸運なことに、その米倉先生に執刀してもらえた。そのおかげで、かなり危ない状態だったけれど救ってもらうことができた。

聞いてみれば、これほどの深い傷を負っていて助かったのも不思議だし、意識が戻り手を動かせたことも、米倉先生を驚かせた。

それでも乃地が目を覚ますのに3日ほどかかり、その間、本当に目が覚めるのか気が気でなかった。


基本、看護のためなどでも家族が泊まることは許可されていないけれど、特別に泊まることを許された。

米倉先生が、私がそばにいると感じられることが、本人の生きるという希望を持たせ、命の不安定さを取り除けるかもしれないと言ってくれたからだ。


「乃地?聞こえる·····?」


乃地が目を覚ましたのを気づいたと同時に先生を呼び、待っている間に話しかけてみる。

ゆっくり声の聞こえる私の方に顔を向けて、私を見てくれた。


「わかる?」

目を覚ましてくれたとわかった時、嬉しくてたまらなかったけれど、次の瞬間、何でお前がいるんだと言われたら、拒否されたらと思うと怖くなって、何も言えなくなった。


「り·····ん·····?」

「··········」


「りん·····」

私をちゃんと認識した·····と思った時、ゆっくり乃地の左手が私の前に来た。これは··········握ってほしいということ?

本当にそうかためらっていたら、乃地が左手を揺らして、合図をしてきた。手を欲しいというような。

恐る恐る、その手にそっと触れてみた。

触れた瞬間、優しく私の手を包むように握ってくれた

「だい·····ち·····」

「りん·····」

「あっ·····傷は痛む?どこかおかしいところがある?」

「いや·····ここは?」

「病院よ。覚えてる?」

「俺は·····」

「乃地、混乱してるよね·····無理に何も考えないでいいから、私がそばにいるから·····もう大丈夫だからね」


不安かもしれないと、安心できるような言葉を次々と言ってみた。そうしているうちに先生と看護師さんが駆けつけてきてくれた。


「目覚めたか。乃地くん、わかるかな?どこか痛むところは?」

乃地に問いかけながら聴診器で調べたり、目が見えているかライトで照らしてみたり、体の状態を確認していた。


「う·····っ」

触れられたことで、体が反応して腹部に力が入ったらしく、痛みを感じたようだった。かなり痛そう。


しばらく先生が体を触れながら乃地と話し、顔色を見ながら、ゆっくり進めていた。

「体に負った傷はかなり深かったから、その辺りの痛みはしばらくあるし、傷口が開くといけないから、安静が必要だよ。トイレも少しの間、看護師によって泌尿器でしないといけない。体も拭く程度で恥ずかしいと思うだろうけど、我慢してもらいたい。命が助かったことが、本当に奇跡だったんだから」

「きせき?」

「ああ。普通あんなに深くまで刺されて、出血も致命傷だったのに、生きていられるんだからね」

「ちめいてき·····」

「そうだよ。僕の腕が良かったからだよ。それときみの彼女、りんさんの愛の力かな。ね、りんさん」


急に話を振られた私は何も答えられなかった。恥ずかしいし、乃地がどう思うかわからないから。


「りんが·····」

「そうだよ。君が眠っている3日間ずっとそばにいてくれたんだからね」

「そばに·····」

「あっ、いや、そんな大げさな·····ただいただけですから!そんな重いものじゃないから!」

慌てて先生の言葉を訂正した。

しつこい女と思われたら嫌だし。


「ありがとう、りん」

ゆっくり乃地が私に言ってくれた。優しい目をして····

久しぶりだった。乃地の優しく見つめてくれる眼差しは·····でもなんとなく、以前とは違うような。


「特に体に問題はなさそうだな··········この調子だと、一週間しないうちに歩いたりできると思うよ。ただその前に、警察の人達が来て君に話を聞きたいそうなんだ」

「警察·····」

「先生、それって乃地に良くないことですか?」


刺されたのだから、警察が来るだろうことは予想できたけれど、現実で起こったことが信じられていなかったから、思わず不安で聞いた。


「さぁ、それは私にはわからないよ。乃地くんがどういう理由で、こんな風になってしまったのかわからないからね。私はただ目の前の重症患者の傷を治しただけだ」


確かにその通りだ。ずっと先生にしか頼れなかったから全てを委ね、親しい感じだったけれど、ここで数日前会ったばかりの他人だ。私達が·····乃地が悪か善かを知るはずもない、この答えが当たり前だけど、少し寂しいと思ってしまった。


「今の状態で話したりは大丈夫なんですか?」

「んー、まあ普通に話すくらいは何も問題ないはずだ。外傷だけだからね。ただお腹に力が入るような状態になるようなことは良くないから、私も付き添うから心配しなくていいよ」


「先生·····ありがとうございます。よかったね、乃地」

「うん·····」

「不安?怖いよね」

「…いや、ただ相手を俺は知らない」

「知らない人だったの?」

「ああ·····ドアを開けたら、急に襲われたから」

「強盗なのか?」


先生の言葉にゾッとした。

あんなに深い傷を負わせるぐらい刺すのか·····と、つぶやいていた。




それから2日後、警察の人達が来た。

「君は澤井乃地くんだね。あのマンションの住人で間違いないね?」


まずは乃地が乃地であるという確認から始まった。

「刺した犯人の顔覚えてるかな?見知らぬ男だと、君の証言がとても重要だし、必要なので」

刑事さんは聞きながら、乃地の様子を観察しているようだ。


「部屋を荒らされてはいなかったから、刺してすぐ逃げたと思われるんだ。物盗りの場合なら刺した後に盗るという行動が見られるはずだけど·····誰かの気配を感じて逃げたか、誰もいないと思ってたのにいたから刺して逃げたか·····あるいは、君が誰かの恨みを買っていたか····」


乃地が恨みを買うはずはない!·····とは言えない。乃地は女の人と色々あったはずだし·····トラブルがあっても不思議じゃない。


「こちらの調べと、米倉先生の証言によると刺したのは、男性の可能性が強いと思われるとの見解を頂いた。女性が刺すには深すぎるとのことでね」

「男性·····」


思わず言ってしまった。

恨みを買うとしたら女の人だと思ってたから。


「·····男だったのは間違いないですが·····俺は知らない」

「うーん·····聞けば、君は結構女の人と色々あったようだね。職場の人達から聞かせてもらったよ」


「職場·····」

「うん。君が働いている運送会社の人達だ。君と連絡が取れないと、君の家まで様子を見に来たから助かったよ、こちらも」

「わからない·····」

「うん?何が分からないんだ?乃地くん」


乃地の様子が少しおかしいと思ったのか、米倉先生が尋ねた。

私も、運送会社の人達のことを話し始めたら乃地が不思議そうにしているのが気になった。


「俺は運送·····で働いていたこと、その仲間とか·····わからない」

「どういうことだ?」


刑事さんも訝しそうに聞いた。

「分からないって、覚えていないということか?会社のことで覚えていることは?念のため、MRIも撮ったけど脳に異常はなかったんだけどな」

「とぼけているかもしれませんね」


刑事さんの一人が言った。


「どこで働いてたのか·····誰ととか·····」

「乃地·····自分のことは?友達のこととかは?時々会ってた高校の·····」

「自分·····俺は·····俺はりんと暮らしてた。友達は·····確か、とう、ま?」

「とうま?その人はどういう人ですか?」


刑事さんは調べるために、名前や素性を知ろうとしてきた。


「どんな·····たまに家に来て笑ったり·····他には·····分かりません」

「先生、これは?」

「うーん、はっきりと言えませんが、記憶の一部が欠けてしまっているのかもしれません。精神的ショックのせいと思われますが·····まだ詳しくは。本人に聞いて、専門医に診てもらわないと何とも言えません」

「なんてことだ·····」

「本当なのか?」


二人とも乃地が何か隠すために、嘘をついていると思っているような言い方だった。

でも乃地の様子からしても、嘘をついているとは思えない。

話が進みそうにないとのことで、刑事さん達はちゃんとした結果が出てから、また聞き取りに来ることになり、一旦帰っていった。

米倉先生と乃地は再び精密検査を受けるため、病室から出ていった。


あの別れの日から、目まぐるしく状況が変わるのについていけない感じがして、どうしていいかわからないままだった。

でも、そもそも別れたのに他人の自分がいてもいいのか、乃地は何も言わない。

乃地には親兄弟もいないので、誰も乃地の世話をできる人がいない。病院には看護師さんがいるから、自分はいなくてもいいのだろうけど、周りの人達は私を彼女だと思ってる。乃地も否定しない。こんなことになっているから、心細いのだろうけど·····

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