生活
妖精はいつも忙しなく翅を動かしているわけではない。
でなければ脚が進化の過程でこれほど明確に残るはずがないのだ。
歩くという行為は妖精にとって特別なことではない。むしろ忙しなくはばたく方が珍しい。
今みたいに朝露をバケツに詰め込んで、家まで運ぶには歩いたほうが安全なのだ。
どの妖精も毎朝の日課として飲み水を探すが、人間のように上下水道をひいたり、電気を通したりはできない。
材料となる鉱物を採集するには、私たちの身体は貧弱すぎるし、モーターを作ってもサイズを大きく出来ず、非力な物しか作れないだろう。
常々、身体のサイズは、思っている以上に文明に関わっていると思う。
飛べなくなっても、魔法を使えなくなっても、大きな人間になりたいという妖精は少なくない。
彼らに飼われているタイプの妖精は、私たちみたいな自然との共生生活を、とても言えないような言葉で罵ったりもする。
しかし、自分で作った文化でないものに、生き物は馴染めるのだろうか?
魔法を捨てた人間が機械文明を築いてから、すでに300年近くが経過した...。
彼らはもう、魔法を忘れてしまった。だから、妖精を飼うのだ。
機械文明がまだ未熟なころは、火起こしや掃除、洗濯、治療などの身の回りのことを済ませるための魔法を期待されていた。
しかし、現代では計算装置や医療、薬学の発展によって、そういった生活の魔法は不要となり、幸福とか呪いといった、抽象的なもの、より信仰に近い部分を期待されるようになった。
そして、そういう魔法には、代償が必要となる。
その代償を払う役割として、妖精は飼われることがある。
そんな生き方、幸せなのだろうかと思う。
しかし、毎朝草木をめぐって飲水を確保したり、土ぼこりにまみれて生きるよりはよほど快適なのかもしれない。
ぐちゃぐちゃと地に足のつかないことを考えているうちに、住処まで辿り着いた。
「ただいま。」
返事はない。
父と母とは、前の引っ越しのときに別れた。
妖精は基本、群れでは生活しないらしい。
らしいというのも、父と母以外には他の妖精と会うことなど、盗みに人間の家に入ったときに飼い妖精と会うとき以外、稀であるからだ。
部族という単位を持つと、何かから逃げなければならない時に不便だったのだろう。
しかし妖精の言葉や文化がなんとなく共通しているのは、魔法のおかげである。
精神交流の魔法によって、妖精同士会話ができる。
会話というよりは意思疎通といったほうが良いかもしれない。
話題は大抵、天気と人間の話である。
それでも孤独を感じるときだけ、相手の家に行ってお茶をする。
そういった行為の繰り返しの中で、私たちは世代交代を繰り返してきた。
バケツを台所に置き、コンロに火をつけた。
人間の作ったコンロのようにガス式ではない。
木の皮や木の葉を乾燥させたものを燃料としていて、火元は魔法だ。
妖精は魔法を捨てていない。その代わり、大きな繁栄もない。
それは、この身体のサイズだと、地球にある資源は無限と同じで、それを魔法という、出どころ不明の力によってコントロールするのだから、そもそも繁栄する必要がない。
有限であるから奪い合う必要が出てくるのだ。
人間サイズでは地球を無限だと思えないから、人間同士で戦う必要がある。
柄にもなく壮大なことを考え始めたな、と思う。
自分に何ができるわけでもないのに。
コンロの火が大きくなったのを確認してから、バケツから水を掬った鍋を置いた。
本当は干し肉を焼いて食べてしまいたいが、そういう気分じゃなかった。
木片から組み上げた戸棚には、盗んだパンと茶葉があるから、それで適当に済ませよう。
グツグツと沸騰し始めた鍋に、茶葉を入れた。陶器の茶器などは飼われ妖精御用達で、野良妖精は大抵、石を長い時間かけて削った鍋を使う。
机の上に鍋を置き、茶にはちみつを溶かしてみる。ふわっと甘い香りが広がる。
乾いたパンを浸しながら食べる。
妖精の食事に、テレビもスマートフォンもない。妖精の食事には味と香りだけがある。
夏の風が部屋に吹き込む。
生きるということは、LEDライトに照らされるということではないだろう。
食べたら昼寝でもして、明後日の食料を探しに行こう。
人間から少し盗んでもいいし、その辺で野菜を探してもいいだろう。
今は眠いから、少しだけ眠ろう。
翅を丁寧に畳んだ後、シャッテはいともたやすく眠りに落ちて見せた。