第百四十六話 讃歌
マーズさんは拳を振り上げたまま、その場に立ち尽くしている。
「マーズさん!」
「マーズ!……マーズ?」
「マーズお姉ちゃん!」
「マーズ!大丈夫なのかァ!?しっかりしろ!オイ!」
こちらの呼びかけに反応は返ってこない。
ロディアが呼び出した革命団残党の死体も動きを止めたのか、先生達もマーズさんの側へ駆け寄るが、立ったままのマーズさんが、一言でも言葉を発することは無かった。
どこからともなく、暖かい風が吹く。
雪山の奥地とは思えない程の、触れるだけで安心するような風。
「皆……ありがとう。私は、ここまでのようだ」
その風に乗り、マーズさんの幻が空へと昇っていく。
「マーズ!どうして……!」
ガラテヤ様は空へ手を伸ばすが、決して届くことは無い。
「私は父の力に頼らない、本当の騎士を目指していた。だが……それは叶わなかったようだ」
「マーズお姉ちゃん……そんな、そんな……!」
「騎士になれなかっただとォ!?ふざけたこと言ってんじゃァねェッ!」
「え……?」
「マーズ!お前は、確かに騎士だった!俺もこのチビも、他の奴らも!今この瞬間、お前がいなくっちゃァ、このクソ悪魔に勝てたか分からねェ!お前はオレ達を!この世界を、悪魔から守ったんだ!」
「バグラディ……そ、そうか。なんだか……照れるな。気がつけば良いとこ無しだった私が、そう言ってもらえるとは」
「誇れ!お前は立派な騎士だ!二度と、騎士になれなかったなんて言うなァ!オレが憧れたお前は、そんな情けねェ女じゃァなかった!」
「……そうか。ありがとう、バグラディ。とても嬉しいよ」
マーズさんの幻は微笑み、少しだけ地上へ降りてくる。
「……あァ、あぁ……クソッ!クソッ!!!」
バグラディは膝と肩を落とし、地面に伏せて、拳を積もる雪の上に叩きつけた。
「グ、グガ……ふ、ふふ……いやあ、やられたよ。やられた。ははっ」
「なっ!?」
一方、粉々に砕け散ったロディアは、それでも霊体を辛うじて残したまま、地に伏せている。
「ああ、安心して。これで僕は、すっかり死体みたいなものになっちゃった訳だ。悪魔としてこの世界に干渉する力は、すっかり無くなってしまった。あとは消えるのを待つだけの、ただの死体だよ」
「しぶとい奴……!ロディア!」
俺はナナシちゃんの刀を抜き、霊の力を込めようとする。
「おおっと、もう無駄だよ。僕はもう、この世界においては殺されたんだ。死人を殴っても、もうこれ以上は殺せないだろう?この霊体が消滅したら、別の世界で細々と暮らすよ。はは、あっはっはっは……」
ここまでボロボロになりながらも、やはり悪魔であるが故に、一つの世界で死んだところで大した影響は無いのか、口角を上げて笑うロディア。
「……どうやら私は、もう一仕事しなければならないみたいだ」
しかしマーズさんの幻は、朽ちた霊体と化したロディアの首根っこを掴む。
「な、ちょっ、何のつもりだい、マーズ!ただの死人が、僕に……!」
そしてマーズさんは、そのまま再び宙へと向かっていった。
「コイツは、私が死の向こう側へ連れて行く。どの道、これではもう、本当にこの世界にコイツが関わることは出来ないだろうが……念のためだ」
「おい、やめろ!何を」
「もしも死後の世界があるとして、意識が入ったまま死体……コイツの場合は霊体を、悪魔ではなく神や人類のテリトリーに封じ込めたら……その霊体は無事に、他の世界に行けるのか……試してみるよ」
もしもロディアが、悪魔マルコシアスの本体から分裂した、いわゆるアバターのようなものだとすれば。
そのアバターに意識を封じ込めてしまえば、悪魔マルコシアスは永遠に動けないと、そういうことだろう。
ゲーム感覚で世界を喰い貪っていたら、ゲームのタイトル画面から永遠に出れなくなってしまいましたと、まさしく世界の外から来た悪魔らしい末路ではないだろうか。
「や、やめろ!やめるんだ、マーズ・バーン・ロックスティラ!僕はもうボロボロだ!君の言う通り、もうこの世界に干渉できる力は残っていない!だったら、それで良いじゃあないか!悪魔マルコシアスとしての僕は、別の世界を餌場にして暮らすさ!だから、その手を……!」
「ふふっ。断る」
「そんな……!」
すっかり透けてしまった手足を振り回して抵抗するロディアだったが、マーズさんは構わず、雲の隙間に向かって飛び立つ。
「さようならだ、皆。この世界に何が起こるか、コイツが言っていた天国とやらは、私には分からないが……何が起きても、私は皆を応援している。後は……任せた。父を、頼む」
「マーズさん……」
「……ええ、分かったわ、マーズ。その言葉、確かに受け取った」
「マーズお姉ちゃん!!!また、また……!いつか……!」
「チッ……!マーズ!いなくなった後も、意識があるなら!元気でなァ!オレ達のこと、死んでも忘れるなよ!!!」
「……マーズ様、ご立派でございました」
「そ、そんな……悲しすぎるわよ、こんなこと……!」
「いつになっても、慣れないものね。目の前で、自分が治してきた学生が死ぬというのは」
マーズさんはロディアを引きずりながら、天へと昇る。
「……じゃあな、マーズ」
俺達が彼女を、この日を忘れることは無い。
果てにて、世界に巣食う悪魔を葬った騎士がいたことを。
雪景色の中で、やけに暖かい風が吹いていたことを。
偉大なる騎士にして、俺達の友人、マーズ・バーン・ロックスティラは。
この瞬間をもって、その人生に幕を下ろしたのだった。