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お日柄も良く♪

若い頃は、かくいう私にも絶頂期というものはあった。日々、どんなに酷使されようとも、気にする事なく笑顔でそれに応えたものである。


人は私がそこに居ても余り気にも留めないが、実際私は彼らの役に立っている。私は日々、そんな彼らを横目で見つめながら、気にかけていた。


それは雨の日も風の日も晴れた青空の日も続く。私は大抵の場合、皆と同じように夜には眠りに付き、身体を休める。


但し、私の朝は早い。だからひと時の眠りをなるべく(さまた)げられない事を切に望む。


ひと昔前、私が絶頂期の頃は徹夜をしたり、夜遅くまで精を出す人が割と居たから、そんな時には私も夜なべをして付き合ってやったものだが、寄る年波には勝てないものだ。


私は年と共に精も魂も尽き果てて、だんだんとベストパフォーマンスを発揮出来なくなって来ている。


一緒に(かたわら)にいる人達は、相も変わらず私の日々の貢献に変わりが無い事を確め、安心し切っているが、私自身は最近身体に小さな異変を感じていて不安なのだ。


特に寒い冬場に掛かる頃になると、シクシクと身体が(きし)むようになり、医者に見て貰い投薬などして貰わねば、先行きが(あや)ぶまれて来ている事をとみに肌身に感じ始めていた。


けれどもこの私が泰然自若で居る事が、周りに安心感を与えている事を想うと、泣き事は言えない。私が一日でも休んでしまうと皆とても困るだろうから、例え今日はしんどいから休みたいと想っていても、ついつい頑張ってしまう。


『頑張らなければ…』


そう考えてしまう私は仕事の虫なのだろうか?




ところが、ある時そんな私の異変に唯一気がついた優しい女性の方が居て、親切にも自分の薬を少しばかり分けてくれた。


「これ、割と効くと想うの!塗ると違うから♪」


そう言ってくれたのだった。


薬が多少効いたのか、私は少しばかり持ち直し、その日を(すこ)やかに過ごす事が出来た。翌日がたまたま日曜だった事が本当に幸いだった。


お陰様で私は終日床に着き、身体を休ませる事が出来たので、みるみる内に回復した。こんなに良く眠れたのも久し振りの事であった。


だから翌月曜からは、またベストパフォーマンスを発揮出来た。その彼女も週明けに会った時には、私の顔色がとても良く、滑らかなその所作にとても満足してくれた。


「良くなって良かったね♪」


彼女はそう言って微笑んでくれたので、私はとても嬉しかったのを覚えている。


その彼女も年月と共に引越しして、もうここには居ない。けれども、私には彼女以外にも助けてあげなければ為らない人達が沢山居るので、週六でフル回転しなければ為らなかった。


唯一の愉しみは休みの日曜であるが、年に何回かはいきなり尋ねて来て、サービスを強要する者たちが居る。そんな時、私は困ってしまうが、結局のところ『来る者 (こば)まず、去る者追わず』の精神で助けてあげるのだ。


彼らは休みの日にも(かか)わらず、協力してあげたこの私にとても感謝している事だろう。なぜなら、この私無しには、彼らは何も出来ないからなのであった。


春が過ぎ、夏が来ると、年を経た私の身体もこの時期にはとても調子が良く、よく汗を掻くためか新陳代謝もとても良い具合である。


それに反して秋が来て、冬に入ると、再び私の身体は凍りつき、肩や背骨が(きし)み出す。その繰り返しなのであった。


かつての女性の様に、時たまそれでも私の異変に気がついてくれる人は居る。"地獄に仏"とは(まさ)にこの事で、そんな時にはとても感謝してもし切れない。


人の温かさや優しさを感じる瞬間である。私はだんだんと年を取り、涙脆(なみだもろ)くなったのだろう。その嬉しさは心無しか年と共に倍化して行く様にさえ感じられたのであった。


そんな人々の優しさに支えられながら、私はその後も(たく)ましく過ごし、何とか役に立つ事が出来た。これぞ黒子(くろこ)冥利(みょうり)に尽きるというものである。


私はこうして紆余曲折を()ながら、配属されてからまもなく三十年が経過しようとしていた。私は老いていたが、相も変わらず淡々とその役目を(にな)っていたのである。




そんなある日の事、私は突如として通告を受ける。


「君も今年で定年だ。長い間、御苦労様でした。残りの半年間、引き続き頼むよ♪君には助けて貰ったし、大いに役立ってくれてとても感謝している。これは本当の事だ。だが今度(このたび)、我が社は大量退職時代に対応するため、既に新人の大量採用を決めた。君達の長年の労苦に報いるため、一言礼を述べたかった。なぁに、まだ半年ある。これからも宜しく頼むよ♪」


私も薄々とは感じていた事であったから、その時は然程(さほど)ショックらしいものは感じなかった。けれどもこうした事は時と共に心に深々と刺さって来るものだ。


私は翌日にはショックで余り(かんば)しくなかった。その翌日にはさらに心が痛んで来て息苦しくなる。そしてとうとうその時を迎えたのか私はゼイゼイ吐く程に息苦しさが増して来て、遂には支障を来たし始めた。


キリキリと音がしたかと想うと、私は眩暈(めまい)を感じて倒れてしまったのである。


『私はどうなるのだろう…後、残り(わず)かなのに、私が居なければ皆どうするのだろう…とても迷惑を掛けて申し訳ない事だ!』


私は(なか)ば意識を失いながらも、そう感じていた。




「すみません!最近具合が良くないんですが、一度見て貰えませんか?」


うちの部局の課長さんが管理人の方にお願いしている。


どうやら私は意識は戻り、具合も悪いなりには命だけは取り止めたようである。仕事には少しばかり支障はあるものの、それは長年の経年劣化と言うべきかも知れない。


私はこんなでもまだ使って貰えるだけ有り難いと言うものだ。たまたま部局の課長さんが優しい方で、私の後遺症を知りつつも、「残り僅かだから、やってみるかい?」と声を掛けてくれたのだ。


とても有り難い事だ。私も順風満帆とは行かないまでも、残り僅か…『立つ鳥跡を濁さず』である。


ここまでやって来て悔いは残したくなかったから、頑張る事に決めた。課長さんは皆に宣言した。


「今まで長年、頑張って来たのだ。年配者は(いたわ)らねばならない。皆、残り僅かだが、彼が(すこ)やかに勤まる様に優しく扱ってやって欲しい。けして乱暴に扱う事は、この私が許さないからそのつもりでね?」


課長さんはそう断言した。


皆もコクリと頷く。


これは若かりし頃から、そういうものだと私は感じていた。人には色んな人が居て、人や物をとても優しく扱える人、そしてその真逆で、乱暴に扱う人である。


人は相手が同じ人、つまりは血の通った者には優しく出来ても、物には乱暴に当たる人が居る。物には血が通っていないし、ひんやりと冷たく、物言わぬからである。


どだい物は壊れても、修理したり、時には廃棄処分にして新品と交換出来るだろうという頭があるため、必然的に扱いが雑になりがちである。


物である以上、永遠では無くいつかは壊れるのだから、そう言った意味では、多少は仕方が無いように想う。けれども彼らが血が通っていないから、文句を言わないからと言って、雑に扱われる(いわ)れは無いのである。


恐らく人々も意識的に雑に扱っている訳では無く、無意識にそういった習慣がついている者が中には存在するという事なのだろう。けれども物にしてみれば、他人事では無いのだ。


心は無いと言うかも知れないが、当事者はその一挙手一投足で身体そのものにダメージを(こうむ)り、日々受けて来たその些細な積み重ねにより、心身に異常を来しているのかも知れないのである。




つい先日、私の同輩で完全に壊れてしまったものが居た。彼はその場の緊急施術で一端、完全にバラされて組み直された。


その中には回転軸が収められており、そこに潤滑油が注がれる。私があの女性から塗ってもらったものであった。


彼はそのお(かげ)で一日だけは持ち直したものの、その翌日には帰らぬ"物"となった。


「どうしますか?閉まらないんじゃ使い物になりません。困りましたね…」


「でも後三ヶ月で新品に交換するんですよ?今、修理と言われてもねぇ…費用も馬鹿に為らんのです。幸い外に面した扉じゃありません。貴重品は鍵の掛かる部屋に入れてもらって、やり過ごすしか無いと想いますが?」


「そうですな…仕方無い。そうしましょう!」


けっきょくこの一言が決定打となり、同輩は退職の日を迎える事無く、死を宣告されたのである。彼の蘇生が試みられる事は二度と無かったのであった。


それに比べれば、まだ私はましな方である。何とか生き永らえられ、閉まる時には「キュルキュルキュル~」と吐息を吐きながらもちゃんと閉まる。


そう…私は『電気錠』として、永年この人々にお仕えして来た"物"であった。先述した通り、"物"の寿命は短い。人と同じように私たちも歳は喰う。


けれども、人の世の(うつ)ろいの中で、色々な人々が行き交う昨今、同じ人がずっと扱う訳でも無いし、見た目は昔とほぼ変わらないのだから、私が若者か年寄りなのかは、扱う人達には判らない。


判らない人々は口々に声を揃えてこう(のたま)う。「なぜ、調子が悪いんですか?」と!




自然環境の中で、時の経過と共に不具合を来す事を"経年劣化"という。故障ではなく、摩耗(まもう)である。


人が歳を経て老いてくると、膝や間節が痛むのと一緒なのである。だから(いたわ)り、優しく扱ってやらなければ為らないのだ。


血の通う人々は、命を守るために手術を受け、助かる事もある。それは人の中に『命は守るもの』という認識が浸透しているからなのだ。


(ささ)やかながらも、『命を持たざる物』にも、多少なりとも手心(てごころ)を加えてあげられたなら、どんなに素晴らしい事であろうか。


それは人々の良心と誠意に依るしか無いのである。そういった気持ちを持つ事も大切なのではないだろうか。




私は幸いにも、課長さんを含めた皆の努力により、やがて無事に退職の日を迎える事が出来た。私はこれでお役御免となるが、明日からは活きの良いこの新人君達が活躍して行く事だろう。


けれども、そんな彼らでさえ、やがては私と同じ定年の日を迎える事になる。彼らの行く末を祈りながら、私はそこを去った。


青く良く晴れた心地の良い昼下りだった。


【完】

【後書き】


『物は大切にしましょう』


子供の頃、親や学校の先生から一度は言われた事があるのではないでしょうか。


皆、最初のうちは恐る恐る、それこそ腫れ物を触るくらい用心して扱っていたものも、時と共に雑に扱うようになります。


『古くなったから…』『自分のものだから…』『二度と来る場所じゃないから…etc』とその理由は様々ですが、極端な話し、それは彼らが物言わぬ存在であり、代えが利く物だからなのだと想います。


けれども、その物言わぬ彼らが命を持ち、人と共に共生し、傷付き老いて行く存在だとしたら、皆さんはどう想いますか?


それを今回の命題(テーマ)として置き、書き上げました。この機会に今一度、考える機会となれば幸いに想います。


世知(せち)(がら)い世の中となり、なかなか他人(ひと)の事まで考える余裕が無い昨今ではありますが、『人を大切にする』『物を大切にする』そういった優しい心はきっと貴方の心に余裕をもたらす事でしょう。


時にのんびり眺め、考える心は恐らく貴方の人生に深みを与えてくれるのではないでしょうか。


そうなる事を願い、多くの人達が心に幸せを宿す事を切に願うものです。


byユリウス・ケイ

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