教育係のシュナイト侯爵夫人
なんの前触れもなくわたしが皇宮に現れたものだから、関係者だけでなく皇宮にいる人々はいろいろな意味で慌てふためきざわめいた。
そんな人々を見ながら、苦笑を禁じ得ない。
「『孤高の悪女』が? どうしてまた突然参加を?」
「断ったのではなかったのか?」
「これはまた一波乱ありそうだな」
「面白くなるに違ない」
人々は顔を寄せ合っている。
あのねぇ。きこえているんですけど。
もっとも、向こうはわざと言っているんでしょうけど。
皇宮では、物心ついたときから暴れている。いいえ、訂正。いまは皇太子になっているコルネリウス・ユーヴェルベークの幼馴染、というよりかは乳兄妹として、お世話をしている。ではなく、お世話になっている。
つまり、皇宮内でわたしを知らない人はいない。
しかも、みんな嫌がっていたり迷惑がっている。
なにせわたしは「孤高の悪女」だから。
というわけで、皇宮内にある第三番目の門にさしかかったとき、衛兵と門を通る通せないで揉めてしまった。すると、宮殿から飛んできた。
皇族専属の教育係の総元締めであるデリア・シュナイト侯爵夫人が。
シュナイト侯爵家は、代々皇族の教育係として仕えている由緒正しき家系である。一族みんながなにかしらの指導をしていて、なぜかみんなメガネをかけている。それがまた、似合っているから不思議でならない。
『ガチガチ』
皇太子と二人で、彼女たちをまとめてそう呼んでいる。
それはともかく、シュナイト侯爵夫人は、慌てふためき飛んできたようである。
いつもはきっちりうしろで一つくくっているブロンドの髪が、一部分がほつれてしまっている。
でも、服装はバッチリだわ。
大昔の年配の女性が着用していたような古風なドレスを着用している。
部屋着とか夜着とか、そんなダラダラしたものではない。
当然でしょうけど。
わたしだったら、わざと夜着で駆けつけたでしょうけれど。
「バッハシュタイン公爵令嬢っ!」
彼女は、視線が合うなりキレた。
いつもそう。まるでわたしが彼女の一族みんなを呪い殺したかのように攻撃的に接してくる。
「突然、やって来るなんてどういうことなのですか? 皇太子妃候補の権利を放棄したのでしょう? それをいまさら……。わたしたちを振りまわしてなにが面白いというのです?」
彼女を振りまわしたことなんて一度もない。物理的には、だけど。
彼女が勝手にそう思っているだけじゃない。
バカバカしいったらないわね。
「シュナイト侯爵夫人」
余裕の笑みを浮かべてみせた。
彼女は、若くてきれいなご令嬢たちをいびりたいだけ。いびって泣き出したり、ひたすら謝罪するのを見たりきいたりして快感を得ている。
だから、彼女はわたしのことが大嫌いだし苦手。
なぜなら、絶対に泣かないし謝罪しないから。
だってそうでしょう?
床に落としたフォークを三秒以内に拾い上げて使っただけで怒りだしたり、皇帝陛下と妃殿下に手を振っただけで卒倒したり、いちいち大げさすぎるのよ。
しかも、愛用の乗馬鞭でぶってくるから始末が悪すぎる。
乗馬もしないくせに武器として携帯していることの方が、よほどマナー違反だと思うわ。
「皇太子妃候補の権利を放棄してはおりませんわ」
さわやかな笑みを浮かべているつもりだけど、きっと嫌味ったらしい笑みになっているわよね。
「くだらない修行? 拷問の時間? いびり方教室? とにかく、くだらない時間をすごしたくなかっただけです。だけど、皇太子殿下より参加するよう直接命じられました。だから、仕方なくやって来ただけです。なんなら、殿下に問い合わせていただいて結構ですが?」
勝ち誇ったように告げた。
問い合わせたところで、コルネリウスは「ああ、そうだよ」としか答えない。
コルネリウスは、彼女とわたしの衝突を見たいに違いない。それに、彼も彼女には子どもの頃からマナーのことで手ひどくやられている。
もしもシュナイト侯爵夫人がいまの話を照会したとしても、よろこび勇んで肯定する。
シュナイト侯爵夫人は、わたしの反撃に言葉を詰まらせた。その横をすり抜けながら、「じゃっ、通りますね。これからよろしく」と丁寧に告げた。
そして、意気揚々と第三の門をくぐった。