いざ皇宮へ
「サプラーイズよ」
「はい?」
「あなたね、まだ若いのに耳が遠いわけ? それとも、新婚ホヤホヤで頭がすっ飛んでしまっているの?」
「ち、違います」
彼女は、つい先日雑用係のカール・ライナーと結婚したばかり。
いま、彼女とカールはしあわせの絶頂って感じなのかしらね。
「このことです。これは……?」
彼女は、紙片をヒラヒラさせた。
「結婚って、面白い? しあわせ? バカバカしい。おたがいを縛り、がんじがらめにしてなにが面白いのかしらね? しかも、すぐにでも子どもをつくるんでしょう? カールなんてろくに稼ぎもないのに、妻子を養うために必死に働かなければならないのよ。そして、養っている妻子にこき使われるの。まっ、どうせカールはちょっとした食事にさえ連れて行ってくれないんでしょう? だから、二人の非番に合せて芝居のチケットをとってあげたのよ。いま、一番センセーショナルな芝居よ。社会派ミステリーの話題作『黄昏の果てに』。この芝居、タイトルくらいきいたことあるでしょう? あなたたちが理解出来るわけはないし、上流階級でないとチケットが取れないからあなたたちが行っても場違いこの上ないでしょうけどね」
「お、お嬢様っ、そ、そんな……」
わたしのあからさまな嫌味、というよりかは侮辱に、彼女は泣き始めてしまった。
ふふん。まさかこれが最後の「ぶちかまし」になるとは思わなかったけれど、まんまと驚いて泣いてくれたのだから、よしとしましょう。
これで心おきなく皇宮に行ける。
「鬱陶しいわね。用事が終わったのなら出て行ってちょうだい」
邪険に追い払おうとしたけれど、彼女はグズグズといつまでも泣き続けていた。
荷物はトランク二つ。
ちゃんとしたドレスは、別に運んでもらう。
だから、日々の服だけで充分。
それも、わたし独自のスタイル貫くつもり。
それに、皇宮は目と鼻の先。もしもすぐに必要な物があったとしても、「ちょっと取りに行ってきます」と言って取りに帰れる距離ということもある。
お父様たちが夕食中の間に、屋敷をこっそり出て行こうとした。
いままさに玄関を出て行こうとしたとき、お父様たちが追いかけてきた。
「アイ、どうしたというのだ?」
「アイ、いきなり皇太子妃の修行に加わるだなどと、あんなに嫌がっていたのに」
奥の廊下から、お父様と継母と異母兄が現れたのである。
どうやら使用人のだれかに見られてしまい、お父様たちを呼びに行ったらしい。
「アイ、嫌なことをする必要はないわ。あなたがいなくなると、屋敷内が寂しくなる。だから、無理して行くことはないの」
お父様は、使用人たちにはわたしの余命のことは知らせていないでしょう。でも、継母には告げたはず。
寂しくなる、だなんて。
彼女のあいかわらずの熱演に拍手を送りたくなった。
「ご心配なく。いまは興味津々なのです。嫌々でも無理をしているわけではありません。というわけで、当分戻って参りませんので」
わたしがいったん「こうするの」と宣言したら、この大陸が沈もうが世界が破裂しようが、だれかがどうにか出来るものではない。
この場にいる全員が、それを嫌というほど知っている。
全員がただ呆然と見守る中、高笑いしながら去った。
両手にトランクを持ち、高笑いしながら颯爽と去るその姿は、自分でも言うのもなんだけどシュールすぎる。
まっ、「孤高の悪女」にぴったりな退場よね。
ここに帰ってきたとき、大輪の花を咲かせて燃え尽きた後かもしれないわね。
馬車道を門に向って歩きながら、屋敷を振り返った。
お父様たちみんなが外に出て、こちらを睨んでいる。
きっとちゃんと皇宮に行くのかどうかを見届けたいに違いない。
これからは、静けさを存分に味わうといいわ。
前を向いた。もう二度と振り返らなかった。