嫌われ者
「ここは廊下です。歩くところですので歩いていたのです」
イルザを相手にするのは面倒臭いけれど、尋ねられた以上無視をするのは逃げることになる。だから、それがなにか? 的に応じた。
それに、いまのわたしは意欲に燃えている。その勢いのまま彼女を挑発したくなったということもある。
「それはそうね。ごめんなさいね。お父様と先生にお茶を淹れてきました。あなたもいかが? ほら、クッキーを焼いたのよ。あなたの大好きなチョコチップクッキー。よければ、あとで部屋に持って行くわ」
ほら、わざとらしい。
しかも、すぐに食べ物でつろうとして。
そうはいくものですか。
「いただきます。チョコチップクッキーだけ。わざわざ部屋に来ていただく必要はありません。瓶に入れて置いてください。適当につまみます。ほんと、お義母様のチョコチップクッキーは美味しすぎて、ついつい食べ過ぎてしまいますわ」
「そう? うれしいわ。だけど、胸がムカムカするんでしょう? ほどほどになさってね。それと、先生から処方されたお薬も飲んでね」
ふんっ!
心配しているふりは、あなたも息子のエリーアスと同様うまいわね。
「はい、お義母様。ところで、明日から皇宮に参ります」
「皇宮? いったいどうして……」
「当然、皇太子妃候補の為の修行ですわ。お義母様が散々お父様に勧めていらっしゃいましたわよね?」
数日前から皇太子コルネリウス・ユーヴェルベークの妻になるべく、レディたちの修行が始まっている。最終的には、その修行の成果によって皇太子妃が決まる。
「なんですって? アイ。あなた、あんなに嫌がっていたじゃない。だから、候補からはずしてもらうようお父様にお願いしていたのよ」
嘘にきまっているわ。
わたしが皇太子妃になれば、エリーアスを皇宮に送り込むつもりのくせに。
エリーアスは、ムダに美貌である。その容姿だけで周囲をだますことが出来る。
「考え直したのです。バッハシュタイン公爵家の令嬢としては、その責務を負うべきものだと。わが家のよりいっそうの発展と栄華の為にも、全身全霊をもって修行に挑み、皇太子妃の座を射止めなければなりません」
「だけど、アイ。あなた……」
「というわけで、わたしは皇宮入りの準備をいたします」
力いっぱいの笑みをひらめかせ、彼女の横をさっさとすり抜け、廊下を駆けた。
「アイ、ほんとうに? 後悔しない?」
彼女は、まだ良き継母を演じている。
だから、勝手にやらせておいた。
「お嬢様っ!」
部屋へ戻ると、メイドのヨハンナが手に紙片を持ってカンカンに怒っている。
ははーん。どうやらいたずらにひっかっかったのね。
仕掛けておいた甲斐があったわ。
クローゼットの扉を開けたら、上から血まみれの人形が落ちるようにしておいた。それだけでなく、その人形の手にいま彼女が握っている紙片を握らせておいたのである。
彼女、きっと腰を抜かしたに違いないわね。
なにせ、彼女はホラーが嫌いだから。
だから、しょっちゅう怖い系のいたずらをしている。
でも、それももう出来ないわね。
そう考えると、ちょっとだけ寂しくなった。
「どういうことですか?」
彼女の横をすり抜け、さっさと部屋に入った。すると、彼女は可愛らしい顔を真っ赤に染めて追いかけてくる。
「きまっているわ」
このバッハシュタイン公爵家に味方はいない。家族、使用人たちは、みんなわたしを毛嫌いしているし、蔑ろにしている。
だからこそ、いつも傲慢でわがままでいるようにしている。つねに彼らを威嚇し、事ある毎に攻撃する。
というわけで、みんなどれだけわたしのことを嫌っているのか、それはもう想像するまでもない。