「イエス、イエス、イエス」
やって来た正装姿の男性は、ヴァレンシュタイン公爵家の執事らしい。おどおどした態度でカサンドラに近づくと、耳うちした。
「な、なんですって? お父様は来てくれないってどういうことなの?」
「それどころではないそうです。公爵閣下は、もっと大事なことで頭を痛めていらっしゃいます。お嬢様には、『とっとと戻って屋敷でおとなしくしていろ』、と」
「そんなはずはないわ。娘のわたしより大事なことっていったいなんだというの?」
「ヴァレンシュタイン公爵家の家名にかかわることです。さぁ、お嬢様。公爵閣下のご命令どおり、屋敷に戻りましょう」
「嫌よ。ちょっとあなたたち、どうにかなさい」
カサンドラは、執事を困らせている。その上、自分の取り巻きたちにどうにかしろと無茶を言いだした。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢、どうにも出来ません。わたしたちは、せっかくですからもうしばらく宮殿での生活を満喫するつもりです」
はっきりきっぱりすっきり応じたのは、カサンドラに命じられてアポロニアに花瓶の水をぶっかけたフローラだった。他の取り巻きたちもカサンドラに味方するつもりはないらしい。
「あなたたち、覚えていなさいよ」
そして、カサンドラは捨て台詞を残して去って行った。
彼女とヴァレンシュタイン公爵家の執事の姿が見えなくなったとき、拍手が沸き起こった。
この場にいる全員が、程度の差はあれ溜飲を下げたみたい。
それこそ、「ざまぁみろ」よね。
「アイ、助けてくれてありがとう」
アポロニアが抱きついてきた。
「わたしじゃないわ。お礼なら、コルネリウス、いえ、皇太子殿下に言うべきよ」
「殿下より、やはりあなたよ。あなたは、いつだって助けてくれる。それは、わたしだけじゃない。ここにいるみんなそうよ。ねえ、みんな?」
アポロニアが周囲に問うと、みんな口々に「そうです」と答えた。
意味がわからないわ。
というのが率直な感想。
「それよりも、皇太子殿下。元凶がいなくなったところで、想い人に告白なさったらどうですか?」
「孤高の悪女」のわたしとしては、コルネリウスが嫌がることを無理矢理やらせたい。
「そうだな。そうしよう」
が、意外にも彼は即座に応じた。
そして、アポロニアと彼女に抱きつかれているわたしの前に立った。
「ずっと好きだ。ぜったいにしあわせにする。面白いこともたくさんある。だから、妻になって欲しい。いや、夫にしてください」
それから、美貌を真っ赤に染めて告白した。
ずいぶんとかわった告白だけど、素敵よね。
またしても胸が痛い。
痛みに耐えながら、アポロニアの返答を待った。
現実にはそんなに経っていないでしょうけど、彼女は押し黙ったままである。
この胸の痛みは、彼女が返答することでなくなるはず。なぜかそう直感した。
だからこそ、はやく返答して欲しいのに。
「なにをボーっとしているんだ? きみらしくない。殿下が不安になっている。はやく『イエス』と答えろよ」
フリードリヒが急かしたけれど、アポロニアはまだ黙っている。
どれだけためるの? どれだけ気を持たせるつもりなの?
フリードリヒの言う通りよ。
「イエス」とたった一言言うだけよ。
「アポロニア、どうしたの? はやく言いなさいよ。あなたも待ち望んでいたんでしょう? 『イエス、イエス、イエス』そう全力で答えてあげなさい」
イラっときて、つい口をはさんでしまった。
「なんですって? いくら天然のわたしでも、間違ってあなたの台詞を言ったりしないわよ」
まだ抱きついたままのアポロニアを見ると、美しさと可愛さが混じり合った顔に驚きの表情が浮かんでいる。
「さあ、アイ。殿下に答えなきゃ。『イエス、イエス、イエス。全力で皇太子妃になります』と」
そして、彼女はにっこり笑ってわたしを急かした。
はい?
やはり、意味がわからないわ。