皇太子妃候補修行終了?
「アイに助言されたのです。おれの妻のことなのだから、おれの好きな相手にすべきだ、と。たしかに、皇太子であるおれにそんな贅沢やわがままは許されません。重々承知しています。しかし、ありがたいことにいまは戦時ではなく、また政治的にも経済的にも荒れていたり争っているわけではありません。ということは、かならずしも政略結婚をしなければならないわけではない。愛するレディにあたって砕けてもいいのではないかと思うのです」
「バッハシュタイン公爵令嬢が? 殿下にそのようないらないことを……」
シュナイト侯爵夫人は、怒りの形相でこちらをにらみつけてきた。
ちょっ……。
いまのコルネリウスの話、全部ききましたか?
わたしの助言ってところは、ささやかなことよ。それよりも、コルネリウスはもっとすごい情報を与えてくれたわよね?
たとえば、「愛するレディにあたって砕けてもいいのではないか」、というところ。
そこ、すごく驚くべき情報よね?
それなのに、わたしにこだわるなんてどうかしているわ。
シュナイト侯爵夫人は、なにがなんでもわたしを血祭りにあげたいのね。
それにしても、コルネリウスはいよいよ覚悟が出来たのね。遅すぎる感はあるけれど。
それでも、やっとアポロニアに告白する決意をしたのね。
これでやっと、ヒロインがしあわせになれるのね。
うれしいはずなのに、どうして胸のあたりが痛いのかしら?
「余命三か月」、と診断されたときのようなムカムカではない。
チクチクというかジクジクというか、とにかく痛い。
「皇帝皇妃両陛下の承諾は得ています。今回、皇太子妃候補の修行に集まってくれたみなさんには、あらためて謝罪するつもりです」
胸の痛みをやりすごそうと必死になっていると、コルネリウスは全員に頭を下げた。
「本日をもって皇太子妃候補の修行は終わりにします。ですが、せっかく集まってくれたのです。もうしばらく皇宮で楽しんでください。美術品、本、グルメなどなど、ふだんは接することのない物を見ることが出来るでしょうし、体験出来ないことが出来ると思います。みなさんには、出来るだけ権限を与えます。自由気ままにすごしていただいて結構です」
彼の宣言にどよめきが起こった。
広間内がリラックスモードになり、笑顔で溢れた。
ただ一人を除いて、みんな皇太子妃候補の修行が終ったことがうれしいみたいだった。
カサンドラ・ヴァレンシュタイン公爵令嬢を除いて……。
とりあえずは解散になった。
コルネリウスが「お茶でもどう? ケーキがあるけど」と誘ってきた。
迷った。誘いにのりたかった。
ケーキ、という禁断のワードに気持ちが傾いた。
だけどグッと我慢した。
コルネリウスは、ケーキでわたしを釣っている場合ではない。アポロニアに「お疲れ様」とか「よくがんばったね」とねぎらいの言葉をかけ、その上で彼女をお茶に誘うべきだわ。
だから我慢したのである。
彼に顔を近づけ、小声でささやいた。
「おバカさん。誘う相手を間違っているわよ」
その瞬間、彼の美貌に驚きとうれしさがないまぜになったような表情が浮かんだ。
コルネリウスのバカ。そんなにわかりやすかったら、すぐにバレてしまうじゃない。いまはまだ、あなたの、というか皇太子の意中のレディは秘密なのでしょう? ポーカーフェイスでいなさい。
彼を心の中で窘めた瞬間、つぎは彼がささやいてきた。
「間違っていないさ。合っている」
「バカじゃないの」
ケーキで釣れるのは、わたしくらいでしょう。わたしが言いたいのは、そういう意味じゃない。
おもわず、彼を罵倒してしまった。
「とにかく、間違っているのよ。おバカさん、空気を読みなさい。さあ、はやく行ってねぎらいの言葉の一つもかけてあげなさい」
わからず屋の彼の肩を軽く押してからさっと離れた。
「きみはなにを言って……」
彼の驚き顔。というか、強情すぎるわ。
「アイ、待ってくれ」
彼が呼び止めるのもかまわず、広間を駆けだしていた。
胸はまだ痛くて仕方がない。