2-2 : ぽかぽかオケラ亭
◆ ◇ ◆
「――……」
全身のポケットに詰め込んだガラクタをガチャガチャと揺らしながら、サイハがレスローの街中を歩いている。
頬にくっきりと手の形の腫れ跡を浮かばせて。いじけたような猫背に、不服そうにブーツで地面を蹴りつつ、口をへの字に曲げながら。
「サ、サイハさぁん……? もしかして怒ってますぅ……?」
ハンティング帽を両手で目深に被りながら、ヨシューがサイハの背におずおずと尋ねた。
「……。怒っちゃいねぇよ。理不尽な仕打ちに泣きそうになってるだけだ、ほっといて……」
がくりと項垂れて哀愁を漂わせるサイハの背中に、ヨシューはかける言葉が見つからない。
「ナァー、サイハァ。ナァーッてよォ」
出店の仕込みを始めるエプロン姿の女たちと、東西南北の採掘区へ向かう鉱夫たちの人混みを縫って。一列に並んで進む三人の最後尾、リゼットがサイハの名を呼んだ。
「ドコ連れてく気だテメェ? アタシ、ハラ減ッちまッたンだけどォ?」
鉄の蒸気配管が縦横無尽に張り巡らされ、人々の生活が動きだすとともに靄がその濃さを増してゆく鉱脈都市。それを物珍しげに眺め回しながら、間延びした声がサイハの背中を急かす。
未明のやりとりの後、自身の醜態を自覚して、口から魂が抜けたように放心していたリゼットに、サイハはひとまず着る物を与えていた。
倉庫に投げていた、油染みのついた繋ぎ。男性サイズのそれは、スレンダーなリゼットにはダボダボである。
「アー、痒ッゆ……油クサ……」
「素っ裸で放り出されなかっただけありがたく思えよ、文句言ってんなって……」
先頭から振り返り、リゼットをげんなりと見るサイハの目が、そのまま下がってヨシューへと向く。
「暴力女はともかく、ヨシューのことはオレにも責任あるからなぁ」
「うぅ……」
サイハの視線と言葉を受けて、ヨシュー少年がしょんぼりと俯いた。
ヨシューは例の露天鉱床を管理する鉱夫組合、〈PDマテリアル〉で雑用を働く見習い鉱夫である。
番犬まで出動した大騒動に関わっしまった手前、ホイホイと組合に顔を出すわけにもいかず、少年は働き口を失っていた。
早朝からサイハの下をヨシューが訪ねてきたのは、それの相談のためだった。
「オレのせいで弟分を路頭に迷わせちまうのは後味悪ぃ。安心しろ、どうにかしてやる」
「サイハさん……!」
兄貴分を見上げて、ヨシューが暗かった表情をぱっと明るくする。
「サイハァ、メシー」
その横へ、まるで食事のときだけ寄ってくる猫のようにリゼットが割って入ってくる。
「あー、わかったわかった……大人しくしてろ野生児は」
そしてサイハの足取りが、ザッと砂を蹴って止まった。
「さて、言ってるうちに着いたぞ」
大通りに面したその建物を見上げながら、サイハが言った。
「サイハさん、ここって……」
同じく建物を見たヨシューが、意外そうな声を上げる。
「ア? ンだコレ……ハハッ、ヘンなの」
店の看板を目にしたリゼットがカラカラと笑った。
〈鉱脈都市レスロー〉の街並みに溶け込む、それは赤煉瓦造りの二階建て民家を改造した店舗だった。
壁からニョキリと何本も生えた煙突から、ポッポと蒸気が綿菓子のように立ち上る。
手作りの大きな看板が二階から下がっていて、そこに描かれた可愛らしいオケラのデフォルメイラストが、グッと親指を立てて通行人へウインクし、口の端に舌先を覗かせていた。
「腹ごしらえと、職探し。どっちもここで解決だ」
庶民の味をお届けするお食事処。
その店の名は、〈ぽかぽかオケラ亭〉。
◆
チリンチリーン。
その店の扉を開けると、涼やかな鈴の音が鳴り響いた。
「はーい。いらっしゃいませー」
食堂〈ぽかぽかオケラ亭〉。
店の奥から、ふんわりと柔らかな声がサイハたちを出迎える。
「何名様ですかー? 空いてるお席にどうぞー」
その母性溢れる声に促されるまま、サイハとヨシューとリゼットの三人は空いている席に腰を下ろした。
店内には、窓辺に面して四人がけのテーブル席が二つ、カウンターに固定式のスツールが十席余り。その半分ほどを客の鉱夫たちが埋めている。
「日替わりオケラ弁当、お待たせしましたー。お仕事がんばってくださいねー」
コーヒーを啜っていた鉱夫客へ、厨房から出てきた店主が弁当箱を手渡し、笑って送り出す。
〈ぽかぽかオケラ亭〉の店主は、まだ十代の少女だった。
毛先を揃えた栗色の髪。顔の両側面に三つ編みを四本結んで、二本を後頭部へ回し、残り二本をそのまま垂らしている。
フリルつきの白いシャツに革色のコルセットスカートを穿き、足元はグリップの利く編みブーツ。
糸目をしているお陰で、その表情は常にニコニコとしている。
始めに聞いた母性的な声の印象そのままの、ふわふわとした少女だった。
「ごめんなさーい、お待たせしましたー。ご注文は――あらまぁ、サイハ!」
盆を抱き、てってとテーブル席に駆けてきた店主が、サイハの顔を見るなり手を口に当てた。あまりに口調がおっとりしているので、その仕草がなければ驚いているとわからないほど。
「よぉ。繁盛してるか、メナリィ」
片手を上げて、サイハが少女店主へ気さくに笑いかける。リゼットに顔面を踏まれて以来どんよりと曇っていた彼の顔が、陽が差したように朗らかに緩んだ。
「アルバイト候補、連れてきたぜ」
◆
「――なるほどー。商機到来ですねー」
朝の通勤ラッシュが終わり、〈汽笛台〉が仕事始まりの時報を告げてしばし経つ頃。
〈ぽかぽかオケラ亭〉にはサイハたち三人と、店主のメナリィの計四人だけがいた。
「ヨシューくんは真面目そうだから大丈夫かなー。よくお弁当買っていってくれるしー」
テーブル席に皆が座り、今は事情を聞いたメナリィによるアルバイト採用面接の真っ最中である。
とは言っても、先ほどからただ四人で食事を囲みながら雑談しているだけなのだが。
「リゼットさんのほうはー……うーん、どうかなー……」
「――うンま! ナニこれうッま!!」
ほわんとメナリィが糸目を向けた先で、リゼットはと言えば出された朝食にがっついていた。
大きなコロッケを両手に手掴みにして、むしゃむしゃと。ちなみにこれが二皿目である。
「少しは行儀良く食えよお前……オレでもそれはないわ……」
汚ぇなぁと引き気味の表情で、サイハがリゼットを窘める。
メナリィもリゼットの食いっぷりに唖然となって、ぽかんと口を開けていた。
「あー……悪ぃメナリィ。人手がほしいっていつも言ってたろ? こんなどっから来たかもわからん原始人でも、いないよかマシかと思って連れてきたんだが……さすがに猿じゃ無理だった――」
「ううん、いいよー。二人とも採用―」
すまんと頭を下げようとしたサイハに向けて、メナリィがふるふると首を振った。三つ編みが宙に躍る。
「……え? ちょ……ほんとにいいのか? オレが連れてきといて何だけど、ヨシューはともかく、リゼットはこんなだぜ?」
コロッケを貪ってばかりいるリゼットを指差して、サイハが正気を疑うように言った。
「うーん……リゼットさん、私の料理こんなにおいしそうに食べてくれてるし、一緒にお仕事できたら楽しそうかなーって」
「……それだけ?」
「うん、それだけー」
裏表なく、メナリィはそれだけ言うと、ただ純粋にほんわりと笑った。
ヨシューとサイハが後ろを振り向いて、こそこそと小声を交わす。
「サ、サイハさん……! メナリィさん、めちゃくちゃいい人じゃないですか……! いえ、〈PDマテリアル〉でお仕事する日はいつもお弁当買ってたから知ってましたけど……知ってましたけどいい人すぎます! まさかこんな素敵な人とお知り合いだったなんて……!!」
「オレもびっくりだ……もう女はそのへんの坑道にでも放り込んじまおうかと思ってたんだが……」
「ア゛? 何か言ッたかコラ! アタシから逃げられると思うなヨ!」
二皿目も平らげて、手についた油まで舐めていたリゼットが、聞き捨てならんとサイハたちをギロリと睨む。
そんなやりとりを見守っていたメナリィが、頬に指を添えて「うふふー」と笑いだす。
「あー、でも。強いて言えばそうねー……――二人とも、可愛いからっていうのが決め手かなー?」
「……へ?」
「……アン?」
少年と暴力女はその言葉に妙な違和感と不穏な気配を感じて、妄想に微笑む少女店主を見返した。
◆
『――わー、ヨシューくん、やっぱりすっごくイイー』
〈ぽかぽかオケラ亭〉、二階の一室。
『これとかどーぉ? それともこっちのほうがいーぃ?』
室内から扉越しに、メナリィの高揚した声が漏れ聞こえてきている。
廊下で待機しているのはサイハ一人で、彼は先ほどから扉の横に背中を預けて中の会話を聞くとはなしに聞いていた。
『ちょっ、ダ、ダメですメナリィさん、そんな……!』
メナリィの歓声に混じり、ヨシューの戸惑う声。
『大丈夫だよー。力を抜いて、お姉さんに全部任せてっ、ヨシューくーん』
『い、いけません! いけませんってば……――あっ、あっ……! そ、そんなところまで……?!』
ヨシュー・タナン、十二歳。まだ声変わりもしていないその声に、艶めかしい色が混ざる。
『人手不足で困ってたんだよー。この前雇った娘、二日で辞めちゃってー。だから私もいろいろ溜まっちゃって、もう自分でシちゃおうかなーなんて思ってたから、ちょうどよかったー』
『わひゃ?! そ、そんな激しくしないでくださいメナリィさぁん! サ、サイハさん! そこにいるんでしょサイハさん!? 助けて下さぁい! ぼ、ぼくの大事なもの、大事なもの取られちゃいますぅ! サイハさぁーんっ!!』
ヨシューの悲鳴に呼ばれるサイハは、しかし助けには入らない。
ポケットを漁り、棒つきの飴を見つけるとそれを口に咥える。まるで一服着いている悪徳商人のよう。
『オイ、ガキィ……ココまで来たら腹ァくくれヨ』
部屋の中に三人目、リゼットの濁声が混ざる。
『リゼットさん、そっち押さえといてもらえますー?』
『ン? こーか? ホラ暴れンなッてガキ』
『そうですそうですー。すぐ気持ちよくなるからねー、ヨシューくーん』
『や、やぁですぅ! サイハさぁん! お助けぇ! サイハさんってばぁ! あーれぇー!!』
女二人に弄ばれた少年の嬌声。
やがて果てるとしんとして、そして何も聞こえなくなった……――
「――……うふふふふー」
ヨシューの声が消えてからしばらく後。
サイハが扉を開けると、部屋の奥にツヤツヤと笑みを浮かべるメナリィの姿があった。
「……う、ぐすっ……」
メナリィに大事なものを奪われたヨシューが、その横で棒立ちになっている。
「ハッハー! イイ感じだゼ! 痒くもクサくもネェ。ついでにスースーして気持ちイイ!」
ニパッと八重歯を覗かせたリゼットがクルクルと回ると、身体中のヒラヒラが踊り広がった。
「サイハさぁん、ぼくのこと裏切ったんですかぁ……」
恨めしげに呟くヨシュー少年の目は死んでいて。
サイハがぶんぶんぶんっと激しく首を振って否定する。
「ち、違う違う! 誤解だヨシュー! それさえ我慢すればここは文句なしの働き口だぞ?!」
言いながら、ヨシューに向けた視線をサイハがちらちら。上へ下へと何度も往復させる。
「と、というか……ヨシュー、何かお前、思ったより――」
「思ったとおり、二人ともすっごく似合ってますよー」
両手を頬に添えて、夢見心地のメナリィが言葉を継ぐ。
「わたし特製、ミニスカートメイド服。二人分縫っててよかったー」
ヨシューとリゼットの全身は頭の先から爪先まで、フリフリのふわふわになっていた。
レース生地を縫い込んだカチューシャから始まり、肩口や袖口といった末端部はフリルでゆったりとしている。逆に胴周りはぴっちりと絞られて、全体として緩急の調和が見事。
「二人とも身体のラインがすっきりしててスタイルいいから、何を着せても似合いますねー」
「フフン、ダロ? 何せこのアタシだからナ」
言われた言葉を半分も理解しないまま、リゼットが平たい胸を張り出して得意げに言う。
「リゼットさんと一緒にしないでくださぁい! ぼく男なのにぃ!」
ヨシューがぷくりと頬を膨らませる。股下の風通しの良さに違和感しかないらしく、少年は内股でぷるぷる震えていた。
料理上手で器量よし。性格も穏やかで、いつもニコニコ働き者。
優しい太陽、小さな母親のようなメナリィに、欠点と呼べる欠点などまるでない。
ただ一点を除いて。
「それでは改めましてー。メナリィ・ルイニィですー。今日から早速よろしくねー。リゼットさんとヨシューくんー。〈ぽかぽかオケラ亭〉へようこそー!」
そんなメナリィの趣味は、刺激的な衣装を手縫いして、それを誰かに着せること――店に従業員が定着せず、いつも彼女一人で切り盛りしている、それが理由にして根本原因であった。