前編
『さあ、今日はいよいよクリスマスイブ!見てくださいこのイルミネーション。綺麗なイルミネーションをバックに写真を撮ろうと若者たちが集まっています』
この俺、年初元旦は童貞である。
ここで言う童貞、の二文字は単に性交渉の経験がない男性という以外にもう一つ、異性と交際した事すらもない男性という意味を持つ。テレビから溢れ出す、多様性を尊重する令和の世でなぜ炎上しないのかわからないキラキラ演出満載の浮かれたラヴイベントなどには当然縁がない。
それというのもこのふざけた名前のせいだ。
年初元旦。としぞめがんたん。
謎の珍しい名字に加えて出産予定日が1月1日だったために、画数も縁起も無視してクソアホネームを命名された胎児だった俺は、それらのフリに応え全力でボケるべく母親の胎内で暴れ散らかし、一週間ほど早く陣痛を引き起こして12月25日に爆誕した。
元旦(クリスマス生まれ)とかいうふざけた人間が社会でどういう扱いを受けるのか賢明な諸氏は早くも感づいている頃だろうが、ご想像通り学校では常にイジリの対象であり、やれ「冬休みの権化サマだ!」だの「お年玉くれよサンタさん」だのと絡んでくる馬鹿どもをあしらう技術だけは異常に上手くなった。
当然そのような状況でまともな恋愛などできるはずもなく、片思いをしていた女子に想いを伝えようと一筆したためた日にはさながら不倫発覚で炎上した芸能人のごとき報道攻勢を受け炎上し、最終的に「ごめんなさい。でもちょっと、名前は面白かったよ(笑)」との返事をいただき無事轟沈したものだった。
「彼女、彼女ねえ……」
ひとり暮らしのワンルーム。延々と地続きな別世界の映像をさも万人共通の興味対象とでも主張するかのごとく垂れ流し続けるテレビの電源を切り、ベッドに身を投げ無機質な天井を眺める。
別にまあ、とりたてて騒ぐようなことでもない。いまどき生涯未婚の人間など珍しくもなく、聞けば二十代でも異性と交際した経験がないと回答している日本人男性は増える一方だそうじゃないか。
漫画を開けば下着剥き出しの女が胸を揉む男を殴り飛ばしていたり、逆に対女性のコミュニケーションが苦手な男性をイジるギャルがクスクス笑っていたりな場面が出てくる程度には男女関係における倫理観が未成熟であった平成ならいざ知らず、この令和の世においてはあと数時間で二十歳になる男子大学生に彼女が居なくたって何ら不自然ではないし、むしろありふれたことなのだ。
というわけで。
「彼女、欲しいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
俺は発狂した。
ふざけるんじゃない。いくら理屈を並べ立てたところで誤魔化せる問題ではなかった。
なんというのだろうな、成功者への羨望だとか劣等感だとかそんなものじゃ断じてない、もっと個人的根源的深淵的な部分、言えば本能の要求によって、今の俺は猛烈に彼女が欲しいと感じている。
「彼女が欲しい彼女が欲しいって、それ性欲が満たしたいってだけなんじゃないのー?ってじゃかあしいわ!逆に聞くけど二十年間まともに女性と話したことない人間が自分を好いてくれる異性に興味を持つことはそんなに不自然か?これはいうなれば未知への探求心、真理へのあくなき衝動!ああそうさ、非理性的な行動だよ!だけどももう良くないか?二十年間の理性の末に生じた猿人的欲求に、一回くらい応答する時期があってもさぁ!!」
ベッドの上でじたじたと手足を振り回し、見えない敵と戦ってみてもひとり。
こんな雑なパロディでは草葉の陰の尾崎放哉もさぞ落胆していることだろうが、二十歳になっても彼女のひとつできないという事実は俺に重くのしかかっていた。
だってさ、大学生ですよ。期待するじゃん誰でもさ。色恋のわからん小学生、行動範囲等の制限が多い中学生、高校生と違い、小学生を凌駕する自由と中高生を上回る資金力を両輪にモラトリアムという名の大地を爆走するのが大学生だというのが日本の常識、そうじゃないのか?
だが実際に蓋を開けてみればワケのわからんウイルス騒ぎで大学構内に立ち入ることすら許されず、サークル活動もほぼ実質的に機能を停止し自室でひとりリモート授業を受ける日々。同期の顔すら覚えられやしない。
最近はなんとなく騒ぎが落ち着いてきたわけだが、それは水槽の中で静かに飼われていた魚を大海に放り出しても他の群れにはなじめないのと一緒で、結果的に自らの孤独を多くの大学生に味わわせてやしないだろうか。
「まあ、大学がまともにやってたとしても彼女ができたとは限らないわけだが……」
冷静にポツリと呟いたことでそれは確かな実感となった。
そう、蒔かぬ種は生えない。こんな状況下であれ、必死に種を蒔いて実らせている者は確実にいるはずだ。口を開けて親鳥の餌を待っていたところで餓死するのがこの現代社会なら、そのシステムを十全に使いこなせるものこそが実りを得るのは当然ではないか。
俺はスマートフォンを手に取る。日ごろウ〇娘しかやらないこの高性能端末には当然アプリを検索・ダウンロードしインストールする機能がある。
「確か……『スノミー』、だっけ」
由来は『素の私』、いわゆるマッチングアプリらしい。らしい、というのはウワサと広告で五秒見た以上の情報を俺が知らないからだ。個性的な出会いを謳うこのアプリに登録しているのは『変わり者』ばかりで、マイナーな趣味を持っていたり特殊な身の上だったりする人間が多く利用している。
そしてその中には当然『変わった名前』を持つ者も多くいるのだとか。
「馬鹿馬鹿しいが、背に腹は代えられない」
ダウンロードしたスノミーのアプリを起動し、アカウント登録のための情報を入力していく。顔写真は入学式に親が撮った奇跡的に俺がいい笑顔で映っている写真を切り抜き、プロフィールにはきちんと本名です、と入れるのを忘れない。
全ての必要事項を入力し、確認のボタンへ親指を伸ばす。
不安はある。他人に自らの人生を評価させるも同然の行為なのだ。これで箸にも棒にも掛からないようなら俺は本格的に改名を考えるべきなのだろうし。
「頼むぞ、俺に出会いをーーー」
一握の勇気を振り絞って、俺は親指を押下した。
『サービスのご利用は二十歳以上に限らせていただいております』
「……あれ?」
表示されたエラー内容を理解した俺は時計に目をやった。21時37分。
「そうか、俺は一応まだ十九歳だったな」
とりあえずスマートフォンをスリープモードにし、深呼吸。自分が想像以上に焦っていることを自覚し、意識的に血が上った頭を冷やすべく再び天井を眺めてみる。真っ白で、小さな壁紙の凹凸が模様のようになっている。
いや、流石に虚無過ぎる。俺がニ十歳だと登録できるまでにあと五時間近くあるんだぞ。
「……〇マ娘やるか」
我ながら余裕がなさすぎる。こういう時はゆっくりゲームでもしているのがいい。
俺はスマートフォンを手に、小学生以来に誕生日到来を心待ちにする数時間を過ごすことにした。ちなみにイチ推しは『皇帝』と呼ばれるキャラ。しっかり者だが、プライベートで見せるちょっとした弱みが好みなのだ。
それから五時間後。
ではなく、一週間後。
12月31日。心なしか浮かれた人々が行きかう駅前の広場で、俺は人を待っていた。しかも人生で一番と言える、買いたてのコート(高かった)とマフラー(高かった)でオシャレをして。
「マジかあ……」
我が身が置かれた状況がいまだに信じられず、ひとりでに現状を疑う声が漏れた。
結論から言えば、俺はいまデートの待ち合わせをしている。12月25日の深夜零時に登録した『スノミー』は最初のところウンともスンとも言わず、だんだん自分の恋愛市場における価値というものはこんなにも低いのかと思い悩んだものだが、二日経ったときある女性からコンタクトがあった。
思い返すと当時はかなり気が動転していたものだ。スマホを落とし、手が震え「よろしくお願いします!」と打つのに五分かかった。
ちなみに文末に感嘆符がついているのは俺が舞い上がりすぎていたとかそういうことではなく、感嘆符を入れた方がウケが良いとYouTubeで言ってたからそれを実行したまでである。
女性は縁遠円と名乗った。俺が言うのもなんだが、とんでもない名前である。これ初見で読めるやついるのか。ちなみに答えはえんどおまどか。音として聞くとそんなにヘンな感じはせず、ガンタンなどと某機動戦士のパクリ商品か何かかとしか思えない名前よりかは遥かにいい気がするが本人曰く「この変な名前がイヤで……」とのことだった。
まあ確かにマッチングアプリではあまり見たくない字面の名字ではある。御年二十三歳の縁遠さんは社会人五年目なんだそうで、職場では俺が趣味の欄に書いていたゲームとか漫画のことが話せる人もいないからと声をかけてくれたらしい。
共通の趣味を持っているというのは正直助かった。こちとらイジリに対するボケ以外で女性とのまともなコミュニケーション経験がないのだ。一応YouTubeで予習してきたから話題の作り方等は多少できていると信じているが、それにしたって一週間でこんなに事が進むなど全く信じられない。何かの詐欺ではないのか。
「……ん?」
ふと顔を上げると、もこもことしたベージュのコートを着た女性がこちらに向かってきているのが見えた。縁遠さんにこちらの服装は伝えてあるから、一応彼女の可能性はある。
ちなみにこんな感じでドギマギするというのをかれこれ三十分は続けている。
続けている、のだが。
今までたまたま通りかかっただけで俺にドギマギされてしまった哀れな女性たちとは違い、ベージュのコートを着た女性はまっすぐこちらに向かってきている。茶色っぽいロングヘアや、スキニーなジーンズ(と言っていた。俺はスキニーなジーンズとやらが普通のものとどう違うのか知らない)とかブーツとかも大体聞いていた服装と一致している。
たった一点、その女性の顔面にゴッツいガスマスクみたいなものがくっついているのを除けば。
え、何アレ?なんかこのあいだA〇EXに実装されたとかいうキャラがあんな感じのマスクをつけていた気もするが、キノコのようなフィルタが二本突き出ているメタリックなソレは通りかかる人全員の目を引いているとすら思えるほど注目を集めており、なんというかできればあんまり関わりたくない感じの雰囲気を醸し出している。
いやあなるほど、個性的な出会いってそういうことね。ってんなわけあるか。確かにスノミーの悪評の中には『時折個性的すぎる利用者がいるので油断は禁物』と書いてあったが、まさか自分が一発目に引き当てることはないよな?というか、もしかして俺が浮かれすぎててそういう怪しい挙動に気づかなかっただけ?
待て待て待て、落ち着くのだ俺。外見的特徴は大体一致してしまっているが、まだアレが縁遠さんだと決まったわけではない。チャットツールで会話している感じ、縁遠さんはかなり普通の常識的な人だった。時折会話がかみ合わなかったりはしたものの、会ったこともない人間との会話などそうなるのが普通のはず。
まさか縁遠さんが何かしらの勘違いないし天然を発揮して「外出用のマスクを切らしてたから私物のガスマスクつけてきちゃった!これが今時コーデ☆」とかやっちゃうタイプの人間なワケ……。
「年初くーん!」
ベージュコートのガスマスク女がこちらに気づいて手をブンブン振っている。
終わった……。
駅前を行き交う衆目を一身に浴びたまま膝から崩れ落ちなかった俺を、どうか表彰していただきたい。
後編は金曜日に投稿されます。
乞うご期待!