奥羽山地の雪深い廃村で楽しそうに遊ぶかわいいこどもたち、果たして彼らの正体は−−
雪童子とは、おもに北日本でつたわる雪の妖怪のことで、ゆきんこともよばれる。建物に居づく座敷童子と同様に吉兆として見なされる傾向があり、姿もかわいらしく描かれることがおおい。また雪国ばかりでなく近畿地方や西日本にも雪童子の伝承は存在する。
仙台市内のカフェで秋田からやって来る友人を待っでいると、列車が大雪で三時間以上遅れていると連絡が入り、私はとりあえずその店に事情を話し彼女の到着まで待たせてもらうことにした。店の入口もマスターがときどき外へ出て掻き出さないと積もってしまいそうなほどの吹雪に見舞われている。なんとか今夜中に着いてくれればいいが、この店だってじきに閉店時刻をむかえるであろう、不安をおぼえたころのことである。後ろのテーブルに学生らしき若者のグループが入り、話しをはじめた。
"それが、ガキの三人組だったんだ。男ふたり女ひとりの、俺は確かに見た。
俺は蔵王連峰を縦走し、笹谷峠を越えるとさらに入山者の少ない負来山を目指した。山に入って四日目のことだ。そのあたりは河切瀬という集落があったところでいまも地図には載っているけど、実際は昭和三十年代に廃村になっている。
俺が雪童子の幽霊をを見たのは河切瀬の集落があったところに近い。けどあんなところに普通の人間、それもガキなんかがたどり着ける筈ないんだ。"
"それ、ほんとうに幽霊や妖怪の類いなのか。例えばハック=ルベリー、トム=ソーヤにベッキー=サッチャーの三人組とかありえねえか。"
"その話だっだらトゥエインの<創作>だ。彼らは実在していていねえんだ。尤もそのグループになりすました連中が紛れ込んだとなれば話は別だがな。しかし米国のミズーリ州あたりから奥羽山中にいきなり現れたりすっかね。"
"だから雪童子なんさね。近く行って確かめたかったけども、薄気味悪いがらな。そんな山奥で俺までどうにかなっぢまうかもしれねっだろ。
そろそろ縦走の疲労も出はじめていたし、そいつらのことは相手にせず通り過ぎることにした。"
今年に入ってから私も何度かその話を耳にしたことがある。三人の組み合わせもそのとおりだし、河切瀬集落跡というのも共通している。だがそこは宮城県側からも山形県側からも現在はまともな道は通じておらず、最寄りの町まで三五キロ以上ある深山幽谷の土地なのだ。常識で鑑みて人間のこどもなどいるところではないし、彼らが幽霊や妖怪として結論づけたいというのも心情的には理解できる。
だが話に聞き耳をたてていた私はこのときすでに別の臆測を得ていたのである。若者たちの会話を総合するとやはりその雪童子は妖怪などではなく、むしろ冒険譚から飛び出してきたトム=ソーヤたちのような存在に思えるのだ。
次の週末、私はスノボを一式持って山形県の南陽赤湯町から負来山の夏道をダイレクトに登り詰めて、山頂直下から河切瀬集落跡へと滑走を開始した。雪山に入る場合、スノボよりもXCスキーのほうが便利で何かと自在に行動できるものなのだ。スノボはただ単に獲物を担いでいかに容易く滑り降りられるかという目的で造られたものであるから仕方ないが、この日何ゆえ私がスノボで当地を目指したのかはいずれわかる。
そしていい忘れていたがあの晩、友人の乗った秋田からの列車が仙台駅に到着したのは日付の変わった午前二時過ぎであった。それから三日間、彼女は私の部屋でほとんど昼寝に費やして帰っていった。
南陽市の中心から上山市の外れにある本屋敷へと向かう。この集落には茅葺き屋根の古い民家が数多く残っていて、それを民芸村テーマパークとして発展させる計画が持ち上がっていたが、どうやら主幹産業の倒産で頓挫してしまったようである。以来路線バスのほうも本屋敷のだいぶ手前までしか走っていない。
私はバス終点から歩きだし、小一時間ほどで本屋敷の民家群を素通りし、そこからさらに二時間と少々で負来山の山頂直下に達した。
滑降地点がどうして山頂直下なのかというと、負来山のピークがアルプスの槍ヶ岳やマッターホルンのように尖っていてあまりに急峻なために、とてもじゃないがこんな季節にそこから滑降を開始しようなど思い至らなかったためである。
だが下り斜面の滑降のみが目的であるならばスノボが最適というのは本当のようで、スキーを使えばゆうに三時間はかかりそうなところを私は二時間ほどであっけなく目的地に到着してしまった。
はじめて雪童子伝説を聞いたころは奥羽山中を人跡未踏の地のようにいう者もいたりして、真実を弁えて話しているのかと、そんな連中の態度に辟易しながらとらえていたものもあったものの、案ずるより産むが易しというか、この私が数時間で到達してしまうくらいの中級コースとあらばなんらかのからくりが存在すれば、山の中にこどもたちを登場させることもできるのではないか、という考えに行き当たった。そしてそれは確信に変わった。
私の滑っている緩斜面の前方から微かに、かわいらしいこどもたちの嬌声が聞こえてきたのだ。一旦立ち止まって、独りで作戦を練った。彼らを前にどう相対するかをである。十中八九彼らは人間の子であろう。決して伝説の妖怪などではない。私が労せずしてここまでやって来られたように、彼らにだってここまで来る手段だってあると思うのだ。ついでに言うならその動機と目的も、である。
頭の冴えてきた私はひとつの結論を得た。
−−あの子たちは、おそらく−−
私には向こうの山かげで嬌声をあげているこどもたちの正体がもう分かってしまっていた。そうだ、あの子たちなのだ、あの三人きょうだいなのだ。ハックやトムやベッキーにも劣らない、幼い頃からおとぎ話のなかに住み着いているようなあの子たちなのだ。
Alles verbesse mich aus, und willkomme der Zeitpunkt Ende.
すべては好転し、最良の結末をわたしはしたためる。
躊躇うことなく私は彼らのもとにおもむき、さも楽しげに声をかけてみよう。はやる気持ちを抑えきれずに一気に斜面を駆け降りた。一瞬、もし彼らが妖怪だったら、などと別の波動も沸き上がってはきはしたものの、そんなものはもうどうでもよかった。そんな存在であったなら、それはそのときに対応すればいいことなのだ。
改めて思う。私は友人を待ちわびるひとときの間に小耳に挟んだ少しの手がかりをたよりにここまで来ることができた。雪童子の現れるであろう地点を予め目星をつけ、ピンポイントで到達したのである。だとすれば私はなんという強運の持ち主なのであろうか。
自慢話になってしまうが私は小説家でおもに推理、探偵物を得意としている。この仕事は最近始めたばかりなので名は売れているとはいえないが、本気で書けば道尾秀介や島田荘司、京極夏彦にもまされると自認❴過信❵している。常日頃から計画は慎重に、行動は大胆にすべく、実践してきたその成果なのであろう。早い話が探偵小説家の本能がこの場所を当てたということである。
こどもたちの声が聞こえた斜面の下を目指し、一気に駆け下りて、格好よくターンを決めて彼らの輪の中に入ってやろうと考えた。
"ねえ、私もまぜなさい。"
颯爽と登場してやろうと意気込んだのがアダとなったか、エッヂを効かせすぎてこどもたちの前で転倒してしまった。
三歳くらいの男の子と小学生くらいの女の子が驚いた顔をして私を見た。少々手筈は狂ったが何とか彼らの輪の中に入ることはできそうだと感じられた。少し経つと長男と思われる少年が、私が脚をとられて転倒した雪溜まりを難なく乗り越えて滑走しておりてきた。
−−やっぱし−−
私はこの子に見覚えがあった。一昨年の春、栗子国際スキー場でターンの練習をしていた私のために即席のアッパーデッキをこしらえてくれた悪戯小僧たちのひとりである。私ときたらこのときも意志とは裏腹に、飛び上がった空中で半捻りターンが上手くゆかず背中から落下し、通りがかったパトロールの雪上車に救助されてしまったのだった。
"あの時の−−"
と、一言発したきり彼は意外なというより冷ややかな目線を私に向けていた。
"もう、私があなたたちよりも技術的に未熟なのは認めるわよ。でもこうして山形県側から負来山を越えて五時間近くかけてスノボでやってきたんだから、それなりに認めてくれたっていいんじゃない。"
"お兄ちゃん、このひと、雪女じゃないの。"
真ん中の女の子が珍しそうに言った。すると彼は、
"自称中級のかわいそうな人。"
侮蔑的な表現だが精一杯私を庇って言ったのだと思う。私にはそう読み取れた。
"そうよ、そうそう。雪女ってもんはね、髪が長くて、しなやかで、美人なのよ。こんな太っていて眼鏡をかけている雪女なんていないわ。"
"ねえねえ、おばちゃん。"
気をよくした少女が親しげに言った。
"えッ、どこにおばちゃんがいるの。えッ、私、私はおねえさん。"
純情で無邪気なこどもの感性を正面から否定し、半ば強制的に、そして威圧的に従わせようと試みた。
"自己紹介、まだだったわね。私は坂井ミツホ、小説家よ。探偵小説を書いているからこの場所もすぐにわかったの。
ドイルのホームズシリーズやルブランのルパンもの、それに江戸川乱歩傑作集の隣に私の書いた本も並ぶことになるからよろしくね。
で、あなたたちは森田童夢君、夢露ちゃん、緑夢ちゃんね。将来有望な若手スノーボーダーで有名だもんね。まさかこんなとこで練習しているなんて誰も思ってやしないでしょうけど。"
私の喧しいお喋りに気を許してきたのか、三人はお互いに顔を合わせたりしながら少しずつ眼を輝かせては、私の話を聞き入るようになった。
"正直言うとね、噂になってるこどもたちって、ひょっとしたらあなたたちじゃないかって思ってた。
幽霊説は神秘的ではあっても信憑性で劣るし、トゥエインのトム=ソーヤ三人組ってのも私的には無理があると思ったの。でも結構、伝説のように語られているのよ、あなたたち。"
上の二人はまんざらでもない、という顔を見せたがまだ小さな緑夢ちゃんは事の動静が見極められないでいるのか、不思議そうな顔をしたきりである。
"それから、あと、こんなことを言うひともいたわ。キルアとゴンとビスケだって。それって週刊少年ジャンプで連載中のワンピースのキャラなんでしょう。"
私の発言に童夢君が呆れた表情を見せた。
"おねえさん、戯句噛まさないでよ。ワンピースのキャラはルフィとウソップとロロノア=ゾロじゃないか。"
"あとチョッパーにサンジ、ナミさんもいるよ、お兄ちゃん。"
夢露ちゃんがおどけて口を挟んだ。この子だってやっぱり話の中心にいたいのだ。
"ゴンとかキルアはワンピースじゃなくてハンターハンターに出てくるの。間違えないでよ。おねえさん、小説家なんでしょ。"
ここは私も言わせておくしかなかったが、彼らに出会ったときのためにと用意しておいたアイテムをひとつ取り出した。
"ほらみんな、温かい木苺のジュースよ。"
テルモスに入れて保温してあるジュースをカップに注ぎ、ひとりずつ振舞うことにする。こどもたちを懐かせるには何より甘いもの、蜜の味に限るのだ。
"わぁー、おいしい。"
"甘ぁい。"
三人は嬉しそうに飲んでいる。
"山形県の負来山や甑岳、葉山に自生している木苺は糖度が一四パーセントくらいあって全国一の甘さなの、とてもおいしいのよ。"
"へえ、そうなんだ。お兄ちゃん、知ってた。"
夢露ちゃんがカップを手に、眼を白黒させている。
"知ってたよ、そのくらい。"
童夢君の横顔が心なしか膨れ顔に見えた。
時折小雪が舞うことはあっても、この季節には珍しい青空が好天を約束してくれているようである。風は肌を刺すように冷たいが、南中した太陽が暖かな光を浴びせているから気持ちが落ち着く。きっとこの子たちも存分に雪遊びを楽しむことができるのであろう。
"それにしてもみんな軽やかねえ、緑夢ちゃんだって空中で一回転できちゃうんだもん。私だってバイアスロン種目がルール変更してくれれば、オリンピックに出られるかもしれないのに。一定時間内に幻獣や魔獣を捕まえてゴールする、そんな種目があれば−−"
"おねえさん、漫画の読みすぎなんじゃない。"
童夢君に突っ込まれた。
"でもねえ、スノボっていまはあなたたちがやっているハーフパイプやアクロバット競技が花形になっているけれど、本来は捕らえた獲物をいかに簡単に担いでこられるか、それが目的で生まれたものなの。"
"えっ、そうなの。お兄ちゃん、知ってた。"
夢露ちゃんが瞳を輝かせて言う。
"当然やん。"
童夢君がまた膨れ顔で応じた。
そしてほどなくして上のふたりが何ごとかアイコンタクトをすませたかと思うといたずらっぽく私に歩み寄り、相談を持ちかけてきたのだった。
"おねえさん、少しの間、緑夢を見ててくれない。ぼくら、あっちの方、行ってくるから。"
童夢君と夢露ちゃんはジュニアの大会でもう何度も表彰台に立っている、オリンピックの有力候補選手なのだ。独自のメニューで鍛錬していかなければライバルたちに先をこされてしまうことになる。
"いいわよ、頑張って練習してきなさい。"
私は快く受け入れ末っ子の遊びの相手をすることになった。だがひとつ腑に落ちない点があるとすれば、彼らがどんな手段でこの場所にやって来たかということである。
私は山形県側から五時間近くかかって辿り着いたが、こどもたちの足では到底無理である。それはオリンピックレベルレベルの技術があったとしても全く次元が異なるし、ましてや幼い弟を連れて長距離を行軍してきたとは考えられぬ。
私は都市伝説にさえなっていた雪童子が三人だというのを聞いて、直ぐさに森田三きょうだいを連想できたのであるが、それはスノボ関連の専門雑誌で彼らの家庭環境を知っていたからにほかならない。
彼ら三人は父親の高文氏によって赤ん坊の頃から特訓を受けている。きょうだいだけで無人島探検を行うよう、強制されたこともあったのだという。
出身は近畿地方だが将来性を見込んで家族ぐるみで宮城県へ移住してきたのだ。時として<親子鷹>、などと称され注目を集めてきているが、なかなか面倒を抱えてもいるらしい。
二年前に栗子スキー場で会ったときも、童夢君はお父ちゃんと喧嘩したと言っていたし、高文氏が家庭教育の雑誌でこどもたちの成長と自分の理想との折り合いが難しいと述べていたのを思い出した。もはや反抗期にさしかかっている童夢君は自身の将来像を父親に訴えたとのことだった。
−−ぼくがなりたいんは、オリンピックの選手なんかやない。アニメの声優や−−
彼はそのように意志を示したのである。
私は当初、高文氏の引率でこの場所に来てトレーニングをしているのだと考えたわけだが、たとえ雪上車を駆使しようが日帰りでここまでやって来るのは不可能である。
蔵王山系の宮城県側の基地である作並、二口、遠刈田、面白山、そして秋保のどこからも道は通じておらず、結局は縦走路から下ってくるしか選択肢はなくなる。ほんとうに不思議だが彼ら三きょうだいはいかにしてここへ来たというのであろうか。
すぐ上の山毛欅の林を新雪が纏ったあたりで夢露ちゃんがときどき声を出しながら滑っている様子はわかったが、童夢君はもっと離れたところへ行ったらしく、それきり姿を見せなくなった。
考えごとをしていたものだからすっかり忘れてしまったが、抱っこをしていた緑夢ちゃんがそのまま眠ってしまったようだ。仕方ない、上のふたりとはちがってまだ母親に甘えたい盛りなのだろう。
雪の山の向こうでときどきピーーッと甲高い音が響いている。鹿の鳴き声と少し違うように聞こえるが、あれは何だろう。
地図を出してよく見てみると宮城と山形を結ぶ鉄道路線の漆山線が、このあたりの山の下を長いトンネルで貫けているみたいなのだ。
地図上に破線で記されている負来山トンネルは指で測るとおおよそ八キロくらいの長さだが、隧道探検家の平沼氏に貰った本には、長距離トンネルには竪坑その他複雑な設備があると説明してあった。
もしかしたらトンネルを通過する列車の警笛が流れて聞こえているのかもしれなかったが、私は相変わらず緑夢ちゃんを抱っこしたまま雪の静寂さに酔いしれていた。
ほんの一瞬だった。風は止み、午後の日差しが一面の銀世界に映え、時の流れを僅かに遅滞させたと思わせるその一瞬、私たちが憩う雪の斜面の上の崖のほうから、夢露ちゃんがキャッと声を発して、遥か下の平場へと舞い降りて行った。彼女は崖の切れ目をジャンプ台にしてくるくるくると錐揉み式に回転して飛び降りたのである。
フィギュアスケートの選手が得意とするトリプルアクセルは三回転半だが、夢露ちゃんは滞空時間が長いぶん、七回転、いや八回転着地したのである。私は午睡から醒めたばかりの緑夢ちゃんを抱いたまま彼女が舞い降りて着地した平場へと向かった。
"凄いよ、夢露ちゃん、大回転だったね。ヘリコプターみたい。"
"わー、ゴーグル着けるの忘れたぁ。"
夢露ちゃんは素っ頓狂に一言漏らした。大技を決めた後にしては意外なほどの落ち着きよう、相当に肝っ玉が太いとみえる。これは新聞にも載った彼女の十八番、トルネイヴスピンというオリジナルテクニックなのだ。
尤も童夢君が二年前、栗子スキー場のハーフパイプで見せてくれた技はもっとすごかった。夢露ちゃんがダイナミックな演技をしたからといって驚くべきことではないのかもしれない。
彼女は次の目標としてこの崖から3Dをやって着地して決めたいと考えているらしいが、体操の月面宙返りのような荒業をこんなところでやるのは危険すぎると、兄にとめられたのだという。
−−お兄ちゃんは私に先を超されるのがいやなのかな−−
夢露ちゃんがおどけて言う。だが上のほうで特訓を続けている童夢君の得意技メレンゲスサークルは空中でエアリアルを決める間に一旦ボードを脚から外して上空に舞わせ、それが落下してくるタイミングで装着するというもので、世界で成功者は二人だけ、彼と米国のブラック選手だけなのだという。
次のオリンピック、スピッツビルゲン大会で彼は有力なメダル候補といわれているのだ。夢露ちゃんだってその次の、バフィンアイランドかクイーンエリザベスで開催される大会では一躍メダル候補として浮かび上がってくるのではなかろうか。そしたらこの緑夢ちゃんも、史上初となる南極大陸で開催されるオリンピックでの活躍も夢ではなくなるだろう。
傾きかけた陽光を背に、童夢君が颯爽と滑って下ってきた。
"ぼくたちはそろそろ帰りの準備をするから、おねえさんはちょっとあっちへ行ってて。"
ん、なんだなんだ、その言い草は。私がいては不都合なことでもあるのか。見られてはいけないものがあるとでもいうのか。
だが私は彼らの希望通りその場を離れると約二十メートル先の灌木の藪がむき出しになった繁みまで行き、忍法雪中鬼隠れの術をもってして、自らをすっかりと周囲の雪に同化させた。無論彼らきょうだいの今後の行動を、見つかることなく、至近距離で観察するためである。
私はなんだか木下順二原作の<ゆうづる>の後半の場面、見てはいけないものに遭遇する高揚感を漲らせはじめていた。確かに予兆はあったし、私もそれを決して見逃すことはしなかった。
それは、何にか。勿論こどもたちの行動や仕草に於いてである。童夢君はそれまで私に預けっぱなしにしていた幼い弟を抱き上げると、素早く細いハーネスに二個のカラビナを通して、自分自身に頑丈に縛り上げた。弟を抱く仕草にしては大袈裟なほどのやりかたに見て取れた。そしてすでに着替えを済ませていた夢露ちゃんと一緒に、薄暗い谷間のほうへと歩きだしたのである。
私はそっと後をつけた。三〇〇メートルくらいだったろうか、小さな谷あいの雪道を進むとそこには、驚くべき光景が待ち構えていた。廃道の行き止まりにありそうな、地図からも消された廃村の痕跡、私はただ漠然とそんなものが現れると想像したが、眼の前に現れたのはそんな当たり前の結末などではなかった。
なんとそこは現役鉄道路線、漆山線の隧道内信号所の入口だったのである。
この際だから東北地方以外の読者諸姉諸兄のために漆山線について概略を説明する。この路線は山形県上山市にある奥羽線漆江駅と仙台市若林区の山添駅を結び、奥羽山地を横断するもので、国鉄時代の末期すでに仙台と山形を結ぶ仙山線が運用過密となっていたために新たに第二の仙山ルートとして開通した、貨物輸送用大動脈としての役割を担う路線なのである。
仙山線や奥羽線の福島県側が、その線形が険しいがために運用できないでいる大型電気機関車EF70による千二百トン以上の大量輸送を実現させた、将来のメインルートとなるべき路線である。
勿論そのために八キロメートルに及ぶ負来山トンネルを貫通させて、急勾配を避けた設計が功を奏したというのが一般的な見方だが、正確にいうと負来山トンネルの全長は四キロメートルほどである。
そこで隧道は一旦途切れ、地上に出た部分の豪雪吹き込み対策として設置されたスノーシェッダー洞門に遮られて、次の宮城県側の、四キロ近くある河切瀬トンネルに入り込むから、外へ出た感じがせず、長いひとつのトンネルと認識されてしまうのである。
そして二つのトンネルの接合部のスノーシェッダー洞門内部には、自動列車交換設備をもつ河切瀬信号所が存在するのである。現在も漆山線は貨物量が多くローカル線らしからぬダイヤが組まれているし、この駅間、東漆江-陸前天野間が九、九キロメートルと長いため、山中のトンネル内部とはいえどうしても列車交換設備が必要になるのである。
こんな人跡未踏とも目される奥山に平気で入り込むこどもたちなのだ。私にも想像できなかったわけではなかったが、まさか鉄道施設があろうとは思いもよらなんだ。この子たちはここの雪野原で遊ぶのはもう慣れっこになっている、接触していてそういう印象を受けた。さらに普通ならば入り込むことなどない鉄道施設内においても見ていて呆れるほどてきぱきと、迅速に行動している。もうなんども、あの子たちはこうやってこの場所に来ているのだろう。
私は平沼氏に貰った隧道探検アイテムのひとつ、赤外線スコープを取り出して彼らのほうに向けた。すると彼らが立っている待避所のむこう、仙台方向からコンテナ貨物列車が入線してきた。牽引するのは勿論EF70型電気機関車である。私が小さかった頃は北陸線で活躍を見せていた機種だが最近ではあまり見かけなくなった。
"お兄ちゃん、これ、違うよ。ついてないよ。"
夢露ちゃんがなにごとか言ったのが聞いてとれた。三人はしばらくその場から動こうとはせず、固唾を飲む、そんな様相で立ち尽くしていたが、やがて山形方向からこんどは砕石ホッパー車を牽いた工事臨時列車、俗に言う工臨列車が、牽引するEF70のタイフォンとともに進入してきた。
鉄道趣味のない方には退屈となろうが、私は森田三きょうだいの奇抜な冒険譚を完結させてやりたいと思うから工事臨時列車について少々説明を加える。工臨列車とは鉄道の線路にバラスト砕石砂利を運搬、敷設する列車のことである。バラスト工法は近年ではローカル線ぐらいでしか見られなくなってしまったが、線路の砂利はイメージとして広く定着しているといえよう。
東日本では中央線の初狩駅、水郡線の西金駅、吾妻線の小野上駅などに砕石場のヤードをもつ設備がある。西日本では宝塚から三田へ向かう途中の惣川旧駅が結構有名だし、東海道線の真鶴駅でも数年前まで稼働させていたものである。
奥羽線と分岐した漆山線がトンネルに入る手前の東漆江駅にも砕石ヤードがあって、ここから各地に運ばれて線路のバラスト材料になっている。そしてバラスト積載、搬送散布作業を担うのがホキ800型とよばれるホッパー貨車なのである。
この貨車は砕石を積む大きなジョウゴ型ホッパーの両脇に、作業員が装置を手動操作するための三畳ほどの広さをもつ平たい部分がある。
こどもたちは間髪を入れずそこへ駆け上がると、作業台の手摺にカラビナをかけ三人固まってしゃがみ込み、工臨列車の出発を待った。
これが国鉄時代の昔の信号所であったら、列車交換の際に彼らは係員に見つかってしまうかもしれない。だが最新式ATCシステム完備の漆山線はすべて自動化が完了し、奥地の列車交換施設にいまは誰もいない。再びEF70の高らかなタイフォンが響いて、ホキ800に三人を乗せた工臨列車は仙台方向へと走り去って行った。
私はもう開いた口が塞がらない状態で立ち尽くし、すべてを手際よく完遂した彼らを見届けるしかできなくなっていた。
列車はトンネルを時速七十キロ以上で走行する。
大丈夫かしら、あの子たち。ふと思ったが、私の想像を遥かに超越するバイタリティの持ち主なのだ。河切瀬トンネルを貫けると陸前天野、小余綾、安部野、美芳野と駅は続く。美芳野駅はもう仙台市広域圏内で始発列車も多数発着しているし交換設備のある主要駅である。彼らはおそらくそこで、工臨列車が停止している僅かな時間で、何食わぬ顔で電車に乗り替えてしまうのであろう。もしかしたら美芳野駅の近くにあの子たちの家があるのかもしれない。
もしかりにそこで降りるチャンスを逃すと、貨物列車は仙台駅方面へは行かず、南仙台貨物ターミナルの操車場へと進入してしまうこととなるのだ。
そこまで行ってしまっては、いくら彼らといえども脱出は不可能となろう。
工臨列車が三きょうだいを乗せて出発してから十分くらい経た頃だったと思う。再び静寂を取り戻した洞門の入口にある作業道の脇に彼らが残していった荷物を見つけた。あの子たちはボードやウェア一式をコンパクトにまとめて、上手に保線用資材にカモフラージュさせていったのだ。
やっぱりだ。彼らは定期的にここへやって来ている。おそらくは朝一番の下りの工臨列車にさっきと同じやり方で乗り込むことでスノボをやりに来るのだ。
だがシーズン終了の春先、これらの荷物はどうやって回収するのだろう。新たな疑問がわいた私であったが、そんなことより彼らの持ち物を見つけ、悪戯心がもたげてきたのである。ひとつここは置き手紙を遺していってやろう、と。
童夢君、夢露ちゃん、緑夢ちゃん、こんにちわ。
工臨列車とは考えたわね、えらいよ。でも危ないこともあるから気をつけて
しっかり練習してね。
いつかオリンピックの会場で会おうね。
雪女のおねえさんより
おねえさんより、と綴ったあと、私はあの子たちの父親である高文氏が自分よりも年下であったことを思いだし、苦笑いをしてしまった。彼らは今後必ずや台頭し、間違いなくオリンピック選手となるであろう。
だがしかし幻魔獣捕獲バイアスロンなんて未来永劫競技種目になりうるものではない。つまり私の目論見は選手としてオリンピックの大会に参加することではないのである。
スバールバル諸島や北極圏、はては南極大陸での開催となるとインフラ整備面、とくに主催側の人手不足が懸念されるとIOCも憂慮しているところなのだ。そんな折だからこそ私のような、決して報酬を求めたりしない酔狂なボランティアを必要としてくることになるのだ。ゆえに私は置き手紙に、選手同士として会おうとは書かなかったのである。
考えてもみればいい。あの子たちが成長してオリンピックで大活躍するのならば、その姿をこの眼に焼き付けるべく南極へでも出かけていくのが当然といえないだろうか。私には緑夢ちゃんが大きくなって、かのビンソンマッシーフを軽やかに滑り降りてくるのが眼に浮かぶ。
あの子は私が抱っこをしている間も、訓練されているのかと思うほどおとなしかった。普通の幼児ならばハーネスとカラビナでがんじがらめにされたら嫌がって泣くだろう。童夢君だって選手としては一流でも、小学五年生にしては小柄なほうだ。緑夢ちゃんはそんな兄の細腕に抱かれて、まるでカンガルウの赤ちゃんのようにじっとしていたのだ。なんて健気な子なんだろうといとおしくなる。
そして夢露ちゃんがふと零した、ついてない、の意味。初めは何のことだかわからなかったが、おそらくはこういうことだろう。彼女は最初に入線したコンテナ貨物列車に少々面食らい、自分たちが乗るべきホッパー貨車がついていないと言ったのだ。
三人を乗せた工臨列車と下りのコンテナ貨物が交換して行ってしまったあと、そこには静寂を取り戻した隧道の闇が残っているだけである。ホキ800のデッキに座り込み、そのまま雪童子の妖精のように去ってしまった三きょうだいたちにいつしか私も、あんなかわいいこどもたちが欲しい、思いを馳せるに至ってくるのであった。
それはそうと最後にひとつ、雪の妖精とまで噂された彼らのアウトロウな移動方法について私なりの意見を述べておく。
貨物列車に便乗とは、褒められたやりかたとはおおよそいえない。とはいえ私だって小さい頃に親と諍いをするたびに、無蓋貨物に飛び乗って当てのない旅をしたものだ。ただ私の場合は行動がバレていて、貨物列車の終点にある町の警察に補導され、すぐに強制送還となったものであったが。私なんかよりあの子たちのほうが数倍立派と思うのは、まさにそのあたりからなのである。
こどもたちは教科書通りに学んで成長するわけではない。自分自身で試し、実行し、考えて成長するものなのだ。あの平沼氏だって常人ならば決して立ち入ることのない塩那道路や大嵐佐久間険道、数々の橋が落ちた森林鉄道跡や、硫化水素が噴出する田代隧道を次々と攻略したのである。
森田三きょうだいは風変わりな父親に時として追従し、また時には反発しながら成長を続けている。メディアで見かける教育観などというものは、無責任な門外漢の批評程度のものでしかないのだ。
私は都市伝説になりつつあった雪の妖精、雪童子に会いたくてここまでやって来たわけであるが、もしかりにホンモノの雪童子がいたなら彼らにだって生みの親や縁者くらいはいるだろう。
感慨に耽っているうちに重要な見落としに気がついた。それは自分自身のここからの脱出手段である。もうすでに午後五時をまわり、工臨列車はやってこないのだ。それに私はボードを片手にあの子たちのような俊敏な行動はとれない。
さてどうして帰ったものか。