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二話


 アンゼリア国学院はネルヴェダール国の最高教育機関である。国の将来を担う若者が各地から集められ、良い成績を修めれば、平民出身であっても出世する機会が与えられている。

 試験に合格すれば誰でも入学でき、肉体の鍛錬から武器の使い方、兵法、立法や農業といった知識を学ぶ。将来国を担う人材を育成する為、貴族や平民と言った階級は一時的に取り払われていた。

 とは言え、アンゼリアは平民出身のフォルラートにとってのびのびとできる場所ではなかった。

 

 「おい、陰気な鼠。誰の許可を貰ってその椅子に腰かけてんだ? えぇ?」


 上級生は事あるごとに、魔術書を読み解くため居残りをしていたフォルラートに言いがかりをつけて絡んでくる。

 フォルラートは内心ため息をつきたくて仕方なかった──親の金でアンゼリアに入った貴族の息子たちは、退屈で仕方ないのだ。目についた『弱そうな者』を甚振いたぶると言う、勉学とは違う所で自分の立ち位置を決めるしかない、哀れな奴ら。

 ばかばかしい。

 うんざりした気分で席を立とうとしたが、貴族の息子たちはフォルラートを取り巻いて離れようとしない。にやにやと笑うその顔を殴りつけたい衝動に駆られたが、後のことを考えると拳を握る気にはなれなかった。不祥事を起こせば、アンゼリアの理事たちはフォルラートを貧しい故郷へと即座に送り返すだろう。

 どうやってこの場をやりすごすか考えていたフォルラートの背後から、突如明るい声が響いた。


 「すまないが、こいつは俺と待ち合わせしていたんだ。何か用事だったか?」

 

 ルイス第二王子はにこやかな笑みを浮かべて貴族の息子たちを見渡す。そこには微かな威圧感があった。

 貴族の息子たちは途端に顔を見合わせた。ひきつった笑みを返すと、敵わないと見てそそくさとその場を立ち去った。

 緊張していたのはフォルラートも同じだった。当然のように第二王子と待ち合わせなどしていない。否、できようはずがない。雲の上の人であるルイス王子はしかし、固まっているフォルラートに向かって気さくに話しかけてきた。

 「災難だったな。あいつらはいつもああなのか?」

 「はっ……はい、いえ、あの、」

 「またあんなことがあったら、いつでも俺の名前を出してくれ。そうだ、いっそ友人にならないか? そっちのほうが色々話が早いだろ」

 フォルラートは声も出せないくらい驚いた。平民とこんなに気安く語らう王族を見たことも聞いたこともなかった。

 フォルラートがルイス王子の人気を知ったのは、それからすぐのことだ。


 彼の行くところにはたちまち人垣ができた。老若男女問わずルイス王子と語りたがり、王子も気さくに答えていく……。

 だがどんな人ごみに紛れていようとも、ルイス王子はフォルラートを見つけるとぱっと顔を輝かせた。そして周囲の人に断りを入れると、さっさとフォルラートの傍に駆け寄ってくるのだ。

 「通りかかってくれて助かった! 質問攻めにされて困っていたところなんだ。とりあえず飯でも食いに行こう」

 そう言ってニコニコと歩き出すルイス王子の背中を、フォルラートは複雑な気持ちで眺めた。

 本当に裏も表もない人物なのか? 自分は利用されているだけなのではないか?

 卑屈な感情も覚えたが、やがてルイス王子の人柄に流されるようにしてうやむやになってしまった。彼は本当にただの〝良い人〟だったのだ。


 周囲もまた、フォルラートが覚えたような親愛の情を持ってルイス王子に接していた。普段は政敵と口角に泡を飛ばし合っている者たちでさえ、ルイス王子が仲裁に入ると矛を収めた。女性の人気は言うまでもなかったが、それに嫉妬する男もまた、いなかった。

 フォルラートは徐々に、ルイス王子という類稀な才能を持った青年に気を許し始めた。

 彼は本当に自分のことを友人だと思っているらしい。身分の差を気にしているのはむしろ自分のほうで、肝心の王は指摘されてその事実に気づくといったことすらあった。

 アンゼリアでの日々は、そうして楽しい思い出に彩られていく。

 ルイス王子と共にあるのなら、例えどんな身分になろうとも恨みはしない。彼こそは自分が追い求めていた主君の理想そのものであり、その為ならば自分の命すら惜しくはない。

 そして彼がいる限り、この国は安泰だろう。



 魔獣退治の噂が持ち上がったのは、ちょうどルイス王子の兄が病死して一年後のことだった。

 元々病弱だったルーヴェル王子が死去すると、民たちの間からはルイス王子を王とするよう望む声が上がり始めた。どこからともなく現れた魔獣たちが村を襲い、人々が不安を募らせていたからだ。

 一年間の喪に服した後、王国は魔獣退治に乗り出した。

 アンゼリアに残り、魔術の研究を続けていたフォルラートは、噂を聞く度に心を躍らせていた。

 

 ──魔獣の討伐隊に選ばれれば、生涯安泰を約束されたも同然だ。危険は当然伴うが、国王の信頼は厚く、その後の暮らしも保証されていた。

 何より討伐隊の隊長としてルイス第二王子が選ばれている。かの王子と共に往けるのなら、金も地位もいらないと言い切る者が後を絶たなかった。

 あのルイス王子と一緒に、危険極まりない討伐へ繰り出す。

 誰も口に出さなかったが、魔獣討伐の噂をする者は皆、憧れと冒険への期待で顔を上気させていた。まるでおとぎ話のようじゃないか、若く才気ある王子と生死を共にできるなんて!


 フォルラートはその手の噂も妄想も、なるべく自分から遠ざけようとした。研究室に来てわざわざ話を聞かせてくれる奇特な者もいたが、大抵人の輪から外れて、静かに研究に打ち込んでいた。

 学業優秀生になっていたフォルラートは、いくつか論文を書き上げた後に国の魔術研究塔へ勤めることが決まっていた。比類なき才能があるわけではないが、粘り強い検証は称賛に値する……フォルラートの研究はそう評価されつつあった。


 多忙を極めるルイス王子は、会う機会が減ったとは言え、たまにすれ違うと笑顔で手を振ってくる。王子と呼ぶには人懐こい犬を思わせる笑みは、いつもフォルラートの気持ちを落ち着けた。

 もしも、ルイス王子に選ばれたのなら。

 魔獣討伐に共に出かけ、そこで活躍できたのなら。

 ……いや、別に活躍できなくても良い。彼を守って死ぬことすら厭わない。そうなればどんなにいいことだろう。

 フォルラートは子供じみていると思いながらも、魔獣の前に立つルイス王子と自分の姿を思い描くのを止められなかった。

 

 噂が落ち着いてからしばらく経ったある日のこと、唐突に広場のほうから大歓声が聞こえ、研究中だったフォルラートは危うく椅子から転げ落ちるところだった。

 何事かと外を覗くと、多くの人々が広場のほうへ駆けて行く。数日間、外にも出ないで研究を続けていたフォルラートは、悩んだ末に何が起こっているのか自分の目で確かめることにした。

 商いの店に取り囲まれるようにしてある広場を、一団が悠々と歩いてゆく。

 人々はその一団に向かって手を振り、拳を突き上げていた。

 ──凱旋だ! ルイス王子が魔獣を討ち取ったぞ!!

 フォルラートは歓声の舞う広場と、民衆に笑顔で応えるルイス王子を、半ば呆然と眺めていた。

 あの噂が経ったのは二月ほど前だっただろうか。その間、国の情勢を知ろうともせず引きこもっていたのは自分だ、とフォルラートは言い聞かせた。それにあれはお前の馬鹿げた妄想だったじゃないか。輝かしい討伐隊の一員だなんて、うだつの上がらないお前には到底無理な話だっただろう……。

 だが、ルイス王子の輝く笑顔と大歓声は、長い間フォルラートを苦しめ続けた。

 自信があった。きっと自分が選ばれるだろうという根拠のない確信があった。

 しかし自信が打ち砕かれた今、フォルラートには淡々と魔術を学ぶ日々しか残されていなかった。


 魔獣討伐凱旋から半年も経たないうちにルイス王子の戴冠式が行われた。

 もはやルイス王を疑う者は誰もいなかった。人々は名君となるであろうルイスのことを讃えて王宮広間に詰めかけた。

 フォルラートは広間の隅から熱気や興奮をどこか醒めた目で眺めている。やがて王城のバルコニーにルイス王が現れると、人々の興奮は最高潮に達した。

 新王万歳! ネルヴェダール国よ永遠なれ!

 歓声に背を向ける形で、フォルラートは広場を去った。恐らくもうルイス王と言葉を交わすこともないだろう。

 

 だから翌日、自分を王宮魔術師に推薦するというルイス王の推薦状を受け取った時、フォルラートの心は乱れに乱れた。


 「どうして私なんですか」

 久しぶりに会うなり問い詰めるような口調になったフォルラートにも、ルイスはにこやかだった。

 「どうしてって、君しか適任者がいないからだ。今の魔術師は老齢で引退したがってる。それに……君が王宮にいてくれるのは心強いよ」

 でも、それならばなぜ、とフォルラートは唇を噛みしめる。

 「私は魔獣討伐に参加していません。適任とは思えません」

 絞り出すように告げるフォルラートを、ルイスはきょとんとした顔で見つめる。それはフォルラートが知っている限り初めて見せる、彼の困惑した表情だった。

 「え、討伐? あれは確かに必要だったけれど、むざむざ国の貴重な人材を連れていくほど俺も愚かじゃない。もちろん騎士団の精鋭が同行したが、だからと言って他の者をないがしろにしたわけじゃないんだ」

 君ほど有能ならわかってくれるだろうとルイスが言葉を続ける。うまくかわされた形になって、フォルラートは黙り込んだ。

 

 アンゼリアの教師陣からの推薦もあって、フォルラートが王宮魔術師になるのになんの障害もなかった。何よりルイス王が希望していたからだ。断る理由も無く、フォルラートはずるずると王宮魔術師の後釜に収まった。

 それから25年以上、フォルラートはただひたすらに研究を重ねている。

 国から技術を求められたことは数えるほどしかない。政に興味の無いフォルラートは、臣下たちからも特に相手にされなかった。

 悪態もつかれない。邪魔もされない。ただ距離を置かれるだけの25年は、フォルラートにとって居心地の良いものだった。

 ただ一つだけ、心に棘のように刺さっていたのはルイス王のことだけだ。

 戴冠を終えたルイス王は、民の期待どおりに国を導いていた。北の国境沿いの紛争も、数年と経たないうちに終息させていた。

 なによりその人柄は国内外から大きな人気を呼んでいた。ネルヴェダールはルイス王がいる限り安泰だ。国の、いや人の歴史が始まって以来の名君だ……。

 フォルラートが覚えているのは、笑顔で人々に答えるルイス王の姿だ。王座の間で臣下の声を聞き、時に民の訴えを聞く彼は、王としての威厳に満ち溢れている。

 

 長い間、胡散臭い魔術師が王の周りをうろちょろしていては迷惑になるだろうと、フォルラートはルイス王と合うことはなかった。だがそれは建前の話だ。

 自分は、肝心な時に選ばれない。

 もしもまた国難があれば、ルイス王は誰に期待し、誰を登用するのか。そして選ばれなかった者にどんな言葉をかけるのか。かつて自分を選ばなかった時のように、困惑した優しい笑みで説得しようとするのだろうか。

 惨めな思いはもうしたくない。

 フォルラートは自分の本音を認め、後は時間が流れるに任せて研究に没頭したのだった。


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