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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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孤高を継ぎて

作者: SS便乗者

「グゴオオオオアアアアアッ!」

夕陽に暮れ泥んだ深い森の中に、耳を劈くような激しい竜の咆哮が響き渡る。

私はビリビリと鼓膜を震わせるその暴力的な音に僅かばかり顔を顰めながらも、炎でも吐こうとしたのかこちらに向けて大きく開けられた竜の口に向かって両手で構えた重い銃を振り向けていた。

ガァン!

肩が抜けて後ろへ吹っ飛んで行きそうな程の凄まじい反動と竜の雄叫びにも引けを取らない強烈な爆音が耳元で弾け、比較的長身ながらもどちらかというと華奢な部類に入る体がガクンと大きく傾ぐ。

だが痺れるような痛みを堪えてすぐに視線を上げてみると、口から上が大きく吹き飛んだ無惨な竜の亡骸が酷くゆっくりと崩れ落ちていく光景がそこに展開されていた。


ドオオオオン・・・

「チッ・・・あのクソオヤジったら、火薬の量を間違えたんじゃないの?」

売れば良い実入りになるはずの眼球や牙や角といった貴重な部位が軒並み跡形も無く吹き飛んでしまい、私は深い溜息を吐きながら仕留めた竜の爪を折り取っていた。

まああっさりと片付いた割に元々報酬は悪くない仕事だったから、取り敢えずはこれで良しとしよう。

そうして大小16本の竜の爪を年季の入った丈夫な麻袋に入れると、私はクルリと踵を返してここから5キロ程も離れている街へと向かったのだった。


ガランガラン・・・

その規模に比べて不相応な程の大勢の酔客で賑わう、街外れの寂れた酒場。

俺は入口のベルを鳴らしながら入って来た物騒な恰好の若い女を目にすると、手元に置いてあったジョッキのビールを大きく掲げていた。

「おお、戻ったかリタ。随分と早かったな」

「随分と早かったなじゃないわよ。この銃、竜の首から上が全部吹っ飛んだお陰で今夜の贅沢の予定が台無しだわ」

「絶対に竜鱗を貫ける威力の銃にしろって言ったのはお前さんだろ。それを口なんかにブチ込む方がどうかしてるぜ」

そんな俺の言葉に、ムスッとした仏頂面を浮かべたリタが如何にも不機嫌そうにカウンターの椅子へと腰掛ける。

全く・・・腕は大層優秀なハンターだってのに、相変わらずニコリとも笑わん奴だ。

特に標的が竜の時は殊更に殺気立っているように見えるのも、きっと俺の気のせいではないのだろう。


「それで?今回は幾ら稼いだんだ?」

「依頼の報酬が金貨30枚、後は爪が1本金貨3枚。銃の代金を支払ったらほとんど手元に残らないわよ」

「なら銃は金貨60枚にまけてやるよ。お前さんは俺の大のお得意様なわけだしな」

俺がそう言うと、多少は機嫌を直したのかリタがこちらに視線を向ける。

まだ25歳だというのに、その美しい顔には長年修羅場を渡り歩いてきたと見える仄暗い翳と深い悲しみの表情が色濃く染み付いていた。

「ビールも奢ってくれる?」

「悪いがそいつは別勘定だ。予定より金貨10枚も浮いたんだ、そのくらいは払ってくれよ」

「クソオヤジ」

リタはそう言ってカウンターに2枚の銅貨を叩き付けると、俺の出した大ジョッキ一杯のビールを一気に飲み干したのだった。


それからしばらくして・・・

ガタッ

「おい、もう良いのか?」

「明日また別の依頼を受けるからね。不味いビールありがとさん」

やがて俺の作った銃の代金である金貨60枚の入った袋をカウンターに残したまま、もう酔いが回っているらしいリタが少しばかりふら付く足取りで酒場から出て行ってしまう。

「ったく・・・あの口の悪さだけでも直してくれりゃ、俺なんかすぐにでもリタに告白するってのによぉ」

「やめとけやめとけ、冗談抜きでぶっ殺されるぞ。前にあいつに声掛けたチンピラ、2ヶ月は入院してたって話だぜ」

周囲の男達が酔った勢いでそんな軽口を飛ばし合う様を見つめながら、俺もフゥと小さく息を吐く。


「おいお前ら、その辺にしとけ。あいつはな、7歳の時に親を竜に殺されてるんだよ」

俺がそう言うと、ガヤガヤとした喧騒に包まれていた酒場の中が一瞬静まり返る。

「本当かい、おやっさん」

「リタの親父はこの街一番のハンターだったんだがな・・・奴が丁度街を離れてる時に、竜が襲って来たんだ」

「ああ、18年前のあの時か。俺も当時はまだガキだったけど、あの事件のことはよく覚えてるぜ」

18年前・・・

当時まだ7歳だったリタは、明るくてよく笑う可愛らしい少女だった。

母親は元々病弱気味でリタを産んだ後は特に家で床に臥せていることが多かったからか、一仕事終えてきた父親のアンドリューがリタを連れてよくこの酒場を訪れていたことを覚えている。


「おいドリュー、毎度毎度こんなところにそんな幼い娘を連れてくるんじゃあねえよ」

「まあそう堅いこと言うなって。ジーンにはちゃんと許可を取ってあるんだからよ」

「ここのゴロツキ共はリタには目の毒だって言ってんだよ。分からねえ奴だなぁ」

そんな俺の大声に、周囲にいた男達がワイワイと騒ぎ出す。

「おやっさん、ゴロツキはねえだろゴロツキは」

「リタちゃん、こっち来なよ。そんな怖いおやっさんとこにいないでさぁ」

「うるせぇてめえら!黙ってビールでも飲んでろ!」

そんな頭上を飛び交う男達の怒号にも似た大声にもまるで動じず、リタが今日もニコニコと笑っていた。


「そうだアイバン、俺はちょっと明日から数日出掛けるからさ。たまにジーンと娘の様子を見てやってくれないか?」

「出掛けるって、街を出るのか?」

「ああ・・・ジーンの体調が最近特に悪くてな・・・ちぃっとばかしお高い薬を買いに行かなきゃならないんだよ」

そう言いながら、アンドリューがリタの頭をポンポンと撫でる。

「そいつは別に構わねぇがよ、嫁さんの具合が悪いならお前もさっさと帰ってやった方が良いんじゃねぇのか?」

「俺が働いてる間はジーンがこの子の面倒を見てるんだから、こうしてリタを連れ出すのもあいつの為なんだよ」

「へっ、それでこんなゴロツキ共の巣窟に連れ込んでるんじゃあ世話無いぜ」

とは言え、街で最も腕が良いと評判のアンドリューが数日居なくなるというのであれば、他のハンター連中にもある程度声を掛けておいた方が良いだろう。

何しろ彼らは日銭を稼ぐ為に街の住民の面倒な頼み事を有償で引き受ける他にも、時折街を襲ってくる夜盗や野獣どもに対する防衛をも請け負っているのだ。

「どのくらいで戻るんだ?」

「山を1つ越えなきゃなんねぇからなぁ・・・まあ、馬がへたらなきゃ10日も掛からねぇで戻って来るよ」


それから、6日後のことだった。

あの巨竜が街を襲って来たのは・・・

別にアンドリューの留守を狙って来たわけでもないだろう、完全なるただの偶然。

念の為アンドリューが不在の間に警戒を怠らないようハンター達には事前に声を掛けてあったのだが、彼らの誰もが、見上げるような巨躯で灼熱の炎を吐き散らすあの狂暴な黒竜には歯が立たなかったのだ。

そうして自身の目の前に立ち塞がった身の程知らずな邪魔者を幾人か無惨な肉塊と消し炭に変えた後、奴は街に住む住人達へとその牙の矛先を向けたのだった。


「リタ!リタ!早く隠れて!外の枯れ井戸の中に!」

「でも・・・でもお母さんは?」

俺がアンドリューの家族の様子を窺おうと彼の家に行った時、リタはベッドの上で辛そうに体を横たえている母親のジーンへ必死に縋り付いていた。

窓の外に広がっている街の景色には轟々と燃え盛る紅蓮の火の手があちこちに見え、瓦礫の崩れる音や無数の人々の悲鳴が引っ切り無しに飛び交っている。

「リタ!ジーン!何をしてる!早く逃げるんだ!」

「でも・・・お母さんが・・・!」

「アイバン、お願い。リタを連れて早く逃げて・・・外の枯れ井戸の中ならきっと安全よ」

苦しそうに胸を押さえているジーンの様子を見る限り、恐らく彼女はもう自力では満足に歩けない程に弱ってしまっているのだろう。

「分かった。リタを逃がしたら、必ず戻って来るからな!」

「嫌・・・嫌だよ!お母さん!お母さん!」

「リタ・・・早く行って!」


俺は泣き叫ぶリタを半ば無理矢理にジーンから引き剥がすと、激しく暴れるその体を必死に抱き抱えながら家の外にある枯れ井戸へと向かった。

「ほらリタ、早く井戸の中へ入るんだ」

「おじさんお願い・・・お母さんを助けて・・・」

「ああ、分かってる。だからさあ、急いで」

それでようやくリタも納得したのか、彼女は両目一杯に涙を溜めながらも子供が1人やっと入れる程度の狭い枯れ井戸の中へと静かに降りていった。

底の水はもう埋められている上に深さもさしてあるわけではないから、確かにあの巨竜が襲って来てもこの中なら恐らくリタは安全だろう。

だが今度はジーンを運び出そうと立ち上がったその時、凄まじい轟音と熱風が俺の背中に叩き付けられていた。


ゴオオッ!

「うあっ!」

やがてよろめきながら地面に膝を着いた態勢で背後を振り向くと、奴の吐いた火球が直撃したのかアンドリューの家が真っ赤な炎に包まれているのが目に入る。

「そ、そんな・・・ジーン!ジーーン!」

大声で彼女の名を叫んでみるものの、燃え盛る炎が唸りを上げて家の屋根を、壁を、そしてジーンのいる寝室を舐めるように悉く焼き尽くしていったのだった。


その2日後に街へ帰って来たアンドリューは、大勢の犠牲者を出した街の惨状と無惨に燃え落ちた自身の家を見るなり血相を変えて俺の酒場へと飛び込んで来た。

「アイバン!いるか!?」

その大きな声に、暗い気持ちで酒を飲んでいた数人の客がビクッとその身を震わせる。

「ここにいるよ・・・」

だがアンドリューに見えるようにリタをカウンターの椅子に座らせながらそう言うと、彼は一瞬だけ安堵の表情を浮かべながらこちらに駆け寄って来た。


「リタ!良かった・・・だけどジーンは?ジーンはどうしたんだ?」

何処にも怪我が無いか確かめるようにリタの体を探りながら、彼が何かを覚悟しているかのような思い詰めた目で俺を見つめてくる。

「彼女は・・・間に合わなかったんだ・・・俺がリタを何とか外に連れ出した直後に・・・」

「・・・くそっ・・・」

産まれつき体が弱かったというジーンは、リタの出産を機にますます元気が無くなっていったらしい。

恐らくはアンドリュー自身も、ジーンがこの先そう長くは生きられないだろうという事実は受け入れていたのだろう。

だがその瞬間が唐突に訪れてしまったことで、彼は普段の冷静さを完全に失ってしまっているらしかった。


「一体、何があったってんだ?」

「2日前、デカい黒竜が街を襲って来たんだ。ハンター達も必死で戦ったが、彼らだけでも10人以上は死んだよ」

幸いこの酒場は街の中心部からは離れていたお陰で何とか被害には遭わずに済んだものの、黒竜が暴れていたほんの数時間でこの広い街に壊滅的な被害が出たらしいことは考えただけでも容易に想像が付く。

「奴が・・・ついにこの街にも来たってことか・・・」

「奴?あの黒竜のことを知ってるのか?」

「出先の街で噂を聞いたんだよ。町や村を見つけては無差別に荒らして回ってる、凶暴な黒竜がいるってな」

アンドリューはそう言うと、リタの頬に口付けしてからすっくと立ち上がっていた。

「アイバン、とびきり強力な銃を作ってくれ。あの野郎、俺がジーンの仇を討ってやる」

「お、おいドリュー・・・気持ちは分かるが、リタにはもうお前しか家族がいないんだぞ?無茶な真似は止せって」

「どの道奴を野放しにしてたらまた街を襲って来るかも知れないだろ。頼むよ、お前にしか頼めないんだ」


アンドリューは、昔から一旦言い出したら絶対に他人の忠告を聞かない奴だった。

リタも本当のところは父親に危険な復讐劇なんぞさせたくなかったのかも知れないが、何も言わなかったということは目の前で愛する母親を焼き殺されたという深い憎しみが幼心に彼の覚悟を後押ししていたのだろう。

「分かったよ・・・ただし、3日くれ。材料を調達しなけりゃならんからな。その間に、お前も少しは頭を冷やせ」

俺はそう言って大ジョッキから溢れんばかりのビールを彼の前に出すと、銃の仕立ての準備の為にカウンターの奥へと引っ込んだのだった。


あの巨大な竜を倒す程の強力な銃か・・・

アンドリューならたっぷりと火薬を詰めた大口径の銃だろうと軽々と扱えるから、単純に弾の威力を出すという点では幾らでもやりようはある。

だが当然、それを生かすにはある程度近い距離から撃つ必要があるのだ。

もっと遠くのデカい街へ行けば黒竜天樹という名の特殊な黒樹で出来た対竜用の弾頭も手に入るのだが、3日で銃を作るとなると流石にそこまで手の込んだ物は出来ないだろう。

それに俺も本音を言えば、アンドリューを危険な竜退治には行かせたくないのだ。

これが説得の通じるような分別のある奴が相手なら、俺も頑として譲らないんだがな・・・

「へっ・・・全く・・・何であのガキみてぇな頑固な親父から、あんな可愛い娘が産まれたんだか・・・」

俺は独りでブツブツとそんなことを呟きながら、アンドリューの為の武器作りに精を出したのだった。


3日後・・・

「ほらよドリュー、お待ちかねの銃だ。少なくとも弾の威力だけは、これまで俺の作った銃の中でもピカイチだぜ」

「ああ、礼を言うよアイバン、恩に着る」

「そんな似合わねぇ礼なんていいから、とっとと奴をぶっ殺して来い。銃の代金は金貨100枚だぞ」

だが俺がそう言うと、アンドリューは腰に提げていた重そうな金貨袋をドシャッとカウンターの上に置いていた。

「300枚以上ある。今の俺の全財産だ。取っといてくれ」

「お、おいドリュー・・・お前・・・」

「もし万が一にも俺が戻らなかったら・・・リタを頼む」

そう言って俺の作った銃を担いで酒場を出て行ったアンドリューを、リタが何処か悲しそうな目で見送っていた。


「それからどうなったんだい?おやっさん」

「結末から言えば、ドリューは戻って来たよ。黒竜に撃った弾は奴の手を掠めて軌道を変え、その左目を貫いたんだ」

「ん?それじゃあ、ドリューは何時死んじまったんだ?」

そんな男達の声に、当時の光景がありありと脳裏に浮かんでくる。

確かに、アンドリューは街に戻って来た。

片眼を失ったにもかかわらず弾は脳にまでは届かなかったらしく、手負いの黒竜はそのまま遠くへ逃げ去ったという。

そして酒場に戻ってくるなりそう告げた彼は・・・その全身に酷い大火傷を負っていたのだった。


ドサッ・・・

「お、おいドリュー!大丈夫か!?」

だがそう言って床に倒れ込んだ彼を起こそうとした俺は、ハッと伸ばし掛けた手を引っ込めていた。

何て酷い火傷だ・・・体中の皮膚が赤く焼け爛れてしまっている。

銃を撃つ前か後かは判らなかったものの、彼は恐らく奴の吐いたあの灼熱の炎をまともに浴びてしまったのだろう。

奴の巣食っていた森からこの街までは優に5キロも離れているというのに、彼は瀕死の体を引き摺るようにしてここまで辿り着いたのだ。


「お父さん!お父さん!」

父親が戻って来たと思ったのも束の間、再び辛い現実を突き付けられたリタが大声で叫びながら彼の体に縋り付く。

「リ・・・タ・・・ごめんな・・・ジーンの・・・母さんの仇を・・・討ってやれなくて・・・」

「お父さん・・・嫌・・・死んじゃ嫌・・・」

如何にアンドリューが優れたハンターであろうとも、あの火傷ではもう助かりようがない。

酒場にいた誰もが一目でそう確信した程の痛ましいアンドリューの姿が、傍にいるリタの存在によって更に救いようの無い悲劇へと変わっていった。


「ア、アイバン・・・リタを頼む・・・済まないな・・・世話を・・・掛けて・・・」

「馬鹿野郎・・・だから無茶な真似は止せって言ったじゃねぇか・・・そ、それをてめぇ・・・」

激しい怒りに震え、彼を殴り付けたくなるような衝動に駆られながら・・・

俺は悲愴な表情を浮かべているリタの顔に視線を吸い寄せられていた。

あの日からだ・・・リタが笑わなくなったのは・・・

あんなに笑顔の可愛い娘だったのに、竜の手によって彼女は最愛の両親と笑顔を奪われたのだ。

アンドリューが息を引き取った後も、リタが徐々に冷たくなっていく彼の亡骸にそれから1時間も縋り付いていた光景が今も鮮明に脳裏に焼き付いている。

そうしてリタの身柄を引き取ると、俺はそれから11年間男手1つで彼女を育て上げたのだ。

両親の仇を討つ為にハンターになると言った彼女を、結局止めることも出来ないまま・・・


「だけどそれじゃあよ、リタの口が悪くなったのは完全におやっさんのせいじゃねぇか」

「うるせぇ!余計な口を挟むんじゃねえ!」

もちろん、幼い頃からこんな柄の悪い酔客やハンター達の集まる酒場兼武器屋で10年も過ごしていたらリタがああなってしまった責任が俺にも全く無いとは言えないかも知れない。

だが18歳になって初めて独立したリタは父親の才能を受け継いだのか、或いは両親の仇を討つという強い覚悟によって研ぎ澄まされたのか、確かに優秀なハンターとしてその腕と名を上げていった。

それに口では反発しているが、育ての親となった俺に対してだけは彼女も彼女なりに気を許してくれているのだろう。

まあだからこそ、俺もリタを支える為に出来ることは何でもしてやるつもりなのだが・・・


その翌日、リタはまだ午前中だというのに客が残らず引き払ったガランとした酒場に姿を現していた。

「どうしたリタ?今日は別の依頼を受けるんだろう?また武器の注文か?」

「ええ、でも弾だけで良いわ。今回のはそんなに大きい個体じゃないみたいだし」

「何だ、また竜の討伐依頼か?あんまり入れ込み過ぎるなよ」

そう言うと、リタがギロリと鋭い視線を俺に突き刺してくる。

酒場という性質上昔から粗暴な連中とも大勢関わって来た俺が思わずたじろぐ程に激しい憎しみに満ちたその目が睨み付けているのは当然俺ではなかったのだろうが、それでも有無を言わせぬ迫力がそこには宿っていた。

「分かったよ、まあそう睨むなって・・・」

やがてリタの望み通り昨日造ってやった銃に込められる弾を5発出してやると、彼女が無言で置いて行った1枚の金貨に目を落として溜息を吐く。

「へっ・・・釣りは取っとけってか・・・」

昨日は銅貨2枚のビール代すら出し渋っていたところを見るに、あれもリタなりの俺に対する甘えなのだろう。

そんな時折チラチラと顔を覗かせる内面の脆さを刺々しい態度と雰囲気で何とか覆い隠そうとしている彼女の姿が、俺には何とも痛々しいものに見えていた。


それから数時間後・・・

装備を整えて街を出た私は、今回討伐依頼を受けた南の森で暴れているという赤竜の生息地へと向かっていた。

対象の存在自体はもう随分と前から周辺の人々には認知されていたらしいのだが、最近特に凶暴性が増して近くの人家を襲ったり家畜に手を出す事例が増えて来たのだそうだ。

「ドラゴンなんて・・・」

1匹残らず根絶やしにしてやる・・・

そんな黒い殺意が沸々と胸の内に湧き上がり、重い銃を担ぐ腕に更なる力を込めてしまう。

アイバンが私の為に作ってくれたこの銃は、確かに威力だけなら桁違いに強力な代物だった。

正直私が扱うには些か重量と反動が手に余る程なのだが、如何にハンターとは言え男に比べれば力の劣る私が巨大な竜を殺すとなれば強力な銃器で撃ち殺す他に有効な方法が無いというのもまた事実。

それに・・・もしお父さんだったなら、こんな重い銃でもきっと軽々と扱えたことだろう。

幼い頃に目の前で息を引き取ったお父さんに追い付く為に、そして姿を見ることも無く無惨に焼き殺されたお母さんの仇を討つ為にも、この程度の武器は当たり前のように使いこなせなくては話にならないのだ。


やがて目的の森に着くと、標的の赤竜の姿は思いの外すぐに確認することが出来た。

体高は約2メートル・・・顔立ちや腹の膨らみ方などから判断して恐らくは雌。

瞳は背中側の鱗を覆った真っ赤な体色よりも更に深く濃い緋色に染まっていて、こうして遠目から見ているだけでも相当に気が立っているらしいことが窺える。

唯一硬い鱗に覆われていないあの腹なら遠くからでも貫くことは出来るだろうが、たった5発の弾では全弾撃ち込んだところで致命傷を与えられるかどうかは一種の賭けだった。

幸い周囲は厚い草木と茂みで覆われていて視界も悪いし、少なくとも今はこちらが奴の風下にいる。

出来るならもう少し近付いて、せめて10メートル前後の距離から喉を撃ち抜いて仕留めたいところだ。


私はそう心に決めると、周囲の茂みを不用意に揺らさないようそろそろと身を屈めながら赤竜に向かって近付いていった。

私の出す音も匂いも感じてはいないはずだというのに、抑え切れない私の殺気でも感じ取っているのか先程から赤竜が周囲を警戒するかのようにその長い首を巡らして辺りの様子を窺っているらしい。

いや・・・それでもほとんど顔をこちらに振り向けないということは、やはり私の正確な位置を認識出来ているわけではないのだろう。

そして何とか赤竜から12メートル程離れた茂みの陰に身を伏せると、私はそっと音を立てないように担いでいた銃を取り出していた。


強烈な反動を受け止める為には立ち上がって正しい姿勢で射撃する必要があるから、撃つ直前には奴も私の存在に気付くことだろう。

弾は5発あっても次弾を込め直すには少々時間がいるし、仮に1発で止めを刺せなかったなら最低でも動きを相応に鈍らせる必要がある。

やがて昂った気分を落ち着けるように何度かその場で深呼吸すると、私は銃を構えたまま竜の視線が逸れた一瞬を狙ってゆっくりと立ち上がっていた。

昨日初めてこの銃を撃った感触から考えれば、この距離からならたとえ鱗に当たったとしても貫くことが出来るはず。

「グオッ!?」

そして何時の間にか近くに立っていた私の存在に気付いたらしい雌竜が驚きの唸りを上げた瞬間、私はその長い首の中央に狙いを澄まして銃の引き金を絞っていた。


ガァン!

「うっ・・・」

大口径の銃身から重い弾丸を射出する強烈な衝撃が肩を突き抜け、しっかりと地面に踏ん張っていたはずの足をガクンと揺らがせる。

だが発射された弾丸は状況を飲み込もうと一瞬動きを止めていた雌竜の首に寸分違わずめり込むと、盛大な血飛沫を纏いながら背面の鱗を突き破って貫通していた。

「グギャッ・・・ア・・・」

喉を撃ち抜かれたからなのか、上げようとした悲鳴が途切れ途切れになって静寂に包まれた森の中へと霧散していく。

そして大量の血を吐きながら一瞬だけ私を睨み付けた雌竜の眼から命の光が消えると、そのままドオオォンという重々しい地響きとともに湿った地面の上へとその巨体が崩れ落ちたのだった。


「ふぅ・・・これなら素材は無事ね」

私は首尾良く金になりそうな部分を傷付けずに竜を殺せたことに満足すると、早速戦利品の略奪に掛かっていた。

牙、角、舌、果ては眼球に至るまで・・・

竜の頭には高値で売れる貴重な宝がたっぷりと詰まっているのだ。

特にこの珍しい緋色の眼球には、良い値が付くことだろう。

そして粗方貴重な部位を剥ぎ取って袋に詰め込むと、私は仕上げとばかりに手足の爪へと視線を向けていた。

と、その時・・・


ガササ・・・

不意に何者かの気配を感じてバッと背後を振り向くと、私は不覚にもまだ次弾を装填していなかった弾倉が空のままの銃をそちらに向けていた。

だが背後を見つめた視線がそのまま地面の方へ移動すると、つい今し方卵から孵ったばかりといった風情の小さな小さな赤竜の子供が円らな瞳で私を見上げているのが目に入る。

「何だ、仔竜か・・・」

そして跳ね上がってしまった心拍数を落ち着けるように息を整えながら銃に新たな弾を込めると、私は静かに目の前の仔竜へとその銃口を向けていた。

「産まれたばかりで可哀想だけど、すぐにお母さんのところに送ってあげるわ」

だがそう言いながら引き金を引こうとした次の瞬間、地面の匂いを嗅ぐように視線を下げた仔竜が自身の命の危機にもまるで気付かぬままこちらに歩み寄って来た。

そして銃を構えていた私の脚に顔を擦り付けると、仔竜特有の甲高い鳴き声が聞こえてくる。


「きゅぅ・・・きゅきゅぅ・・・」

この仔竜は産まれて初めて目にした生物である私を、母親だとでも勘違いしたのだろうか?

すぐ傍に転がっている無惨な実の母親の亡骸には目もくれず、仔竜はまるで甘えるようにまだ爪も生えていない小さな手で私の脚に縋り付いていた。

そんな余りにも可愛らしい仔竜の仕草に毒気を抜かれ、目の前の小さな存在に対して燃やしていた殺意の炎が瞬く間に鎮火してしまう。

そしてきゅうきゅうと鳴く仔竜に纏わり付かれたまま雌竜の手足の爪を全て折り取ると、私はよちよちとたどたどしい足取りで後ろをついて来る仔竜とともに街へと向かったのだった。


ガランガラン・・・

「おうリタ、もう戻ったのか」

その日の夕方頃、俺は相変わらず若い女とは思えない程に物々しい装備に身を包んだリタが憮然とした表情を浮かべたまま酒場に入って来るのを目にしてそんな声を上げていた。

だが彼女に少し遅れて、腰の高さに据え付けられていた扉の下を潜るように小さな翼の生えた赤い竜の子供が酒場の中へと入って来たのが目に入る。

「お、おい、そいつは仔竜か?」

店に居た他の客達も、物珍しい仔竜の姿に俄かにざわつき始める。

だが当のリタはそんな周囲の反応も意に介さないまま、ドサリと乱暴にカウンターの椅子へと腰掛けていた。

そして無言のまま銅貨2枚をテーブルの上に置くと、早くビールを寄越せとばかりに俺の顔を睨み付けてくる。


やがてビールを出してやると、先程の仔竜がリタの足元にちょこんと座り込んだまま彼女の脚を遠慮がちに小さな両手で抱え込んでいた。

どうやらその様子を、周りの客達がハラハラしながら見守っているらしい。

まあ、それはそうだろう。

両親を竜に殺されて、ただでさえやさぐれたリタは特に竜に対して壮絶とも言える憎しみを抱いているのだ。

そんな彼女の足元に纏わり付いている仔竜が今にも蹴り飛ばされるのではないかという明らかに不穏な気配に、緊張の糸がピンと張り詰めているのだろう。

だがリタはそんな仔竜を無表情のまま静かに見下ろすと、もう1枚銅貨を俺の方に放り投げてきた。

「ミルクも頂戴」

「あ、ああ・・・」

そして言われるがままにコップ1杯のミルクを出してやると、リタがテーブルの上に置いてあった広くて浅い空の灰皿へそれを入れて仔竜の前へと置いていた。

やがて突然目の前に出されたミルクに、仔竜が恐る恐る顔を近付けていく。

そして何度か匂いを嗅いだり舌先で触れたりしている内にようやくそれが安全な餌だと認識したのか、仔竜はピチャピチャと音を立てながらミルクを飲み始めたのだった。


「その仔竜はどうしたんだ?」

「南の森で討伐依頼の竜を仕留めた時に、近くでたまたま産まれたのよ。殺そうとしたんだけど、出来なくて・・・」

そう言ったリタの顔には、竜に対する深い恨みと目の前の仔竜に対するある種の憐憫の感情が綯交ぜになった表情が浮かんでいた。

俺もそこまで地理に詳しいわけではないが、確か南の森には竜が住み処にするような洞窟などの類は無かったはず。

ということはリタが討伐依頼を受けたその竜は、恐らく特定の住み処を持たずに森を徘徊していたのだろう。

だがそうなると、当然卵も無防備な屋外に産み落とさざるを得なかったということになる。

竜の卵はハンター達の標的になるだけでなく、他の獣達にとっても高級な御馳走となる貴重な代物だ。

恐らくその竜は卵を護ろうとして相当に気が立っていたに違いないのだが、そのせいで討伐対象にされてしまったというのが真相なのだろう。


「しかしあのリタが、まさか仔竜を連れて帰るたぁねぇ・・・」

そんな茶化すような男達の声を、リタがギロリと突き刺すような視線を向けて黙らせる。

確かに意外と言えば意外かも知れないが、俺にはそんなリタの心情も理解出来ないわけではなかった。

竜を憎んでいるはずのリタが仔竜への止めを思い留まったのはただ単にその想像以上の愛らしさに絆されたというわけではなく、恐らくは仔竜の境遇を自分自身に重ね合わせたのだろう。

彼女は目の前で竜に親を殺され天涯孤独の身になってしまったという己の不幸を、産まれながらにして親という頼れる存在を失った憐れな仔竜の中にも見出してしまったのだ。

ピチャ・・・ピチャ・・・

そんな"母親"の心中に渦巻いている葛藤になどまるで気付かぬまま、産まれて初めて与えられた美味しい餌に仔竜が嬉しそうにミルクを飲み干していく。

その様子を見つめるリタの顔には依然として笑みが覗くことは無かったものの、それでも普段から無差別に周囲に振り撒いているあの何者をも寄せ付けないような剣呑な雰囲気は幾分鳴りを潜めているらしかった。


「それで・・・その仔竜、どうするつもりなんだ?」

「別にどうするつもりも無いけど・・・どうしても私から離れようとしないのよ」

大きな金貨袋を持っていることから察するに、リタはもう竜を仕留めた報酬を手に入れたついでに貴重な竜の素材の換金も済ませて来たのだろう。

生きた竜の子供など、金に換えれば恐らくは相当な額に上ったはず。

なのにそれもせずに仔竜にここまで黙ってついて来させたということは、興味が無いというよりは寧ろ積極的にこの仔竜を護ろうという何らかの意思がリタの中に働いているのは間違い無い。

ただ彼女自身は、決してそれを認めようとはしないだろうが・・・


やがてコップ1杯分のミルクを残らず飲み干すと、仔竜は再びリタの脚にしがみ付いていた。

それを見た彼女が、そっと仔竜を抱き上げて膝の上へと座らせてやる。

「きゅぅ・・・」

「取り敢えず、邪魔にならない限りは連れて行くわ。大金も手に入って、しばらくはゆっくり羽も伸ばせるだろうし」

「そいつは良いが、他のハンターどもに狙われないように気を付けろよ。金塊を持って歩くようなもんなんだからな」

俺がそう言うと、リタは少しムッとした顔をしながらも膝枕で幸せな眠りに就いた仔竜の頭を静かに撫でていた。

まあ実際には街の中でリタの後を追い掛け回していたのだろうこの仔竜がここまで無事に辿り着いているのだから、ハンター達もリタを恐れて敢えて手を出さないようにしているのかも知れないが・・・


それから、2週間が経った頃・・・

しばらくはゆっくり羽を伸ばすと言った言葉通りリタは毎晩のように酒場を訪れてビールを呷るだけの生活を続けていたのだが、彼女の後ろを無防備について歩く仔竜の体は日に日に目に見える速度で大きくなっていった。

初めてここへ来た時は孵化したばかりだったこともあってまだ体高30センチにも満たない小ささだったというのに、たった2週間で体高はもうその倍近くにまで成長しているらしい。

そして今日も酒場へ入ってくるなり3枚の銅貨をテーブルに出したリタに大ジョッキのビールと仔竜が飲みやすいよう広い皿に入れたミルクを差し出すと、俺はカウンター内の椅子にゆっくりと腰掛けていた。


「随分と大きくなったな、その仔竜」

「成竜でも体高2メートルくらいの小柄な種みたいだけど、思ったより成長が速いわね」

そう言いながら、リタがグイッと大きなジョッキを呷って見せる。

「それに、頭も良いのよ。朝は毎日決まった時間に起こしてくれるし、多少は私の言ってることも分かるみたいなの」

「起こしてくれるって・・・そいつと一緒に寝てるのか?」

「し、仕方無いでしょ・・・勝手にベッドの中にまで潜り込んでくるんだから・・・」

それを聞いた数人の客がリタの後ろで羨ましそうな顔をしながら鼻の下を伸ばしているのを目にすると、俺は彼らが余計な煽りを入れないように静かに首を横に振って見せてやっていた。

「だが、今は良くとも何れまた何かしらの依頼は受けるんだろう?そいつを連れて歩けるのも今だけじゃないのか?」

「もちろん、そんなことは分かってるわよ」

本当に分かっているのかいないのか、リタはそう言いながらも足元で美味しそうにミルクを啜っている仔竜を静かに見下ろしていたのだった。


その翌日、リタは朝早くから酒場を訪れると俺に仔竜の体に取り付けるポーチの作成を依頼してきた。

どんな時も四六時中リタの傍を離れようとしない仔竜の様子についに観念したのか、今後ハンターとして依頼を受ける際に仔竜を一緒に連れて行くことを決心したらしい。

それで、せめて多少は荷物持ちとして仔竜にも役に立って欲しいということなのだろう。

「仔竜に背負わせるポーチなんざ初めての依頼だな・・・型から起こさなきゃなんねぇから、明後日また来てくれ」

リタはそれを聞くと、相変わらず彼女の背後で静かに座り込んでいる仔竜を一瞥してから無言のまま頷いていた。

だがそのまま酒場から出て行こうとした彼女を慌てて呼び止めると、カウンターの裏から大きな瓶に詰めたミルクと干し肉の塊を出してやる。

「こいつも持ってけ。その仔竜だって、何時までもミルクばかり飲ませとくわけにもいかんだろ」

「あ、ありがと・・・」

つい数週間前まで俺のことをクソオヤジと呼んでいたというのに、予期せぬ仔竜への贈り物を貰ったリタは少し言いにくそうに俺から目を背けながらそう呟いていた。


「あの仔竜に懐かれてから、少し変わったな・・・」

俺はリタが出て行った後でカウンターの椅子に腰を掛けると、葉巻を吹かしながらぼそりとそう漏らしていた。

リタは相変わらず周囲の人間には険しい表情を向けているが、あの仔竜に対してだけはまるで家族のような思いやりのある接し方をしているのが傍から見ていてもはっきりと分かる。

そう・・・彼女は元々、心根の優しい人間だったはずなのだ。

瞬く間に両親の命を竜に奪われて心を閉ざしたリタは、それからしばらく俺に対しても一切口を利いてくれない時期があった。

恐らくは母親の最期を看取れなかったというどうしようもない悔しさを、ジーンから彼女を無理矢理に引き剥がした俺に対する怒りへと変えていたのだろう。

だがリタが俺と一緒に暮らし始めて何日かが経ったある日のこと、俺は彼女が自室のベッドで蹲ったまま枕を噛んで声を立てないようにしながらシクシクと泣いている姿を偶然目撃していた。

普段俺の前では悲しむ素振りすら見せず、ただ黙々と店の手伝いをしたり一緒に飯を食ったりしていた彼女が、本当は辛くて悲しくて大声で咽び泣きたい激情を必死に押し殺していたという事実。

里親となった俺に少しでも迷惑を掛けまいと荒れ狂う自身の感情を無理矢理に押さえ付け、まだ7歳という若さでリタは自らの心を何者をも寄せ付けない鋼の壁で覆い尽くそうとしていたのだ。


「リタ・・・!」

俺は思わずそう呼び掛けてしまったことを一瞬後悔したものの、リタは真っ赤に泣き腫らした顔を上げると俺の姿を認めるなりベッドから飛び跳ねるようにしてこちらに突進してきた。

そして俺の体にがっしりとしがみ付くと、そのままうっうっと嗚咽を漏らしながら枯れる気配の無い涙を溢れさせる。

「おじさん・・・私・・・ハンターになりたい・・・お父さん・・・みたいな・・・」

「リタ・・・」

「許せない・・・うぅ・・・許せ・・・ない・・・」

一体どうしたら、まだ7歳の少女にこれ程の憎しみと悲しみを植え付けることが出来るのか・・・

それ程彼女が両親を深く愛していたということの裏返しなのかも知れないが、俺は明らかにあの黒竜への復讐を望むリタを必死で諫めていた。

「リタ・・・馬鹿なことは考えるんじゃねえ。ジーンが・・・母さんがどうしてお前を逃がしたのか分かるだろう?」

もちろん、彼女の怒りがそんな理屈で収まるような生易しいものではないだろうことは俺だって百も承知だ。

だが例の黒竜の件は抜きにしても、ハンターなどというのは誰もが簡単になれるような生易しい職業ではない。

竜や野獣や夜盗どもと戦えるだけの強さに草木や薬の知識、過酷な環境を生き抜く為の知恵、そう言った極めて広範に亘るありとあらゆるスキルを身に付けなければ成り立たない厳しいものなのだ。


それでも・・・再三に亘る俺の忠告の甲斐も無く、リタは辛く険しいハンターへの道を目指すことになる。

今の彼女が俺に対して反目しているのは、そんな唯一の希望を否定されたことに対するある種の抗議なのだろう。

だが何の不自由も無く両親の愛を受けて幸せ一杯に生きてきた7歳の少女が体を鍛え、昼も夜も勉学に励み、刃を研いで銃の手入れをこなす暮らしへと足を踏み入れることを、一体誰が称賛出来るというのか。

リタに必要な物資を与え、訓練を指導し、彼女をハンターとして育てながらも、俺の心は常に葛藤に満ち溢れていた。

いや・・・ハンターというだけならば、この街にだって女のハンターは幾らでも存在するし特に珍しくもないのだ。

問題はその動機・・・両親の命を奪ったあの狂暴な黒竜へ復讐したいという負の感情に彩られたリタの心が、明るく優しい少女だった彼女を見る見る内に暗く荒んだ存在へと堕としていく様を俺が正視出来なかったのだろう。

「っと、こうしちゃいられねぇな」

俺はぼんやりとリタの過去を思い出している内に葉巻を1本吸い終わると、リタからの依頼の品の製作に早速取り掛かったのだった。


「それにしても・・・こいつは思ったよりも難しい依頼だな・・・」

今は同業者が増えてきたこともあって仕事の依頼が舞い込むことは以前程多くはなくなったが、俺の本業はハンター達に武器や装備を作ってやることの方で酒場の経営は正直片手間でやっているというのが実情だった。

それでも昔から物作りの腕にはそれなりの自信があったし、長い経験も相俟って今でもこの街の中では最高の武器職人だという自負がある。

しかしそんな俺にとっても、仔竜の体に取り付けるポーチの作成依頼というのは正に前代未聞の注文だったのだ。

何しろあの仔竜は、ほんの2週間の間に体格が2倍近くにまでなっている。

それ程成長の早い仔竜の体にポーチを長期間取り付けられる機構をまず考えなくてはならないし、耐久性だってそれなりのものが必要になるだろう。

「こりゃあ素材は竜の鱗と皮だな・・・それと真鍮に鋼の針・・・へっ、随分と値が張りそうだぜ」

腕が鈍り掛けていたところへ久々に舞い込んで来たやり甲斐のある仕事に、俺は素早くポーチの図面を引くと高価な材料を調達しに街へと繰り出したのだった。


それから2日後・・・

大勢の酔客で賑わう酒場の切り盛りを半ば放棄しながら、俺は何とか夜までにリタの依頼の品を完成させていた。

「ふぅ・・・何とか形になったか・・・」

やがて額の汗を拭ってようやく完成したポーチをしげしげと眺めていると、誰かが酒場へ入ってきたガランガランという音が聞こえてくる。

そして奥の作業場から顔を出してみると、まるで今の今までポーチの完成を待っていたかのように丁度仔竜を連れたリタがやって来たところだった。

「依頼の品は出来た?」

「ああ、丁度今し方出来たところだ。ほら、着けてみろ」

そう言いながら出来上がった大判のポーチをリタに渡すと、彼女がそれを後ろにいた仔竜の背に長いベルトで括り付ける。

高級な緑竜の鱗と皮をふんだんに使ったポーチは真っ赤な仔竜の体色に良く似合い、リタも言葉にこそ出さなかったものの仔竜の姿を満足そうに見つめていた。


「へぇ・・・馬子にも衣裳ってのは良く言ったもんだなぁ」

「おう、あの仔竜が随分と凛々しく見えるじゃねえか」

またあいつら、余計なことを・・・

俺はポーチを着けた仔竜を見てやいのやいのと騒ぎ立てる男達に小さく溜息を吐いたものの、リタが意外にもそんな連中に敵意を燃やすことも無く俺の方へと顔を振り向ける。

「代金は幾ら?」

「聞いて驚け、金貨120枚だ。材料に相当に金が掛かっちまってるからな。まあ、即金じゃなくても構わねえよ」

だが俺がそう言うと、リタが大量の金貨が詰まった袋をドシャッとカウンターの上に載せていた。

「150枚あるから、取っておいて」

「お、おいリタ・・・こんな大金一体何処で・・・」

「・・・お父さんの形見よ」


アンドリューの・・・?

そう言えば最後に銃を作ってやった時、俺は彼から貰った300枚以上もの大量の金貨を全て幼いリタへ預けたのだ。

それを彼女は・・・この18年間、ずっと手を付けずに取っておいたとでもいうのだろうか?

いや・・・恐らくリタが形見の金に手を付けなかったのは、単にその必要が無いくらいに彼女がハンターとして優秀で金の稼ぎも悪くなかったからだ。

だが仔竜の為のポーチの代金に敢えてその金貨を持って来たということは・・・

彼女がこの仔竜を、本当の家族だと見做しているということの何よりの裏付けなのだろう。


やがてリタと仔竜が連れ立って酒場から出て行くと、俺は何時の間にかしんと静まり返っていた周囲の空気の変化に気付いていた。

まあ、無理も無いだろう。

普段のリタを知っている連中なら誰もが、彼女の豹変振りには驚いたはず。

両親を失って以来18年間固く閉ざされていたリタの心が開かれた唯一の対象が、まさか彼女が心底憎み恨んでいるはずの竜に対してだったなど一体誰が予想出来ただろうか。

「ったく・・・世の中は分からねえことだらけだな・・・」

俺はそう呟いてジョッキ一杯にビールを注ぐと、周囲の男達の景気を付けるようにそれを一気飲みしたのだった。


翌朝、私はベッドの中に潜り込んでいた仔竜の姿に小さく安堵の息を吐くと、早速出掛ける準備を整えていた。

そして仔竜にもアイバンに作って貰ったポーチを括り付けると、昨日の内に受けていた依頼をこなす為に自分でも大きな皮のバッグを背負う。

今日は南の森で、薬草類の採集をしなければならないのだ。

この街は経済活動や流通のほとんどがハンター達の働きに依存しており、病院で使う薬や道具類も基本的には依頼を受けたハンター達が調達したり運送している。

まあそのお陰で私達ハンターにも常に何らかの仕事があるわけなのだが、薬草の採集に関しては完全な出来高制の為に大量の荷物を持ち運べる方が稼ぎが良いのだ。

それに力自慢の男のハンター達は専ら報酬の良い野獣退治などの依頼を受けることが多い為、こういった採集の依頼は特に力の弱い女ハンター達にとっての貴重な収入源ともなっている。

私が男達同様に竜退治や野獣退治に出掛けられるのも、アイバンが作ってくれた強力な武器があるからこそなのだ。


やがて南の森に辿り着くと、私は傍に生えていた傷の化膿止めや痛み止めに使える数種類の薬草を地面から毟り取ってそれを仔竜に見せていた。

「これ、分かる?」

そんな私の声に、仔竜がフンフンと鼻を鳴らして草の匂いを嗅いでいる。

そして持っていた草を背負っていたポーチに入れてやると、仔竜は理解したとばかりに鼻息を荒くして独りで森の中へと飛び込んでいった。

あんなに普段から私にべったりと張り付いていた仔竜があっさり走り去ってしまったことには一瞬驚いたものの、何かと頭の良いあの仔竜ならば何をすれば良いかはもう分かっているのだろう。


だが自分でも薬草を摘みながら1時間程森の中を歩き回った頃・・・

いきなり茂みの奥から仔竜が甲高い声で鳴きながら私の前に飛び出して来た。

「きゅきゅうっ!」

「わっ・・・!」

その余りにも突然の仔竜の出現に思わず後ろへ転んで尻餅を着いてしまったのだが、見れば仔竜の背負っていたポーチに草がパンパンに詰まっているらしい。

「まさか・・・もう集めて来たの?」

そう思って仔竜のポーチを開けてみると・・・確かに最初に教えた薬草類だけがみっちりと押し込まれている。

「へぇ・・・なかなか優秀なのね」

そう言って頭を撫でてやると、褒められたことが伝わったのか仔竜は嬉しそうに小さな鳴き声を上げながら尻尾を振っていた。


その日からというもの、私は仔竜とともに様々な依頼をこなす日々を送った。

流石にまだ言葉を話せる程の知能は無いものの、その体高はほんの4週間の間に1メートルにまで迫り、私の指示を理解出来ているお陰で今や立派にパートナーを務め上げている。

本来竜を狩る立場にあるハンターが仔竜とともに職務に励んでいる姿は時折好奇の目に晒されることもあったものの、元々そんな物に特に興味の無かった私にはどうでも良いことだった。

だが刺激的なれどある意味で穏やかな生活が続いていたある日のこと・・・


ガランガラン・・・

「おうリタ、久し振りだな。ここ最近は夜にも顔を見せねえから心配してたんだぞ」

約10日振りに酒場へ姿を見せたリタに声を掛けると、彼女は遅れて中へと入って来た仔竜に視線を向けながらそう呟いていた。

「仕方無いじゃない。流石にこの子を連れて頻繁に酒場に来るわけにもいかないでしょ」

そう言われて彼女の視線を追ってみると、体高1メートル余りになりこれまでは下を潜っていた扉を押し開けながら入って来た大きな仔竜の姿が目に入る。

「おいおい、しばらく見ねえ間に随分とデカくなったな・・・」

今はまだ午前中だから他に客の姿は無いものの、確かにこれでは事情を知らぬ者が見れば普通に危険な仔竜が酒場の中へと押し入って来たようにも見えてしまうのに違いない。


「それで、今日は何の用だ?」

「威力は今のより多少弱くても良いから、もう少し軽い銃が欲しいの。弾も20発頂戴」

「20発もか?今度は何を狩りに行くんだ?」

俺がそう訊くと、リタが少し困った様子で首を捻る。

「さあね・・・依頼主によれば、多分野犬だろうって話よ。郊外の畑や家畜を夜中に数頭の群れで荒らすらしいわ」

野犬の群れか・・・

まあそれくらいなら、リタでも片手で扱える程度の小銃で問題無いだろう。

「分かった。ちょっと待ってろ」

俺はそう言って奥の作業場から小型の銃を取り出してくると、20発の弾と一緒にリタの前に出してやっていた。

「はいよ。出来合いの銃だから弾代も合わせて金貨10枚で良いぜ」

リタはそれを聞いて袋の中から出した一掴みの金貨をカウンターへ置くと、仔竜とともに酒場を出て行った。

仔竜には心を開くのに彼女が相変わらず俺には冷たい態度を貫いてるのが少々悔しい気もするが、それでも以前のような触れる物全てを傷付けるような刺々しさは随分と薄まったように思える。

後はその調子で、あの笑顔も戻ってくれれば言うことは無いんだがな・・・

再び静寂を取り戻した酒場の中で、俺はフゥと息を吐きながら葉巻に火を点けたのだった。


その日の夜、私は毎夜野犬達が荒らしているという街の郊外にある民家へと向かっていた。

確かに、そこここに見える畑はあちこち乱雑に掘り返されていて、無惨に食い散らかされたらしい家畜の残骸も時折目に付くようだ。

まだ時刻は午後7時・・・標的が現れるのは完全に陽の落ちた午後9時以降だという話だから、このまま周囲を見張れる場所を探して機を待つことにするとしよう。

そして民家の傍にあった積み藁の陰に身を落ち着けると、私は隣に座り込んだ仔竜の頭を撫でてやっていた。

銃弾はたっぷりあるし、普段担いでいる大型銃に比べれば今回持って来た銃は小型で取り回しもしやすい。

相手が全部で何頭いるのかまでは分からなかったものの、仮に殲滅出来なかったとしても数頭を仕留めて脅かせば十分なはずだ。


やがてじっと広い畑の様子を窺うこと2時間余り・・・

私は月の無い真っ暗な闇の中に、複数の獣達の息遣いが聞こえて来たことに気付いていた。

ハッハッ・・・ハッハッハ・・・

何だか、想像以上に数が多いような気がする。

闇に紛れて全容はまるで掴めないものの、少なくとも10頭以上はいる気配だ。

そしてある程度野犬達を引き付けたところで持っていた松明にボッと火を灯すと、私はその明かりを真っ暗な畑を照らすように投げ掛けていた。


その瞬間、炎と人間の存在に気付いた数十の眼が一斉にこちらへと向けられる。

「あっ・・・」

ち、違う・・・こいつらはただの野犬じゃない。

そこにいたのは、体高80センチ近い巨躯を誇る凶暴なダイアウルフ達の群れ。

微かに灰色掛かった白い毛並みにこちらを真っ直ぐ見据える紅緋色の双眸が、突如として現れた"獲物"に妖しい輝きを帯びていく。

そんな冷たい殺意を孕んだ狼達の視線に、私は咄嗟に銃を構えると最も近くにいた個体にそれを撃ち込んでいた。

パン!パンパンパン!

少量の火薬が弾ける破裂音が、やけに頼りなく聞こえてしまう。

それもそのはず・・・

狙いを逸れること無く合計4発の弾を撃ち込まれた狼が、微かな鳴き声すら上げること無く激しい怒りの形相を浮かべながらその場に立っていたのだ。


「グルルルルルルル・・・ウオアッ!」

やがてその白い体を深紅の血に染めた手負いの獣が、号令を掛けるように一際激しい咆哮を上げる。

それと同時に周囲にいた十数頭のダイアウルフ達が残らず呼応すると、その全てが一斉に私に向かって飛び掛かって来た。

「ああああああっ!」

パンパンパン!パンパンパンパン!

最早冷静に狙いを付ける余裕などあるはずも無く、無暗矢鱈に乱射した銃の発砲音が夜の闇の中へとこだまする。

だがそんな闇雲な反撃も空しく、真っ先に飛び掛かって来た先頭のダイアウルフが私の脚に食らい付いた。

バグッ!

「ガウワウ!グルルルァッ!」

「うああっ!」

ガシャッ

鋭い牙が肉や骨へ食い込む想像を絶する激痛に、銃をその場に取り落とした私は次々と群がる腹を空かせた野獣達の真ん中で無惨に引き裂かれるだけの餌となったことを瞬時に思い知らされていた。


ガッ!ガブッ!グチッ!

「ひっ・・・ぎっ・・・!」

体のあちこちに無造作に牙が突き立てられ、余りの痛みに視界が真っ白にフラッシュする。

だが最早無念の死を覚悟したその時・・・

ゴオオオオッ!

「キャイン!」

「キャウンッ!」

突如何かが闇を明るく照らし出したと思った瞬間、私に食らい付いていた数頭の狼達が弾けるように飛び退っていた。

見ればあの仔竜が、これまで見たことも無いような怒りの表情を浮かべながら私と狼達の間に立ち塞がっている。

その口元からは呼気とともに真っ赤な炎が零れ出していて、私はこの仔竜が火竜種であったことに今初めて気が付いていた。

ゴオオオオオオオッ!

「キャン!」

「ギャウオォン!」

更には大きく息を吸い込んだ仔竜が先程もそうしたように燃え盛る紅蓮の炎を虚空に吐き散らかすと、恐れをなしたダイアウルフ達が我先にと競うように森の方へと向かって逃げ去ってしまったのだった。


「うぅ・・・」

仔竜のお陰で取り敢えずの危機は去ったものの、両手足に刻まれた痛々しい噛み後から真っ赤な血が流れ出していく。

ペロ・・・ペロペロ・・・

だが仔竜はそんな私の怪我を舌先でペロペロと数度舐め上げると、不意に何かを思い立ったかのように何処かへと走り去ってしまっていた。

一体何処へ・・・?

突然真っ暗な闇の中に独り取り残されてしまい、恐怖よりも心細さがただでさえ弱っていた私の心を締め付けていく。

だがほんの数分の間を置いて仔竜が戻って来ると、彼の背負っていたポーチの中に幾つかの薬草が押し込まれていた。


「きゅう・・・」

「これは・・・お前・・・私の為に薬を取りに行ってくれたのか・・・?」

そう思った瞬間、私は今更ながらにこの仔竜の母親を自分が殺してしまったのだという事実に打ちのめされていた。

あの赤竜は元々人間に仇を成すような悪辣な存在などではなく、ただ単に自分の子供を護りたかっただけなのだ。

それを人間のエゴによってこの仔竜から理不尽に奪った私は・・・

両親を殺したあの憎き黒竜と同じことをしてしまったのではないのだろうか・・・?

「あう・・・ぅ・・・」

そんな己の犯した所業の罪深さに、傷の痛み以上の鈍い苦痛が胸を抉り抜いてくる。

だが仔竜はそんな私の胸中に気付く様子も無く、心の底から純粋に私の怪我を心配してくれているらしかった。


ガバッ

「きゅっ?」

私は相変わらず優しく傷口を舐めてくれていた仔竜の体を掻き抱くと、その心休まる温もりを自身の胸に押し付けていた。

「済まなかった・・・私は・・・わ、私は・・・」

「きゅぅ・・・」

痛みと罪悪感にフルフルと震える私の両腕に、仔竜がスリスリと頬を擦り付けてくる。

そうしてしばらくの間仔竜を抱いたまま自らの罪を悔い改めると、私は仔竜の取って来てくれた薬草で怪我の手当てをしてから帰路に就いたのだった。


その日から、私は仔竜にソリオという名を付けて一層彼を可愛がるようになった。

この世に産まれ落ちて一月余り・・・初めて名を貰ったソリオは、少し困惑しながらも喜んでいたように思う。

手足の怪我は野生のダイアウルフ達に噛み付かれたにもかかわらず幸い悪化することも無く3週間程で回復し、私はようやく包帯が取れたことで長らく腰を落ち着けていたベッドから足を下ろしたのだった。


ガランガラン・・・

「リタ!随分と久し振りだな。大怪我したって話は聞いたが、体の方はもう良いのか?」

「ええ・・・まさか畑を荒らしてたのがダイアウルフの群れだとは思わなかったけど、何とか無事よ」

リタはそう言うと、もう彼女を乗せて歩けるのではと思える程に大きく成長した背後の仔竜へと視線を向けた。

恐らくはあの仔竜が、窮地に陥ったリタを救ったのだろう。

初めは刷り込みによる母親としてリタを慕っていただけなのかも知れないが、今やあの仔竜は寄る辺無く彷徨うだけだった孤独なリタを支える確かなパートナーとなったのだ。

「それで、久々に俺に顔を見せに来たってことは何か入用なのか?」

「今日はただまずいビールを飲みに来ただけよ」

「おいおい・・・まだ真昼間だぜ。こんな時間から酒を飲む奴がいるかよ」

俺がそう言うと、リタが相変わらずの仏頂面のままドカッとカウンターの椅子に腰掛ける。

「良いからさっさと出しなってば・・・クソオヤジ」

やがて彼女がカウンターの上に銅貨を4枚出したのを見て注文を理解すると、俺はジョッキに注いだビールと仔竜の為の大きな干し肉を出してやった。


「ほらよ」

だがリタは目の前に出されたビールをまじまじと見つめると、冷たい水滴の付いたジョッキに自らの頬を押し当てていた。

「何をしてるんだ?」

「別に・・・何でも良いでしょ」

そう言う割には、リタが何かを思い詰めたような表情を浮かべているのが目に入る。

恐らくは怪我の治療の為に姿を見せなかったこの3週間の間に、リタの中で何かしらの心境の変化があったのだろう。

「ねえアイバン・・・」

「な、何だ?」

やがてグラスを拭いている時に突然名前を呼ばれると、俺は思わずドキッとしながらリタの方へと顔を向けていた。

何かを打ち明けようとしているのか、喉まで出掛かっている言葉を何とか吐き出そうと奮闘しているその様子に、何とも言えない緊張感が俺の中に張り詰めていく。


「その・・・ん・・・何でもない・・・」

「何だよ、そりゃあ」

いや・・・まだビールを飲んだわけでもないというのに少しばかり顔を赤らめているところを見ると、彼女が何を言いたかったのかは俺にも概ね予想が付いた。

まあリタのことだから、下手に掘り返せばまた激しく反発しちまうことだろう。

それに・・・面と向かって礼なんざ言われなくとも、こうして顔を見せに来てくれるだけでリタが俺のことを本心で嫌っているわけじゃないことはよく分かるというものだった。


だがいよいよ彼女がビールに口を付けようとした正にその時・・・

突然、遠くの方からドオオンという激しい轟音と地響きのようなものが伝わって来た。

「な、何!?」

「街の中心部の方からだ」

俺はそう言って酒場の外に飛び出すと、周囲の様子を窺っていた。

すると遠くの方で、青い空にもうもうと黒煙が立ち昇っているのが見える。

その周辺では建物の間からチロチロと舌のように真っ赤な炎が揺らめいていて、人々の怒号や悲鳴のようなものが微かに風に乗ってここまで届いてくる。

そして次々と巻き起こる火の手が陽炎でグニャリと歪めていた空に、大きな黒い竜の形をした影がチラついていた。


奴だ・・・!

18年前にリタの両親を手に掛け、大勢の人々を焼き払った巨大な黒竜。

アンドリューに左目を撃ち抜かれて一旦は逃げ去ったはずの奴が、この街に再び姿を現したのだ。

「アイバン、どうしたの?」

「リタ!奴だ!あの黒竜がまた来やがったんだ!」

だが俺がそう言うと、リタの顔付きが明らかに黒々とした殺意に満ちた形相へと変わっていった。

そして俺と並ぶようにして遠くで展開されている街の惨状を目にすると、リタがギリッと拳を握り締める。

「落ち着けリタ。今は耐えるんだ。あの混沌の最中に飛び込んで行ったって、奴を討つことなんて出来ねえぞ」

「でも・・・!」

「いいから言うことを聞け!」

俺がそう大声で怒鳴ると、リタは思わずビクッとその身を竦ませていた。


「お前の気持ちは痛い程分かる。俺だって奴は憎いんだ。ドリューは・・・数少ない俺の古い友人だったんだからな」

両手でリタの肩を掴み、努めて声を低めながらそう彼女に言い聞かせる。

「奴に復讐する為にハンターになったんだろ?だから、俺はもうお前を止める気はねえ」

リタはそれを聞くと、何か言おうとしていた口を固く引き結んでいた。

「だが、それをやるのは今じゃない。お前もハンターなら、闇雲に獲物の前へ飛び込まずに辛抱強く機を待つんだ」

十分な準備も無く未知の敵の前に姿を晒した結果どうなったかは、リタも既にその身で思い知ったはず。

「・・・分かった」

まだ小さな傷跡の残る自身の両腕に目を落としたリタは、それだけ言うと微かに頷いていた。


街の中心部を散々に破壊し尽くした黒竜が飛び去ったのは、それから1時間程が経った頃だった。

元々数がそれ程多いわけではない病院は無数の怪我人で溢れ、家族や友人を亡くした人々がそこここで悲しみの涙を流している。

黒竜の炎で酷い火傷を負った人々も数多く、ハンター達が不足する薬の調達に追われているらしい。

「う・・・あう・・・い、いてぇ・・・」

やがて混沌とした地獄絵図の様相を呈する街中を歩いていると、私は崩れた瓦礫の下から這い出そうとしている中年の男の姿を目にして彼に駆け寄っていた。

「大丈夫?」

「あ、足が・・・焼けちまったんだ・・・」

やがて何とか彼を瓦礫の下から引っ張り出してみると、身動きが取れないまま両足を炎に巻かれたのか酷い火傷が顔を覗かせる。

すぐに患部を冷やせばまだ治癒する望みはありそうだったものの、近くには水場も無ければありとあらゆる物資が不足していたのだ。

だが目の前で苦しむ男に何もしてやれずに途方に暮れていると、ソリオが突然彼の火傷をペロリと舐め上げていた。


「うあっ!」

「ソ、ソリオ・・・一体何を・・・?」

真っ赤に焼け爛れた傷口にザラ付いた舌を這わせられる度、男が苦悶の声を上げながらのた打ち回る。

だがそんな光景が数十秒も続くと、あれ程火傷の痛みに悶えていた男が不意にその表情を緩めていた。

「う・・・あ・・・い、痛みが・・・?」

見ればソリオの唾液を塗り込められた男の火傷が、明らかに先程までよりもその赤みを薄れさせている。

もしや火竜の唾液には、怪我や火傷に効く何か特別な効能でもあるのだろうか?

あれ程手酷く野生のダイアウルフ達に噛まれたはずの私の傷口が奇跡的に悪化しなかったのも、もしかしたらソリオが傷口を舐めてくれたことで危険な感染症が防げたのかも知れない。

私はそんな想像に一縷の希望を見出すと、男の怪我を包帯で縛ってから彼を壁に凭れ掛けていた。

「あ、ありがとう・・・」

「一通りの応急処置は出来たけど、後で必ず病院に行くのよ」

取り敢えず、ソリオの力が役に立つのならば今は1人でも多くの命を救うことが先決だろう。

大勢のハンター達が協力してくれたこともあり、黒竜の被害を受けた人々の救出は何とか日が暮れる前に終わらせることが出来たのだった。


その日の夜・・・

随分と疲れた様子で酒場へと入って来たリタを目にすると、俺は彼女の前にビールを出してやっていた。

「おうリタ・・・ご苦労だったな」

「ええ・・・でも、大半はこの子のお陰よ」

そう言いながら、彼女が背後に付き従っていた仔竜の頭を優しく撫でる。

「火竜の唾液って、特に火傷の治癒に劇的な効果があるみたいなの。それに、傷の化膿も防げるみたいよ」

「本当か?そいつはすげえな」

「でも、助けられなかった人も大勢いるわ。お母さん・・・みたいに」


辛い過去を思い出しているのか、リタの顔に深い悲しみと激しい怒りの表情が交互に現れては消えていった。

「今、数人のハンター達に奴の根城を探ってもらってる。今はとにかく、疲れた体を休めろ。それもお前の仕事だ」

「・・・そうね」

リタはそう言って大ジョッキ一杯のビールを一気に飲み干すと、微かにふら付く足取りで仔竜とともに酒場から出て行った。

街の連中の過酷な救出作業で身も心も疲弊し切っているはずだというのに、あの黒竜への底知れぬ怒りと憎しみだけが、今のリタを辛うじて支えているのだろう。

俺の方も・・・やれることはやっておかなきゃあな・・・

やがて普段に比べると3割程しか客のいない閑散とした酒場を見渡すと、俺は奥の作業室へと引っ込んだのだった。


次の日の昼頃、黒竜の住み処の捜索を依頼していたハンター達が酒場へと姿を現していた。

「おやっさん、奴の居場所が判ったぜ」

「早いな、もう見つけたのか?」

「ああ・・・西の森だ」

西の森・・・18年前に姿を現した時にも、奴は西の森にその住み処を構えていた。

妻を殺されて激しい怒りに駆られたアンドリューと戦い、生涯消えぬ手傷を負った奴にとっては忌まわしい場所。

そこに舞い戻って来たということは、最早自分の敵はいないだろうという驕りがあるのだろう。

「分かった、助かったぜ。こいつは依頼料だ」

俺はそう言って金貨50枚の入った袋を彼らに渡すと、小さく肩を落としていた。

「それで・・・リタに行かせるのか?」

「本音を言やぁそれだけはしたくなかったんだがな・・・こうなっちまったらもう止めるわけにもいかねえだろ」

「そうだな・・・とにかく、何かあればまた声を掛けてくれ。何時でも飛んでくるからよ」

やがてそんなハンターの言葉に手を上げて応えると、俺は彼らが出て行ったのを見届けてからカウンターの陰に隠れていたリタに声を掛けていた。


「もう出て来ても良いぞ」

それを聞いて、リタが神妙な面持ちを浮かべたままゆっくりと立ち上がる。

「アイバン・・・」

「何だ、しけた面しやがって。言っとくがな、お前を行かせたくねえってのは俺の本心だ。だけどよ・・・」

俺はそう言いながら、両手でリタをそっと抱き締めていた。

「もし誰かがあのムカつくクソトカゲ野郎をぶっ殺すのなら、それはお前がやるべきだ」

「・・・うん」

「ドリューの・・・父さんと母さんの仇を討ってやれ」

そんな俺の言葉に、リタが今度は力強く頷く。

そしてリタをその場に待たせると、俺は奥の作業場からデカい銃を取り出してきて彼女の前に置いていた。


ドンッ!

「こいつを持ってけ」

「・・・これは?」

「18年前、ドリューがあの黒竜を討つ為に持っていった銃だ」

私はアイバンが持ち出して来た余りにも巨大な銃を目にして、思わずゴクリと息を呑んでいた。

普段私が使っている銃よりも更に一回り大きく重厚で、物々しいオーラのようなものをその全身から放っている。

「お父さんが・・・」

「炎を浴びて傷んだ部分は、昨夜の内に補修して強化しておいた。奴に通じる銃は、この街には恐らくこれしかない」

それを聞いて、私は両手で恐る恐るその銃を持ち上げていた。


ズシッ・・・

「うっ・・・」

その瞬間、両腕が痺れるような凶悪な重量がまるで縛り付けるかのように私の体を硬直させる。

こんなに重い銃を・・・お父さんは・・・

「ドリューは、こいつを軽々と扱ったんだ。リタ・・・お前がこれから相手にするのは、そういう化け物なんだぞ」

分かっている。

こんな兵器と呼んでも差し支えの無い銃を軽々と扱ったお父さんが、それでも勝つことの出来なかった邪悪な巨竜。

しかしどういうわけか、私の心の中に恐怖や不安といった負の感情は欠片も芽生えなかった。

ただ持っているだけでも体力を奪われるような重い銃だというのに、不思議と奇妙な活力のようなものが体中に漲ってくる。

まるでお父さんが、私にその力を貸してくれているかのようだった。

ガシャッ!

やがて弾を装填した銃を背負うと、奥の作業場に隠れていたソリオを連れて酒場を後にする。

「それじゃあ、行ってくるわ」

「ああ・・・行って・・・帰ってこい」

そんなアイバンの声に押されるようにして、私は仇敵の黒竜が潜むという西の森へと向かったのだった。


背中に感じる銃の重みが、鳴き声1つ発さずに黙々と私の隣を歩くソリオの存在が、奇妙な程の静寂を保っている森の様子が、私の中に静かな昂りを巻き起こしていく。

いよいよ両親の仇に相見えられるという興奮と、間近でその姿を直視したことが無い凶暴な怪物を相手取るという未曽有の緊張が、ゆっくりと足を踏み出す私を熱く焚き付けていた。

そしてほんのりと空に夕暮れの気配が滲み始めた頃になってようやく西の森へ辿り着くと、そっと足音を殺しながら薄暗い木々の群れを縫うようにして先へと進んでいく。

この森の何処かに、あの黒竜がいる。

街の南にある森と同様にここにも巨大な竜が住み処を構えられるような洞窟の類は存在しないから、今も奴は鬱蒼と茂った木々の間でじっと息を潜めているのだろう。

だが空気の流れの緩やかな森の中に微かな風が吹いたその時、隣を歩いていたソリオが不意に私の腰へと手を触れていた。


「きゅ・・・」

「ソリオ・・・?」

やがてソリオの方へ顔を向けると、彼がここからは少し離れている深い茂みの方へと顔を振り向けながらフルフルとその身を小刻みに震わせている。

向こうは風上だ・・・ということは、ソリオは何らかの異質な存在をその鼻で嗅ぎ取ったのだろう。

私はそれを見てソリオをその場に待たせると、慎重に木々の間を這い進みながらソリオが見つめていた茂みの奥を覗き込んでいた。


「うっ・・・」

何て大きさ・・・

私は茂みの奥に蹲るようにして眠りに就いていた黒竜の姿を目にすると、その想像を遥かに超える余りの巨大さに絶句していた。

地面に蹲って眠っているというのに、胴体だけでも既に3メートル近い高さがある。

全身を覆っている漆黒の竜鱗はまるでそれ自体が頑強な鋼鉄で出来ているかのような美しい光沢を帯び、頭部に備わっている太く湾曲した乳白色の双角が宛ら悪魔の姿を彷彿とさせた。

こちら側に見えている黒竜の左目はまるで大きな弾丸が掠ったかのような痛々しい傷跡で潰れていて、優に10メートル以上はありそうな私の体よりも太い尻尾がその背後にずっしりと伸びているらしい。


こいつが・・・お父さんとお母さんを・・・

眠っている上に僅か10メートル余りという至近距離まで容易に近付けたというまたとない復讐の好機に、私は逸る心を必死に押さえ付けながら背負っていた重い銃を取り出していた。

そして震える手でその銃口を黒竜の顔に向けると、3度の深呼吸の末にゆっくりと引き金を絞り込む。

ドゴォンッ!

「うあっ!」

次の瞬間、まるで銃そのものが爆発したのではないかと思えるような凄まじい反動が銃を腰溜めに構えていたはずの私の体を勢い良く後方へと吹き飛ばした。

これでは銃どころか、まるで大砲だ。

「グゴアアアッ!!」

だが地面に倒れ込んだ体勢のまま茂みの向こうを見上げていると、僅かに狙いが逸れてしまったのか左の角を粉砕されたらしい黒竜が苦痛と怒りの咆哮を迸らせながらその巨体を起こしていた。


しまった・・・早く次の弾を込めなくては・・・

私は転んだ拍子に強かに打ち付けた背中の痛みを堪えながら何とか立ち上がると、空の薬莢を排出して新たな弾丸を銃に込めていた。

「くっ・・・」

だがたっぷりと火薬の詰まった弾丸を送り込むスライドが想像以上に重く、全身を蝕む鈍い痛みで力が上手く入らない。

「ソリオ!」

やがて思わずソリオの名前を叫ぶと、私はすぐさま駆け付けてくれた彼に銃のスライドを掴ませていた。


「それを引いて!」

ガシャッ!

そんな私の指示に、ソリオが力強く銃のスライドを引く。

だが装填の完了した銃を持ち上げたその時、自身の眠りを妨げた不埒者達の姿を認めた黒竜が大きくその息を吸い込んだ光景が目に入った。

ゴオオオオオッ!

次の瞬間、私の視界一面を黒竜の吐き出した紅蓮の業火が覆い尽くしていく。

「ああっ・・・!」

もう駄目か・・・

そう思った次の瞬間、ソリオがその小さな翼を一杯に広げながらまるで炎から私を護るかのように2本の脚で立ち上がる。

「ソリオ・・・!」

「きゅううぅ・・・」

空気が焦げ付くかのような激しい熱風が全身を炙る感覚を感じながら、私は必死に炎を食い止めるソリオの陰で小さく身を屈めたのだった。


やがて燃え盛る炎の渦が過ぎ去ると、パチパチと乾いた音を立てながら無数の草木が燃え爆ぜる火の海の中で私とソリオだけが無事にその原型を保っていた。

「グオッ!?」

黒竜もまさかあの猛火の中で私達が生きているとは露程も思わなかったのか、再び立ち上がって銃を構えた私の姿に明かな狼狽を見せる。

そして今度は確実に狙いを付ける為に顔の高さに銃を持ち上げると、私はギリッときつく歯を食い縛りながら黒竜の顔目掛けて銃を発射していた。


ドゴォッ!

「うぐっ・・・!」

ドササァッ

駄目だ・・・私の力では、とてもこの強大な反動を押さえ込める気がしない。

こんな恐ろしい銃を、お父さんは一体どうやって操ったというのだろうか・・・

「ゴアアアッ!」

だがそんな黒竜の悲鳴に顔を上げてみると、右眼の瞼の部分に弾が掠ったのかその傷口から溢れ出した血が黒竜の視界を一時的に奪うことに成功したらしかった。


よ、よし・・・追撃を・・・

「あぐ・・・ぅ・・・?」

だが再び銃に弾を込めようとしたその時、私は激痛を訴える右肩が全く上がらなくなっていることに気付いていた。

まさか・・・さっきの衝撃で肩が外れてしまったのだろうか・・・?

自力で外れた関節を嵌める方法は一応習得してはいるのだが、仮に脱臼を治したとしてもしばらくは凄まじい痛みでロクに動くことが出来なくなってしまうのは火を見るよりも明らかだ。

しかも黒竜が視力を失ったのは一時的なもので、傷口からの血が止まれば再び見えるようになってしまうだろう。

それに先程は弾丸が掠った痛みに暴れたせいか私達の位置を見失っているらしいものの、次に銃を発砲すれば奴に正確な居場所を気取られてしまうのは確実だ。


「ソ、ソリオ・・・もう1度・・・お願い・・・」

私はぶらんと力無く垂れ下がった右腕を庇いながら重い銃を拾い上げると、左手でスライドを引いて空の薬莢を吐き出していた。

そして別の弾丸を銃身に押し込むと、再びソリオに重いスライドを引いて貰う。

ガシャッ

もう外せない・・・

しかしそう思えば思う程、激しい緊張に手が震えてしまう。

「ソリオ・・・銃を支えて・・・」

やがてそんな私の声に、彼は両手で銃身を持ち上げるとそれを自らの肩に置いてしっかりと地面を踏み締めていた。

これなら・・・片手でも撃てるかも・・・

正直あの強烈無比な反動が恐ろしくないと言えば嘘になるのだが、あの黒竜を・・・

両親の仇を討つ機会は、この一弾をおいてもう他には無いのだ。


だが目の見えぬ暗闇の中で激痛に暴れ回る黒竜の首にはなかなか狙いが付けられず、胸の内にただただ焦燥だけが際限無く積み重なっていく。

そしてついに意を決すると、私は黒竜に向かって大声で叫んでいた。

「こっちを向け!この野郎!」

次の瞬間、反射的にこちらに顔を向けた黒竜の動きが一瞬ピタリと止まる。

その刹那を狙って、私は万感の思いを込めながら引き金を引いていた。


ドゴォンッ!

ソリオの肩に乗せただけで特に固定もされていなかった銃身が発砲と同時に大きく跳ね上がり、数瞬の間を置いてドスンという重々しい音を立てながら地面の上へと転がっていく。

銃口から飛び出した大口径の銃弾は炎を吐こうと息を吸った黒竜の口内へ正確に飛び込むと、その後頭部を派手に炸裂させながら跡形も無く吹き飛ばしていた。

「ゴ・・・ガッ・・・」

や、やった・・・ついに黒竜を・・・お父さんとお母さんの仇を・・・

だが受け身も取れぬまま銃の反動に吹き飛ばされた私は、そんな安堵の感情に溺れたことを瞬時に後悔していた。


「グゴガアアアアッ!!」

弾丸が脳には直撃しなかったのか、後頭部がほとんど吹き飛んでいるはずの黒竜が大気を揺らすような断末魔を迸らせながら巨大な手の爪を振り上げてこちらに飛び掛かって来たのだ。

そして4本の鋭い死神の鎌が地面にへたり込んでいた私の上へと振り下ろされようとした、正にその時・・・

「きゅうっ!」

ドンッ!ザグッ!

咄嗟に私を横に突き飛ばしたソリオが、その爪撃をまともに浴びて燃える森の中へと勢い良く吹き飛んでいった。


「ソ、ソリオ!」

ドオオオオォン・・・

そんな私の声を掻き消すかのように、巨竜が力尽き倒れ込んだ激しい地響きと轟音が夕暮れの森の中へと響き渡っていく。

私は満身創痍の体を何とか起こすと、その身を引き摺るようにしてソリオの許へと近付いていった。

「ソ、ソリオ・・・うっ・・・」

そこにあったのは、背中に深々と4条の爪痕を刻み付けられて深紅の血の海に沈んだ無惨なソリオの姿。

「きゅ・・・きゅふっ・・・」

やがて弱々しい眼差しで私が無事なことを確かめると、ソリオはその苦痛に満ちた顔に微かな笑みを浮かべたままガクリと気を失ったのだった。


「ソリオ・・・そんな・・・あぐ・・・」

外れた肩の痛みに呻きながら血に塗れたソリオの体に手を触れてみると、まだ辛うじて息はあるものの明らかに心臓の鼓動が弱くなっているのが分かってしまう。

仔竜の高い治癒力で仮に出血は止まったとしても、大量の血を失ってしまったソリオはこのまま放っておけばまず間違いなくもう2度と目を覚まさないことだろう。

私はそんな絶望的な状況によろよろと立ち上がると、左手で右腕をがっちりと掴んでいた。


・・・ゴキッ!

「あああああああっ!!」

外れた関節を強引に嵌め直した衝撃が、一瞬遅れて凄まじい激痛となって全身を駆け巡っていく。

「はぁ・・・はぁ・・・は・・・ぁ・・・」

だがそれが一体どれ程の痛みであろうとも、私にはどうしてもやり遂げなければならないことがあるのだ。

そして荒れ狂っていた呼吸を半ば強引に静めると、私はぐったりと力尽きたソリオを背負い上げていた。

ズシッ・・・

「う・・・ぐふ・・・」

まだ産まれて間も無い仔竜とはいえ、体高1メートル余りのソリオの体重は明らかに私のそれよりも遥かに重い。

ただ立っているだけでも膝がガクガクと笑ってしまう程の重量を背負いながら、それでも私は1歩、また1歩と街の方角へ向かってゆっくりと歩き出したのだった。


「遅いな、リタの奴。彼女が西の森へ向かってから、もう半日は経っただろ?」

「あいつ、まさかあの黒竜に・・・」

何かあった時の為にと一応酒場に呼び集めてあった数人のハンター達が、真夜中になっても一向に戻って来る気配の無いリタの身を案じながらふとそんな言葉を漏らす。

「滅多なことを言うもんじゃねえ。リタは必ず帰って来る。何せあいつは・・・あのドリューの娘なんだからな」

もちろん、それがリタの無事を証明する根拠になどならないことは俺自身もよく分かっている。

しかしそうとでも思わなければ・・・この18年間、両親を殺された悲しみと苦しみに耐えながらただひたすらに黒竜への復讐を望み続けたリタが余りにも浮かばれないというものだろう。

「けどよおやっさん・・・もう午前4時だぜ。もしリタがあの黒竜を倒せたのなら、どうしちまったって言うんだ?」

「いいから・・・今はリタを信じて待つんだ」

だがそうは言ってみたものの・・・明け方になっても、結局リタは酒場には現れなかった。


「もう夜が明けるな・・・」

リタ・・・一体何があったんだ・・・?

俺は何時まで経っても朗報の届かぬ焦れったさに、カウンターの上に突っ伏したまま独り思案を巡らせていた。

ドシャァッ!

だがその時、突然酒場の外で何かが倒れたような大きな音が聞こえてくる。

「何だ今のは?」

そしてハンター達とともに酒場の外に飛び出してみると・・・

血塗れの仔竜を背負ったリタが、石畳の地面の上に崩れ落ちるように倒れ込んでいた。


「リタ!」

「どうしたってんだ、一体・・・」

「ア、アイ・・・バン・・・助けて・・・この子・・・を・・・」

そう言われて仔竜にもう1度目を向けると、その背中に深々と4条の爪痕が刻まれているのが目に入る。

「リタ・・・まさかこの仔竜を背負って、西の森からここまで歩いたのか?」

「おね・・・がい・・・死なせ・・・ないで・・・」

リタ自身も最早瀕死の様相を呈しているというのに、彼女はただひたすらに仔竜の身を案じていた。

「おい、早く水と薬だ!傷を縫う道具も持って来い!」

「分かった、待ってろ」

流石にこんな状況には慣れているのか、仔竜の様子を目の当たりにしたハンター達が手際良くその治療に当たる。

リタの方は仔竜を背負って5キロもの長い道のりを歩いたせいで完全に疲弊し憔悴し切っているらしいものの、少なくとも俺が一見した限りでは特に大きな怪我は負わずに済んでいるらしかった。

「この仔竜が・・・命懸けでリタを護ってくれたんだな・・・」

「とにかく、リタも早く病院に連れて行った方が良い。仔竜の方は俺達で何とかするから、頼めるか?おやっさん」

「ああ、リタのことは任せろ」


俺はそう言うと、リタに肩を貸すようにしてその体を起こしていた。

「痛っ・・・う・・・」

「どうした?右腕が痛むのか?」

「肩が・・・外れたの・・・銃の、反動で・・・」

そんなボロボロの体で、あの仔竜を担いで来たってのか・・・

いや・・・今やあの仔竜は、リタにとっては唯一の家族のようなものなのだろう。

もう2度と目の前で家族を失いたくないというリタの底知れぬ強い意志が、この華奢な体に奇跡的な剛力を宿らせたのかも知れない。

「ったく・・・相変わらず無茶しやがって・・・一体誰に似たんだか・・・」

俺は両腕でリタの体を抱き上げると、その足で近くにあった病院へと向かったのだった。


それから数日後・・・

私が病院のベッドで体を休めていると、ソリオの怪我を看てくれていたハンターの1人が突然病室に姿を現していた。

「リタ、起きてるか?」

「アイク・・・?どうしたの?」

「あの仔竜、ついさっき息を吹き返したぞ」

それを聞くと、私はガバッとベッドから体を起こしていた。

「本当!?・・・あっ・・・つ・・・」

「おいおい、まだ無理するなって・・・まあ、正直に言っちまうと俺達も半分諦め掛けてたんだがな・・・」

アイクはそう言うと、通路の方に顔を出して誰かを呼んだらしかった。

それに少し遅れて、ソリオがゆっくりと病室の中へ入ってくる。


「ソリオ!」

「きゅきゅう!きゅきゅきゅうっ!」

ソリオはベッドに寝ていた私の姿を目にするなり、甲高い鳴き声を上げながら顔を舐め上げてきた。

「そいつ、目を覚ますなりリタを探し回って鳴き止まなくてな・・・仕方無く連れて来たんだよ」

「ありがとう、アイク・・・」

「ああ、じゃあな。あんまり五月蠅くさせるなよ。ここは病院なんだからな」

私はそう言って病室を出て行ったアイクを感謝の眼差しで見送ると、もうすっかり元の元気を取り戻したらしいソリオを抱き締めていた。

右肩は流石にまだ痛みが取れないものの、ソリオを抱けるのなら今はそんなことなどどうでも良い。

あれ程痛々しかった背中の傷は薬草を詰め込んだ上で綺麗に縫い合わせられているらしく、私はソリオを助ける為に大勢のハンター達がその力を合わせてくれたのだという事実に涙を流したのだった。



それから1週間後。

ガランガラン・・・

再び大勢の客で賑わい始めた酒場の中に扉の鐘が鳴る音が響き渡ったかと思うと、仔竜を伴ったリタが久し振りにその姿を見せていた。

「リタ!もう体は良いのか?」

「ええ・・・ソリオも無事だったし・・・私もすっかり元気よ」

「ソリオ・・・?」

俺がそう訊くと、リタが隣にいた仔竜の頭を撫でて見せる。

「この子の名前よ」

「おいリタ!俺達にも何か言うことがあるだろ!」

だがリタがそう言うなり、仔竜を助けるのに協力してくれたハンター達がビールを片手にそんな大声を上げる。

「ええもちろん!ソリオを助けてくれてありがとう!今日は私の奢りよ!皆好きなだけ飲んで食べて!」

「いよおっし!そうこなくっちゃ!」


その時、俺は何時の間にかリタの顔に満面の笑みが浮かんでいたことに気付いていた。

18年前のあの日以来笑顔を忘れたはずのリタが・・・

かつて幼かった頃の可愛らしさをそのままに大声で笑っていたのだ。

両親の仇を討ち倒し、仔竜という新たな家族を手に入れた彼女は、ようやく長い長い孤独という名の暗闇から抜け出すことが出来たのだろう。

「うおおおお!リタ!俺と結婚してくれええぇ!」

ドスッ!

「ぐえっ!」

やがて以前にリタに告白したいとか抜かしていた客の1人がそう叫びながら彼女に向かって突進すると、咄嗟に傍にいた仔竜が彼に体当たりして突き飛ばしていた。


「きゅうっ!きゅきゅう!」

「はっははは!ハービーの奴、仔竜に吹っ飛ばされて威嚇されてんぞ!」

「リタにゃあ手を出すなってよ!残念だったなハービー!」

だが床にへたり込んだまま項垂れているハービーに、リタがそっと手を差し伸べる。

「良いわよハービー。まだ結婚するつもりは無いけど、今夜は一緒に飲みましょう?」

「へ、へへ・・・ほ、本当か?」

「あ!おい、あの野郎抜け駆けしやがったぞ!全員でとっちめろ!」

俄かに賑やかになった酔客どもの乱痴気騒ぎを眺めながら、俺はソリオと名付けられた仔竜をじっと見つめていた。

そういやあ、あれはリタが産まれた時のことだったな・・・


25年前・・・

「ドリュー!娘が産まれたのか?」

「ああ、リタってんだ。可愛いだろ?」

娘が産まれたばかりでジーンもまだ病院に入院してたってのに、アンドリューが俺に自慢する為にリタを酒場へ連れて来たのだ。

「リタか。良い名前じゃねえか。ジーンが付けたのか?」

「いいや、俺が名付けたんだ」

「お前がか?一体お前の頭の何処をどう穿り返したら、そんな洒落た名前が出てくるってんだよ」

そう言うと、アンドリューが少し恥ずかしそうに頭をポリポリと掻きながら俺から目を逸らす。

「俺の好きな言葉があるんだよ。リタソリオ・・・竜どもの言葉で、"孤高"って意味なんだ」

「"孤高"だぁ?お前、そいつは"寂しい"ってのと同義じゃねえか。自分の娘にそんな名前を付ける奴があるかよ」

「う、うるせぇ!褒めた後に貶すんじゃねえよアイバン!」


恐らくはリタも、父親から自分の名前の由来を聞いたことがあるのだろう。

それであの仔竜に、ソリオという名を付けたのだ。

「へっ・・・どうするよドリュー・・・随分と名前に似付かわしくねえ娘に育っちまったぜ・・・リタはよ・・・」

大勢の客達とビールを交わしながら笑い合うリタの姿に、俺も何だか目頭の奥が熱くなってきてしまう。

「おやっさん!こっちのテーブルにビール5杯追加だ!」

「こっちにもくれ!それと干し肉とナッツも!」

「あいよ!ったく・・・少しくらい俺にも感慨に浸らせろってんだ・・・」

俺はそうボヤキながらも騒がしい客達の注文をこなすと、夜通し続くであろうドンチャン騒ぎに備えて英気を養おうと葉巻に火を点けたのだった。


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