ヒーローじゃないか(挿絵あり)
9月20日……僕は今日二条病院を退院する事になった。
「ここまで長かったな……」
僕は個室の病室出入り口前で伸びをする。そして僕は意識を取り戻してからの日々を振り返る。
◇◇◇◇◇
僕が意識を取り戻してからの一週間は喋る事はおろか体を動かす事も食べる事も出来なかった。
「それで今日は皐月がね――」
僕が横になっているベッドの傍で楽しそうに僕に話しかける山岸さん。それを聞いている万丈。
二人は僕が意識を失ってから毎日この病室に通っていたと言う。山岸さんに至っては僕が刺されて救急車に乗せられた時一緒に同行してくれたらしい。
「そうなんだ……それは面白いね」
意識を取り戻して一週間も経つと僕は会話をする事が出来るようになっていた。
因みに僕が最初に喋ったのは、プリンを美味しそうに食べていた二人の姿を見ていて僕もプリンが食べたくなった時。
「プリ、ン……タベッ、タ、イ」
たどたどしくその上か細く弱々しい声が僕の口から紡がれる。
それでも山岸さんと万丈には届いたみたいで二人は喋った僕に驚きの表情を浮かべる。山岸さんに至ってはその直後泣き出した程だ。
その時の僕は少し恥ずかしいと思った。
喋っただけで驚かれそしてこうして目の前で泣きだされてしまうのだから。でも、状況が状況だから仕方ないというのもある。
山岸さんの目から次から次へと大粒の涙が流れ落ち頬を伝う。
一粒一粒が綺麗な真珠のように見えた。
山岸さんが泣いてるのは悲しみからじゃない事は顔を見れば分かる。
泣いてる時の山岸さんの顔は優しく笑っていた。
よく、ドラマや小説で『嬉しいのに涙って出るんだね』と言う台詞があるけど実際に目の前にして……しかもその原因が自分だと結構照れ臭いものだなと感じる。
僕が片言ながらも喋れるようになって数日経った頃背広を着た中年男性特有のぽっこりお腹の小太りの男が病室に訪れてきた。
万丈はその中年の小太りの男を見て驚きの表情を作る。
「ナッ、ナベさんっ!?」
そう呼んだ万丈を男はその万丈の目にも止まらぬ速さで頭を叩きつける。
「痛ってエエえぇぇぇっっっ!!!」
万丈は叩かれた箇所を両手で抑えながら盛大に叫ぶ。
「乙女の頭に何すんだっ……。瘤にでもなったらどうする気だよっ!?」
「へんっ、何を抜かしてやがるっ!! 乙女っつうんなら喧嘩なんかしねえよっ……この男女っ!!」
僕は、ナベさんと呼ばれる男と万丈のやり取りを眺める。どことなく雰囲気が二人とも似てるように感じた。
口論が落ち着いてから僕はナベさん……渡辺陽一さんの話を聞いた。何でも警察の人間で少年少女を取り締まる部署の人らしい。
多分、海斗のような暴走族に入った人間や不良の人間を取り締まっているんだと僕は思った。
小学校の頃からヤンチャだった万丈の面倒を陽に陰に見守ってきたらしい。
「にしても」
と言って渡辺さんは万丈に目を向ける。
万丈の服装は生地の薄い白のカーディガンにその下に水色のプラウス下はガウチョパンツと全体的に可愛らしい感じでまとめられている。
何より、万丈の前髪の部分が金の星で型どられたヘアピンが留められていた。
「どうしたんだ? そんなめかし込んで。見せるような相手が居るわけじゃね……」
僕と目があって喋っている途中に固まる渡辺さん。
「はは〜ん、なるほど」
そしてニヤニヤしながら僕と万丈を交互に見る渡辺さん。
「へぇ〜あの皐月がな〜」
勿体ぶったように言う渡辺さん……。さっきからなにをいようとしてるんだこの人?
「うるせぇっ……ナベさんには関係ないだろっ」
若干涙目で顔を真っ赤にしながら万丈が悪態をつく。……万丈もなにムキになってるんだ?
「あの渡辺さん……さっきから二人は何を話してるんですか?」
僕がそう聞くと二人は僕の顔を凝視する。そして数秒後、万丈は盛大な溜息を吐く。渡辺さんに至っては頬を掻きながら僕を珍獣を見るような目で見つめていた。
「おい皐月……コイツ、モノホンか?」
渡辺さんの言葉に頭を抱えながら
「言わないでくれ、ナベさん……悲しくなるから」
と少し不満そうに万丈は答える。
なんだろう……。なんとなくこの二人が僕を馬鹿にしてるような気がする。
「さてと、積もる話もあるがここからは……俺と黒崎君の二人っきりにさせてくれ」
先程まで人当たりの良さそうな顔を浮かべていた渡辺さんの顔が真面目なモノへと変わる。渡辺さんの瞳が鋭い眼光を放つ。
「おいナベさん……コイツは」
「分かってる……。カタギの人間だってことぐらい、目を見れば分かる……少し聞きたい事があるだけだ。後でお前らにも聞くから……さぁ行った行った」
そう言ってハエを払うような仕草をする渡辺さん。
「っ……分かったよ」
渋々納得した万丈さんは、山岸さんを引き連れて部屋を出ていく。
「さて、黒崎集君……まずゼロの中に赤髪で顔にヒョウ柄のタトゥーを入れた男はいなかったかな?」
「えっ……いませんでしたけど、それが何か?」
「実は今回ゼロの総長がいなくてね」
残念そうに渡辺さんは言う。そこから色んなことを聞いた。例えば、僕を刺した海斗はゼロの中では遊撃隊長という役職である事……そして渓はその遊撃隊長の補佐役である事……そして、ゼロの全体の人数は警察の方ではまだ把握しきれていないらしい。
「一応、総長の名前を伝えておく……後で皐月に言っといてくれ。そいつの名前は……東堂歩だ」
僕はその名前を聞いて固まる。
「……どうした? 顔色が悪いぞ」
渡辺さんが心配そうな顔をしながら僕の顔を覗き込んでくる。
「い、いえ……なんでも」
た、ただの偶然だ……。どこにでもあるような名前じゃないか。僕は心に生じた不安を頭を振って描き消そうとする。だが、一度生まれた不安はなかなか消えてくれない。
「だが驚いたな」
渡辺さんが今まで固くしていた表情を笑顔に変える。僕の感じていた重苦しい空気が薄まっていく、
「なにが……ですか?」
僕は突拍子もなく言った渡辺さんに呆気にとられながら尋ねる。
「皐月の事だ……まさかアイツがあんな風になるとはな……それだけ君に特別な力があるという事かな?」
渡辺さんが笑顔で僕にそう言った。だけど僕はすぐに首を左右に振って否定する。
「ありませんよ、僕にそんな力なんて」
「謙遜することはない……聞けば、女の子を守るために身を呈したそうじゃないか」
渡辺さんが優しげな瞳で僕を見る。僕は初めて人を殴った両手に目を向ける。
「僕は今回初めて……人を殴りました」
「あぁ、知っている……人を殴ってどう思った?」
淡々とした声で尋ねてくる渡辺さん。
「人を殴った時……殴った方も痛いんだなって、そう感じました」
僕が重々しくそう言うと渡辺さんは深々と頷く。
「そうだな。暴力を振るえばそれは少なからず自分にも返ってくる……
それに気付けているのなら君は半グレ……不良になることはない」
僕は渡辺さんの言葉に息を呑む。
僕は大人が大嫌いだ。いつも自分の体裁を守る事ばかりに必死で、それを守る為なら平気で人を切り捨てる……僕は大人に対してそういう偏見を持っている。
でも今目の前にいる渡辺さんからはそういう嫌な部分を一切感じなかった。きっと、万丈や他の不良達にもこういう態度で接しているんだと思う。だから万丈は渡辺さんに対してあんな態度を取れたんだと思う。
「皐月……自分の事を『オレ』って言うだろう?」
徐に問いかけてくる渡辺さん。僕はその問いに無言で頷く。
「アレなぁ、俺の真似なんだよ」
頭をポリポリと掻きながら照れくさそうに言う渡辺さん。
「君はどこまで皐月の事を聞いている?」
「幼い頃に海斗と渓が妹さんを傷付けた事は……聞きました」
僕はその場に居なかったけど……。
万丈も妹さんも凄い辛かったんだろうなと思う。いやそれは失礼だな。その人にしか分からない痛みってあるだろうから……。
それを分かった気で話すのは良くないって思う。その痛みは本人達にしか分からなくて……僕はただ想像する事しか出来ないから。
「そうか……アイツが小学5年生の時、6年生の男子をボコボコにしてな……俺が署で事情を聞いたんだ……そしたらなんて答えたと思う?」
「…………」
「妹に手を出したから……だってよ。あの時のアイツは妹の為ならなんでもやる……そういう顔をしてた」
どこか陰を感じさせる笑みを浮かべる渡辺さん。
「妹以外誰も信じねぇ、そんな感じだった……。その頃からだな……アイツと出会ってから罪を犯したガキ共を否定はせずに受け入れる事にしたんだ」
ああそうか……この人は否定をしないんだ。否定をしないで全部聞き入れて理解しようとしてあげる。
「だから皐月が……女の子らしい格好をしてくれて、凄え嬉しい」
そう告げた時の顔は物凄い穏やかな顔で……娘を思う父親の様だった。
「黒崎君……いや、集君。君はあの二人を救ったヒーローだ」
「でも僕はっ……ほとんど何もやってませんよ」
僕は顔を俯かせながら否定する。
僕がヒーロー? そんな訳ない……。ヒーローはもっと強いし、優しい……いま目の前にいる渡辺さんこそヒーローだって思う。
「実はな……俺が若い時上司をある事件で死なせちまったんだよ……」
言い終えると渡辺さんは悔しそうに歯を食いしばる。
「犯人が痒尺起こしてナイフを持ち出して上司に突っ込んだ……。俺はその時近くにいたのに……怖くて動けなかったんだっ!!」
突然声を荒げると同時に膝を強く叩く。
渡辺さんの頬から涙が零れ落ちる。この人、ホントに……。僕は沈黙しながら渡辺さんを眺める。
「それに比べてっ、集君はちゃんと救った……しかもあの子だけじゃない……皐月の心まで救ったっ!!」
そして僕に目を向け涙を流しながらも微笑む。
「立派なヒーローじゃないか……」
その声は、凄く穏やかで僕の行いが報われた……そんな感じがした。
◇◇◇◇◇
それから今日に至るまで僕はずっとリハビリに専念しやっと普通に体を動かせるようになった。
個室の扉が開かれる。そして入ってくるのは
「集君」 「集」
僕が居てもいいと思える二人の女の子……。これから僕の高校生活が再開される。以前とは違う……。希望に満ちた学校生活が始まるんだ。
そう思うと自然と口元が緩む僕だった。




