恩返しという意味も込めて
今回は、皐月視点での話になります。
第30部に繋がるお話になります。
その日夕方まで駅周辺で遊び、オレは涼と紗季に別れを告げ帰路につく。オレの住んでる所は、駅から徒歩20分……少し離れているところにある2階建てのアパート、二階に住んでいる。
部屋は二人では狭すぎる3畳……二人だとギュウギュウの狭さだ。その部屋の狭さのお陰で家賃は通常よりかなり安く抑えられている。それに司があの施設から離れたおかげか以前の明るさを取り戻しつつある。
今日の飯は何かなとそんな事を思いながらオレは上に視線を向ける。そこには夕焼けによって黄金色に煌めいている木々が並んでいた。
こんな事を思えるのは全部司のお陰だなと常々思う。あの子がいなかったら、きっとオレは今よりもっとクズな人間になっていただろう。だからこそ、アイツを守ってやらなくちゃと思う。
この日々を送らせてくれているたった一人の妹に恩返しという意味も込めて。自宅についてオレは玄関の鍵を開けドアを開ける。
「ただい……何だよ、コレッ」
目の前に広がる光景に驚愕する。昨日まで部屋の物が綺麗に整理整頓されていたというのに、今は物が部屋中の至る所に飛び散らかっている。
「……司っ」
オレは我を忘れて部屋に駆け込む……何が起きてる?
部屋に入るとそこには司の姿はなく物が床に飛び散らかっている。 そしてその部屋の中央に……本来居るはずのない奴が立っていた。
「なんで……テメェがここに居る、渓っ!!」
渓がこちらを見る。その瞳は昔と変わらず退屈そうだ。
「妹に言っておけ……チャイムが鳴っても不用意に開けるなと」
「つまり、テメェがこの部屋をむちゃくちゃにして、司を何処かに拉致したのか?」
オレは渓を睨みつける。だが渓はオレの睨みに臆した様子もなく続ける。
「俺一人じゃない」
と、退屈そうに言う。
「お前一人じゃない?」
そんなの知っている。渓一人じゃこんなに手際よく出来ない事は一緒に暮らしていたオレが理解している。大方……というかいつも、海斗の命令で動いているんだから、今回だってそうなんだろう。
「どうでもいい…それより、司の居場所を教えろ」
「……ククッ、クククッ」
渓は俺の言葉を聞くと変な声を立てる……あぁ、笑い声だっけか?
興奮すると、こんなふうに奇行を起こす癖がある。
「久々に聞いたよ、その笑い声……で、教えろよ」
そういった瞬間、腹に痛みが走る……渓が俺の腹を殴ったのだ。
「……グッ」
オレは痛みに喘ぎながら後方へ飛んで渓から距離を取る。オレは殴られたことによって生じた口内の唾を吐き出す。
「チッ……なかなか良いの、叩き込むじゃねぇか」
危うく地べたに這いつくばる所だった。あの頃とは違う……。オレは、ステップを踏みながら渓の出方を伺う。オレの戦闘スタイルはカウンター……、相手の攻撃を避けて反撃するのが得意だ。だから今は渓を油断させねえと……。その為にこちらからは一切攻撃しない。
「ククッ……、どうした、来ないのか?」
挑発的な態度でオレに揺さぶりをかける渓。ここで挑発に乗ったら負ける……さっきの一撃は重かった。相当鍛えられてる。同じ男ならともかくオレは女だ。
あんな重い一撃を何発も受けられない。だからオレからスキを見せるような真似は出来ない。オレはステップを踏んだままその場から一歩も動かない。
そんなオレを退屈そうに渓は眺める。相変わらずなにを考えているのか分からねえ。喧嘩において大事な事は常に冷静であることだ。単純な力勝負オンリーじゃ力のないやつは負ける。
だからオレはカウンターを狙う。相手が攻撃を放ってきた瞬間……。
それこそが無防備で大きい隙が出来る瞬間だからだ。その隙に乗じて打ち込めば大概のやつはダウンする。
だが渓は違うみたいだ……。自分から攻撃を仕掛ける素振りを見せようとしない。オレと同じカウンター狙いか? オレが渓の事を訝しむと
「そろそろ行くよ」
と言ってオレの懐に飛び込む。あっさりと侵入を許した事に驚くのも束の間渓はジャブを放ってくる。オレはそれを腕でブロックする……クッ、結構鋭くて痛い。
考えろ……。素手じゃ渓には勝てない。くそっ、なにか……使えそうな武器はねえのか。オレはほんの僅かの隙に周りを見回す。
……見つけた。壁に立てかけてある金属バット。あれさえ取れれば……。そう思った刹那……渓が俺の胸倉を掴んだかと思うと引き寄せ、それと同時に足払いを掛けてくる。
咄嗟の事に対応できなかったオレは、抵抗も出来ないままに足を挫かれ地べたに背中から倒れる。
「……ッ」
背中に激痛が走る。
「まだまだ」
渓はそう言うと、オレの体の隅々を踏みつけ時には蹴った。体の至る所が悲鳴を上げる。……痛い、痛いと。苦痛に顔を歪ませていると、髪を掴まれ無理やり立たせられる。そして、顔面に右ストレートを打ち込まれる。それも一発ではなく何発もだ。
ボキッという音が口内から聞こえてくる。あぁ、これは何本か歯が折れたな……また、入れ歯を買わねえとななんて一方的に殴られている状況なのにそんなどうでもいい事を考えていた。
何発か殴られた後金属バットが掛けられてる壁側に投げ飛ばされる。痛え、体が全く動かねえ……自分の体じゃねえみたいだ。意識が朦朧とする。視界が霞んでいく。
もうこのまま終わっても良いんじゃないかとそう思えてしまう。これ以上傷付いて何か得られる物はあるか……ないな。喧嘩になんの価値もない。ただ自分が傷付くか相手が傷付くかだけ。ならなんで、戦うのか……それは。
一枚の写真が視界に入り込む。施設に入る前まだ両親が仲良かった頃に撮ってもらったオレと司のツーショット……どちらも満面の笑みでピースをしている。
『……お姉ちゃんだけは、私の味方だよね?』
司のあの時の言葉が蘇る……そうだ、司を守るためだっ!!
もうあんな思いをしたくないから。その為に、力を付けてきたんだろオレはっ――。
オレは、ゆらゆらとゆっくり立ち上がる。足に上手く力が入らねえ。
「まだ、やるのか?」
渓が薄ら笑いを浮かべて言う。だが、その薄ら笑いはすぐに消え去る。オレが壁に立てかけてあった金属バットを手にしたことによって。
「ま、待て」
渓が慌てた様子で言う。
「お前俺を殺す気かっ」
血相を変えて言う……。普段、感情を表さない渓でも流石に死ぬかもしれない時はこんなふうになるのか。
そう言えば、あの時もこんな表情を浮かべていたか。オレがゆっくり、一歩また一歩と近付く。その度に体を震わせる渓……だが
「ウオオオォォッ!!」
いきなり大声を上げてオレに殴りかかろうと駆け寄ってくる。そして、拳を構えオレの顔面目掛けて右ストレートを放つ……それを待っていた!! オレはその一撃を直撃寸前の所で顔を右にずらして避ける。肌に渓が放った拳の風圧を感じる。
避けたその刹那オレは、金属バットを横薙に思い切り振るう。カンッという音が部屋に響き渡る。「ウゥッッ」脇腹にヒットした金属バットに唸る渓。オレは攻撃の手を緩めない。すぐに金属バットを構え……肩、手足、顔面、狙いを変えて振るっていく。
あまり感情を顕にしなかった渓の顔に恐怖の色が差し込む。多分、信じられないんだろうな……一歩間違えば殺人者になると言うのに。なんで躊躇なく震えるのかと。
渓……人はな、大切なモノを守る為ならどんな事でも出来るんだよっ!!オレは心の中でそう言って渓の片足に思い切り振るった金属バットがヒットする。ボキッという音が聞こえる。骨が折れたみたいだ。
「う、うああァァあああっっ」
渓がその痛みに悲鳴を上げ片方の膝を地面につかせる。オレは金属バットを捨て顔面に向けて蹴りを放つ。痛みに気を取られていた渓は、防御をすることも出来ずその蹴りを顔面で受け止める。
そして、地面に仰向けで倒れ込むとそこから体を動かさない。オレは、渓の元に歩み寄る。ポタポタっと音がする。自分の足元を見るとそこには血が落ちていた……いや、今もなお地面を地で濡らしていた。オレの体の至る所から血が流れていたのだ。
オレはそれを無視し渓の元に辿り着くと顔を覗き込む。そこには、全てを諦めたというような虚ろな表情を浮かべた渓がいた。窓に目を向ける、日は完全に沈み街のいたる所街灯が点いていた。
「渓……司はどこにいる?」
オレは、渓を睨みつけながら言う。
「二条の俺達の家の近くに、廃屋があるだろ……そこにいる」
廃屋……か。海斗と渓が施設内にいる間イジメられるからよく廃屋に逃げ込んでいた。まさかそこに連れ込むとは。
「だけど、やめた方がいい」
渓が、顔を歪ませながら言う。
「なんでだ」
オレは問いかける。コイツがそう言うということはそれだけの理由があるという事だ。
「昼間言ってただろ……ゼロの話を」
「言ってたな。だがそれになんの関係が……」
そこまで言って一つの可能性に気がつく。
「まさか、お前と海斗は……メンバーなのか?」
オレがそう問いかけると渓は目を閉じ、沈黙する。それが答えという訳だ。
『スゴイよね……、どこで仕入れてきたのか分からないけどシャブや大麻その他諸々を売りさばいてる』
あの時のアイツの表情の意味は……オレは、渓に顔を寄せ渓の目を凝視する。
「まさか……海斗が薬を売りさばいてる訳じゃないよな」
渓の顔が強張る。それだけで答えは十分だ。そうか……アイツはとうとう、人の痛みも理解出来ない位に壊れちまったか。
「……フゴッ」
オレは、渓の顔面に拳を叩きつけた。渓は真っ向からその拳を食らって悲鳴を上げた後意識を失ったのか、体が動かなくなった。オレは渓の胸元に耳を当てる……大丈夫、息はしてるから死ぬ事はないだろう。
「……ッ」
鉛のように重たい身体を無理やり立たせる……すげぇ痛い。時計を見る……19時45分、いつもなら涼や紗季に連絡を入れる時間帯だ。
渓の言うとおりゼロが関わってるならオレ一人じゃダメだ……。仲間に頼った方がいいことくらい分かってる……だが
オレは、首を振る。オレが売られた喧嘩……それに完全に身内同士の喧嘩にアイツ等を巻き込むことなんか出来ねえよ。
オレは、渓がのびてる部屋から立ち去り満月が夜道を照らす中をゆっくりと歩き出す――待ってろよ、司っ。




